第十三話 剣聖と大魔導師
麓の平野部は、黒い死の絨毯に埋め尽くされようとしていた。
檻から解き放たれた腐死人の群れが、第一の陣を敷く騎士団たちへとなだれ込む。
だが数の上での圧倒的な不利をものともせず、騎士たちは剣に付与された火炎を使用し、一体一体確実に屠っていく。
空を走る、魔導師隊の『爆炎』。
それは戦場であり、地獄であった。
「閣下、例の鉱夫です」
先を走るヴォルフガングの静かな声が耳に届く。
雨の中三人がひた走る、岩山の影に引っ掻き傷のように作られた細い道。その前方にゆらゆらと歩く、腐死人となった鉱夫の姿が見えた。
「一番槍は戦場の誉れ。剣聖よ、年寄りに道を譲れ」
杖を構えたサイネケンが、短く詠唱する。走る彼の足元に魔法陣が描かれたかと思うと、赤く燃える狼が飛び出した。
「——征け、『炎狼』」
炎でできた狼が、鉱夫腐死人に勢いよく喰らいつく。薄闇の中、二つの影は共に燃え上がり、腐死人の身体をあっという間に炭化させた。
(あああぁぁぁ!お爺ちゃんの血族魔法の『炎影』シリーズだあぁぁ!!滅多に使わない設定なのに、生で見られるなんて…!!)
思わず凝視してしまうアルベルトに、サイネケンがどこか得意そうに鼻を鳴らす。
「人前で見せたのは閣下が初めてですぞ。自慢すると良いでしょう」
(えぇ〜?ほんと〜!?するする!)
「ではリュシアンに自慢するとしよう。解析したがるかもしれないが」
「ふん、あの小僧ですか。あの若さで解析術の腕前だけは、それなりのようではありますな」
「それも伝えておくよ。きっと喜ぶ」
大魔導師サイネケンが直々に誉めていたと聞いた時のリュシアンの顔が、容易く想像できた。
黒い炭となった鉱夫の横を走り抜け、先を急ぐ。
アルベルトの中で『前世の記憶としての自分』が目を覚ましてから、六年。死は常に、すぐ側に存在していた。
視界の隅に、鉱夫が握りしめていた袋からこぼれ落ちたのだろう金貨が見えた。
拍子抜けするほど呆気なく、山道を登りきることができた。それだけ表の陽動が成功しているとも言える。
リストニア側からの爆炎魔法の隙間を縫って、腐死の軍勢から淡い光を帯びた矢が飛ぶ。玉座の間にいた、あの弓兵たちだ。
だが次の瞬間、空が一際明るく燃え上がり、矢が破壊される。
アルベルトはそれが、魔導師大隊を束ねる男が使用できる最大の攻撃魔法『極炎』であると気が付いた。
「あれを使える者がおりますか。リストニアの層の厚さが窺えますな」
呟くサイネケンの口元が、少し尖っている。
(お爺ちゃんって、原作でもこの世界でも、ちょっと負けず嫌いなんだよね)
アルベルトの前世の世界では、そこが良い、と人気があったキャラでもあった。
普通なら扱いにくいと感じる者が多い性格であると言える。しかしアルベルトは、特に気にしたことはなかった。なにしろ修行中、数えきれないほど叩きのめされてきたのだ。容赦なく、限度なく。
そんな思い出があるのに、今更多少拗ねようがどうしようが彼に対する印象は変わらない。
とりあえず大魔導師のモチベーションが上がりそうな言葉を探す。五年前の弟子時代に培った経験だ。
「さらなる活躍を期待している、大魔導師サイネケン」
アルベルトが声をかけると、途端に大魔導師は目尻を下げた。
「ほっほっ!お任せあれ!『煉獄』をお見せしましょう!」
(やっぱ使えるのか、『煉獄』。こっっっわ)
余談ではあるが、炎を宿す魔法は下から順に『火炎』『飛炎』『爆炎』『終炎』『極炎』『煉獄』となっている。爆炎が使えれば魔導師としては一人前。そこから先は一握りの者だけが踏み込める、上位者の領域と言われている。
アルベルトは魔導師大隊長と同じく極炎までは使用できる。だが目を閉じた状態で十メートル先まで歩いて行き、そこにある針に糸を通すかの如く精密な魔力制御が必要とされる煉獄は、未だ成功していなかった。
この世界では、いくら魔力があったとしても、それに相応しい制御能力がなければ魔法は発動しない。それが常識だ。だからこそ、すでに構築した術を組み込んだ魔法紙のような技術や、似た原理の魔道具が発展する。『カンペ』をなぞって発動できるからだ。もちろん、煉獄ほどの術式となると正確に構築でき、かつ魔法紙に組み込める者がいること前提であるが。
魔法は強力な武器だが、使い手の力量によっては宝の持ち腐れにもなり得る。
だが逆に言えばそれは、魔力量と制御力の両方が人外の域であれば、かなりの範囲で制限がないという意味でもあった。
(……原作のどの辺りだったかな。巻末のおまけでお爺ちゃんが若返りの魔法を使って爆イケオジになった話があったんだよね。あの辺りから一気に周囲にサイネケン×アルベルトが増えた記憶が……。いや、まぁ、うち?のお爺ちゃんに限っては絶対そんな展開にはならないけど)
なにしろパンケーキ大好きお爺ちゃんと、中身が腐女子なアルベルトなのだ。人気翁あるある展開などには、決してならないだろう。
(はっ!ダメダメ!ちゃんと真面目にやれ自分!)
