第二話 王城の茶会
勲章授与式の翌朝、王城からの新たな招きが侯爵家のタウンハウスに届いた。
内容は簡潔だった。 「国王陛下及び王子殿下より、アルベルト・リストニア侯爵並びに剣聖ヴォルフガング・ツェベルクへ。支度を整え登城せよ」
アルベルトは書簡を読み終えると、小さく頷き、承諾の意思を使者に告げた。
「ヴォルフガング、準備を」
「御意」
ヴォルフガングは一礼し、騎士たちに供をする者を選ぶよう指示を出す。 アルベルトは執務机の上で軽く指を組む。内心では原作を愛する腐女子だった頃の記憶をさらっていた。
(また王城か……原作ではワイバーン討伐に関連した式典のシーンはあったけど、どちらかというと読者への魔導院のお披露目が主で、重要な場面として描かれてはいなかった。ただゲーム版ではその辺りが大幅に追加されて、ルート次第で王家の争いに巻き込まれるらしいんだよね。……何だっけ…『王城陰謀ルート』……?)
アルベルトの前世の記憶の中にある『この忠誠は、永久に』、通常『このとわ』と呼ばれる物語の原作は、シリーズ物の長編小説だった。
ボーイズラブが軸ではあるが、ファンタジーの王道を踏襲した重厚で複雑なストーリー展開は男女問わず人気があり、一過性のブームに留まらず長く愛される作品として一大ジャンルを確立していた。
媒体は原作の小説を元にしてオリジナル設定を加えたアニメや舞台、ソーシャルゲームなど多彩で、ファン層も幅広い。
その中でアルベルトの前世の腐女子は、『原作至上主義過激派』だった。オリジナル展開や設定が加わったアニメやゲームには手を出さず、ひたすらに原作を愛していた。なぜなら小説のあの深く、重く、心を抉り、癒し、また引き裂くようなストーリーの描写が最高だったからだ。
制作会社の意向により、各媒体は設定に大きな変更こそなかったが、それぞれに展開が違っていた。物語にオリジナルが加わってしまったら、原作至上主義としてはそれはもはや「別の作品」だ。元の作品を上書きされてしまう気がして、手を伸ばす気にはなれなかった。
……だが結局。
どっぷりハマったその原作小説も、残念ながら完結する前に死んでしまった自覚があるため、物語が最終的にどういう結末を迎えたのかは分からないままなのだが。
どうせなら結末を知ってから生を終えたかった、とは今でも思っている。
とは言え、登城についてはただ単に『原作小説の間話』、行間に潜んでいるだけの重要ではないストーリーの可能性も十分にある。
リストニア侯爵領は王国北部を固める重要な地だ。魔物討伐の実績が目立つ今、注目を集めるのは仕方がない。
アルベルトは鏡の前に立ち、金の髪を丁寧に後ろで一つに束ね、正装の襟を整える。鍛えられた細身の体躯に刺繍が映える礼服は、相変わらず「完璧すぎて引く」レベルだった。自分でさえなければ、一日中でも眺めていられる。
タウンハウスの門の前で、見送るアレクシアが心配そうに兄を見上げた。
「お兄様、どうかお気をつけて。ヴォルフガングも、お兄様をお守りくださいませね」
「大丈夫だよ、アレクシア。夕刻には戻るから、今日は君ものんびり過ごすといい」
妹の頭を優しく撫でる。目を細めて「承知いたしました、お兄様」と微笑む様子に、アルベルトはひたすら庇護欲を燃やしていた。
動き出した馬車は、王都の街道を走り、王城の正門をくぐると馬車寄せのポーチの下で停まった。
謁見の間へ向かう。 ヴォルフガングはアルベルトの傍らに控えている。 歩きながら原作の記憶を整理していた。
(登場人物として出てくるファンケンラート王は、清濁併せ持つ王様らしい人物だった。息子の第一王子クリストフは二十三歳、第二王子レナードは十四歳。登場は王様よりは彼らの方が多い。母親が違うから派閥闘争が水面下である、らしい。クリストフは先の王妃の子で、レナードは今の王妃の子。原作のクリストフは二面性のある知略家で、普段は快活で表裏がない好人物を演じている。でも実際は冷静に状況を見据えて行動していて、その言葉にも全て意味がある。そんなタイプだった。たしかゲーム版だと彼らのシナリオがたくさんあるせいで腹黒要素も加わって、弟を陥れる暗いルートもあるって聞いたな……。関わらないのが一番だけど、関わらざるを得ないなら……何とか上手く立ち回るしかない!)
