第一話 ワイバーン討伐
リストニア侯爵領の最北部は、魔境の森と接する戦いの最前線だ。 魔物の凶暴性を高めると言われている瘴気が増す季節になると、領民たちは不安な日々を過ごすようになる。小さな村では夜の間は一番頑丈な建物に集まり、一晩中火を焚き、身を寄せ合う。遠くから魔物の咆哮が聞こえるたびに震え上がり、早く夜が明けることを願う。
長く続く、苦しみの季節。
だが近年ではその不安が、わずかずつではあるが払拭されつつあった。
アルベルト・リストニアが騎士団を率いて、森へ踏み込んでいく。 金色の髪を後ろで一つに束ね前だけを見据えて歩む様は、まるで絵画から抜け出てきた麗しき闘神そのものだ。
ヴォルフガング・ツェベルクが、夜裂きの剣を構える。剣聖の名に相応しい彼の剣筋は、闇すら切り裂く一条の光の如き鋭さを持っていた。 魔物の群れが、たちまち蹴散らされる。
その日。
最大の脅威となったのは、巨大なワイバーンだった。
おそらくは、ここしばらく魔物の出現が増加していた原因だ。アルベルトはヴォルフガングの元に届いた調査書から、それを予想していた。
魔境の大森林で何かが起き、通常なら森の奥にいる強者が浅い場所まで降りてきた。魔狼や魔鳥はそれに追い出される形となり、数を増やして人や家畜を襲った。
つまり原因さえ倒してしまえば、とりあえず外に流れ出る魔物の数は元に戻る。というのがアルベルトの考えだった。
さすがにその原因が、竜だとは思わなかったが。
翼を広げれば家を一つ抱えられるほどの大きさの魔竜。炎のブレスを吐き、鉄よりも堅い黒鱗を持つ上位種。凶暴なワイバーンは、村を焼き払う寸前だった。
アルベルトは迷わなかった。 鋭く魔竜を見据え、魔力を解放する。
「——『紫天の鎖』」
瞬間、空から無数の紫光の鎖が降り注いだ。
鎖はワイバーンの翼を突き破り、次々と地に突き刺さる。自身が地面に縫い止められたと気付いた黒い巨体が、咆哮を上げブレスを放とうとした時には、アルベルトは既に別の一手を打っていた。
「『星穿ちの矢』」
放たれた一筋の光の矢が、堅い鱗に覆われた胸を貫いた。 爆発的な魔力の奔流が魔竜の体を内側から焼き、巨体が大地に叩きつけられる。
そこにヴォルフガングが飛び込み、一太刀で骨ごと竜の首を刎ねた。
ワイバーン討伐の報せがもたらされるやいなや、領民たちは歓声を上げた。
アルベルトは森にほど近い村に戻ると、避難していた者たちを安心させるように微笑んだ。
「もう大丈夫だ」
その言葉に若い母親が子供を抱き上げたまま涙を浮かべて駆け寄り礼を述べる。 アルベルトは優しくその子供の頭を撫でた。
——夜。
城の執務室で報告書に目を通すアルベルトの横で、ヴォルフガングは変わらず静かに控えていた。
「閣下のご武勇、改めて畏れ入ります。ワイバーンをお一人で拘束されるなど……」
「君がとどめを刺してくれると分かっていたから、安心して足止めに集中できた。それだけだよ」
アルベルトは穏やかに答え、瞳を柔らかく細めた。 内心では
(あっぶなかった〜!あのブレス、まともに喰らってたら今頃こんがりだよ!それにしても、今日のヴォルフガング様も激強で最高〜!原作でもこれぞ騎士!って感じだったけど、現実で見ると破壊力五億倍増し……!特等席で見られて眼福だった〜ありがたや〜!騎士団のみんなも見てたよね!?目をキラキラさせてる人とかいたもんね!惚れとけ、ヴォルフガング様に〜〜!!)
