第四話 ワルツを君と
翌日。
タウンハウスの執務室で、アルベルトは一人、上質な植物紙にペンを走らせていた。
数枚に分けられた紙には、ファンケンラート王国第一王子クリストフに向けた、カミラペタルに関する詳細が綴られている。この情報は、きっと彼の役に立つだろう。 だが問題は、どうやってこれを秘密裏に渡すか、である。王族への届け物は、たとえそれが短い書簡であっても間に何人もの確認の目が入る。
内容が内容だけに、クリストフ以外の者に見られるわけにはいかなかった。
そろそろ使えるか頃合いか、と。筆を置いたアルベルトは、懐からクォーツに似た小さな白い石を取り出した。
「……オタ活用に作った魔道具を、まさかここで使う羽目になるとは…」
書類を全て机に広げ、一枚の画角に収まるようにする。 前世のスマートフォンから着想を得た、原作にはないオリジナルの魔道具だ。イメージとしては、データ転送に近い。ただし、そこは魔法が存在するファンタジーな世界。データをアップするサーバーの代わりに、投影魔法が組み込まれている。高度な魔法技術と科学の世界の知識が融合した、なんとも便利な代物だ。 もちろん、協力者は『このとわ』一の魔法オタク、リュシアン・ウィーバーである。 何度もテストを繰り返し、ようやく実用に耐えられるレベルにまでなっていた。
ただし現段階では媒体となる石が、魔力の流れに耐えられず砕けてしまうため、使用は一度きりの片道便。おまけに石に魔力をチャージするのに、丸二日を要する。そのため、リュシアンからの報告が届いてからも、なお一日待たなければならなかった。
(将来的には電子書籍みたいな用途で気軽に使いたいんだよね。投影魔法なら、暗い場所でもぼんやり光って見えるし。夜布団の中でスマホを開いて本を読んでたあの感覚。あれがベスト)
魔道具を指先でつまみ、広げた書類に向かってかざした。
(これでスキャン完了、と。あとはどうやってこれをクリストフ殿下に渡すか)
結局問題はそこなのだが、小石である分運搬を人間に任せる必要はない。
短い詠唱によって、白い小鳥が生み出される。精巧な見た目ではないが、早朝の空を飛ぶ小鳥を細部まで観察する者など、まずいないだろう。
(魔力で形をざっくり作って外側を小鳥に見える幻影魔法で包む。チート主人公のスペック、ほんと助かる……)
小鳥の爪が石を掴む。王城まで辿り着けば、後はクリストフが一人の時を見計らって降り立つだけ。条件発生と共に小鳥は消え、自動的に石に読み込まれていたファイル(書類)が展開する仕組みになっている。
原作のクリストフは聡明な男だ。書類が何を意味しているのかは、すぐに気付くはず。
一通りの手配を終えると、アルベルトは大きく息を吐いた。
(可能なら、一度アレクシアちゃんをリストニアまで送り届けてあげたい)
授与式も終わり、王への謁見も済ませた。 しばらくは観光するのも良いと思っていたが、不穏な空気が立ち込めている。王家の陰謀に、アレクシアを巻き込むわけにはいかない。
彼女をリストニアに無事送り届けたら、また王都に戻ればいいだろう。
そう考え、帰領の準備を進め始めたその日の午後——。 今度は華やかな招待状が、侯爵家に届けられた。
「王家主催の舞踏会……」
アルベルトは招待状を読み、思わずため息をついた。
これも原作にはなかった。そもそも王城にまつわるエピソード自体が原作ではあまり展開されていなかったから、仕方がないのかもしれないが。
「断るわけにはいかない……か」
老執事に帰領の延期を伝え、アレクシアのドレスや装飾品の用意を命じる。 舞踏会の知らせを聞いたアレクシアは、リストニアではあまりない華やかな誘いに嬉しそうにしていた。
翌日、アルベルトは王都で有名な仕立て屋をタウンハウスに招いた。
試着用の広い部屋には色とりどりの豪華なドレスが並べられている。憂鬱さが拭えない舞踏会への招待だが、それはそれとして煌びやかなドレスの山はアルベルトの前世の精神を楽しませた。
(どれも可愛い〜!全部買っちゃう!?兄ちゃん金持ちだからね!侯爵だからね!普段使わない分、ここで散財しちゃお〜!)
