第四話 王からの呼び出し
薄く差し込む朝の光とともに、アルベルトは柔らかなベッドの上で目を覚ました。
もちろん、あの虎も同じシーツに包まっている。
温かいシーツから出たくないという気持ちが芽生えるが、衣食住全てを間借りしている身だ。後ろ髪を引かれつつベッドから出ると、用意されていた衣服に袖を通した。
服や靴などは、助けることができた子どもたち用に、タングリストが常に何セットか準備しているのだという。彼の心配りや立ち振る舞いには、人の上に立つ者としての素養が感じられる。本来なら、ああいう者こそが王になるべきなのだろう。
(でも……、もしこの国でクーデターを起こして、それが成功したとしても。疲弊した国民を支える土台と、反発を抑える武力がない限り泥沼の内戦に突入するだけだ……)
残念ながら、かの王弟はそのどちらも持っていないように見えた。
(自分の命の残り時間を気にして、動けなかったのかもしれない。——だけど)
タイを結びながら、昨夜のやりとりを思い出す。
今すぐはできないが、それでもアルベルトの解呪魔法があれば高い確率で治せるという話に、ゾネイアはもちろんタングリストも心からホッとしたような表情を浮かべていた。「未来の話ができるのはありがたい」と言う王弟に、「殿下!ずっとついていきます!」と拳を握る騎士の眦には、僅かに光るものがあった。
(私は、あの二人の力になりたい。そのためにも、元の身体に戻る方法を探さないといけないんだけど。……でも食事と部屋のお礼くらいはさせてもらいたいな)
今日からは、屋敷の中なら自由にして良いと言われている。使用人たちへ、話をしてくれたらしい。と言っても、通いの料理人と庭師が一人ずついる程度だ。掃除は二人のうちのどちらか、もしくはゾネイアが空いた時間にしているとのことだった。
調理に関しては材料の配分や買い物もあるため、手出しをするとかえって迷惑になりかねないが、掃除くらいなら問題ないだろう。
虎を連れて廊下に出ると、濡れた髪を団子に纏めた薄着のゾネイアと鉢合わせた。
「おはようございます、ゾネイア殿」
「おはよう、アルベルト殿。早いな」
胸当てを外しているゾネイアは、身体の線が少し柔らかく見えた。
「宿と食事のお礼に、せめて掃除でもしようかと思いまして。ゾネイア殿は朝の鍛錬ですか?」
「あぁ。ちょうど終わって軽く湯を浴びたところだ。掃除をしてもらえるのは、我々としても助かる。用具がある部屋に案内しよう」
こちらだ、と歩き出す大きな背中についていく。
「赤い獣は、すっかりお前のペットになってしまったようだな」
ゾネイアの歩調はアルベルトに合わせられ、ゆっくりとしていた。
「戻って来ないことに、グシュタール王が不審に思ったりはしていないでしょうか」
「殿下が赤い獣の荷であるお前を連れて行ったことくらいは、王も把握している。船の連中から、報告が上がっているだろうしな」
虎についての話も、昨夜タングリストから聞いていた。
なおアルベルトは、この動物を前世の知識を元に『虎』と認識しているが、彼らは『赤い獣』以外の呼称を持っていないようだった。それはつまり、この見た目の動物が、リストニア同様グシュタールにもいないことを示している。
タングリストによると、赤い獣はグシュタール王が随分前にどこかから連れてきて、「人語を理解する獣」として使役し始めたのだと言う。最初は抵抗していたらしいが、繰り返し罰を与えられ、ついには「言いなりになった」と王が嗤いながら自慢していたと聞かされた。
虎の役目は、奴隷となる人間たちの運搬。その中でも虎自身が狩ってきた獲物は『赤い獣の荷』と呼ばれ、最初に王に差し出される特別なものとされていた。
「確かに珍しい見た目の生き物ではあるが、気に入っているのなら、そもそも船になど乗せず手元に置くのではないか?」
「確かに……そうですね」
「つまり、王が獣をわざわざ連れ戻すとは考えにくい。それよりも、お前を差し出せと言ってくる可能性の方が高いだろう」
小さな納屋のような部屋に着き、一旦話はそこで打ち切られた。中にはモップや箒、バケツといった基本的な掃除道具が並んでいる。
「雑巾は、隅に畳まれてあるものを好きに使ってくれていい」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、こちらの方だ。アタシは殿下のお支度に行かせてもらう。あのお身体では、お召し物を着るのもなかなか難しくてな」
ひらひらと手を振って、立ち去っていく。
アルベルトは礼を言ってから、腕まくりをして掃除道具へと向き直った。
意外にも、虎が大活躍をした。
廊下から始めたのだが、高い場所から低い場所へという掃除のルールに則り天井隅の埃や蜘蛛の巣にハタキをかけようとしたところ、虎がアルベルトを乗せて、二本足で立ち上がったのである。
少し得意げな顔をする赤い頭を「えらいぞ」と撫でながら埃を落とし、固く絞ったモップを押して廊下を走り回った。
(窓は二度拭きしないと水の跡ができちゃうから、午後からにしよう。向こうの角のテーブルに花瓶があったけど、庭師の人に聞いたら何か用意してもらえるかな)
一日で屋敷の掃除が全てできるとは思っていないが、先に目立つ箇所だけでも済ませてしまいたい。
バケツの水を三回替えた辺りで、再びゾネイアがやってきて朝食の時間を告げた。
「晩餐会、ですか?」
「つまりは、兄上からの呼び出しだな。今までも私が荷を奪った後で、何度かあった。手に入れ損ねた奴隷が、どれだけのものだったのかを確認したいのだ」
パンとチーズという簡単な朝食を終え食後の紅茶を用意していたアルベルトは、タングリストからそう知らされた。
食事の部屋は昨日と同じ、窓のない小さな一室だった。
「……その時に、王が私と獣の返還を殿下に要求する可能性はありますか?」
問いかけると、カップをソーサーに置いたタングリストが小さく頷いた。
「ないとは、言えない。君の博識ぶりから考えるに知ってはいるだろうが、この国では今の君ほどの子どもの価値が非常に高くてね。ましてや、その見た目だ。……兄上が、何と言い出すか想像できるよ」
「参考までにお聞かせいただいても?」
「……『脱げ。この場で抱いてやろう』だな」
(うっっっわ〜〜!!きんも〜〜!!)
