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大魔導師サイネケンと若返りの魔法④

 アルベルトにとっては福音のように、タイミングよくノックの音が執務室に響いた。


〈閣下、団長とサイネケン殿です〉

 扉の向こうから、大隊長の声がした。

「報告会が終わったようですね。では我々は失礼いたします」

 副団長が若い騎士に「出るぞ」と声をかけ、扉を開ける。

 入れ替わるように、剣聖と若い姿のままの大魔導師が入ってくる。揃ってアルベルトの前までやってくると、一礼をした。

 今のサイネケンとヴォルフガングでは、見た目の年齢差は二十ほどあるように見える。


(二人並ぶと『男の色気!』感がすごいな……。この二人でのカップリングもありだと思ってしまう私の性癖よ……)


「報告に参りました。魔物の出現、及び目撃情報は本日も記録なしとなっております」

 ヴォルフガングからの言葉を受け、心の中の腐女子を「どうどう」と宥めつつ、胸を撫で下ろす。

「これで五日間記録なしか。今年の冬は、本当に静かに過ごせそうだ」

 冬のリストニアは一年で最も瘴気が薄くなる季節ではあるが、それでも五日連続で魔物の目撃すらないというのは珍しい。逆に不吉の前兆かと訝しんでしまいそうになるが、前回のスタンピードの際は魔物の出現が増え続けていたと当時の記録の中にあるので、その線は薄いと考えていいだろう。


(やっぱり腐死の魔導師がいなくなってエルフの人たちが復活したことに関係してるのかな。だとすれば、瘴気の発生そのものが災厄と繋がっている?……なら、あの大森林の奥には何が……)


「閣下、どうなされました?」

「……、すまない。少し考えごとをしていた」

「瘴気と災厄の関係についてですかな?」

 問うたサイネケンが、アルベルトの前に片膝をつき視線の高さを合わせる。

「先程の報告会でも、似た議題が上がりました。……瘴気が絶えない大森林の最奥には、更なる災厄がいるのではないかと」


(皆、同じこと思うよね。大森林にいるのは……腐死の魔導師よりも、もっと恐ろしい災厄の可能性がある、って)


 前世の記憶を持つ今の自分の自我が芽生えて六年。どうにかまともに戦えるようになってから、原作に記された災厄についての知識に基づき、あらゆる文献を集め調べてきた。その結果、先日の腐死の魔導師では後手に回らずに済んだのだが。


(世界に存在する、七つの災厄。その最後の一つ『腐死なる者』についてを、私は調べきれていない。これに関してはグウィンさんも知らないみたいだし)


 遥か長き時を生きたかのエルフの王も、生の始まりには既に大森林があったのだという。つまり、神話の時代から存在している森であるということだ。


(……『ここ』は、一体どこなんだろう。物語の中?文字の一つでしかない?だったら私は、私たちは何故ここにいるのかな)


 考えれば考えるほど、謎が増えて重なっていく。

 アルベルトにできるのは、それでもこうして確かに生きていると感じられる人々を、アルベルト・リストニアとして守っていくことだけだ。


「最悪の可能性ばかり追うのも良くないが、大森林に関しては楽観視はできない。冬の間に、少人数で一度あの中に入る必要があるのかもしれないな」

「その際は、ぜひお供いたしましょう」

 年齢が若くなったことで妖しい色気が増してしまったサイネケンだが、笑うといつもの印象へと戻る。それがやけにおかしく感じられ、思わずアルベルトが笑うと、疑問を抱いたらしいサイネケンが片眉を引き上げた。

「すまない、あなたの姿がどうにも見慣れなくて」

「巻き込んだ側が言うのも何ですが、儂も閣下の今のお姿は見慣れませんな」

 本当に巻き込んだ側が言う言葉ではないなと思いつつ、「そうだろうな」と返す。

「このくらいの年齢の私を知るのは、主な者だとヴォルフガングと執事長、それから執政官くらいか。アレクシアは、まだ小さかったから」

「近隣にグシュタールがなくて、ようございました。今の閣下のお姿をあの国の愚王が見れば、戦争を起こしてでも奪いに来そうですからな」


(そ、そんなに!?ていうか駄目国家すぎない!?)


