アレクシアのお願いごと④
調査はその後、軽い食事や休憩を一度挟み、さらに行われました。
領民たちの安全に直結することに、少しの見落としもあってはならないからです。
短い冬の陽に赤みが差し、東の方から夜がやってまいります。薄赤色と、大森林に似た藍色が混じり合います。
前世ではたしか、逢魔ヶ時、と申しましたでしょうか。
風の冷たさも増しました。馬車での待機を勧められましたが断り、サイネケン様と共に待ちます。
大森林の入り口に沿うように、松明の灯りがポツポツと見え始めます。
その小さな火を見ながら、わたくしは反省をしておりました。
遠出をすることで、お兄様とヴォルフガングの関係に何か進展があるかもしれない、と。そう考えておりました。もしくは、何か素敵なシーンが見られるかもと。人は開放的な空気の中では、いつもより違う行動をとったりするものですから。
ですが、この遠出の間。お兄様はヴォルフガングを部下として扱い、ヴォルフガングは節度ある一騎士としてお兄様の側に控えているだけでした。
わたくしの前で、お兄様は『アルベルト・リストニア侯爵』のままでございました。
魔物を討伐しているわけでは、ありません。
……けれど、今この瞬間も領民たちのために戦っているのだと、わたくしは気付きました。
慎重に、この上なく慎重に、見定めて。
皆が、安全な冬を過ごせる様に。
どれほど経ったか。
すっかり陽も沈み、空気が氷のような冷たさで全身を包み始めた頃。
ようやくお兄様が騎士たちを連れて戻ってまいりました。
わたくしを見て「寒くなかったか?」と声をかけてくださり、お兄様の馬へと移動させてくださいます。長く馬上にいすぎてお尻が痛みを訴えておりましたが、お兄様の腕の中に戻ったことでそれらも吹き飛びました。
「閣下、探査術の腕が上がりましたな」
サイネケン様がそう声をかけられると、お兄様は一度ヴォルフガングに視線をやり、再びサイネケン様を見られました。
「ヴォルフガングのおかげかな。……同魂の術の効果で、彼の力の一部が使用できるようになっている。おかげで気兼ねなく探査を広げることができた」
「ほう、あの術にはそのような効果も」
「そのせいで、初めての魔力切れを体験させてしまったが。…さすがにつらそうだ」
その言葉に、わたくしは静かに控える黒い騎士へと視線を移しました。
……いつもと変わらないように見えます。
魔力切れって、あれですわよね。リュシアンお兄様がしばらく起き上がることもできずに、胃の中のものをリバースし続けていた、あれ。
「魔力切れは、初めての時に最も強く症状が出る。帰りはアレクシアの馬車に乗るといい。私も同乗しよう」
「閣下、私は……」
「乗りなさい」
「……御意」
——オウッフッ。人が反省した矢先に萌えをぶっ込んでくるなんて、ひどいわお兄様。
ヴォルフガングに「⚪︎⚪︎しなさい」なんて言えるのはお兄様だけですし、それに対して叱られた子供のように素直に「はい」とヴォルフガングが答えるのもお兄様だけなのよ。
え、でも待って。
ということは、帰りはお兄様やヴォルフガングと一緒?
イヤッホウォォ!!
