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第十四話 両翼

 長寿というのは素晴らしい。

 大魔導師サイネケンは、降り注ぐ拳ほどの大きさの石をアルベルトの分も含め全て防御壁で正確に弾きながら目を細めていた。

 

 腐死の魔導師。


 肉はほとんど腐り落ちてはいたが、その身に纏う衣服は上等なものだ。かつて人の上に立つ者であったことは想像に難くない。

 その魔力量はサイネケンをしても強い重圧を感じ、制御力に至っては……おそらく自分よりも遥かに上であろうと彼は考えた。

 制御力が魔法の威力自体を格段に底上げしている。今降り注いでいる石飛礫も、土魔法の下位でしかない。

 あの腐り落ちた魔導師は、どれほどの修練を積んだ魔導師なのだろうか。

 少なくともサイネケンがあの制御の域に到達しようとするなら、あと百年はかかりそうだった。


「容易く人の寿命を超えてくる。魔導師としては、羨ましい限りよ」

 防御壁を展開しながら、別の術を構築する。多重詠唱も人外の域だが、そもそもこの場にはそこに足を踏み入れた者しか存在していない。

 魔導師の周囲には、誰もいなかった。周囲にいたはずの弓兵も、麓に回っている。


 それだけ、自信があるのだ。

 自身と腐死竜で充分だ、という。


「疾く駆けよ、『炎狼』」

 サイネケンの足元から飛び出した複数の狼が腐死の魔導師に向かって突撃していく。礫を掻い潜り、一頭がその喉元に喰らいつく。そして、呆気なく崩れ去る。瞬きほどの間に、全身を腐食させて。

 群れの一頭がやられたことに気付いた他の炎狼が距離を取り、その身を大きく震わせ炎の矢を放つ。

 それを、腐死の魔導師は指の一振りで、肩についた埃を振り払う程度の軽さで消滅させた。

 文献上では、腐食の呪いと相性が良いと言われている古代の秘術『消滅魔法』。長く生きたサイネケンでさえも見るのは初めてだった。

 腐死の魔導師がまともな魔導師であったなら、さぞ魔法談義に花が咲いただろうに。


 離れた場所では、剣聖がその腕を存分に振るっていた。

 サイネケンは剣術には疎いが、それでもそれが人の枠に到底収まるのものではないことくらいは理解できる。あの若さで、よくぞあそこまで登り詰めたものだと素直に感嘆した。

 ほぼ間違いなく、己が主君のために常軌を逸する剣練を積んできたのだろう。でなければ、竜の鱗に容易く刃を入れる、あれほどの強さが手に入るものか。

 寡黙な男だ。五年前の時にアルベルトから聞いてはいたが、寸分違わぬ真面目さがある。


『将来私の右腕となる男が、故郷で戦ってくれています。彼は私を守るためなら、自分の命などリストニアに降る雪の一欠片にも満たないと、そう考えてしまう者です。だから、私は強くならなければ。彼が、…皆が私を守って命を落とすことがないよう』


 身体中にサイネケンの魔法を受けて文字通りボロ雑巾のように地に転がったアルベルトが、空に向けて呟いた言葉。

 思えば、あの瞬間からサイネケンは『こうなりたかった』のかもしれなかった。

 