 冗談かと思ったが、サイネケンの目は真剣だった。

 グシュタール。副団長とも少し話をしたが、奴隷制度が現存する海の向こうの独裁国家だ。見目麗しい少年の価値が最も高いとされ、高値で取引されている。

 災厄とは違う方面で危険な存在だ。海で隔てられている以上関わる機会もないとは思うが、念のため後で調べておこうと心のメモ帳に記すことにした。

「……神代のエルフは別として。人は誰でも歳をとる。奴隷制度だけでも充分な愚行なのに、子どもに固執する理由がわからないな」

「老いた権力者が最後に求めるものは『若さ』だと相場が決まっておりますからな。……若さへの憧れ、という一点だけでしたら、儂も理解はできます。なにしろ、こんな魔法を構築するほどですので」

 こんな、のところで自身の両腕を広げながらサイネケンが言う。

 それは、アルベルトには理解できない感覚だった。ひょっとしたら、あと数十年も生きれば同じように感じるのかもしれない。

 正直なところ、若い姿よりもいつものサイネケンの方が好ましく見えるのだが。それを伝えるのは若い姿へと戻る魔法を構築した大魔導師の努力に水を差してしまうような気がして、アルベルトは口を噤んだ。

 代わりに、副団長が冗談混じりに話していた言葉を思い出す。

「そういえば、副団長があなたを見て『若い頃、相当なおイタをした顔だ』と言っていた。そうなのか?」

「……中央魔導院の塔に引き籠るまでは、まぁ、男も女も後腐れなくそれなりに」


(お、男も女も!?ムフー!聞きたい!お爺ちゃんのおイタ歴聞きたい!!)


 これは腐女子として気にならざるを得ない。幸い今日はもう夕食をとって、部屋に戻るだけだ。せっかくなので、少しくらいなら聞いてもいいだろう。

 好奇心が顔に出ていたのか、視線の高さを合わせたままだったサイネケンが、アルベルトを見てちょっとドヤ顔をした。

「儂ほどになると、指一本で相手を腰砕けにできまして」

「……な、なるほど。大人の世界だな」

「いえいえ。手に触れるだけで充分」

 官能的な世界を想像していたアルベルトに、サイネケンが笑って否定する。

「手に触れるだけ?」

 大人の世界についてのあれこれは知識だけなら知っているが、指一本で手に触れるだけで充分、というのは聞いたことがない。疑問に思っていると、「失礼」とサイネケンがアルベルトの右手を掬い上げた。

「身体の部位の中で、手は最も繊細な動きを可能にします。であるならば、その動きに相応しい感覚も備えているはず」

 手のひらを上にされ、そこにサイネケンの人差し指の先が乗る。くるりと円を描かれて、そのくすぐったさに堪えきれずに笑いが漏れた。

「……これをくすぐったいと感じるのは、かなり鋭敏です」

 指がスッと動き、アルベルトの指の付け根から先端までをゆっくりと往復し始める。

 その動きに、背中がゾクリとざわめいた。


(待っ……!な、なにこれ!?ひえっ!ちょっと、ほんと待って!!)


 反射的に引こうとした手を、支えていた方の手で握られる。

 アルベルトの指の間に差し込まれた人差し指が、皮膚を緩く擦りあげる。


(ひえぇぇぇ!!やめてお爺ちゃーーん!!)


「——やっ……」

 『やめろ』なのか、『やめて』なのか。

 声を上げようとしたアルベルトの身体が、抱え込まれるように抱き上げられた。

「……うーむ。やはりいくらかは、精神が肉体の衝動に引きずられる感覚がある。いつもと全く変わりない閣下の精神力が凄まじいと言うべきか」

 布ずれの音がして、サイネケンが立ち上がったのだとわかる。だがアルベルトの視界は、ヴォルフガングの腕の中に閉じ込められたままだった。

「……次は斬ります。お気を付けを」

「剣聖の初撃を躱せるか試してみたくはあるが……、我らの諍いを閣下は望むまい。やめておこう」

 ぽんぽんと、空気を入れ替えるようにローブを軽くはたき埃を落とす仕草をしたサイネケンが、「そろそろ夕食の時間ですな」と話題を切り替え執務室の扉を見た。

 ノックの後、少し間をおいて扉が開き、隙間から大隊長が顔を覗かせる。

「団長の気配が怖すぎるので何があったのかは聞きませんが……、夕食のご用意ができました。姫様もご一緒されたいとのことです。よろしいですか?」


(ア、アレクシアちゃん!?ごめん、ヴォルフガング様、ちょっと下ろして!)


 大の男に抱っこされている姿を見られたくないのは、兄としての矜持だ。幸い黒き騎士の拘束は緩く、すぐに抜け出すことができた。


「お兄様、夕食をご一緒させてくださいませ。サンドイッチをお持ちいたしました」

 ワゴンを押す侍女を連れて、アレクシアが入室してくる。アルベルトと同じ薄紫の瞳が室内を見回して、「何かございましたの?」と問いかけてきた。

「爺の若返り魔法の副作用が、悪い方に出ましてな。剣聖を怒らせてしまいました」

 彼女に対するサイネケンの態度は、孫を可愛がる祖父に似た柔らかいものだ。

「まぁ……!仲直りはされまして?」

「えぇ、姫君。ご安心を」

「そう、なら良かった」

 来客用の長いローテーブルに料理を並べるよう侍女に告げつつ、アレクシアもカップを用意し始める。アルベルトも、恐縮している侍女から皿を受け取り、並べていった。メニューは、肉や野菜がバランスよく挟まったサンドイッチ、一口サイズにカットされた果物、チーズクリームを添えた小さなタルト。ボリュームはあるが、カトラリーをあまり必要としないラインナップになっている。

