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大魔導師サイネケンと若返りの魔法②

 ページを捲る、荒れた指。 

 真新しい紙の匂い。

 のめり込むように、過去の記憶の中で、ひたすらに物語を追う。

 

 色もなく、音もない。

 ただ紙に書かれた文字が、あるだけだというのに。

 そこには春に咲く花の香りも、夏の日差しの強さも、秋の雨の音も、冬の静けさも。全てが存在していた。


 窓に目をやる。

 季節は、いつだったのだろう。

 わからない。

 ただ、小さな蝶が。

 ひらひらと、飛んでいた。





 アルベルトは、自室のベッドの上で目を覚ました。見慣れた天蓋が視界に映る。

 最初に、室内の明るさを確認した。太陽光だ。つまりまだ、陽は沈んでいない。

 不思議と、ここ数日の疲労が取れてスッキリとした感じがあった。意識を失う直前までの記憶は、抜けることなく存在している。魔力を制御する力を呼び起こそうとして、失敗したらしい。おそらく今の身体に、サイネケンの魔力は強すぎたのだろう。

 ごろりと寝返りをうつと、いつからそうしていたのか、ベッドの側に控えている騎士と視線が交わった。

「……どのくらい、経っただろうか」

「一時間ほどです。副団長たちへの説明は、こちらで済ませておきました」

「そうか」

 ゆっくりと身体を起こす。特に不調などはない。

 息苦しくないようにと配慮されたのか、シャツとズボンのみの姿だ。シャツのボタンはいくつか開いていた。ベッドから降りてそれを止め直しながら、リボンタイを用意しているヴォルフガングへと声をかける。

「執政官へ連絡を。午後からの視察は代わりの者を立てるように、と」

「承知いたしました」

 指示を聞き、部屋の扉を開けた騎士が、そこにいたアレクシアの侍女に伝える。それからボタンを止め終えたアルベルトの前に跪くと、シャツの襟を立て、スルリとタイを首に巻いた。

 

(……うぅ、緊張するからあんまり近づかないでほしい)

 

 できるだけ意識しないように心がけ、結び終わるのを待つ。何か気を逸せるものはないかと考え、ふと、夢の中で見た前世の記憶を思い出した。

 『この忠誠は、永久に』を読んでいた記憶だ。漠然としたもので、巻数まではわからない。

 夢の中の『自分』は、窓の向こうに目をやって。

 舞う蝶を見たのだ。


(そう言えば前世には、漢詩っていうのがあったよね。この世界での古代語みたいな扱いで。……なんだったっけ。私は蝶になった夢を見た、とかそんな感じの)


 もう少し思い出そうかとしたところで、締められたタイの形までしっかり整えられる。

 まぁいいか、と再びサーコートに袖を通し、部屋を出た。

 朝の遅い時間となれば、さすがに使用人の一人くらいは見かけなければならないのだが。一向に出会う様子がない。不思議に思っていると、後ろからタイミングよく答えが聞けた。

「閣下の居室周辺は、事情を知る者だけの立ち入りとしております。アレクシア様の侍女を一時的に閣下の側仕えとしておりますので、何かあれば彼女にお申し付けを」

「何から何まで世話をかける」

「閣下に非はございませんので、気にされる必要はないかと」

 

(……ん?)


 普段あまり表情を見せない騎士の声の中に、微かな棘を感じて足を止めた。

 立ち止まり振り返った先にいる相手は、今の身体では首を真上にして見上げるほどの身長差がある。

 同じく立ち止まったヴォルフガングに、アルベルトは声をかけた。

「そういう怒り方は珍しいな」

「——……」

 どうやら自覚がなかったらしい。これまた珍しく、驚いた顔をしている。怒っているというよりも機嫌が悪い、と表現した方が良いのかもしれないが。

「溜め込むよりは言ってしまったほうがいい。……何かあったのか?」

 問いかけてみて、ふと気付く。何かあったというよりも、子どもになったアルベルトの世話をすることに対して思うところがあったりするのだろうか。今の自分がリストニアのために働けるとは到底思えない。となれば、側近であるヴォルフガングへの負担も大きくなるわけで。


(か、考えれば考えるほど、自分が原因な気がしてきた……)


 サイネケンの魔法が発端であるにせよ、直接迷惑をかけているのは自分だという自覚があった。

「もし私に原因があるなら、元に戻るまでは君も離れていてもらってもいい」

「閣下……?」

 周囲の気温が下がった気がしたが、冬のせいだと考える。

「戦力的な面はもちろん、体力もかなり落ちているようだ。職務もあるだろうし、そちらを優先してもらった方が」

「俺の手を離すのですか?サイネケンには触れさせておいて」

「——……えっ?」

 跪いた厚みのある身体に、閉じ込められる。耳のすぐそばに、騎士の顔がある。

「……申し訳ございません。容易くあなたを他人に抱かせてしまったことに、自己嫌悪していただけです」

「だ、抱か、せたって、そんな……あれは」

「承知しています。大魔導師殿に、そのような気がないことも」

 ヴォルフガングの額が、アルベルトの肩へと押しつけられる。


(……つ、つまり……嫉妬……?一人称が『俺』になるくらいの……?)


