序話① 新年
城の庭から、遥か遠くに連なる山々まで。全てが白い世界に覆われていた。
リストニアの冬は長く厳しいものではあるが、竜骨山脈から吹く風により雲が停滞せず、雪が降ることはあまりない。
だがそんなリストニアに、一年に一度だけ雪が積もる日がある。
新年。
新しい年の始まりの日だ。
(創世の女神エルシオラが、元旦にだけ雪景色を見せてくれるんだよね。原作小説読んでる時だと、ファンタジーっぽいな〜、くらいだったけど。実際に体験すると、すごく綺麗で感動する)
自室の窓から見える光景に、アルベルトの薄紫の瞳が明るく輝いた。
(しかもみんなが困らないように、翌日には溶けて消えてしまう親切設計。いつもなら、アレクシアちゃんと庭に出て雪を眺めたり、遊んだりするんだけど……。今年は自室でのんびりしようかな〜)
年に一度の光景は、リストニア領民たちにとっても人気のイベントだった。
積雪は大人のふくらはぎ辺りまでの深さはあるが、ここぞとばかりに大人も子どもも外に出て遊んでいる。城の庭でも、騎士が「一番乗りー!」と叫びながら雪にダイブしていた。
リストニアでは昔から、新年は基本的に休みとなる。当然、城も同じだ。最低限の人員だけにして、あとは祝いの時間に充てられている。もちろん、働くことになる者へは手当は支払われる仕組みになっていた。
(毎年この日の担当は希望者が殺到する、って執事長さんが言ってたな。手当の効果ってすごい)
雪を家族や友人と楽しみたい者もいるだろうが、比較的仕事が楽な上に手当が貰える新年の仕事を受けたい者も一定数いるということなのだろう。城主としては、ありがたいことである。
雪の上ではしゃいでいる騎士から視線を室内へと戻し、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた古い書物を手に取る。
昨夜就寝前に読んでいた、古い伝承本だ。
先日、サイネケンの若返り魔法に巻き込まれた際に、訪問した養育施設で拾ってきた赤い動物毛。ようやく元の年齢に戻れた日に、友人であるリュシアンから解析結果が出たと写し鏡の魔道具を通じて連絡があった。
曰く、瘴気や魔力は含んでいないので、魔物の心配はない。アルベルトが想像する通り、四足歩行の生物であると思われる。ただし、ファンケンラートに存在する動物にはどれも該当しない。種類の断定については継続して解析。毛根の太さから、馬程度の体格はあるだろうと推測される。
以上の情報から、考えられるのは二つ。一つは『国外から持ち込まれた動物の加工品』、もう一つは『国外から来て、どこかにいる』という可能性。前者はともかく、後者はたとえ魔物でなかったとしても正体を突き止めない限り、確実に安全だとは言えない。今のところ目撃情報はないが、こちらも引き続き調査中だった。
アルベルトが手にした伝承本は、過去にリストニア周辺に似たような生き物が現れていないか調べるために地下の書庫から持ってきたものだった。残念ながら目ぼしい情報はなく、書庫へはまた今度戻しておこうと部屋の本棚に差し込んでおく。
廊下へと出て歩きながら、アルベルトは妹であるアレクシアのことを考えていた。
ファンケンラートの王城では、新年の祝賀祭が開催されている頃だろう。
国中の貴族に招待状が送られる、年に一度の大規模な宴だが、リストニアは地の防衛を理由に今まで参加したことはなかった。
だが、今年からは違う。アレクシアがファンケンラート第二王子レナードの婚約者となったため、彼女の出席が必須となってしまったのだ。その旨の招待状を受け取った時、アルベルトは心の中の腐女子隊と共に辞退の返信を書きそうになった。ギリギリのところで耐えられたのは、侯爵としての義務感に他ならない。
とは言え勲章授与の式典とは違い、アルベルトの祝賀会への参加は自由だ。これはリストニアという特別な地に対する、王家の配慮である。そしてアルベルトとしては、領民たちにとっても大切な新年にリストニアから離れたくはない。というわけで、必然的にアレクシアだけが王都へ発つこととなったのである。
兄妹が離れて新年を迎えるのは、初めてのことだ。
決まってからは、城中の者たちが準備に追われた。何しろ、アレクシアがレナードのエスコートを受ける公式の場なのだ。アルベルトは侯爵としてのコネや財力をフルに使い、最高級のドレスやアクセサリーを祝賀会用だけでなく、朝昼晩、茶会、昼食会、晩餐会、舞踏会用と用意した。
その熱量は、当のアレクシアに困り顔で「お兄様、もう充分ですから」と止められるほどだった。
そうして、どこの輿入れかというくらいの大所帯の馬車隊を編成して、可愛い妹を王都へと送り出したのである。
(ステルビア家のグローリアが文句を言おうものなら、僻みに聞こえるくらいの最高のものを用意したもんね!ネックレスとか、グウィンさんにお願いしたらなんか七色に光るすっごいの作ってくれたし!)
