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第一話 船上

 大きくゆっくりと、身体が揺らされている。

 時折、ギィ、と木の軋む音。


 アルベルトは、闇の中で目を覚ました。


 正確に言えば、閉ざされた視界の中で、という状況だった。

 目隠しをされ、硬いものの上に転がされている。

 声も出さず、息も乱さず、静かに手足の状態を確認した。ざらざらとした、荒い感触。あまり質の良くない縄が、皮膚に食い込んでいる。不幸中の幸いか、腕は背中側ではなく前に回され手首で固定され、足は伸ばされたまま、くるぶし辺りで同じように縛られていた。

 また、ギィ、と軋む音が聞こえてくる。

 湿った空気の中に混ざる、微かな潮の香り。


(……船?)


 前世の記憶が、船上を知らないアルベルトに一つの可能性を提示する。その冷静さは普通の人間では持ち得ない、様々な経験を経て生まれた特性のようなものだ。だが当人は、それに気付いてはいない。

 ただ何もわからない状況では、『何も変わらない』状態でいることが最善だと即座に判断し、横になったまま周囲の把握に努めていた。

 横たわっているのは、木板の上だと思われた。おそらく床だろう。細かい振動が、響いてくる。潮の香りはするが、波の音は聞こえず、風も感じない。

 船の中でも、かなり奥の方だと推察された。

 足元がやけに軽く、心もとない。肌寒さを感じていた。意識がなくなる前の服装は、チュニックタイプのシャツとズボンという夜着だった。今は膝下辺りまでは布があるものの、ズボンと下着を履いている感覚はない。チュニックの長さは、腰辺りまでしかなかったはずなのだが。

 

(……やっぱり、また子どもになってる……)


 そう考えるのが、妥当だ。

 理由はわからないが、アルベルトの身体は再び少年と呼んで差し支えのない年齢へと戻っているらしかった。


(一回整理しよう。赤い毛の子虎が怪我をして倒れてたんだよね。……薬を塗って包帯を巻いて、目を覚ましたその子に声をかけたら、突然大きくなって。代わりに、私が小さくなって。……それから……)


 その先が思い出せない。

 しかし現状から考えるに、なんらかの手段を用いてリストニア城から連れ出され、船の中で拘束されていることは間違いなかった。

 時間の経過は不明だが、突然姿を消したアルベルトを探して、城では騒ぎになっていることだろう。


 もし自分が城にいる立場なら、と考える。


 まずはアルベルトの自室を含め城中を探し、痕跡を見つけようとする。そして庭で血に濡れた布や空の水差し、中身が減った軟膏を見つけるはずだ。この時点で、使用方法を知る魔導師大隊長がサイネケンの部屋にある写し鏡の魔道具を使い、グウィンとリュシアンに連絡を取る。アレクシアを始め、王都にいるリストニアの者たちへはリュシアンが知らせてくれるに違いない。相当な騒ぎになってしまうが、その場にいないアルベルトにはどうしようもなかった。

 

(うーん……。ヴォルフガング様が、絶対零度の近寄りがたいオーラを放ってなきゃいいけど……)

 

 触るな危険、と背景に書かれてそうな剣聖の姿が浮かんだ。過信でもなんでもなく、過去の経験からだ。

 しかしながら今回は、アルベルトはヴォルフガングと同魂の魔法で結びついている。付与してもらったGPSのような機能もある。位置がわかる以上、見失うことはないだろう。

 ……アルベルトが、命を落とさない限り。


(し、死なないように頑張ろう)


 この身体ではまともに戦えないが、それでも制御力を高めて備えることくらいはできるだろう。

 思考を巡らせながら、意識を失う直前に見た大きな虎のことを思い出す。


(あの虎も、この船にいるのかな……?)


