第二章番外編 アレクシアのお願いごと①
アレクシア視点の話になります。
全四話。
レナード様へ
リストニアは、すっかり冬の景色となりました。
竜骨と呼ばれる山脈から吹く風は、氷のように冷たく、あの瘴気に満ちた大森林でさえも静寂の中に鎮めてしまうかのようです。
この地の冬は長く厳しいものではございますが、魔物の出現が抑えられるという点においては、喜ばしいことなのでしょう。
先日は、感情の昂りのあまり不可解なお手紙をお送りしてしまい、大変失礼をいたしました。レナード様だからこそ、ご解読いただけたものと信じております。
ご安心なさって。今日は、しっかりと心を落ち着けてまいりましたから。
それでは、わたくしがお兄様へ『お願い』をした時の話を、お聞きくださいませね。
「明日一日、私の仕事を見たい?」
「はい、お兄様。わたくしも来年には十二。リストニアの者として、お兄様の一助となるべく経験を積みたいのです」
わたくしの言葉に、紅茶を口にしていたお兄様は、少しだけ渋い顔をなさいました。
そのお顔もとっても麗しくて、思わずうっとりしてしまう。
わたくしのお兄様、アルベルト・リストニア。
前世の私が知る超人気BL作品、『この忠誠は、永久に』の最強スペック完璧超人主人公。
でも今のわたくしにとって、それはもはや遠い記憶の中の話。
この世界で共に生きるアルベルト・リストニアこそが、わたくしにとっての真実。心から敬愛する、唯一無二のお兄様なのです。
「明日は大森林の近くまで向かう予定があってね。明後日ではどうかな?」
お兄様は、とてもお優しい方。私が少しでも怖い思いをしないように、いつも守ってくださる。明日の大森林への調査も、万が一を考えてそう仰ってくださっているのでしょう。
竜骨の名に相応しく、ゴツゴツと張り出した山脈からの風が、大森林の瘴気さえ凍てつかせる冬。リストニアでは、あらゆるものを凍らせてしまうこの風と引き替えに、瘴気の減少という一時の安息を得ることができます。
ただそれでも完全に安全とは言えませんから、お兄様が自ら大森林へと調査に向かわれるのです。
なんてお優しく、気高く、お強い心をお持ちのお兄様。最近では前世の記憶も現実に上書きされて、死ぬ直前まで廃課金していました『このとわ』以外の出来事が少しずつ朧になっているのですけれど。アレクシアになる前のわたくしは、きっと相当な徳を積んだのだろうと思います。だって、お兄様の妹として生まれることができたのですから。
でもそんなお優しいお兄様の提案に、わたくしは首を横に振りました。
「何でも一つ願いを叶えてくださるとおっしゃいましたわ」
「……っ、確かに言ったが」
珍しくお兄様が言葉に詰まられました。
わたくしが言う『何でも一つ願いを叶える』というのは、秋の終わりに起きた腐死の魔導師討伐の際に、無茶をされたお兄様が倒れられたことに起因しています。わたくしはその時城の奥にいて、後からメイドたちに詳細を聞くことができました。
腐死の魔導師を一時的に封印される際に内臓を損傷したお兄様は、帰城した途端血を吐いて意識を失いました。幸いそのお身体はヴォルフガングが支えてくれたので、地に倒れることはなかったのですけれど。喉に血が詰まって、呼吸ができなくなっていました。
真っ赤に染まった、お兄様の口元。
それに躊躇いなく自らの唇を重ねたヴォルフガングは、その舌を深く差し込み何度も血を吸い上げお兄様を窒息から救いました。『助かったからこそ言えるのですが、姫様……、すごかったです……ほんと…すごかったんです……』とメイドたちが顔を真っ赤にして語っていて。
見 た か っ っ た ッ ! ! !
うっかりわたくしも、血を吐きそうになりました。
わたくしは何故、あの時城の奥に隠れてしまっていたのかしら。リュシアンお兄様と一緒に皆様のお手伝いをしていれば、見れたのにッッ!!!