一度村に戻り、お兄様が調査結果をお知らせくださいます。
森が静かなおかげで広範囲の調査ができたらしく、この冬はおそらくこのまま落ち着いた状態で過ごせるだろう、とのことでした。腐死の魔導師がいなくなったことも、関係しているのかもしれません。
お兄様の言葉に皆がホッとした表情を浮かべます。もちろん、魔物が一匹も出ないという意味ではありません。それでも今年の冬は比較的安全に過ごせるのだという事実に、わたくしも胸を撫で下ろしました。
リストニア騎士団が隊列を組み、村を出発いたします。
今の時間に出るとなると、帰城は深夜になるでしょう。
何もしていないわたくしでさえ、疲れを感じております。お兄様やヴォルフガング、騎士の皆様の疲労は、いかばかりか。頭が下がる思いです。
馬車に入ると、冬の風がないというだけで随分暖かく感じました。
わたくしの次に乗って来られたお兄様が、手に毛布を何枚か持ってらっしゃいます。
「今日は疲れただろう、アレクシア。少し眠るといい。城に着いたら、起こしてあげよう」
そう言って手際よく、わたくし一人なら横になれる寝床を座席の上に作ってくださいます。それからご自身は、わたくしの対面にヴォルフガングと共に座られました。
そんな、眠るだなんて。
せっかく二人の様子を間近でじっくり見られる機会なのに。
なんて思うのですが、座ってしまうと身体がまるで泥になってしまったかのように毛布に沈んでいくのがわかりました。
……だめよ、頑張って、アレクシア。
しっかり見て、あとで、……侍女や、…お城の……メイドたち、……に。
『大丈夫だよ、アレクシア。…大丈夫』
お兄様の声が、聞こえてきます。
あぁ。これは、夢なのね。お兄様が少年の姿をしていらっしゃるもの。
眠れないわたくしの側で、お兄様のお顔の色もひどいものでしたのに、それでも一晩中わたくしが安心するまで子守唄を歌ってくださいました。
優しい声。
優しい旋律。
それは女神エルシオラがとある魂を慰めるために歌ったとされる、祈りの詩。
夢の中の小さなわたくしが、寝息を立て始めます。それを見て微笑むお兄様。
——世界が優しく滲み。
次の瞬間、わたくしの意識は、なぜか見知らぬ部屋の中にありました。
痩せ細った黒い髪の少年が、椅子に座っていました。
腕や足に子どもらしい膨らみなどなく、骨に皮だけが張り付いていました。
一筋の光もない目は濁りきり、かすかな息の音がなければ死んでいると思うほどでした。
扉が開き、黄金色の髪を持つ少年がスープが入った器を手に、入ってまいりました。
それは今のわたくしよりも幼く見える、お兄様、アルベルト・リストニアでした。
よく見ると、そのお顔には、いくつかアザがありました。
黒髪の少年の前で膝をついたお兄様が、「ルフ」と声をかけます。「スープを持ってきた。食べられるかい、ルフ」と。
スプーンでスープを掬い、黒髪の少年の口元へと運びます。
そのひと匙が少年のひび割れた唇に触れた瞬間。
骨と皮だらけの腕が、お兄様を殴りつけました。
スープの入った器が宙を舞い、お兄様が床に押し倒されます。それに馬乗りになった少年が、お兄様を殴り続けます。何度も。何度も。
ですが、あまりに細すぎる身体はすぐに体力を失ってしまうのか。ぐったりとお兄様に重なるようにして倒れ込みました。少年の口から、無感情な声が流れ出します。その言葉しか知らないかのように。繰り返します。「もう嫌だ」と。
お兄様の腕が、少年の背中に回されます。触れられたことに恐怖を感じたのか、少年がお兄様の肩に噛み付きました。ぐ、と。痛みに耐えたお兄様が、背中回した手で優しく少年を撫でます。
そうして。
少年の深く傷ついた魂を包むように、お兄様の口から静かな旋律が紡がれました。
忘れられた都で
幾星霜の時の果てに
魂は巡り会う
何度でも繰り返し
光を目指す
騎士は征く
騎士は逝く
ただ一人へと
辿り着くために
「——……」
旋律が重なって聞こえ。
わたくしは緩やかに目を開けました。
馬車の揺れが身体に響いてきます。いつの間にか横になって眠ってしまっていたようでした。
……わたくしの前では。
ヴォルフガングがお兄様の膝に頭を乗せ、眠っておりました。