 どちらが本当のサイズかはわからないが、首元の傷は浅いとは言えなかった。

 ここに来て、アルベルトはようやく一つの気配に気が付いた。若返りの魔法に巻き込まれていた時と同じように、魔力の制御が未熟で思うように気配も探れない。それでも耳を澄ませると、僅かな呼吸音を拾うことができた。

 同じくして、ドカドカと荒い足音が遠くから聞こえてくる。すると、同じ空間にいた何かが動いたのがわかった。

 喉の奥から唸るような声がして、アルベルトの近くにドスンと腰を下ろす。

 荒々しく、扉が開く音がした。

「——……チッ、まだガキの側から離れねぇのか」

「引き渡す前に、味見くらいはできると思ったんだがな」

 男が二人、会話をし始める。

「隷属の首輪の仕掛けは?命令に背いたら発動するんじゃねえのか?」

「オレらの命令なんざ、ノーカンだろ」

「……クソっ。こんなツラのガキ、滅多にいやしねぇのに。今まで『食って』きたのがバレたんじゃねぇか?」

「知らねぇよ。……まぁ、ガキが目を覚ますまでの辛抱さ。意識さえ戻れば、適当に騙して引き離せる」

 話しながら、男たちが部屋から出ていく。再び荒く扉が閉められ、部屋に静寂が戻った。ほんの僅か、緊張で固くなっていた身体から力が抜ける。頭の中で、先程の会話を最初から思い返した。

 会話自体は短かったが、いくつも気になる単語が出てきた。


(彼らは、私を誰かに引き渡すために、どこかに運んでいる……。でもそれは私がアルベルトだからじゃない。あいつらは私を『ガキ』だと思っている。その上で『今まで』と同じように『味見』をしようとした)


 味見が何を意味するのかなど考えたくもないが、男たちの口ぶりから察するにそれは手慣れた行為のようだった。

 アルベルトの脳裏に、原作小説の『サイネケンと若返りの魔法』の回に書かれていた、奴隷として売られてしまう子どもたち話が浮かぶ。

 あの話では、子どもたちは各地から集められたという設定だった。各地、と言うからには、王都のみならずファンケンラート全土、あるいはそれ以上に網を張っていた可能性もある。巻末のオマケ小説だったせいか、大筋の『子どもになったアルベルトが奴隷として売られそうになり、元凶の子爵とその子飼いの盗賊団を捕縛して解決した』という流れ以外の詳細は作中では語られてはいなかったが。


(子爵の目的とか、どこに売られる予定だった、とかもなかったんだよね。……ひょっとしたら、後の章で書く予定だったのかも)


 アルベルトの前世は、原作小説を完結まで追えてはいない。最新巻を発売初日に手にしていた記憶はあるが、それらが途中からプッツリと途切れているのである。漠然と、その辺りで何かが起きて死んだのだろうと結論付けている程度だ。今更前世の死に関して、特に思うことはないけれど。


(……さっきの連中……、『隷属の首輪』って言ってたよね)


 隷属の魔道具、という存在なら知っていた。原作小説に名称だけ登場した、奴隷に使用する魔道具だ。

 例のオマケ小説において奴隷の説明のくだりで出てきた程度であるが、あれがそうだと言われると納得できるものではあった。


(もしあいつらが、原作で子どもたちを攫っていた連中と同じなら、あの虎は……奴隷として使役されている?)


 男たちは、隷属の首輪の仕掛けは『命令に背いたら発動する』と言っていた。そして自分たちの命令はカウントされない、とも。

 アルベルトは、側にいる生き物の様子を探った。先程聞こえた唸りや、息の音から考えると、大きくなった身体の方のようだ。 

 

(……私を攫ったのが、この虎だとして。さっきの男たちから守ってくれてるのも、この子ってことでいいのかな)


 なぜ守ってくれているのかは、わからない。だが、コンタクトを試みるとすれば、この虎以外にはいないだろう。

 どうやって話しかけようかと考えていた矢先、目を覚ました時から感じていた肌寒さが、小さなくしゃみとなって現れた。


(……!い、今の絶対気付かれた……よね?)