と大暴走していた。
しかしながら、やはり表向きは完璧な侯爵そのもの。
巨大な魔竜を打ち倒そうと、それで魔物の脅威が去るわけではないため、心の中で「怖すぎるぅぅぅ!」と叫びながらも変わらず剣を振るう日々が続いていく。
山積みとなる領政の書類を次々と処理し、領地内から届けられる支援要請に自ら足を運び、時折妹アレクシアの部屋に顔を出して「今日はどんな本を読んだのかな?」と家族の時間を過ごす。
そんな毎日が続き。
王国から勲章授与の勅令が届いたのは、ワイバーン討伐から半月後のことだった。
「女神エルシオラの名の下、アルベルト・リストニア侯爵にファンケンラート王国軍事勲章・第二等を授与する」
王都への招待状には、そう記されていた。
難易度が特に高い魔物の討伐に最も貢献した者へ送られる勲章だ。 アルベルトは招聘を受け、準備を整えた。 アレクシアを伴い、ヴォルフガングを筆頭とするリストニア騎士団二十名と共に王都へと向かう。
旅路は十日。 街道沿いの村々では、侯爵の勲章授与を聞きつけた領民たちが道端に並び、祝いの声を上げて手を振った。 アルベルトはそれらに、馬上から優しい笑みを浮かべて応えた。 また道中、荷馬車を引き連れた商隊に会うと魔物の脅威がない安全な道案内をし、子どもに祝福を授けて欲しいと願う母親が声をかけてきた時には自ら子どもを抱き上げ祝福の祈りを捧げた。
王都に到着した一行は、侯爵家のタウンハウスに落ち着いた。 リストニア城程の大きさはないが、それでも王城にほど近い場所に位置する石造りの豪邸はリストニア家の格式を象徴するようだった。 アルベルトは到着後、騎士団に休息をとるように命じると王都にある全ての魔導院の総括である『中央魔導院』にいる友人に書簡を出し、しばらくは王都に滞在する旨を告げるなどして数日を過ごした。
そして、勲章授与式当日——。
荘厳なる大広間は、式典を祝う貴族たちの華やかな正装で埋め尽くされていた。 天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、光の粒を降らせている。
式典に先立ちアルベルトたちが入場した瞬間、広間にざわめきが起こった。
先頭に立つアルベルト・リストニアは、侯爵家の正装を纏っていた。 胸元までの金の髪を際立たせる、濃紫の礼服。 肩にはリストニア家の肩章、腰には儀礼用の細剣。引き締まった体躯は細身ではあるが、彫像のように美しい。 その隣には桃金色の巻き毛を優雅に結い上げたアレクシアが、薄紫のドレスで寄り添う。
二人の背後に控えているのは、ヴォルフガング・ツェベルク。
リストニア騎士団団長として正装した彼は、黒を基調とした生地に金の刺繍が施された騎士服を身につけている。長身で筋肉質な体躯は、神に愛された英雄のようだった。
アルベルトはヴォルフガングの姿を見て、穏やかな笑みを浮かべた。
「ヴォルフガング、今日の君は特に凛々しいな」
声は優しく、気品に満ちていた。
しかし案の定、内心では——、
(かっっっこよ!!!なんだこの正装姿、破壊力エグすぎ……!なんで私はアルベルトなんだ〜!壁になって美形二人が並ぶ様子を凝視させてくれ〜!それが無理ならその辺の虫にしてくれ〜!飛び回るから〜!)
とローリングしていたが、表情に出そうになった所で、なんとか無事に現実に戻ってきていた。
(……もう少しで叫び出すところだった……。しかし今は自分とは言え、アルベルトのかっこよさもすごいよね。前世を思い出してから6年経っても、毎朝鏡見て腰抜かしそうになるもん。まぁ、中身は原作の優美なアルベルトとは似ても似つかぬ私なんですけど。手とか剣だこあるし、爪先も割れてるし……、っていうかこの間、討伐戦でまた何枚か剥がしたし……。原作のアルベルトに申し訳ない……頑張ってもっと強くなろう……)
そんなアルベルトの内心とは裏腹に、授与式は厳かに執り行われた。
広間の最奥、赤い絨毯が敷かれた壇上。その中央の玉座には、当代の国王、セオドア・ファンケンラートが座り、左右には王族と重臣、宰相であるグルノー侯爵が並んでいる。 王から勲章が授与され、アルベルトは玉座の前で最敬礼の形をとる。
「この栄誉を、魔物の驚異に晒されながらも日々強く生きるリストニア領民、そして共に戦う騎士団たちと分かち合うことができれば、これに勝る喜びはございません」
その言葉に、広間全体から拍手が沸き起こった。 貴族令嬢たちは頰を赤らめ、扇で顔を隠しながら「黄金の侯爵様……本当にお美しい」と囁き合う。 アレクシアは「お兄様、おめでとうございます」と目を潤ませていた。
式の後は、伯爵位以上の貴族たちを集めた晩餐会が開催された。 城のシェフが腕によりをかけた食事が終わり、アルベルトは次々と挨拶にやってくる貴族たちに完璧な笑顔で応対した。 魔物に関する情報の共有をし、領内の特産品を贈り合う約束をし、騎士を目指す青年にアドバイスを送る。
ヴォルフガングは背後に控えながら、そうした主の姿を見守っていた。
彼の主君は、完璧な存在だった。
才能に胡座をかかず、努力を惜しまない。危険な討伐戦でも先陣を切って剣を振るう。
いくらヴォルフガングが主君の安全を訴えても「君が背中を守ってくれるだろう?」と譲らない。
本当は。
できるなら、安全な城で、戦うことなく過ごしていてほしいというのに。
アルベルトの手は、その繊細で美麗な姿からは想像もできない、剣を振るう男の手をしている。それは彼が弛まぬ努力を続け、傷付きながらも何度でも立ち上がり、領地を、人々を守り続けてきた証だ。
ヴォルフガングは、自覚していた。
アルベルトの為に生きることこそが、存在意義である、と。 自らの命など、彼の安全に比べればリストニアの冬空に舞う一粒の雪よりも軽い。
自分はそういう存在である、と。
故にただ、主君の傍らに控え、直向きに見つめていた。
アルベルトはそんなヴォルフガングの内心には気付かず、考えていた。
(原作のヴォルフガング様はアルベルトのことが好きすぎて、物語の中だとちょくちょく態度に出てたんだけど……。中身が私だからか全然そんな様子がないんだよね。いや、態度に出されてもどうしたらいいのか困るから良いんだけど……。これが転生あるあるの『原作の流れとは違う…!?』ってやつか……。さすがヴォルフガング、中身が私のアルベルトだと惹かれない、その精神!嫌いじゃない!むしろご褒美!)
二人の想いは、斜め上ですれ違ったまま。
王都の夜は長く、シャンデリアの光が二人の姿を優しく照らしていた。




