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第二章番外編そのニ 大魔導師サイネケンと若返りの魔法①

 アルベルト・リストニアの目の前には、白い髪を持つ、何とも色気あふれる壮年の男がいた。


 背は高く、その身には武闘家のようなしなやかな筋肉がついている。

 歳の頃は、四十半ば。すっきりと通った鼻筋に、薄い唇。目尻に浅く浮かぶ皺が、鋭い眼差しを和らげている。


「さて、困ったことになった」


 張りのある声には、強い魔力の存在を感じる。

 伸びてきた長い腕が、アルベルトの身体を軽々と抱き上げた。

 そこで初めて、アルベルトは自身の視線がいつもよりも随分低いことに気が付いた。慌てて見下ろした手は、だぶついた袖に隠れてしまっている。下も脱げてしまうほどではないが、緩いことは確かだ。

「……これは、いったい。……っ!?」

 聞こえた自身の声の高さに、また驚く。これは、声変わりをする前の声だ。

 色気ダダ漏れの白い髪の男が、なんとも言えない表情で眉尻を下げた。

「若返りの魔法に巻き込まれてしまったようですな。赤子まで戻らなくて良うございました」

「……サ、サイネケン、あなたなのか?」

「左様。ちょっとした悪戯心で驚かせるつもりが。……いやはや申し訳ありませぬ」


 その時のアルベルトが「なんでだーー!!」と叫ばずに済んだのは、まさに日頃の訓練の賜物でしかなかった。






(ちょっ…と、待って……!原作小説のオマケの『大魔導師サイネケンと若返りの魔法』の話って、王都での一幕のはずだよね!?なんでリストニアで起きてるの!?)


 側近であるヴォルフガングや、妹のアレクシア、そして報連相が必要であろうと思われる面々には、まず説明をしておく必要がある。その役目をサイネケンに任せ一人自室へと戻ったアルベルトは、鏡の中に映るいつもより小柄な自身を眺めながら「はぁ……」とやるせない溜息をついていた。

 当たり前ではあるのだが、鏡の中の自分も同じように溜息をついている。しかもだぶついた服のまま。

 年齢は、十には届かない程度。

 黄金の髪は、よく知る長さよりは少し短め。同じ色の長いまつ毛が、薄紫の瞳を飾るように生えている。

 鍛えていたはずの体は、萌木のような細さで。しかし手の剣ダコや傷は同じ箇所にある。

 輝かしい美貌はそのままに、見事に見た目だけが若くなっていた。


(サイネケンお爺ちゃんの部屋に、文献についての質問に行っただけなのに、なぜこんな目に……)


 心の中の腐女子がさめざめと泣いている。

 なぜならば、アルベルトの中にある前世の記憶、腐女子として生きていた存在は『ボーイズラブに萌える性質』ではあったが『ショタ属性』ではなかったからだ。


(いや、可愛いよ?可愛いっていうか、美童!って感じなんだけど。子供ってそもそも守る対象で、そこに趣味とか嗜好とか入る余地ないし。あとは、もう『早く元に戻ってほしい』くらいで……)


 ことの起こりはこうだ。

 時間を見つけては文献を調べるようにしていたアルベルトは、この日も執務の合間に書庫へと降り、先日手に入れた亡国の書物を開いていた。

 古い文字ではあったが何とか解読し読み解いていたところ、気になる記述を見つけた。魔法に関することであったため、大魔導師であるサイネケンの力を借りようと彼の部屋へと向かったのである。

 リストニア城に滞在するようになったサイネケンは、魔導師大隊への指導や、魔導そのものについての研究を行う忙しい身だ。だがちょうど非番だった。アルベルトは本を手にサイネケンの部屋を訪ねて、そして。

 何だかよくわからないままに、彼が使用した『若返りの魔法』に巻き込まれたのである。


 サイネケンが言うには、アルベルトの強い魔力が感応した結果で、赤ん坊にならなかった分、運が良いとのことだったが。さらに曰く、「姫君に若い頃の姿を聞かれて見せてあげようと思った」とのことで。アルベルトとしては自分の妹の一言が原因だと判明しては、あまり強く非難するわけにもいかず。


(まさか原作ではオマケ程度の話に、巻き込まれるなんて……。中身は十八のままでよかったけど……。って、…待てよ)


 ふと、何かに気付き、アルベルトは自身の中に流れる魔力に意識を向けた。

 リストニア家に生まれた者は、代々強い魔力を授かっている。だがそれは持っているだけでは使えない、制御できなければ宝の持ち腐れとなる力だ。

 十八のアルベルトは長年の努力と修行により、全てとは言えないが、自身の魔力のほとんどを制御することができていた。

 ……しかし。


(や、やっぱり!上手く魔力が使えない!子どもの頃の制御力に戻ってる!)