心の声が顔に出ていたのか、タングリストが苦笑するように喉を震わせた。
「すまないが、晩餐会を欠席するわけにはいかない。逃げると余計追ってくる人でな。私とゾネイアの側から、決して離れないようにしてくれ。……それと」
やや悩んでから、仕方なさそうに口にする。
「君を、『そういう意味で』私のお気に入りという設定にする。兄上はお手つきを好まない。その上私のお手つきとなれば、無理に奪う真似はすまい」
「なるほど……わかりました」
「ひょっとすると、私がある程度触れる必要が出てくるかもしれないが。我慢してくれ」
「お気になさらないでください」
可愛げのない子どもで、逆に申し訳ないくらいである。
それを伝えると、目の前の二人が「何を言ってるんだ」と言うような顔をした。
「……ゾネイア。ファンケンラートは美の価値観が我々と違うのかな」
「違わないとは思いますが……」
「まぁ良い。日暮れと同時に屋敷を出る。それまでは自由に過ごしてもらって結構だ」
残りの紅茶を飲み終えたタングリストが、「そう言えば」とアルベルトを見た。
「君は貴族なのだろう?婚約者などはいないのか?」
「婚約者ですか?」
「家族もそうだろうが……。生涯の伴侶ともなれば、君のことを心配して眠れぬ夜を過ごしているのではないか?」
(生涯の……、伴侶)
思い浮かんだ顔に、思わず顔が赤くなった。
「……いるのか。つくづく申し訳ない」
頭を下げられ、慌てて首を横に振る。
「あ、いや、その……」
何か言おうとして、結局何も言えずに言葉を濁す。
(そう言えばこんなに長く会ってないのって、王都の魔導院でお爺ちゃんと修行してた時以来だ)
三週間ほど顔を見ていない。
アルベルトの行方がわからないと聞いて、どうしているだろうかと考えた。
王都からリストニアまでは、通常なら十日ほど。急いでも七日はかかる。途中で馬を替えながら不眠不休で駆けたならば、四日程度か。その段階でアルベルトはすでに海の上にいた。この場合、同魂の魔法は、相手の位置をどのように伝えるのだろう。仮に海の上だとわかったとして、リストニアには海を渡れるほどの船はない。手配するにも時間がかかるのは間違いなかった。
(船が用意できたとしても、出航は天気に左右される。そしてそこからグシュタールまでさらに五日……。ヴォルフガング様には申し訳ないけど、問題を解決して自力で帰った方が早いんじゃないかな)
あの騎士のことだ。おそらく一睡もせずに探している。
そこまで無理をして欲しいとは思わないが、止められる者が当のアルベルトしかいないことくらいは理解していた。
「……深くは聞かないが、想い合う相手がいるのはわかった」
少しばかりの沈黙に何を思ったのか、タングリストが何かに納得したように何度も頷いた。
「愛というのは、よいものだな。私も目的を達成したら、伴侶探しに力を入れてみるか」
「その場合、どうかこのゾネイアを倒せる者という条件をおつけください」
「無茶を言うな。人の伴侶を何だと思ってるんだ」
「姉か弟を紹介しましょうか?おそらく故郷にいるはずです」
「……お前が身内の話をするのは初めてだな。参考までに聞くが、どんな姉弟なんだ?」
「二人とも、アタシよりずっとガタイの良い戦士ですよ」
「……護衛として雇おう。紹介してくれ」
「わかりました。結婚式には呼んでください」
アルベルトの目に、小気味良い掛け合いを続ける主従が映る。
それを見ながら、しばらく顔を見てない騎士に会いたいと。
そう、思った。