……もちろん、その場にいたらわたくしもそれどころではなかったでしょうけれど。
あの副団長が、泣きじゃくりながらお兄様に縋りついていたそうですし。
わたくしのお兄様は、とてもお強いのですけど、その分ご自身の痛みにとても無頓着なのです。ご自分がリストニア侯爵だという自覚はあっても、リストニアの太陽であるという意識がまるでない。
お兄様の存在こそが、リストニアの地を照らす光であるというのに。
——ですが。
今後はきっと、そうしたお兄様のお気持ちもヴォルフガングが変えていってくれることでしょう。
だって。
だって。
……だって、お二人は!!!
両想いなのですからッッ!!!
わた、わたくし、腐女子として生きてきて、これほどに気持ちが昂ったことは前世含めてもございません!
とっても素敵なBL作品を堪能している時に感じる、「一旦休憩しよう。コレ食い続けてたら萌え死ぬわ」の感覚を無限に史上最大級に問答無用で味わい続けていると申しましょうか。わたくしの心臓の耐久性、すっごい。
とにもかくにも。
生死を賭けた様々な試練の果てに、十八歳のお兄様と二十一歳のヴォルフガングは、この度めでたく両想いとなられたのです。
あの収穫祭の日。
執務室で跪いてお兄様の手を取り想いを伝えるヴォルフガングは、本当に素敵で。自分で自分のお腹を全力で殴らなければ、わたくし歓喜の悲鳴をあげてしまうところでした。
ヴォルフガングの優しい微笑み、頬を染めたお兄様の顔。
全部!!
スチルに無いッッ!!!
あんなにやりこんだ『このとわ』のソシャゲに、あのシーン自体が存在してなかったんですけど!!!??
というか、同魂の魔法って何なんですの!?原作小説にはありますの!?
腐死の魔導師が出てきた辺りで「ゲームでは、腐死の魔導師は過去の災厄として出てきただけですわ……」と予測不可能な流れを感じて、恐れさえ抱いていたのですが。
こんな結末になるなんて、まったく想像もしておりませんでした。当初は、ステルビア家の意地悪ミニゲームイベント、くらいの感覚でしたのよ?
「……アレクシア?」
ハッ!いけない!うっかりあのシーンを思い出して意識が飛んでおりました。
わたくしが無言になったのでお兄様が心配そうに覗き込んでくださってます。最近ちょっと咳き込みすぎましたわ。萌えると気管が詰まってしまうの。きっと身体中の穴という穴から「萌えッッ!!」という叫びが迸っているせいで、酸素を押し返してしまうのね。
「ひょっとして体調でも——」
「元気ですわ。今すぐにでもお城を走って一周できるほどに」
「そ、そうか……」
わたくしを心配してくださる、お兄様。時々ちょっぴり申し訳なく思うのだけれど。
でも!萌えるんですもの!!
ちなみにここはお兄様の執務室。夕食も終えて湯浴みをして眠るだけだったわたくしは、まだお仕事をされているお兄様へお茶をご用意して、休憩を勧めに参りましたの。ヴォルフガングも、ちゃんといつものようにお兄様の傍に控えておりますわ。
わたくしがお茶を持って来るまで、二人きりだったのですよね……。キャー!キャー!何て心の中で騒ぎながら、しばらくは、楽しくお話しをして。
それから「そうそう」と、まるで今思い出したかのように「お願いごと」をお伝えしたのでした。妹からの、小さな願い、という印象で。
実際には、三日三晩寝ずに考えた作戦だったとしても……!
「お兄様、わたくし決して危ない真似などいたしませんわ。明日は大魔導師様もご同行くださるのでしょう?それに、一度は大森林を近くで見ておく必要があると思いますの」
少しずるいですが、とっておきを使います。
「ね、お願い、お兄様」
わたくしのお兄様は、わたくしのこれに弱い。とっても可愛らしいお兄様なのです。
案の定、お兄様は……、それでもまだしばらく悩んだ後、ついに首を縦に振ってくださいました。
「私かヴォルフガング、もしくはサイネケンの側から決して離れないように」
「はい、約束いたします」
「もし魔物が出たら、即座に帰城すること」
「はい、もちろんですわ」
「温かくしていくこと」
「はい、ぬくぬくで参ります」
「手袋は二枚重ねで、コートはこの間新調した招き兎の毛皮で作った物を着て行きなさい」
「はい、お兄様」
ちなみに招き兎とは、本物の兎ではなく、兎のような形の擬似餌を頭につけて人間を襲う恐ろしい魔物のことです。前世で言う提灯あんこうのような感じでしょうか。やっていることは恐ろしいのですが、擬態のために全身がフワフワの毛で覆われているので、冬のリストニアでは防寒素材として重宝されております。
「それから……」
待って、お兄様。いくら何でも過保護すぎません?
