第五話 晩餐会①
陽が沈み支度を終える頃に、王宮から迎えの馬車がやってきた。
タングリストの屋敷は王都の外れにあり、王宮までは小一時間ほどかかるとのこと。用意された礼服を着てタングリストと同じ馬車に乗ったアルベルトは、向かいに腰を下ろした。
ゾネイアは馬に乗り護衛として馬車の横に、カルは馬が怯えないよう、馬車の少し後ろをついて来ていた。
「立ち場的に奴隷である私が、殿下と同じ馬車に乗ってもよいのですか?」
「君の安全を思えば共に乗るのが最善であり、また、私が君に熱を上げていると認識させるのにもちょうど良い。先に伝えておこう。晩餐会では、私の膝の上に乗ってくれ」
「わかりました。重いようでしたら、仰ってください」
「君の体重を支えるくらいの筋力はあるさ」
馬車が出発する。道が荒れているのか、絶え間なくゴトゴトと左右に揺れていた。
カーテンをずらし、街の様子を眺める。リストニアでは、夜になると街灯が人々の足元を照らし続ける。瘴気が濃くなる秋の長雨の季節は別として、城下では夜になってもそれなりの賑わいがあった。
(でもここは、灯りもなく、人通りもない。街道は石畳や煉瓦じゃなく、ただの土。あちこちに穴も空いてる)
「……寂しい王都だろう?ずっとこうなのだ、この国は。慰めに君の故郷のことを教えてくれないか?」
それが単なる世間話の一つではなく、国を憂える者としての頼みなのだとわかった。
アルベルトは街並みに視線を向けたまま、リストニアの夜を思い浮かべた。
「私の故郷は、魔物の影響を強く受ける地です。秋になるとそれが顕著になり、夜は身を寄せ合って朝を待ちます。……ですが。それでも皆、逞しく暮らしてくれています。今年の冬は特に魔物が少なく、街道を照らす灯の下には人通りが絶えません。彼らの笑顔を見られるのなら、私はどのような困難にも立ち向かえると、心からそう思えるのです」
視線を、馬車内へと向けた。
「あなたが思い描かれる国も、そのようなものなのでしょうか?」
虚を突かれたように、タングリストが身を揺らした。
腐敗を続ける国で、王弟という立場ならもっと楽に暮らせただろうに。彼は埃を被った屋敷で、質素な食事をして暮らしている。
「昨日、手に触れて殿下の身に流れる魔力を感じました。確かに魔法を使うには難しい量かもしれません。しかしその流れは透明で、美しいと感じられるものでした」
「……アルベルト」
「私の理想は、人々が魔物に脅かされることのない世界です。それは今はまだ遥か遠く、方法を模索するための道筋さえ見えませんが……。いつか、必ず叶えてみせます」
アルベルトの言葉を聞いていたタングリストの目に、きらきらとした星のような輝きが宿るのが見えた。「そうか……そうだな!私も負けてられん」と頷き、膨らんだ腹をポンと叩く。
「この年になって、なによりこの状況で、君のような良き友に出会えるとは。人生とは何が起きるかわからんな」
「光栄です、殿下」
「タングリストと呼んでくれないか?君の国ファンケンラートに比べれば、一地方貴族よりも小さな国の、しがない王弟だ」
「相当なお立場だとは思いますが……。承知いたしました。では、タングリスト様、と」
「どうか呼び捨てで」
「そ、それはさすがに」
「友人としての、頼みだ」
「……タングリスト殿、でご容赦ください」
(クリストフ殿下の時も、似たようなやり取りをしたな……。心の中では『タングリストさん』って呼んでるけど、立場的にいくらなんでもね……)
アルベルトからの提案に、渋々と言った様子でタングリストが頷いた。
「さて、城まではまだしばらくかかりそうだ。今度は私の理想の話をしよう。聞いてくれるかね?」
「もちろん、喜んで」
まずは産業だ、と生き生きとした口調で話し始める様子を、アルベルトは優しく目を細めながら見つめた。
王宮は、寂れた街の姿からは一転、絢爛豪華な造りをしていた。
巨大な柱と高い屋根。正門を抜けると地面が土から石畳へと変わる。手入れが行き届いた広い庭と、複数の御者が待機している馬車寄せ。玄関前には人の高さほどもある花瓶が一対置かれ、冬とは思えない様々な色の花を咲かせていた。
アルベルトは到着するまでにタングリストから手渡されていた、黒いレースのヴェールを頭から被った。不特定多数に顔を見られないように、という理由もあるが、一番は読唇されないようにするためである。
馬車の扉を開けると、ゾネイアが軽々とアルベルトを縦に抱き上げた。
「タングリストが参ったと、兄上に伝えよ」
身体を揺らしながら馬車から降りたタングリストが、それだけで息を切らしたように喘ぎつつ、玄関脇にいた燕尾服の男に告げる。ぞんざいな言い方は、船の上で最初に聞いた時と同じトーンだ。これが『湯水のように金を使い奴隷を侍らせてる愚鈍な王弟』としての彼なのだろう。
(演技がすっごく自然。私も最初声を聞いた時は、本当にこういう人物なんだろうなって思ったくらいだし)
アルベルトとて、前世を思い出してからの六年は『こうあるべき』というアルベルト像を演じており、すっかりそれが板についてしまっているのだが。それと似たようなものだろうか、と考える。