エルフの王グウィンは、「妹のためにエルフの加護を込めたネックレスを作ってほしい」と言うアルベルトに対し、「お前の頼みなら、二つ返事で引き受けるが……。初めての頼みごとがそれか……」と、こちらも困り顔をしていた。
おまけに出来上がったネックレスをアレクシアに渡すと、付けるはずの本人だけでなく、近くにいた侍女やサイネケンまでもが引いた顔をしてアルベルトを見ていた。年上の二人が「あれ、国宝レベルですよね」「それ以上じゃわい」と話していたことを、アルベルトは知らない。
いつもより、静かな城内を一人で歩く。
側にヴォルフガングの姿はない。彼はアレクシアの護衛として、共に王都入りをしていた。もちろんこれも、兄としての過保護っぷりが如何なく発揮された結果だ。
サイネケンは元々リストニアには属しておらず、あくまで現状は客人という立場で城に滞在している。故に王都での祝賀会には、中央魔道院の最高責任者としての出席が義務付けられている。となると、四六時中アレクシアの側にいるわけにもいかない。万が一を考えると、大切な妹を託せるのは従兄弟であり右腕でもある剣聖しか存在しなかった。
(アレクシアちゃんは、ヴォルフガング様の同行は必要ないって言ってたけど……。私としては『アレクシア・リストニアは、剣聖と大魔導師に守られる存在』ってことを知らしめる意味もあるんだよね。彼女は、リストニア家のお姫様。侮ったり傷付けるような真似をすれば、リストニアが敵に回るぞ、って社交界で牽制しとかないと)
それはあまり性格が良いやり方ではないと自覚はしていたが、妹の安全と快適さが優先だ。幸い大森林の瘴気も、冬の初めから変わることなく落ち着いている。リストニア騎士団自体は領地に残るので、アルベルトがいれば防衛には問題ないと判断した。
ヴォルフガングも、アレクシアの護衛となれば異を唱えることはない。
さらに加えて、アルベルトは内緒で、第一王子クリストフにも『妹をよろしくお願いいたします』的な旨を記した手紙を送っていた。爆速で『任せてくれ』と返事が来たのは驚いたが、優秀な王子なので任せておいて良いだろう。
こうして、本当に珍しいことに。
アルベルトの側には、現在いつもの二人がいない状態だった。
(ちょっと寂しいけど、お城には執事長さんや執政官のおじさま、騎士の皆もいてくれるし)
さすがに騎士や魔導師全員が城にいるわけではないが、城の警備兵とは別に何割かは待機として残っている。
朝食を終えたら、新年の挨拶に城を回ってみても良いかもしれない。
そう考えながら、まずは一階部分にある使用人たちが利用する大きな食堂スペースへと向かった。
「閣下、新年の祝福を申し上げます!」
扉を開けて食堂へと入ると、中にいた者たちが一斉に「新年の祝福を!」と声を上げた。
広い一室には三十ほどの四角いテーブルが並んでおり、それぞれに椅子が四脚、セットになっている。席は満席だったが、一つだけ中央のテーブルの真ん中の椅子が空いていた。
まるで待っていたかのようなタイミングに少し驚きつつも、アルベルトも「新年の祝福を」とファンケンラートにおける新年の挨拶を返す。
食堂にはメイドや城の警備兵たちを始め、馬丁、下働きなど様々な者たちがいた。
「すまない、今年もここで食事をさせてもらって良いだろうか?」
「もちろんです!さぁ、こちらへ!」
警備兵の一人が頬を紅潮させて、空いていた中央の席の椅子を引く。
本来休むべき日に働いてくれている者たちの食事スペースに混ざることに、迷惑をかけていないかと心配になったりもするが、相談するたびに執事長から「絶対にお続けください。この日の勤務は毎年争奪戦なのです」と強く言われるため、若干の遠慮を残しつつ今年もやってきた。もちろん、ちゃんとした理由もある。限られた人員の中でアルベルトやアレクシアの食事を普段のように作ることは負担になるだろうと簡単な食事を用意してもらったのがきっかけだ。さすがにアレクシアは侍女と自室で食べるが、アルベルトはヴォルフガングを伴い食堂スペースに顔を出して、皆に混ざり同じ食事を取る日としていた。
引かれた椅子に座ると、別の者がすぐに温かい食事が乗ったトレイを運んできた。至れり尽くせりで申し訳ないが、以前「自分でやるよ」と伝えたら物凄くショックを受けた顔をされたので、それ以来何もせずに受け取るままにしている。
トレイには、具沢山の白いシチューと白いパン、白アスパラガスと玉ねぎのサラダ、丸い器に盛られ白いクリームが乗ったプディングといった、新年と雪を祝う明るい色のメニューが並んでいた。これらは、通常の食堂のメニューに比べると豪華な、新年仕様となっている。
(わぁ〜!美味しそう!いっただきまーす!)