さすがに止めようとしたら、お兄様の後ろから微かに、息だけで笑うような、声が聞こえました。
ヴォルフガングが、笑ってる……?
びっっくりして、胸の中がゴフッ!!ってなりましたわ!!
お兄様でさえ、ちょっと驚いてらっしゃいますもの!
私たち二人の視線を受けて、控えていたヴォルフガングは「申し訳ありません」と謝罪した上で、柔らかな表情で続けました。
「つい先程、似たようなやり取りをしたもので……」
その言葉に。
少し時間を空けて、お兄様の頬がほんのりと赤く染まりました。
ンガワッイイッッ!!!
お、落ち着いて、アレクシア。ここでお兄様に食い気味で話を聞いても、はぐらかされるだけだわ!ヴォルフガングに聞くのよ!この人ソシャゲ版だと、忠誠攻め、ワンコ攻め、ヤンデレ攻め、むっつり攻め、スパダリ攻め、とあらゆる攻めルートがあったもの!きっと教えてくれるわ!根拠はないけど!まったくの余談ですが、わたくしのオススメは『むっつり攻め』でしたわ!あのルートだけ、課金次第で大人向けが解放されますの!!オッホー!
「まぁ、お兄様はヴォルフガングにも同じことを仰ったの?」
心の中のどんちゃん騒ぎを押し隠して、わたくしは、『あえて』違うだろうと思われる問いかけをいたしました。
予測通り、ヴォルフガングが緩く首を振ります。ですわよね…!
「いえ、…私が明日の閣下のお召し物についてあれこれと意見を申し上げすぎてしまい……」
何かを思い出したのでしょう。
ヴォルフガングは、『愛しくて仕方がない』という眼差しで、お兄様へと視線を移しました。
「子ども扱いするな、と拗ねられてしまったもので」
拗ねちゃったかーー!!
そっかーー!!
イッヒーー!!
お兄様が小さな声で「……拗ねてない」とか仰ってるぅー!可愛すぎて、ご飯七合炊き一口で食べられるッッ!!
わたくしはニヤつく口元を桜色の爪を持つ両の手で上品に隠して、お兄様とヴォルフガングを交互に見ました。
「お兄様、ご自分は子ども扱いしないようにと仰ったのに、わたくしには仰いますの?」
「わ、私はもう十八だし……」
なんて可愛らしい仰りよう。萌えと同時に、心に温もりが広がります。
きっとヴォルフガング以外の者から同じ言葉を言われても、お兄様は微笑みながら「わかったよ」と返してくださるだけで拗ねたりはなさらないのでしょうね。
えぇ、わかりますわ、お兄様。ヴォルフガングに、甘えてらっしゃるのでしょう?
大変良いとッ!
思いますッッ!!