 ウギャー!と心の中で悲鳴を上げる。前世の記憶を思い出してから、六年。死にものぐるいどころか、何度も死にかけてようやく到達した『けっこう強い魔導師』が、どこにもいなくなっていることに気付く。

 慌てて、部屋の隅に立てかけていた剣を手に取った。いつもなら肉体強化の付与もかけて、軽々と扱える。

 それなのに。

「……重い」

 一振りもできない。身体が剣に振り回される。『けっこう強い騎士』も、いなくなっている。

 サイネケンの話では、効果の持続はアルベルトが感応した魔力の量次第とのこと。それでもしばらくすれば効果も消えるとは言っていたが。


(しばらくって何!?いつまでこの状態なの!?冬で魔物の出現が少ないからまだマシだけど、この様子だと体力も見た目通りしかなさそうだし。仕事しにくい〜!!お爺ちゃんは自分だけちゃっかり爆イケオジになってるのに〜!!)


 さすがに不便すぎて不満が爆発してしまう。子どもの見た目になってしまったアルベルトとは違い、四十半ばとなったサイネケンは体力的にも絶好調らしく、「皆に説明してきてほしい」とのアルベルトの指示にもキビキビと歩いて行った。


(髪の色は戻らなかったみたいだけど、長い髭がなくなって、なんて言うか『色気ダダ漏れ歩く性癖製造オジ』って言うか。……何だそれ。まぁ、とにかく大人の色気がすごいというか)


 とにかく、あっちはあっちで一波乱起きそうな見た目のまま、行ってしまった。

 アルベルトと同じように魔力の制御こそ本来のサイネケンには劣るかもしれないが、それを補って余りある覇気のようなものがある。そのまま杖で肉弾戦もできそうだ。

 万が一、魔物が出現したら全て押し付けてしまってもいいだろう。


(とりあえず、着替えよう。昔の服、とっておいてよかった)


 いつまでもこうして鏡の前で悩んでもいられない。今の身体は、アレクシアよりも少し低いくらいだ。気を取り直し、クローゼットを探す。

 両親が選んでくれた服は、思い出として今も大切にしまってある。幸いその中に、サイズが合いそうなものを何着か見つけることができた。

 適当に用意して、引きずってきた服を脱ぎ落とす。下着を手早く履き替え、さてシャツは…と手を伸ばしたところでノックと同時に扉が開いた。

「閣下……!」

 普段の彼なら、そんな真似はしない。きちんと返事を待ってから入ってくる。

 つまり、それだけ慌てていたのだろう。

 剣聖ともあろう男が。


 そして、扉を開けた黒い騎士は、アルベルトの姿を見て固まった。


(か、固まりたいの、こっちなんですけど!!下着はつけてるけど、ほぼ裸だし!!今咄嗟に胸元隠そうとしちゃってて、危なかったよ!)


「……、ヴォルフガング?」

「し、失礼いたしました。先程、サイネケン殿から閣下の身に起きたことを聞いたもので……」

 衝撃から立ち直ってくれたらしい騎士が、扉を閉めてこちらにやってくる。隠すのもおかしいので、アルベルトは仕方なくシャツを手にしたままヴォルフガングへと向き直った。

「見ての通りだ。そのうち戻るらしいが……」

 はぁ、と再び溜息をつき、ふるりと震える。室内は温めてはいるが、それでも冬の気温だ。シャツに袖を通し、ズボンを履く。

「ボタンをお止めしましょう」

 アルベルトの前で片膝をついたヴォルフガングが、手早くシャツのボタンを止めていく。首に回されたシンプルなリボンタイは淡い水色だった。今のアルベルトではあまり選ばない、色合いだ。両親どちらかの好みだったのだろう。


(ヴォルフガング様、……あ、あの日の、告白からも普通に接してくれるの、ほんと助かる……。おかげで私も、いつもの『アルベルト』としていられるし)


「……ちょうど君と出会ったくらいの頃かな」

 すぐ側にある黒い頭にそう問いかけると、少しして「そうですね」と静かな声が返ってきた。

 アルベルトの中には、違う世界で違う人間として生きていた記憶もあるが、同時にアルベルト・リストニアとして生まれ生きてきた記憶も存在している。

 初めてヴォルフガングに出会ったのは、八歳の頃だった。

 今から、十年前の話だ。

 と言っても、リストニア家の端系であるツェベルク伯爵家が養子を迎え入れたと当時のリストニア家当主に報告したのは、さらにその一年前に遡る。ツェベルク家の遠縁となる一族で、かなり複雑な事情があるとは聞いていた。