 予感通り、のっそりと起き上がった虎が、床を軋ませながら近づいてくる。

 鼻先が、アルベルトの頬に触れる。

 ふんふんと匂いを嗅いだ虎は「大人しくしてろ」とでも言いたげに、アルベルトを包むように横になった。


(あったかい……。くしゃみしたから温めてくれてる?)


 表面の毛は硬いが、埋もれると中の柔らかい毛に触れた。フカフカとした、極上の絨毯のような手触りだ。


(事情はわからないけど……。この子の本質って、こっちなんじゃないかな)


「——……ありがとう」

 そっと声をかけると、鼻先の動きで虎がこちらを見たのだとわかった。

「怪我の痛みはないか?」

 返事があるはずもないが、目隠しのせいで確認できないので一応聞いてみる。すると虎の鼻先が、アルベルトの頬をツンと突いた。


(人の言葉を理解してる?でもリュシアンの解析でも魔物じゃないって結果だったし。……賢い子なのかな)


 試しに暖を求めて身を寄せてみたが、嫌がる様子もなかった。


(こんなに良い子なのに、あんなに酷い目に遭わせて……)


 見えはしないが、首輪があるだろう位置に視線を向ける。

「首輪を外せればいいんだが……すまない」

 リュシアンかサイネケンに見てもらえれば、解除できるはずだ。けれども、ここは船の上。現状は、外す目処さえ立てられなかった。

 逃げ場のない船から降りなければ、何もできない。

 無駄に体力を消耗するよりは、と。アルベルトは目を閉じ、自分を包む赤い虎に身を預けた。




 

 リストニアから海へ出る手段は、かなり限られてくる。

 一つは、隣接する他の領地を流れる運河を通る方法。

 もう一つは、陸路を通り直接海岸線へと向かう方法だ。

 運河を使えば陸路よりも大量の荷を運べる上、山越えの危険もなく、最短かつ最速で海へと出られる。

 しかしリストニアでは、運河を使用する者はいない。

 理由は簡単。隣接する領地というのが、他ならぬステルビア家であるからだ。

 リストニアの関係者が通る時だけ、通行料が十倍になる嫌がらせを長らく続けられている。ちなみに先日の魔鉱石の一件により、逆恨みで五十倍に引き上げられた。

 

 アルベルトがそれを思い出したのは、浅い眠りから目を覚ました時に、自身の空腹がそれほどでもないと気付いた時だ。もちろん空腹ではあるのだが、我慢できないほどでもない。ただ、喉は乾いていた。さすがに覚醒を知らせないと、このまま放置されれば脱水の危険がある。

 頃合いを見て、様子を見に来た男たちへ『たった今目を覚ました』ように見せると、すぐさま下卑た笑い声と共に彼らはアルベルトを捕えようとした。

 だがその間に必ず虎が割って入り、唸りを上げて威嚇をする。男たちは、食事や水を理由にアルベルトを呼ぼうとしたが、アルベルトもそれに応じようとはしなかった。引き渡し先がある以上、最低限の待遇は保障されると考えてのことだ。

 案の定、自分たちの思い通りにならないとわかった男たちは、それでもアルベルトを死なせるわけにはいかないらしく、食料の入った袋とコップ一杯の水を部屋に置いて去っていった。

 虎がそれを咥えて、アルベルトの手元まで持ってくる。手首を縛られてはいるが、何かを持つ分には支障はない。袋の中にはパンとチーズが入っており、アルベルトはそれらと水を虎と半分にして食べた。前世の知識が、「虎って、パンとかチーズとか大丈夫だっけ……?」と疑問を投げかけてきたが、飲まず食わずよりはマシだろうと、その後も分け続けた。




 ——意識が戻ってから、五日ほどが経った。


(……お、お風呂!お風呂に入りたい……!縛られっぱなしで、あちこち鬱血してる感じもあるし、結構キツいぞ!)