並んで座る騎士が眠ってしまい、肩を貸していたらそのままずり下がってきた、そんな体勢で。
お兄様はヴォルフガングの黒い髪を撫でながら、静かに歌ってらっしゃいました。
——その眼差しの、優しさと深さ。
ふと、ヴォルフガングの手が何かを探すように持ち上がりました。お兄様が撫でていた手を止め、それを掬い上げます。
なぜでしょうか。
この時、不思議とこう思いました。
ようやく辿り着いたのね、と。
わたくしは何も言わず、再び目を閉じました。
馬車の中には、美しい歌が響いていました。
レナード様。
随分と便箋の枚数が嵩んでしまいました。
ですが、わたくしたちの間で隠し事はしないと決めましたものね。「これは言わなくていいだろう」は面倒の種になる、はストーリー展開の王道です。わたくしたちは、自分たちが不利になる可能性のある起承転結は潰していく方針なのですから。
そんなわけで、様々な体験をした一日でございました。
瘴気が濃い時期はあれに魔物の討伐が加わるのだと思うと、想像しただけで身が竦みます。
これは『同志』として、婚約者として、臣下として申し上げるのですが。
一度クリストフ殿下とご一緒に、ご覧になられても良いかと存じます。もちろん、安全な冬の間に。……クリストフ殿下におかれましては、失恋の痛手を負ってしまうかもしれませんが。
ファンケンラートの平和が、どのように維持されているのか。その一部をご覧いただけましたら幸いです。
王都もこれから本格的な冬になるでしょうから、温かくしてお過ごしくださいませ。
親愛なるレナード様へ。
アレクシアより。
ペンを置いたわたくしは、はしたなくも「ん〜」と大きく伸びをいたしました。横から侍女に「姫様」と嗜められて「ごめんなさい」と軽く返します。侍女も一応言っただけで本気ではなかったのか、紅茶を用意しながらわたくしが書き上げたばかりの手紙の束を眺めました。
「随分とたくさん書かれましたね」
「大森林へ行った時のことをお伝えしていたの」
「ウッヒー」
今、素で「ウッヒー」て言いましたわね。馬車がお城に着いた時、ドアを開けてお兄様の膝枕で眠っているヴォルフガングと、それを撫でながら眠ってしまったお兄様を最初に見たのはあなたですものね。わたくしでも「ウッヒー」言いますわよ。
あの時、まずわたくしが目を覚まして、顔を真っ赤にしてジタバタしている侍女を見て、お兄様たちの様子を見てわたくしも一緒にジタバタして。その物音に気付いて、なんとヴォルフガングよりも先にお兄様が目を覚まされましたの。あの剣聖ヴォルフガングが、物音に気付きませんでしたのよ。
目を覚ましたお兄様は、ご自分の様子を確認されて、わたくしたちへ「静かに」というジェスチャーをなさいました。
そうして、ゆっくりとヴォルフガングの肩を揺らして。
ルフ、と声をかけられたのです。
至近距離での生ルフ呼び来たぁぁぁぁぁ!!!
ありがとうございますうぅぅぅぅ!!!
しかも、なんと!むずがってるヴォルフガングまで見られたのです!!
あの!ヴォルフガングが!!
お兄様の膝の上で、起こされてちょっと「嫌々」してるッ!!!
ウヒィィィィ!!!
その時の侍女、わたくしの隣で「ブラッドベアに殴られた時よりも衝撃が強い!」って小声で言ってましたからね。それはそれで大丈夫でしたの?
ともあれ、わたくしたちの前で数秒モゾモゾしていたヴォルフガングでしたが、さすがに気配に気付いたのかハッと身体を起こすと、今まで見たことが無いほど慌てた顔で「し、失礼いたしました!」とお兄様から離れました。
そこでわたくしは遠出の目的の一つであった、『二人がどこまでの関係か』を察するに至ったのです。
……これは、キスもまだに違いないですわ。
楽しみが増えました。
「こちらをレナード様にお送りしてちょうだい。そうだわ、招き兎の毛皮があればそれも一緒に。良いコートになるでしょう」
「かしこまりました、姫様」
手紙を受け取った侍女が部屋に控えていたメイドたちに指示を出します。
片付いたテーブルに、紅茶と焼き菓子が並べられました。
冬のリストニアは、今日も晴れ。
あとで、お兄様の執務室にお伺いするといたしましょう。
お読みいただきありがとうございました。