 アルベルトとヴォルフガングを引き合わせたのは、アルベルトの母親だ。リストニア城の長い廊下を歩きながら、アルベルトの母は、これから会う者は『ヴォルフガング』と言う名であること、年はアルベルトの三つ上の男の子であること、特殊な一族の生まれでリストニアに逃げるようにしてやってきたが最近ツェベルク家の周辺で不穏な動きがあったため城に連れてきたこと、などを告げ。「きっともう、あの子の心は戻らない。でもだからと言って、その生が弄ばれてよいはずがないの」と、扉の前に立ちアルベルトへと向き直った。


(そう、確かあの時アルベルトのお母さんは『背負う必要はない。気負う必要も。ただ、あなたがしたいようになさい』って言ったんだよね)


 扉が開いた先の部屋には、椅子に座り身じろぎ一つしない、骨と皮だけになった黒髪の少年がいた。

 十一歳の、ヴォルフガング。

 ——それが、出会いだ。


「サイネケンからは、どこまで聞いている?」

「若返りの魔法に閣下が巻き込まれたこと。肉体が若返っているだけで、閣下の精神は私たちが知る閣下のままであること、くらいでしょうか」

「それで充分だ。ついでに言うなら、アレクシアに若い頃の姿を聞かれて披露しようとした結果らしい」

 防寒用にサーコートまで身に付け、廊下へと出る。

 十八のアルベルトは、日頃から全身に薄い魔力を張り巡らせていた。それは主に魔力制御の訓練のためだが、防御壁の簡易版であるそれはリストニアの冬の空気からもアルベルトを守っていた。それがない今は、たとえ城の中であっても廊下に出ると冷気が体を冷やしていくのがわかる。無論、外気ほどではないにせよ。


(魔力を使ってないと、こんなに違うんだ。コートも着てるから、寒すぎ!って感じではないけど……、って、ちょっ)

 

「失礼いたします」

 背後のヴォルフガングに縦抱きにされ、そのまま運ばれる。


(わぁ、ヴォルフガング様、あったか……。——じゃなくて!)


「ヴォルフガング、お、降ろしてくれないか?」

「執務室の近くまでは、どうかこのままで」

 十八の身体でさえヴォルフガングには勝てないのに、今の腕力でどうにかなるはずもない。

 本当の子どものような待遇に、羞恥に頬を染めながら「誰かに会いませんように」と心の中で祈る。

 騎士はいつもと変わらぬ様子で、歩いていた。


(……照れてるのは私だけで、今までと何にも変わらないんだけど。この人『アルベルト』のこと、本当にそういう意味で好きなのかな?)


 最近になって、そのような疑問さえ湧いてくる。あの日のことは、心の奥底に沈めた願望が見せた白昼夢なのではないかと。


(でも、人のことは言えないか。私はきっと……、物語のヒーローとして設定されているヴォルフガングというキャラクターに、一プレイヤーとして恋をしているだけだろうから)


 無意識に、縋るように騎士の服を掴んでしまう。

背に回されたヴォルフガングの腕の力が、少し強くなったのがわかった。





 

 幸いにも、目的地に辿り着くまでにすれ違ったり追いかけて来たりする者はいなかった。

 手前の角で降ろしてもらい、執務室の前まで行く。警備には、リストニア騎士団副団長が立っていた。サイネケンから話を聞き、一般の騎士と交代してくれたのだろう。

「閣下、……これはこれは……見事な傾国の美少年で」

「美少年が原因で傾国した国などあったか?——あったな。海の向こうに」

「私も冗談で申し上げたのですが、そう言えばありましたね」

 グシュタールという国だ。今でも国家レベルで人身売買が認められており、特に見目麗しい少年が好まれる。ファンケンラート含め周辺の国家からは忌み嫌われているが、独裁に近い専制君主制を続けており他国の介入を一切許していない。

 なお百年ほど前に、一人の少年を奪い合い王家の半分が滅んだと言われている、最高にどうしようもない国である。 


(人身売買ってだけでもアレなのに、更に子どもをやり取りするとか。半分どころか全部滅べばよかったのに)


