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第十二話 それぞれの開戦

この話は五話同様、短いオムニバス形式となります。

 それは、開戦の狼煙のように見えた。

 巨大な岩山を覆っていた紫紺の膜が、天に向かって吐き出された竜のブレスにより喰い破られていく。暗い空に満ちる、より暗い闇色の力。

 死の息吹が、雨の世界を大きく震わせた。

「来るぞッ!」

 副団長の男は、多くは語らなかった。その一言で充分であったからだ。

 騎士たちが剣を構える。目視できる距離に、始まりを今か今かと待つ腐死人の波があった。


 ——檻が、破られる。


「第一先行隊!前へ!第二、第三先行隊は右翼!第四、第五先行隊は左翼へ展開!『飛炎』の魔鉱石の使用を許可する!必要とあらば起動せよッ!」

 山から溢れ出した腐死人の呻き声と、騎士たちの雄叫びが真正面からぶつかった。

 魔鉱石により強化された剣が、腐死人の身体を容易く両断する。濡れた地に倒れた腐死人が、縋るように、憎むように、生者である騎士に手を伸ばす。それを別の騎士が切り飛ばす。


 ふと、副団長の目に元ステルビア兵たちの姿が見えた。


 この半月ほどで腐敗が進んだのか、その皮膚は黒ずみ、腹部は膨れている。眼球が腐り落ちた顔には穴が二つ空いており、溶けた『中身』が黒い液体となって流れ落ちていた。

 彼らに向かって走りながら、副団長の男は憐憫の情を抱いた。

 それは死してなお、腐死人として操られる彼らの悲劇を思ってのことではなく。 

「……気の毒にな」

 炎を纏った刃が円陣を描く。

 四つの身体が、同時に割れた。


「閣下の騎士になれなかったお前らを、心底哀れに思うよ」


 あの黄金を守り抜いた四人の騎士たちは、アルベルト・リストニア侯爵の中で、リストニアの者たちの中で。

 永遠に、想われ続けるというのに。









 魔導師大隊を率いる男は、その瞬間を自身が担当する陣の中から見ていた。

 腐死竜が天に向かって咆哮し、紫紺の檻が破られる。

 騎士たちが突撃していく声と、腐死人の呻き声。

 剣戟が、雨に光る。

「攻撃隊、『爆炎』を奥に向かって撃ち込め。援護隊は騎士団へ防御及び回避向上の付与。明日筋肉痛で死ぬってくらい、かけまくれ」

 冷静に指示を出しながら、目を凝らす。

「前線の討ち漏らしにも気を配れ。一匹も逃すな。ここで必ず食い止めろ」

 攻撃隊の爆炎魔法が、弧を描きながら腐死人の群れの中に次々と着弾していく。彼らは皆、王都に行けば王の下で一級魔導師にもなれるだけの実力を持っている。

 けれど、ここにいる。

 安寧に生きるよりも、黄金の側を選んだ者たちだ。


 男には、親友がいた。

 気の良い男だった。

 古くからの付き合いがある、幼馴染だった。

 ひょっとすると恋心のようなものを抱いていたのかもしれないが、今となっては分からない。

 強い男だった。六年前のスタンピードを生き残り、侯爵夫妻を守れなかったと嘆く騎士たちに檄を飛ばし『次世代』を支えていた。

 五年前の春に、死んだ。

 初陣に挑んだ、アルベルト・リストニア侯爵を守り切った果ての最期だった。


 今朝、彼の最期の言葉が聞けた。

 アルベルト・リストニア侯爵が、語って聞かせてくれた。おそらく、誰にも聞かせたことのないだろう話を。

 侯爵の声は穏やかで、透明な悲しみに包まれていた。

 過去の傷ではなく、鮮血となって流れているそれに。


 救われた、と言ったら。

 不敬だと責められるだろうか。


 親友の死は今もなお侯爵の側にあり、その名は永遠に共にある。

 忘れ去られることなく、過去として決着をつけられることもなく。