  

 討伐戦が長引くと、一週間以上野営したりもする。

 だがそれでも、水浴びくらいはできていた。湿気がある部屋にひたすら転がされているのは、衛生面でもかなり辛いものがある。

 虎も懐いてくれたのか、食事を終えるとアルベルトが寒くないように寄り添ってくれる。それが、なんだか申し訳なかった。一度「お風呂入ってないから……」と遠ざけようとしたところ、あちこち嗅がれて舐められそうになったので慌てて止めた。とは言え首回りからうなじ辺りは、「一緒に寝るから」とアルベルトが根負けするまで舐められてしまったのだが。

 共に過ごせば過ごすほど、やはり虎自身に悪意があるとは思えない。魔道具によって従わされているのだとしたら、なんとかして所有者と交渉できないだろうかと考えていた。非人道的な道具を使うような相手だ。まともな交渉ができるとは考えにくく、他にも動物や人を使役しているかもしれない。もし仮に所有者が、合法的に奴隷を所有できるグシュタールの者であったなら、アルベルトがやろうとしていることは他国の貴族による内部干渉だ。


(でも、そもそも私が拉致同然に連行されているわけで。国際法がないこの世界でも、さすがにそれはマズイと思うんだけど。……というか、この船ってやっぱりグシュタール行きだったりする……?)


 奴隷制度が現存し、見目麗しい少年の価値が最も高いとされる独裁国家。アルベルトも調べはしたが、規制が強く詳しい内情まではわからなかった。

 

(私だけが逃げて解決する問題でもなさそうだし……。とりあえず『誰』が『何の目的』でこんなことしてるのかを調べないと)


 時間だけはあったおかげで、魔力の制御もゼロよりはマシくらいまでには成長している。

 そんなことを考えていると、寝ていた虎がアルベルトへと擦り寄ってきた。ゴロゴロと猫のように喉を鳴らして、首元へと鼻を埋めてくる。

「よしよし、良い子だ」

 正直、怪我の手当して食事を分けたくらいで、ここまで懐かれるとは思っていなかったため、戸惑いがないと言えば嘘になる。


(それさえも、されてなかったってことかな……。あ、駄目だ、泣きそう。動物を虐待する奴は絶対に許さん)


 虎の境遇を想像して、むくむくと庇護欲が湧いてくる。無事首輪が取れて、虎がそれを望んでくれるのであれば、城に連れて帰ろうと決意した。

 

(リストニアの獣医さんって、虎も診れるかな。もし診れなかったら、専門医を探して雇おう)


 気分はすっかり虎の里親である。懐いてくれる動物と五日も共に過ごして、情を移さずにいることの方が難しい。

 毛並みを優しく撫でていると、不意に大きく船が傾いた。

 部屋の外から騒ぐ声と足音が聞こえてくる。


『王弟だ』

『また荷を奪いにきたのか?』

『強欲な豚野郎め』


 どうやら船員たちにとっては予期せぬ、そして歓迎できない出来事が起きているらしい。

 いくらもしない間に、足音と声が真っ直ぐこちらに向かってきた。


『王弟殿下。この船に乗っているのは、赤い獣が連れて来た荷なのです。他の船のものをお譲りしますので、どうか』

『ほうほう!あの獣の荷か!余計に楽しみじゃないか』

『……ッ!我々が殺されてしまいます!』

『案ずるな。兄上には私から言っておいてやろう。なぁに、可愛い弟の頼みだ。奴隷の一人くらい、快く譲ってくれるさ』

『もう何人目ですか……!』


 ガチャリと扉が開かれる。

 アルベルトを庇うように、虎が前に出た。

「……姿は見窄らしいが、髪も肌も実に美しい。よし、貰ってやろう」

 目隠しをされたままのアルベルトには、相手の姿は見えない。

 それでも、鋭い視線を感じた。

次回第二話は7月13日17時更新です。

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