 答えを知り、身体中の熱が顔に集まり始める。彼の想いが作品の中の『アルベルト』に対するものだと理解していても、こればかりはどうしようもなく嬉しいと感じてしまう。


(もしこの先……。六年前、突然前世の記憶が蘇ったように、今度は前世を忘れて『私』がいなくなって『アルベルト』に戻ってしまう日が来たとしても。……この温もりは覚えておきたいなぁ……)


 そっと腕を上げ、ヴォルフガングの背に手を回す。小さな身体では、抱きしめるまではできない。

 代わりに、伝わるようにと優しく撫でた。

「同魂の魔法の制約は、君を安心させる材料にはならないのだろうか?」

「……っ、それは」

 かわいいな、という気持ちが芽生える。剣術だけなら圧倒的にアルベルトよりも強い、剣聖にまで登り詰めた男に対して。


(こういうところは昔のままだよね。……あの頃、心が戻ってからのヴォルフガング様は、しばらくの間はヒヨコみたいにアルベルトの後をついてきてたなぁ)


「君は、かわいいな」

 思わず言ってしまって。

 反射的に顔を上げたヴォルフガングと、至近距離で目が合った。


(そう、かわいい人だ。『このとわ』のヴォルフガング様は、いつでもかっこよくて、スパダリ!って感じで、そこが大好きだったんだけど。……私の目の前にいる人は、なんだか最近凄くかわいく見える)


「私がこの距離を許すのは、アレクシア以外では君だけだよ」

 驚いている騎士の背中を緩く叩き、するりと腕から抜け出す。

「子どもになった私の世話をするのが嫌でないのなら、目一杯頼らせてもらうとしよう」

「……閣下、……えぇ、もちろん」

 立ち上がったヴォルフガングが淡く微笑み、歩き出したアルベルトに付き従う。

「さて、改めて今後についての話をしなくては」

「冬で幸いでした。社交シーズンからも外れておりますし」

「まったくだ」

 この先しばらくの予定を考えながら、アルベルトは原作のオマケとして書かれていた『大魔導師サイネケンと若返りの魔法』のストーリーについて思い出していた。

 ページ数的には、そう多くはなかった。若返ったサイネケンが、たまたま王都にいて尋ねてきたアルベルトと共に事件を解決する話だ。


(どんな内容だったっけ……。そうだ、確か……身寄りを亡くした子どもたちの施設に関する事件だ……)


 思い出しただけで、ジリジリと焼け付くような苛立ちが湧いてくる。アルベルト自身、あまりにも濃いこの六年間の記憶に押されて、前世の自身の環境を思い出すことは少なくなっていたが、それでも感情が大きく揺さぶられる時は「かつての自分に重なる何かがあったのだろう」とは考えている。もちろん無理に思い出すようなことは、するつもりもなかったが。


(リストニアにも同じような施設がある。原作と同じ事件が起きるとは限らないけど、様子を見に行くくらいはしておこう)


 再び執務室の前までやってくる。今度は魔導師大隊長がいた。隊長クラスが護衛に立つと変に勘ぐられないかとは思うが、それなりに非常事態が多いリストニアでは「また何か起きたのだろう。必要なら、自分たちにまで指示が回ってくる」というスタンスなので、その点は安心だった。


「閣下、無礼と事態の深刻さを承知で申し上げますが、……ウケます」

「君がその態度なら、まだ事態はそれほど深刻ではないということだな」

 今日の魔導師大隊長は、無精髭をしっかり剃っていた。飄々とした笑みと合わさって、なかなかの色男ぶりである。

「先程大魔導師殿に会いましたよ。ありゃあ、すごい。社交界に投げ込んだら、火遊び好きなご婦人や、ご夫君がこぞって群がってくるでしょうね。私も正直、クラっときました」


(——……クラっと、きた?ちょっと待って、イケオジ)


 中に入ろうとした足が止まる。趣味を優先している場合ではないのだが。このくらいは許してほしいと誰に願うでもなく言い訳しながら、視線を上げた。

「君はああいうタイプが好みなのか?」

「えっ?いや、まぁ。鑑賞的な意味で、ですがね。我々はサイネケン殿の中身を知っておりますが、あの姿は一見すると危険なタイプの男に見えますし。そういうのが好きな層は、わりといるものでしょう?」

「……まぁ、確かに」


(わかる〜!今のお爺ちゃん、ちょっと陰のある肉体言語も得意な知将って感じなんだよね。私の中でたった今、お爺ちゃん×大隊長の可能性が生まれたよ。妄想は自由!ありがとう!)


「それに、私はどちらかと言うと、素直なタイプが好みですし」


(……!?急な角度から何か来た!?)


「素直な…タイプ?」

「えぇ。直情的で、真っ直ぐな方がいいです。騎士団で言うと……、そうですね、ロイドかな」


(そこ来たか〜〜!!!ロイド!知ってる!この間幼馴染に振られた子〜!!そういえば、ヤケ酒に付き合ってくれた優しい人がいた、って言ってたな。……大隊長か〜!!!)


 ここぞとばかりに根掘り葉掘り聞きたい。聞きまくりたい。

 喉から「ちょっと、そこでお茶でもしながら詳しく聞かせてくれ」という言葉が出そうになる。

 だが、


(ぐぬぬ……、聞きたい、けど……!リストニアの安全が優先……!元の姿に戻ったら侯爵権限で呼び出してでも、聞き出そう……!)


「ロイドなら、私もよく知っている。今度またゆっくり聞かせてくれ」

「大した話ではないですが、いつでも」


(私にとっては大した話だよ!絶対だからね!絶対絶対聞かせてね!!)


 後ろ髪をグイグイ引かれながらも、大隊長がドアを開けたため中に入る。


 ふ、と短く息を吐き、気持ちを切り替えた。


 幕を下ろすように、アルベルト・リストニアとしての自分が戻ってくる。

 問題が山積みだな、と。数時間の不在で自身の机に積み上がってしまった書類を見ながら、そう思った。


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