 弔われ、続ける。

「……俺も死んだら、そこに行くんだな」

 アルベルト・リストニア侯爵は、騎士団の者たちの名前を全て覚えている。

 もし自分が死ねば、きっと墓ではなく侯爵の中で眠るのだろう。

 それがいい。

 そうなるのであれば、死など怖れるものではない。

 あの黄金に抱かれて、親友と共に眠れるのなら。

「——ま、死ぬ気はさらさらないが」 

 ざらりと顎髭を撫で、腐死人に向けて『爆炎』を放つ。

「ゆっくり休みな、エヴァン。次は俺たちが閣下を守ってみせる」 

 これは弔いの炎だ。

 腐死人となった元生者への。  

 そして、アルベルト・リストニア侯爵を魔蟻の群れから守り抜いた、誇り高きリストニア騎士であった親友への。







「負傷者が到着しました!」

 一報に、全員の顔に緊張が走った。

 にわかにテントの外が騒がしくなり、肩を支えられた騎士が入ってくる。

 左肩から、出血している。その顔は必死で抑えてはいるが、強い苦痛に歪んでいた。

 治療師長は簡易ベッドに騎士を寝かせ、全身を検分した。  

 服を脱がせると、強い腐臭がする。腐り落ちる肉の臭いだ。

「左、上腕部より鎖骨にかけて腐死人による咬傷。腐死の力の進行を確認。処置を始めます」

 用意した魔法紙を傷口に押し当てる。

「護符、起動します。『この呪いを、止めよ』」

 ごっそりと、身体から魔力が抜け落ちる感覚があった。

「——…!」

 強い眩暈に倒れそうになりながらも、なんとか耐える。護符が淡く光り、騎士の患部を包み込む。泡立っていた肉が動きを止めた。

「…起動、成功。患部の固定に入ります」

 この護符は呪いの進行を一時的に止めているだけだ。腐り落ちた肉はそのまま、想像すらできない痛みと共に残っている。

「あとは安静に。閣下が腐死の魔導師を討伐なされれば、呪いは消えます。手当てはそれからいたしましょう」

 その言葉に、苦痛に顔を歪めながらも一言も痛みを訴えていなかった騎士が、テントの天井を見ながら突然子どものように泣き始めた。

「こ、こんな、時に…、閣下の、お力に、なれ、ないなんてッ…!!」

 あ、あ、ぁ、と声を上げて泣く。

 治療師長は、胸の奥から迫り上がる感情に喉を詰まらせた。

 自身も、そうだったからだ。彼女の魔力量を考えると、護符の起動はあと数度が限度。途中までしか構築されていない、呪いの進行を止めるだけの術。にも関わらず、治療師として長年研磨してきた彼女であっても、数えるほどしか使えない。

 アルベルト・リストニア侯爵は、これから万を超える腐死人と巨大な腐死竜、そして腐死の魔導師全てに完成させた術式を撃ち込もうというのに。


 生まれ持った才能もあるだろう。リストニア家は代々強力な魔力を授かっていると聞く。

 しかし、それだけでは決してない。

 それだけなら、あの大魔導師サイネケンがあれほどの忠誠を示さない。

 アルベルト・リストニア侯爵を形作っているのは、用意された個としての器ではなく。絶望の淵で積み上げてきた、彼の力、光だ。

 その光に、王家にも属さず、魔導院で魔術を探究し続けていた大魔導師ですら杖を捧げた。


 自分たちの、黄金に。


 アルベルト・リストニア侯爵は、自らの命をリストニアに生きる者のためにあると言った。

 ならば、

「私たちが死ねば、閣下が悲しみましょう。あの方の心をお守りするのも、我々の役目です」

 彼女もまた、泣いていた。

 アルベルト・リストニア侯爵の心の中で眠る四人の騎士。

 その中の一人、かつて双剣のリカルドと呼ばれた男からもらった指輪に、手を重ねながら。

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