原作の内容にリンクしそうになった思考を断ち切り、坑道にほど近い岩肌から様子を窺う。
山は、アルベルトたちが最初に腐死の魔導師と対峙した玉座の間を、周囲に見せつけるようにして崩落していた。完全に露出した玉座の間の手前、入り口に当たる部分では、腐死竜が自分は門番であるとでも言いたげにその鎌首を持ち上げている。最奥には、腐死の魔導師が座したまま戦場を見下ろしていた。
この戦いでのアルベルトの役割は、最大出力での解呪魔法を成功させることだ。その間は完全に無防備となるため、ヴォルフガングとサイネケンに守ってもらわなければならない。普通なら物陰に隠れていれば良いだけだが、逃げるわけにはいかない状況で護衛者となる二人から見えない位置に行くのは愚策と言える。
つまりアルベルトは、
今から確実に何か大きい術を使います。のこのこ出てきて、無防備になってて狙いやすいですね。私は一歩も動けませんので、頑張ってヴォルフガングとサイネケンの防御を突破して倒しにきてくださいね。
という状態になるのである。
(おんぶに抱っこで、二人には本当に申し訳ないけど……。ここで腐死の魔導師を止めないと、取り返しがつかないことになる…!)
深く息を吸い、吐き出す。
覚悟は五年前に手に入れた。
あとは仲間を信じて。
前に、進むだけ。
「——ヴォルフガング」
「御意」
岩肌を駆け抜ける、黒き疾風。
瞬く間に距離を詰めた剣聖が、刃を竜へと振り下ろす。
バクリ、と肉が割れる。
竜の口が、根本から切り落とされた。
【…、ガッ、ゴァッ!】
もんどり打って倒れた竜が、腐肉を撒き散らしながら襲撃者を探す。闇色に燃える瞳が、ヴォルフガングを捉える。凄まじい憎悪と、敵意が膨れ上がる。どうやら、突然現れた人間を『自分の獲物』と認識したようだった。
ゆっくりと立ち上がる。
斬られた箇所が、泡を立て膨らんでいく。
六年前。強者であったアルベルトの父と母を死に追いやった、その理由。
再生能力。
だがそれでも口を根本から斬り落としてしまえば、再生し終わるまではブレスは使えない。
ヴォルフガングが、静かに剣を構え直す。
「人の身で、あの竜を断ち斬るか……」
そのすぐ側を、サイネケンは堂々と歩いていた。
杖を掲げ、詠唱を開始する。
小さな火種が一瞬で大きく膨らみ、巨大な炎の渦となった。
「……清めよ、『煉獄』」
熱波が周囲に広がる。
炎の渦が玉座を包み込む。あまりの高音に、床が赤く溶け始める。
だが、それも一瞬。
「ほぉ、これは素晴らしい。消滅魔法か。初めて見たぞ」
言葉とは裏腹に瞳に強い警戒色を滲ませるサイネケンの目の前で、炎の渦が跡形もなく消え失せる。
玉座には、何一つ変わらぬまま腐死の魔導師が座していた。
次回第十四話『両翼』、第十五話『解呪の魔法』は5月19日17時更新です。