謁見の間は、磨き上げられた大理石の柱と金糸のタペストリーで彩られていた。 玉座に座る王は、すでに白髪が目立つ壮年の男性。穏やかな表情だが、目には威厳の光が宿っている。
アルベルトは深く一礼し、ヴォルフガングと共に跪いた。
「リストニア侯爵アルベルト・リストニア、並びに剣聖ヴォルフガング・ツェベルク。陛下のお招きに従いまかりこしました」
国王は満足げに頷いた。
「よく来てくれた、黄金の侯爵よ。ワイバーン討伐の功績は王国全体に響いている。北方の守りが堅固であることは、我が国の安寧そのものだ」
低く厚みのある声が、謁見の間に響く。
王は魔物の動向について詳しく聞き、リストニア領の状況について尋ねた。 アルベルトは事前に用意した報告を簡潔にまとめ、可能であるならば、と前置きした上で、近年の魔物被害の増加に関して王都の中央魔導院との連携強化案も提案した。 その内容は国王を納得させ、承諾の意を表すかのように目を細めさせるに十分なものだった。
謁見は和やかに終わった。
国王は最後に、
「王子たちもそなたに興味を持っている。東の庭園で茶を共にせよ」
と命じた。
アルベルトは一礼し、ヴォルフガングと共に庭園へと移動した。
王城の東にある庭園は、季節の花々が咲く美しい場所だった。 ガゼボの中央に円卓が設けられ、すでに二人の王子が待っていた。
第一王子クリストフ。腰元まである編み込んだ黒髪に、青い瞳。端正な顔立ちの美丈夫だが、鍛えられた肉体には剣を使うもの特有の張りがある 第二王子レナード。金褐色の髪に明るい緑の瞳、こちらは少年らしい柔らかな笑顔の美少年だ。
遠目から見る限りでは、兄弟仲は悪くは見えなかった。兄のクリストフが弟レナードの肩を軽く叩き、楽しそうに笑い合っている。気の置けない兄弟という印象だ。
アルベルトはガゼボに近づくと、優雅に一礼した。
「第一王子クリストフ殿下、第二王子レナード殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。アルベルト・リストニアが、謹んでご挨拶申し上げます。こちらは私の側近にして剣聖、ヴォルフガング・ツェベルクと申します」
ヴォルフガングは深く一礼するとアルベルトの椅子のすぐ後ろに控え、そのまま護衛の姿勢を取った。 クリストフの視線が、アルベルトに向けられる。暖かさは感じられない。むしろ冷ややかで、探るような光だった。
知略家である彼がうっかりそんな真似をするはずもない。十中八九わざとだろう。普段王都にいないアルベルトなら、今後顔を合わせる機会も少ないとでも考えて。
となると、狙いは牽制か。
(目立ちすぎる地方貴族って、目の上のたんこぶだよね〜。嫌われてるって言うより、うとまれてるって感じかなぁ。大丈夫、僕悪いアルベルトじゃないよプルプル、って某スライムの真似なんかしても信じてもらえそうにないし……さっさと領地に引き上げて敵意がないことを分かってもらうしかないか……)
アルベルトは、穏やかな笑みを崩さない。
「この度のこと、誠に光栄に存じます。北方の魔物情勢について、お聞きになりたいことがございましたら何なりと」
茶会は静かに始まった。 王子の側仕えであるヴァレットと呼ばれる従者が、メイドが用意した香り高い紅茶をカップに注ぐ。
レナードが、明るく話しかけてきた。
「侯爵、ワイバーンを討伐した時の話を聞かせて欲しい。侯爵のように魔法と剣、二つを合わせて戦う術を知りたいと思っているんだ」
「もちろんです、王子殿下。いくらでも」
アルベルトは自然に応じつつ、テーブルに視線を落とした。 薄紫の瞳が、訝しげに細められる。
(……これは)
極めて微かな力の揺らぎ。 アルベルトの魔力感知は、普通の人間では気付きようもない異変を明確に捉えていた。 レナードの杯に注がれたものに、紅茶以外の異物が混入されている。
だが、誰もそれに気付いてはいないように見える。少なくとも、表面上は。
アルベルトは騒ぎ立てず、静かに自分の行動を決めた。そっと魔法を使い微かな風を起こし、花瓶に生けられた花から一つ、小さな花弁をレナードのカップに落とす。それを理由に「この花弁を殿下からの贈り物として、頂戴したく存じます」とレナードのカップと自分のカップを交換させた。そして、さりげなく周囲に目を配る。もしこの場に王子の紅茶に何か入れた者がいるのなら、カップが交換された事に少なからず動揺を見せるだろうと考えての事だ。
だが……。
(誰も気にする素振りを見せない。…ヴァレットの人が謝りながら花瓶を片付けたくらいか)
ヴァレットが入れたのなら、アルベルトが紅茶を口にするのは想定外だと考えるはずだ。花瓶ではなく、カップをアルベルトから遠ざけようとするだろう。
(ということは、お茶じゃなくてもっと早い段階でカップ自体に仕組まれていた……?なんにしろ、調べれば異物の正体くらいは分かるはず。この場に犯人がいないのは逆にありがたいかも)