トレイを運んできてくれた者に礼を言って、まずは湯気を立てるシチューを口に運ぶ。とろりとしたミルクの甘味と、しっかり煮込まれた鶏の旨みが口の中に広がった。
(うんまーい!)
と言う心の中の声はそのまま出せないので、上品に「美味しい」と伝えると料理人だけではなく食堂にいた全ての者から歓声が上がった。
「はいはい、皆様。閣下のお食事の邪魔は、あまりなされませんよう」
歓声がひと段落したところで、黒い髪を後ろにきっちりと纏めたメイドが手を叩きながら声を上げる。優しいが仕事には厳しいと評判のメイド長の言葉に、皆一斉に背筋を伸ばし自分たちの食事へと戻っていった。視線はがっつりとアルベルトに向けられてはいるが、それは許容範囲らしい。ちなみにアルベルトと同じテーブルにつけるのは、くじ引きで選ばれた者だと聞いていた。
「閣下、本日この後のご予定は?」
隣に座っていた警備兵の問いに、パンを飲み込んでから答える。
「城を歩いて挨拶回りでもしようかと考えているんだ」
「なるほど。では、それが終わられましたら庭で雪合戦を観戦されませんか?」
「雪合戦?」
何やら楽しそうな言葉が出てきた。聞き返すと、警備兵が嬉々として話し出した。
「我ら警備兵と騎士団とで、雪玉を使って陣地取りをするのです。もちろん雪玉以外の武器の使用は禁止。ぜひ、ご覧いただきたく」
それはなんとも魅力的な提案だった。そして同時にこの提案が、今年は一人で過ごしているアルベルトへと気遣いなのだと気付き、胸が温かくなる。
そうだな、と頷いたアルベルトは、少しだけ悪戯を滲ませた笑みを浮かべた。
「どうせなら、対抗戦にしないか?城にいる者たちの中から希望者を募って、部署別でチームを編成する。優勝チームへの賞金は私が出そう」
アルベルトの言葉に、わっ!と食堂が沸いた。提案してきた警備兵も、興奮しながら「やります、やります!」とすでにやる気を見せている。
「戦闘経験の有無に差があるだろうから、非戦闘員のチームには騎士団か魔導師隊から一名サポートを入れること。……メイドチームへのサポートは」
アルベルトの視線が、斜め前に座っていたメイド長に向けられる。
「私が入ろう」
キャーッ!とメイドたちから絶叫に近い声が上がった。
「か、閣下……よろしいのですか?」
「もちろん。やるからには優勝を目指すよ」
目を丸くしているメイド長に、笑って答える。
「希望者は、昼食後に騎士団の鍛錬場に集合。防寒と防水の準備はしっかりしておくように」
大きな歓声と共に、食堂は再び大賑わいとなった。皆、口々にチームをどうするかを話し合っている。料理人たちが集まって「飯で副団長を俺たちのチームに引き込めねぇかな」と作戦を立てていた。
騒がしくなった食堂を眺めながら、アルベルトも自身の胸が子どものようにワクワクと跳ねるのを感じていた。
(よ〜し!女子チームの一員として頑張るぞ!)
こうして。
今後、リストニア城の新年恒例行事となる『チーム対抗雪合戦』の第一回大会が開催されることとなった。