燕尾服の男が、タングリストから見えない位置で愚鈍な王弟を嘲笑う。馬車の後ろから現れた虎を見ても、驚いた様子はない。ここでは、赤い獣は知られた存在なのだろう。男は申し訳程度に頭を下げてから、両開きの扉の片側を開けた。
ヴェール越しでも眩しいほどの光が、目に飛び込んでくる。
壁にかけられた灯り、高い天井から吊り下げられたシャンデリア。
まるで、真昼のようだ。
(街はあんなに暗いのに……別世界みたいだ……)
床はタングリストの屋敷と同じ大理石だが、こちらは色がさらに白く、ピカピカに磨き上げられている。
玄関ホールの先にはさらに扉があり、そちらは既に開いていた。
複雑な模様の絨毯が敷き詰められた広間の中央には縦に長いテーブルがあり、様々な料理が山と盛られて並んでいる。両脇の椅子は、手前の一つを残して着飾った者たちで全て埋まっていた。
そして一番奥の、もっとも背の高い椅子に腰を下ろしている男が、こちらを見て笑っている。
あれが、と。ヴェールの下でアルベルトは男を観察した。
鼻の下に髭を生やした、中年の男だ。髪はラングリストと同じ暗い金色をしている。やや面長で、実戦的ではなさそうな筋肉がうっすらとついていた。
「また我が荷を奪ったそうだな?何人目だ、愚弟よ」
「覚えておりませんなぁ。良いではないですか、お優しい兄上。おこぼれの一つや二つ」
「強欲な奴め」
どっちがだ、と突っ込みたくなる台詞を吐いた王の視線が、赤い虎へと向けられた。
「荷を運ぶ程度もできんとは。所詮は畜生か。……さっさと次の獲物を探して来い」
テーブルの上に肘を付き、指を鳴らす。途端、苦痛の声を上げた虎が、もんどり打って床に倒れた。
(カル……!!)
ゾネイアの腕の中から飛び出そうとしたアルベルトが、強い力で押さえられる。「耐えろ」と耳元で囁かれ、反射的に首を横に振った。
「まぁまぁ、兄上。ソレは兄上の荷を、律儀に守っておりましたぞ。船の上で、コレが兄上の荷と知ってなお穢そうとしていた連中がいたようなのです」
タングリストがアルベルトの腕を掴む。「診てやってくれ」と小さく呟いてから、強引に引っ張りゾネイアの腕の中から虎の近くへと放り投げた。
「今回の獣の荷か、ソレは。……なぜ顔を隠している?」
「五日ほど目隠しをされていたせいで、少々目を痛めておりまして。いつもなら捨てるところですが、なかなかに具合が良いので治療してやろうかと」
「もう食ったのか、相変わらず眺めて楽しむ時間を持たぬ品の無さだ。……まぁ良い、顔を見せよ」
気付かれないように虎の様子を確認するアルベルトの側に、ゾネイアがやってくる。
「ゾネイア、あまり光に当てると治している甲斐がなくなる、兄上にお見せするだけで良い」
「かしこまりました」
ゾネイアの手がヴェールを剥ぎ取る。王を睨みつけたい気持ちを抑え、あえて不安げな表情を作ると、その場にいた者たちが一斉に息を飲んだ。
彼らは、現王に賛同している同じ穴のムジナたちだ。ある意味グシュタールという国が抱えている問題そのものと言える。すぐにゾネイアがヴェールをかけ直したが、場のざわめきが静まることはなかった。
再び視界が薄い膜に覆われたので、絡みついてくる視線を無視して虎の具合を見る作業へと戻る。意識はすでに戻り、出血している様子もない。呪力のようなものも感じられなかった。一時的にショックを与える仕掛けだったのだろうか。だとしても許されるものではないが。
「……フフ。なるほど、なるほど。弟よ、まずは食事を楽しもうではないか」
「はい、兄上。ゾネイア、ソレを私のところに連れて来い」
屋敷では洗練された動きをしていたタングリストが、音を立て椅子の上に腰を下ろす。ぶるぶると揺れる肉に、場にいた者たちが嘲笑うのが見えた。
アルベルトを抱えたゾネイアが、荷物のようにタングリストの膝の上に小さな身体を乗せる。「どうだった」と囁かれ、「大きな怪我はないようです」とヴェール越しに答えると、タングリストの気配が僅かに和らいだ。
皿の順番も何もない、食事会が始まる。タングリストの後ろに控えているゾネイアが、給仕からワインを勧められ断っていた。
グシュタール王は、側近たちと会話をしながら時折タングリストへと話を振った。料理の内容や、ワインの銘柄についての話だ。その度にタングリストは的外れな答えを返して、周りから失笑を買っていた。
(演技だっていうのは知ってるけど、タングリストさんが馬鹿にされてるの腹立つな〜!)
愚かであるというのは、そのように見せたい相手に対しては有効に働く。タングリストの振る舞いは、まさに『色欲に塗れた愚かな王弟』らしいものだった。
食事が終盤に差し掛かる頃、まだ肉が残るスペアリブを皿の上に捨てた王が、脂で汚れた手をパンパンと叩き何かの合図をした。
王の後ろに控えていた痩せた男が、慌てて動き始める。広間の奥、王の近くにあった扉を開け、首を縄で繋がれた者たちを無理やり引っ張ってくる。
数は七人。
皆、今のアルベルトか、それより少し大きい年頃の少年たちだった。