花弁を持ち帰る名目でスプーンでカップから掬い上げ、付着した紅茶と一緒にリストニア家の紋章が刺繍されたハンカチで包んだ。淡い茶葉の色が、白い布を小さく染める。
茶は飲むふりをして、冷めた頃に温かいものへの交換を理由にカップごと変えた。
茶会の時間は、穏やかに流れた。 クリストフは相槌を打つ程度だが、レナードが楽しげに魔法の話題を振ってくる。
それは、登城した時には高い位置にあった太陽が西に傾き始めるまで途切れることなく続いた。
アルベルトが控えめにいとまを告げたのは、魔境に住むとされる魔狼の生態について話し終えた頃だった。
席を立ち、二人の王子の間にそっと身を屈める。茶会への礼を伝えているかのように。
そうして、声を低くして告げた。
「……花弁が落ちたカップに、異物が混入されておりました。身辺、十分にお気をつけください」
クリストフの表情が硬くなった。 とっさにアルベルトを疑う冷たい視線が飛ぶ。
「……侯爵、何を根拠に」
アルベルトは静かに、しかしはっきりと答えた。
「私の魔力感知は、魔境の最前線で磨かれたもの。微かな違和感も見過ごしません。……けれど、ここで騒ぎにするのは得策とは言えないでしょう。異物は、私の方でお調べいたします」
クリストフは、しばらくアルベルトを見つめ。
やがて、頷いた。
「……わかった。承諾しよう」
レナードは驚いた顔をしたが、兄の判断を尊重し口を挟むことはしなかった。
アルベルトは一礼し、ヴォルフガングと共に庭園を後にした。
王城の回廊を歩きながら、一連の出来事を前世の記憶と照らし合わせつつ思い返す。
(茶会での事件……原作にはなかったから、ゲームのイベント……?私、めちゃくちゃ疑われてたなぁ……。地方貴族がいきなり、『一服盛られてましたよ』なんて言い出したら仕方ないか。いや、私だって出来れば関わりたくないんだけどさぁ!十四歳の子どもに何か盛るなんて許せないでしょ!)
心の葛藤などまるで周囲には悟らせず、侯爵家の馬車へと戻る。
タラップを上がろうとしたところで、ヴォルフガングが手を差し出してきた。
「閣下、先程のハンカチを」
「……気付いていたのか?」
茶を染み込ませたハンカチの事だ。素直に渡すとヴォルフガングはそれを更に自身のハンカチで包み、胸元にしまった。
「何の為かまでは、殿下たちにお話になるまでは。……しかし、また自ら危険に飛び込まれたのだろう、とは思いました」
「……返す言葉もないな」
苦笑しつつも心の中では
(さっすがヴォルフガング!この鼻の効きっぷり!『このとわ』シリーズの忠犬枠!)
と騒ぎ立てている。
「閣下が無茶をなさるのは、いつものことですから。……その時に、私を遠ざける真似だけはなさらないでください」
「肝に命じておくよ」
軽く答えたのがいけなかったのか、ヴォルフガングの眼差しが強くなった。
アルベルトは原作と、そして今ここにいる彼も、不器用なほど真面目な男だったと改めて思い出す。
笑みを深めると、銀灰色の瞳を真正面から見つめた。
「遠ざけたりはしない。君が私から離れたいと願わない限りは」
(こんな『動く眼福』を私から遠ざけるなんてありえないけどね!……ただ、私が知らないゲーム版だとそういうルートもあるのかもしれないし。ヴォルフガングの忠誠を裏切ったり失望させたりしないように頑張ろう…!)
アルベルトとしての言葉は、今度はヴォルフガングを納得させたようだった。しかし同時に、より強い感情が瞳に宿ったようにも見えた。
「私があなたから離れるなど……。それこそ杞憂です、閣下」
それきり、ヴォルフガングは口を閉ざした。
馬車が来た道を戻り始める。
アルベルトは遠ざかる王城を、一度だけ振り返った。
タウンハウスに戻るとすぐに、紅茶が染み込んだハンカチを王都にある中央魔導院へ送るよう手配させた。届け先は、才ある子爵家の三男坊だ。侯爵位を継いだアルベルトが十三になった年、中央魔導院の寮でしばらくを過ごした。その時に出会った、友人と呼べる存在だありがたいことに。「力になれることがあれば、いつでも言ってくれ」と、今でも頻繁にやり取りを続けてくれている。王都に来た初日に書簡を送った相手も、この友人だった。
さすがに王家の茶会での物とは伝えられないが、実力もあり豊かな領地を一人で治めるアルベルトには魔物ではない敵も多い。深くは追求せずに、調べてくれるだろう。そして、魔法を使用した解析なら、彼の右に出るものはいない。 書斎の窓から見える白い王城に目を向ける。レナードはまだ十四歳。前世にいた国なら、まだまだ子どもとして扱われていい年齢だ。
何がいつから盛られていたのかも今はまだ分からないが、彼を害する意思が存在することだけは確かだった。
「どんな理由があろうと、子供を傷付けさせはしない」
その言葉に、控えていたヴォルフガングもまた、静かに頷いた。
王都の空が、夕焼けに染まり始めていた。
※レナードは統一感としては「レナルド」と表記するべきですが、名前の響きがみんな似たような感じになるのであえてレナードとしています。