 アルベルトとアレクシアが隣り合って座り、テーブルを挟んで前にヴォルフガングとサイネケンが腰を下ろす。

 最適なタイミングで侍女が紅茶を注ぎ、簡単な夕食が始まった。


「このサンドイッチのソース、少し酸味があって美味しゅうございます」

 蒸し鶏の具材のものを一口食べたアレクシアが、目を輝かせる。控えていた侍女が、嬉しそうに「最近出回り始めた異国の香辛料だと、料理長が申しておりました」と答えた。


(美味しく食べてるアレクシアちゃん、かわいい〜。でも、確かに絶妙な味わいのソース。前世のピンクペッパーに似てるかな。ファンケンラートでは珍しいかも)


「気に入ったのなら、市場へ回す以外の余剰を取り寄せられるか聞いてみようか」

「本当?お兄様、ありがとうございます!」


(いいってことよ!侯爵の財力、ここで活かさずして、いつ活かす!)


 こればかりは原作に感謝しているアルベルトだが、ファンケンラートは世界観とは裏腹に衣や住だけではなく、食に関する知識や技術もかなりの高水準にある。

 魔法が存在しているという点が、大きいのだろう。

 医療技術や移動手段などは前世に比べると劣るものの、それ以外はライフラインも含め想像以上に快適だというのが正直な感想だった。


「そういえば……」

 食事が進み、いくつかの皿が空いた頃。アレクシアがぽつりと問いかけた。

「サイネケン様は、何故ヴォルフガングを怒らせてしまったんですの?」

 うぐ、とアルベルトは喉に詰まりかけた葡萄を何とか飲み込み、隣に座る妹を見る。


(そ、そこ気になっちゃうか……。まぁ、そうだよね。私でも気になるかも。……でもな〜、アレ、言いたくないな〜。お爺ちゃん、上手く誤魔化してくれるかな〜)


 好奇心で大人の事情に首を突っ込んだら、指一本で遊ばれました、など。相手がアレクシアであろうとなかろうと、絶対に知られたくない失敗談である。

 頼む、お爺ちゃん!という気持ちでサイネケンへと視線を移す。クリームを山盛りにしたタルトを食べていたサイネケンが、「大した話ではございませぬが」と前置きをして、アレクシアを見た後アルベルトと視線を合わせた。

「そもそも若返りの魔法というのは、使い手が途絶えた古代秘術から着想を得て構築したオリジナル魔法でして。現在判明している副作用の一つに『肉体年齢に精神が引っ張られる』というものがございます。……正直、子どもになられた閣下があまりにもいつものご様子でしたので、すっかりそれを失念しておりました」

 先程も、そんな内容の話をしていた気がする。

 アルベルトの精神が肉体年齢に引っ張られていないのは、理由としては簡単だ。元々別の年齢の記憶が存在しているから。それだけである。もちろんそれを話すわけには、いかないのだが。

 しかし魔法の副作用は理解したが話の着地場所が見えて来ず、アルベルトは相槌を打つだけにとどめて続きを促した。

「ですので、儂がこの姿でいる時の行動は、今の儂と当時の思考回路が混ざったものであるという認識を前提にしていただきたい。簡単に言えば、いつものサイネケンとは違う感情を持つこともある、ということです。いやはや、若さというのはなかなかに厄介ですな」

 まだ着地点が見えて来ない。アレクシアや侍女も似たような顔をしていた。

 だがそれは話している本人も同じらしく、腕を組んで「うーん」と首を傾げている。

「先に大事な一点だけ伝えておきますが、『サイネケン』は、閣下を主君として敬愛し、また唯一の弟子として家族愛にも似た感情を抱いております。そこをお忘れなきよう」

「……あ、あぁ」

 急に話がこちらに来て驚くと同時に、サイネケン自身のアルベルトへの気持ちを知り嬉しさと気恥ずかしさを感じる。

「儂としても、このような胸の内など言いたくはないのですが。さりとて、言わねば剣聖も納得せぬでしょう」

 ふう、と。サイネケンが諦めにも似た溜息をついた。

「散々浮き名を流した身でありながら、初めての感情と申しますか。年甲斐もなく、浮つき、焦げ付いております。若い頃に閣下に会わずにすんで、幸運でした。……おそらく、剣聖と争ってでも手に入れようとしていたでしょうから」

 アルベルトを見つめる目に、ジリ、とした熱が混ざる。

「しかしながら、一時的に浮かれているだけのこと。元に戻れば泡と消えます。必要な場合を除き触れはしませんので、ご辛抱ください。剣聖も、それで許せ」


(……えっ?……どういうこと?お爺ちゃんじゃないサイネケンは、肉体年齢に精神が引っ張られるから、……えぇと、その……アルベルトに、そういう感情を?)