お兄様が甘えられるのはヴォルフガングだけで、ヴォルフガングが甘えられるのもお兄様だけ。……さすがにヴォルフガングが甘えている姿は見たことがありませんが。
「まだ十八、ですわ。ファンケンラートの貴族の中で、最も若い当主ではございませんか」
「それは、そうだが……」
「お兄様がわたくしを心配してくださったように、ヴォルフガングもお兄様を心配してくださったのね」
わたくしがそう伝えると、お兄様も何か思うところがあったのか、ヴォルフガングに向かって「すまなかった」と謝罪の言葉をかけられました。
わたくしが気付いたくらいですから、もちろんヴォルフガングもお兄様のその『拗ね』が甘えから来ていることは理解しているでしょう。お兄様からの言葉に、「気にしておりません」と、より甘く微笑んで返します。
——ていうか。
さっきから、めっっっちゃくちゃ微笑みますわね、ヴォルフガング。
ソシャゲ版だと散々「課金しても服装しか変わらない男」とか「ルートの多さと表情のバリエーションが一致しない男」とか「立ち絵の表情が一種類しかない、ヤベェ男」とか言われてましたのに。
……自分でも不思議なのですけれど。
お兄様もヴォルフガングも、とてもとてもお美しい姿をしておいでです。わたくしはそんな二人に囲まれて過ごしているのですが、今までに一度も二人を『そういう目』で見たことがございませんの。
前世を思い出したばかりの頃は、相手をキャラクターとして認識して一歩引いて見てしまっているのかしら、なんて考えていたのですが。最近になって、ようやく気付きました。
わたくしがお兄様とヴォルフガングを応援しているのは、もちろん前世のこともありますけれど。それ以上に二人がわたくしにとって、かけがえのない家族だからなのです。
大好きなお兄様と、大好きな従兄弟のヴォルフガング。
わたくしは、大好きで大切な家族に幸せになってもらいたいのですわ。
「でしたら、わたくしからもお願いいたします。お兄様、明日は温かくなさって。お風邪を召されると、長引かれる体質でございましょう?」
『お願い』の形を取って伝えます。するとお兄様は、それはそれは美しく優しく微笑み、わたくしの髪を撫でてくださいました。
わたくしも微笑み、お兄様の傍に立つ黒い騎士にも視線を向けます。
「ヴォルフガング、護衛をするあなたに言うのは失礼かもしれないけれど……。充分に気をつけてね。わたくしとっては、あなたもお兄様と同じくらい大切な家族なの」
銀灰色目をした精悍な騎士が、少女であるわたくしに対して騎士の礼をとり、頷いてくれます。
彼はこの国で唯一の剣聖ですが、それでも無敵というわけではありません。
実際に、お兄様ほどではなくとも、酷い傷を負ったこともございます。
「それにあなたに何かあったら、お兄様が大変なことになってしまうもの。以前あなたがお兄様を庇って大怪我した時なんて、震えるお兄様に寄り添って、朝まで二人であなたの側にいたのよ?」
「ア、アレクシア…!?」
あら、うっかりバラしてしまいましたわ。ヴォルフガングも初めて聞いたって、顔をしています。この際ですし、全部言ってしまいましょう。わたくしは空気を読まない腐女子ですの、ホホホ。
「あの時のお兄様、わたくしの声もお耳に届いてらっしゃらなくて。ずっと『いやだ』「おいていかないで』って、呟いておいででしたの。……ねぇ、ヴォルフガング。わたくしはお兄様にあんな思いをさせるのは、もう嫌よ?」
大事な従兄弟が大怪我をするのももちろん嫌だけれど、彼にはこちらの言い方の方が響くに違いないから。
——わたくしはあの時、一人の人間が絶望の淵に立つ瞬間を目の当たりにいたしました。人の心というものは、これほどに苦痛に満ちた悲鳴を上げるのだと。その事実を、わたくしは知っているのです。
リュシアンお兄様が教えてくださった、同魂の魔法の効果。お兄様が生きている限り、ヴォルフガングもまた死ぬことはない、と。
それを聞いた時、萌えとは別の場所で、アレクシアとしての心が喜びで泣いていました。
あぁ。二人はきっと、最期は共に逝くのだわ。
それは人の生としては、正しくはないのかもしれない。
けれど、愛を捧げる者としては、この上なく自然なことのように感じられました。
……わたくしもいつか、レナード様とそんな愛を育むことができるかしら。
そんなことを思いながら、「では、おやすみなさいませ」とカーテシーをして、お部屋から退室することにいたしました。
内緒にしていたあの夜をバラされてしまったお兄様が、赤い顔をしてわたくしとヴォルフガングを見ていて。ヴォルフガングは、もうお兄様しか見ていらっしゃいませんでしたが。
まぁ、あとはお若いお二人で、ということで。
ウフフ、おやすみなさい。
次回『アレクシアのお願いごと②』は5月29日17時更新です。