 原作小説はファンケンラートがある大陸が主な舞台であったため、グシュタールの登場はなかった。アルベルトも、この世界で知った国だ。

 前世の世界でも国によって様々な問題を抱えていたが、ここでも同じように存在している。

「まぁ、とにかく中へどうぞ。サイネケン殿がお待ちです。あとは姫様と、執事長、執政官でよかったですか?」

「とりあえずは。君にも後で説明する。もし私が元の姿に戻るまでの間に魔物の討伐依頼が来たら、サイネケンを連れて行ってくれ。若返って体力も余っていることだろう」

「フェロモン満載で登場された時は、ちょっと半笑いになりましたからね。あれは若い頃、相当なおイタをした顔だ」

 ノックをした副団長が、中に声をかけ執務室の扉を開ける。

 中には副団長曰く『相当な、おイタをした顔』の爆イケオジと、それをあらゆる角度から見ているアレクシア、そして気まずそうにしている執事長と執政官がいた。

 音に気付いたアレクシアが、こちらを振り返る。

「……!?まぁ!まぁ!お兄様ッ!」

 可愛らしい!と、楽しそうにしている。気持ちはわかる。アルベルトも当事者でさえなければ、同じことを思っただろう。

 あるいは見た目年齢以外に問題がなければ、傍迷惑なトラブルとしてもう少し楽しめたのかもしれない。

 だが残念ながら、そういうわけにもいかないのである。

 時間が解決するとは言え、アルベルトという戦力が丸々消えてしまうのは、リストニアにとっては深刻な問題なのだから。

 ひとまず全員、来客用のテーブルにつく。茶の用意をするアレクシアの侍女に断りを入れ、「先程わかったことだが」と説明を済ませる。

 話を聞いた面々の表情から、日常の空気が消えた。

「それは……由々しき事態ですな。騎士たちへの通達はいかがなさいますか?」

 年嵩の執政官が、問いかけてくる。

「副団長には後で話をする。そこから魔導師大隊長と治療師長までは伝えてもらう予定だ。……念の為、グウィン陛下にもお話ししておくか」

「有事の際は、サイネケン殿にお頼みしても?」

 アルベルトを見ていた視線がサイネケンへと移動する。彼はアルベルトとはまた違うやり方で、リストニアのために生きる者だ。使えるものは何でも使う。たとえ相手が誰であれ。

 視線を受けたサイネケンも、顎鬚を撫でようとしてなかったことに気付き、上げかけた手を降ろしながら「あぁ」と答えた。

「働かせてもらうとしよう。若人の十年の大きさを失念しておった。……閣下、今使用できる魔法は補助系とのことでしたな?」

 今度はサイネケンからの質問が飛んでくる。それを受け、アルベルトも頷いた。

「私が戦う術を学び始めたのは、十歳以降。このくらいの年の頃だと、使えても幻影魔法が限界だろう」

 甘やかされていたわけではないが、それでも十歳になるまでのアルベルトは、基礎的な体力作り以外は座学を優先するように言われていた。おそらく両親としては、先に次期侯爵としての知識を身につけさせたかったのだろう。自分たちが、あれほど早くにこの世を去るなど夢にも思わず。

「制御力に関するノウハウ自体は身についている分、練習すれば火炎程度なら撃てるかもしれないが……。剣も振れない子どもが火炎だけで討伐に参加しても、……邪魔になるだけだ」


(自分で言ってて凹む……。私にできるのは、執務室で判を押して魔物を討伐することくらいなのに)


「……ふむ。制御力の問題でしたら、それを起こせるかやってみましょうか?」

「えっ?」

 髭のない顎に指を添えて考えていたらしいサイネケンからの提案に、アルベルトは沈みかけていた視線を上げた。

「記憶が十八の閣下のままであるなら、一度手に入れた制御力もどこかにはあるはずです。一時的に儂の魔力と接続すれば、身体がやり方を思い出すやもしれません。……あくまで、可能性ですが」

 

(バッテリーが上がった車に、他の車を繋いでエンジンかけるみたいな感じ?なんでもいいや!それやろう、お爺ちゃん!)


 解決策を、すぐに提示してくれる。さすが大魔導師である。

「試してくれないか?」

「承知いたしました。では、こちらへ」

 隣に座るように言われ、そこにいた執事長と場所を変わる。

「頭部か心臓、どちらかを触れ合わせる必要があります。心臓は無理ですから、この場合頭部、額にしておきましょう。——怒るなよ、剣聖」

 最後の言葉の意味がわからず首を傾げた瞬間、アルベルトの身体がふわりと浮いた。

 そのまま横抱きにされて、すっぽりと長身のサイネケンの膝の上に抱え込まれる。


(こ、この角度から見る爆イケオジ、えげつない…!って、顔近っ…!)


 サイネケンの顔が近付き、互いの額が合わせられる。

 視認できたのは、そこまでだった。

 吸い上げられるように、全ての感覚が薄れていく。

「駄目か。このお身体では、儂の力を受け止めることさえできぬようだ」

 微かに耳に届く、サイネケンの声。

「……剣聖、殺気を鎮めよ。姫君の前ぞ。ほれ代われ、しばらくすれば目が覚めるわい」

 今度は、温かな何かに包まれる。まるでアルベルトのためだけにあつらえられた揺り籠のような、何かに。


(はぁ〜、何かわからないけど、あったかい〜。……ずっと、ここに…いたいな……)


 その思考を最後に、アルベルトは意識を失った。

 


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