 室内に流れる時間が止まる。

 動かしたのは、葡萄を手にしたアレクシアの咽せる声だった。


(わぁぁ!アレクシアちゃんがびっくりしすぎて咽せた!背中トントン!トントン!)


 幸いにも葡萄丸々一粒ではなく、小さな欠片だったらしい。なんとか飲み込んだアレクシアが、咳き込んで赤くなった顔をアルベルトに向けて礼を言う。

 そのおかげと言うのは咽せた本人に対して申し訳ないが、アレクシアの背を軽く叩いている間にアルベルトも驚きから立ち直ることができた。

「……つまり、あなたは少年が好きだと?」

「なぜそうなるのです?この年齢の儂は、閣下に懸想せざるを得ないという話です」

 アルベルトの見た目の問題ではなく、完全にサイネケンの思考の問題であるらしい。

「それに子どもに興味はありませんな。可能なら、いつもの閣下を組み敷きたいと考えております。なにせ、これは相当なおイタをしていた頃の身体ですから。息ができぬほどの口付けをして、閣下がそのお身体を蕩けさせ身を委ねるまで——」

「そこまでッ!!ヴォルフガングも柄から手を離せ!」

 かなり強めにサイネケンの口を手で押さえ、剣を抜こうとしていたヴォルフガングを止める。


(お、お、お爺ちゃん!?急にどうしちゃったの!?)


 内容の過激さよりも、それを口にしたのがサイネケンだという衝撃の方が大きい。

 一方で口を塞がれたサイネケンは、未だ部屋に流れる騎士の冷たい殺気をものともせず、アルベルトの手から身をずらすと「これはまずい」と独りごちた。

「閣下を前にすると、更に肉体に引っ張られる感覚があります。戻るまで、会わないほうが良いでしょう」

 言って、長いローブを捌きながら席を立つ。

 おイタをしていたと自分で認めるくらいだ。そう言う方面での知識も、魔導と同じくらい詳しいのだろう。

 積極的には知りたくなかった師の一面に、アルベルトも小さく息をつき頷いた。

「本来なら無いはずの感情をあなたに抱かせてしまうのは、私も望んではいない。用件のやり取りには、副団長か大隊長を挟んでくれ」

「承知いたしました。お先に失礼いたします」

 一礼したサイネケンが、静かに退室していく。

 扉が閉められ間を置いてから、ようやく張り詰めていた空気が解けていくのが肌で感じられた。

 座り直したヴォルフガングが、紅茶を口にしている。その表情もカップを持つ手も、いつもと変わりない。

 しかし、


(う〜ん……、ご機嫌斜め……)


 先程のサイネケンの告白に嘘がないとして、もし本気で行動しようとするのであれば、それこそヴォルフガングとの衝突は避けられない。つまり退室したことでサイネケンは『必要だから伝えただけ』だとわかるのだが。

 アルベルトは皿に残るタルトを手に取った。一口サイズの丸いタルトにジャムを乗せたものだ。好みでチーズクリームをつけて食べる。


(昔、似たようなことをしたなぁ)


 バターナイフでクリームを掬い、薄く塗る。それからテーブルに手をつき身を乗り出し、「はい」と差し出した。

「ルフ。口を開けて」

 目を丸くする騎士に、ほらほらとタルトを揺らす。


(ほ〜ら、ヒヨコちゃん。好物の甘いものだよ〜)


 ん?と駄目押しで目を合わせて覗き込むと、観念したのか戸惑いながらも口が開けられた。

 ほわ、と空気が更に緩む。


(うんうん。甘い物を食べて機嫌が治ったみたい。良かった、良かった)


 空いた手で、ヴォルフガングの頭を撫でてからソファに座り直す。ちょうどテーブル上の皿も、全て空いたようだ。

「さて、片付けを……、……?」

 アレクシアの侍女に声をかけようと視線を向けると、何故か固まったままアレクシアと抱き合っていた。


(アレクシアちゃんが咽せてたから、心配してくれたのかな?)


 なら自分でやるか、と皿を重ねていく。「閣下!申し訳ございません!」と侍女が悲鳴のような声をあげて手を伸ばした時には、すでにアルベルトとヴォルフガングによって全ての皿とカップはワゴンに片づけられていたのであった。

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