超美少女の着せ替えを存分に味わえるとあって、心の中はお祭り騒ぎである。 特に、空色の絹布に銀糸の刺繍を施したドレスは、桃金色の巻き毛と薄紫の瞳に映え、まるで妖精のように愛らしかった。
フワリとドレスの裾を翻すアレクシアを見て
(よし、これは絶対に買おう)
と心に決める。値段など気にしない。侯爵家の財政は、ドレスの百着や二百着ではビクともしないのだ。
「とても良く似合っているよ、アレクシア。神話に出てくるリストニアの春告げ妖精は、きっと君のような可憐な姿をしているのだろうね」
「ありがとうございます、お兄様……」
アレクシアは頰を染め、くるりと回ってみせる。愛らしい。 こんなに可愛い妹ができるなんて転生してよかった、と心から思う瞬間だった。 メイドや仕立て屋の女性たちが微笑ましく見守る中、アルベルトは手を差し出した。
原作のアルベルトなら、そうするだろうと思ったからだ。
「一曲いかがですか?私のお姫様」
アルベルトからの提案にアレクシアは驚いた後、花が綻ぶような笑顔で兄の手を取った。
音楽がなくとも、リズムやステップは身についている。
緩やかなワルツが始まる。 兄妹の美しい姿に、周囲は感嘆のため息に包まれた。 アルベルトとアレクシア。完璧な対称性を持つ薄紫の瞳が、互いを優しく見つめ合う。
ワルツが終わると、アレクシアは少し息を弾ませながら言った。
「ヴォルフガングとも踊りたいですわ。従兄弟ですもの、よろしいでしょう?」
アルベルトは微笑んで頷いた。
「もちろん。ヴォルフガングも構わないだろう?」
ヴォルフガングは控えめに一礼し、アレクシアの手を恭しく取った。 長身の剣聖と可憐な少女のワルツもまた、美しいものだった。アレクシアを気遣い、少しだけ身を屈める所作は彼らしい優しさに満ちている。
踊り終えたアレクシアは、今度は兄の方を向き言った。
「せっかくですもの。お兄様とヴォルフガングも、ご一緒に踊られては?」
アルベルトは一瞬、言葉に詰まった。
「私とヴォルフガングで?それはいくらなんでも見苦しいだろう」
内心では、
(ナイス提案!中身が私でさえなければ、めちゃくちゃ眼福ですね!私も第三者視点で参加したい!でも、男二人で密着して踊ってる様子って、この世界的にはどういう扱い?原作がボーイズラブだから、その辺りはみんな気にしないのかな)
と思考がぐるぐるしていた。
とりあえず辞退しようとするアルベルトに、アレクシアが悲しそうに眉を下げる。
「見苦しいなんて、そんなことおっしゃらないで。……ね、みんな?」
ドレスを片付けていたメイドたちは、アレクシアの言葉に頰を赤らめながら一斉に頷いた。
「はい、閣下……とてもお似合いかと……」
どこの世界でもこうしたイベントは女性に歓迎されるのか、と微妙に呆れながらも、「分かったよ」と瞳を和らげヴォルフガングに視線を向けた。
「体格的に私がフォロー役をしよう。可愛い妹と優秀なメイドたちの頼みだ。すまないが、聞いてくれるか?」
ヴォルフガングは普段、ほとんど表情を変えない男だった。 しかしその瞬間、銀灰色の瞳が柔らかく溶けるように、優しい熱を滲ませた。
「……もちろんです、閣下」
その声と表情に、日頃は物静かなメイドたちから抑えきれない黄色い悲鳴が上がった。
(ひぃ〜!!さすがヴォルフガング様ッ!私も今、心の中でメイドさんたちと同じ悲鳴をあげました!かっっっこよ!!)
ゆっくりとワルツが始まった。
女性パートであるフォローを担当するアルベルトの腰が、ヴォルフガングの腕によって支えられる。 鍛えられてはいるが細身のアルベルトと、筋肉質で長身のヴォルフガング。 互いの手がしっかりと結ばれ、熱を伝える。 吐息が耳にかかり、金と黒の髪が重なり合う。
メイドたちが陶酔したような表情で二人を見つめていた。
(は、恥ずかしい!なんだこれ!女の子と踊る時は全然平気だし、むしろ楽しいのに!!)
アルベルトは平静さを装って必死に堪えていた。
(壁になりたい〜!!自分じゃ見られないのが悔しいよ〜!)
表向きは穏やかな笑みを保ち、ヴォルフガングの動きに合わせる。
なんとか平常心を保って踊りながら、不意に思った。
ずっと忠義を尽くしてくれているヴォルフガング。 出来れば、これからも傍にいてほしい。 けれど、ここは物語の世界でありながらも、全てがそうではない。彼らにとっては、現実そのもの。
だから、もしかするとこの先、ヴォルフガングの剣がアルベルト以外の者に捧げられる日が来ないとも限らない。
現実には、好感度付きの選択肢などないのだから。
胸の奥に刺さる、小さな棘。
アルベルトはそれに、気付かないふりをした。
ワルツが終わり二人が離れると、メイドたちから大きな拍手が沸き起こった。 アレクシアは胸の前で祈るように手を組み「とても素敵でしたわ」と微笑んでいた。
舞踏会の準備は着々と進んだ。 情報を乗せた小鳥は無事にクリストフの元に辿り着いたらしく、術式の解除を感知することができた。
(こちらを信用しなくてもいい。ただ、真相追求の役に立てれば)
クリストフの、弟に向ける優しい笑みが本物なら、すべきことを果たすだろう。
アルベルトがアレクシアを守るのと、同じように。