 サイネケンの背後には、アルベルトがいた。

 自分には攻撃が届かぬと信じて、無防備に佇んだまま術を構築し続けている。  

 ある程度は騎士団たちが減らすだろうが、それでも数千は超える軍勢。その全てに同時に放たれる、解呪の魔法。

 それはファンケンラートの歴史の中でも類を見ない——。

「神魔大戦で女神エルシオラの片翼となった魔導祖シュテルンタークの役目を、この儂が担えるとは。光栄の極みぞ」

 サイネケンの周囲に、十三の魔法陣が浮かび上がる。

「では、こちらも数で参ろうか!征け、騎士たちよ!我らは長き研磨の果てに、ついに主君を得た!その剣を、リストニア侯爵閣下に捧げよッ!」

 ザン、と音を立て、炎でできた騎士たちが魔法陣から降り立った。

 サイネケンが継承する血族魔法、その極み。

 『炎卓の騎士』。

 それぞれが一騎当千の武を持つ炎の騎士が、燃え盛る剣を構える。

【……薄汚い鼠如きが】

 不動だった腐死の魔導師が言葉を発し、ゆっくりと玉座から立ち上がった。

「嫌だろう?魔導師として、騎士の接近は。儂も嫌だからな」

 ようやく引き摺り出せた相手を前に、サイネケンは獰猛に笑った。





 切り飛ばした前脚が、瞬く間に修復されていく。

 再生能力を有する魔物とは過去にも戦った記憶はあったが、ここまで際限なく再生し続ける存在はヴォルフガングの戦歴をもってしても経験がなかった。

 普通なら必ずどこかで再生に必要となる力や物質が不足する。故に再生者との戦いは、消耗戦を耐えぬいた方が生き残る。

 だがこの腐死竜には、それがない。

 ヴォルフガングはそれを、水の配給のようなものだと捉えた。


 ポンプを押せば、地下に流れる水脈から水を汲み上げることができる。水脈は有限ではあるのだろうが、人の目から見れば無限に近い。

 腐死竜は、腐死の魔導師という供給源から無限に近い力を受け再生を続けている。

 

 彼は、主君であるアルベルトや大魔導師サイネケンたちとは少し離れた場所で戦っていた。死の息吹の効果範囲から二人を引き離すためだ。 

 初手で口を落とされた竜は、再び斬り落とされるのを警戒しているのか、未だブレスは吐いてこない。

 代わりに、再生が速い尾が大きく波打った。

 尾の直撃を受けた地面が放射状に割れ瓦礫を巻き上げる。

 それを危なげなく避けると、硬い鱗で覆われた尾を再び斬り落とした。

【ギッ…!グァッ!】

 再生はするが、その分竜の怒りも蓄積していく。それが狙いでもあった。

 竜の意識を自身に集中させること。今はそれでいい。この異常なまでの再生能力を持つ腐死竜を滅ぼせるのは、力の供給が止まった時だけだ。

 上空を埋め尽くす石の飛礫が、アルベルトとサイネケンに降り注いでいる。かの大魔導師の戦いは初めて見るが、その動きは無駄がなく、一挙手一投足全てが研ぎ澄まされた刃のようだった。リストニアの騎士の中でも、あれだけの鋭さをもって動ける者は数えるほどしかいない。サイネケンが高齢の魔導師であることを踏まえると、まさに人外の領域と言えた。


 だからこそ、アルベルトは彼に師事を乞うたのだろう。

 魔導師として、遙か高みに立つサイネケンに。


 ——……ヴォルフガングは。

 アルベルトの傍にいることが、できなかった。

 主君が魔蟻の巣に迷い込んだときも。

 その後、一人で王都へ向かい、サイネケンの弟子となった時も。

 バジリスクの石化を受けた状態で古代神殿へと落ちた時も。

 それを思う度、己の心臓を掴み出し泥と土の中で踏み躙ることができれば、どれほど気が楽になるかと考える。もっとも、それさえもただの自己満足でしかなく、意味のない愚かな妄想でしかないのだが。

 生きる意味も、生きるための意志も、生きていく理由も。

 何もかも。

 この身体を流れる血の一滴までもが、アルベルト・リストニアから得られたものであるというのに。

 アルベルトがいるから、生きていられる。

 息が吸える。

 心臓が鼓動を刻む。

 そんなことを言えばきっと、悲しいほどの優しさを持つ、かの黄金は「そんなことを言うな」と叱るだろうが。

 それでもそれはヴォルフガングの中で、誰にも覆せない、決して揺らぐことのない、真実だった。


 雨に濡れる髪が、額にかかる。それを左手で払い、水を吸って重くなった騎士服の袖から見える左手首に唇を沿わせた。誰にも見せてはいないが、彼の肌にも刻まれている。

 淡く銀色に光る、同魂の印。

 アルベルトは時折、『世界を外側から見ているのではないか』と思うほどの知識を披露することがあるが、おそらく同魂の魔法に関しては文献で得られる程度の詳細しか把握していないだろうと考えられた。

 もし、『全てを理解していたら』。

 自身にかけられた術が何であるか理解した時に見せた表情が、違うものになっていたはずだからだ。


 怒りと憎悪が警戒の壁を壊したのか、腐死竜が一際大きく吠えた。ブシュリ、と尖った歯の隙間から熱が噴き出す。

 死の息吹がくる。

 ヴォルフガングは速やかに、息吹がアルベルトたちに届かぬ位置まで下がった。

 腰を落とし、剣を構える。

 彼自身は大した魔法は使えないが、それは制御の問題で魔力自体は彼の中に存在している。

「……アルベルト様、力をお借りいたします」

 そして今、彼の魂はアルベルトと共にある。

 魔法紙が二枚、宙を舞う。

「展開せよ、『紫壁の盾』」

 対腐食呪用に解呪の魔法が付与された紫壁の盾が、死の息吹を真正面から受け止めた。

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