第八話 大魔導師サイネケン
丸一日眠って目を覚ました後。
ものすごく、叱られた。
まず治療師長から、叱られた。
「臓器に尋常じゃない圧がかかって破裂寸前になってました。抗菌薬…じゃなかった、マルネ草の注射が間に合わなかったら、お腹全部腐ってましたね。腐りたかったんですか?ダイエットですか?ウェスト5センチとかになりますよ?そもそもなんで黙ってたんです?」
治療師長の詰め方、怖い。
その次にアレクシアちゃんから叱られた。
「お兄様が無茶をなさるお方だとは存じておりますが、限度というものがございますわ。血を吐いて倒れられたと聞いた時の、わたくしの気持ちをお察しくださいます?見られなかったんですよ?喉に詰まった血の塊を吸い出し——、いえ、なんでもございません。罰として、今回の一件が終わりましたら、わたくしの願いをなんでも一つ叶えてくださいませ」
アレクシアちゃんの願いなら、いつでも何でも叶えるのに。
それからリュシアンに叱られた。
「君さぁ、リストニア領主でしょ?君が倒れたら、誰がリストニアを腐死の魔導師から守るの?痛みを隠すとか一番やっちゃいけないんじゃないの?領民を思うなら、まず自分を大切にしなよ」
これは効いた、すごく耳が痛い。友人ならではの、厳しい意見。素直にごめんなさいした。
その後、目の前で突然倒れられた副団長にも叱られた。
「あれはあんまりですよ、閣下。お腹腐りかけてたんですって?全身どこもかしこもピカピカだから、お腹はちょっと腐らせておこう、ってノリなんですか?そんなことになったら、リストニアの騎士全員が一瞬で腐って死ぬんでやめてください」
ガンギマリの目で言われて、怖かった。
最後に、ヴォルフガング様に叱られた。ただし、これは言葉ではなく行動で。
食事と着替えの世話を全部ヴォルフガング様にやられた。彼だって怪我をしてるのに。それを指摘したら『それも含めてです』と返された。怪我をしてる人に世話をさせることを申し訳なく思う、それ自体も罰だと。ひどすぎる。
あと、着替えの時にどうしても指が触れるのが駄目すぎた。恥ずかしいし、毎回びっくりして身体が跳ねるから、もういいって言ってるのに絶対聞いてくれなかった。ひどすぎる。
そんなわけで。
腐死の魔導師との魔力の押し合いで内臓にダメージを負った状態で魔力切れを起こし、さらにそのまま雨に打たれ、しかも長時間馬車で内臓を揺らし続けるというセルフ拷問された肉体が、『完全に根を上げた状態』があの夜の出来事だった。
アルベルトが眠っている間に、坑道の中で起きたことはヴォルフガングと門兵が、紫紺の檻についてはその場にいた騎士たちが説明し、魔法の効果の補足をリストニア家の血族魔法について知るアレクシアが行っていた。これも本来ならアルベルトが自分でしなければならなかったのだと思うと、セルフ拷問の申し訳なさが際立つ。迷惑かけまくりである。
目覚めるまで一日。アルベルトの回復力をもってしても、そこからまともに動ける身体になるまでに二日を要し、治療師長の許可をもらって部屋から出られたのはあの夜から三日目の朝のことだった。
三日もあれば、事態は色々と動く。
まずはステルビア家が動いた。何とも底意地が悪い方向で。
アルベルトが倒れた後、安全を確認してからグローリアはさっさと自領に戻った。おそらく護衛騎士A〜Cの誰かが、腐死の魔導師の危険性について進言したのだろう。
そうしてステルビアに帰ったグローリアは、『腐死の魔導師を復活させたアルベルト・リストニアは、自分だけ城から逃げ出した』とステルビア領地中に嘘を言いふらした。
さらにそこにステルビア家当主グリズリが参加し、『アルベルト・リストニアは、ステルビアがリストニアの民を守るために派遣した兵を見捨て置き去りにした』とも言い出した。
それを知ったリストニア領民の怒りは凄まじかった。
アレクシアなどは「お兄様、今からわたくしが口にする言葉。どうかお聞き逃しくださいませ」と前置きしてから、「あのクソ女、しばいたろか」と口にした。この時あまりに驚いたアルベルトは、アレクシアを五度見した。
しかしステルビアの話は言いがかりでしかないが、彼らの兵が弔われることなく腐死の魔導師の下にいるのは事実である。ステルビア側もそれに気付いており、『兵を救出する』名目で戦いの準備をしている。
おそらく狙いは、あの鉱山。
領地戦を仕掛けて、彼らにとっての宝の山を切り取るつもりなのだろう。万が一それが成功したとしても、鉱山には腐死の魔導師がいるのであるが。
だがこうなれば、こちらも総力戦である。
もちろん、ステルビアを相手にするための戦力などではない。
まずアレクシアは採掘された鉱石が魔鉱石だと判断された段階で「詳しくは言えないが近々ステルビア家がリストニアに何か仕掛けてくるかもしれない」といった内容の手紙をレナードへと送っていた。その際「二人だけの秘密の言葉を使いましたので、ステルビアの間者がいても漏れていないはずです」とアルベルトは聞いている。
結果、今朝になり王都からステルビア家へ二人の王子の連名で茶会への招待状が届いた。
これにはグローリアもホクホクで、断ろうとする父親を説得して、馬車十台と共に出発したと諜報から連絡があった。ステルビアから王都までは、馬車で七日ほど。父親が王子たちに挨拶だけして蜻蛉返りしたとして、往復の日数は半月。次の新月までには、ギリギリ戻れない計算になる。
これで腐死の魔導師が紫紺の檻の中にいる間は、ステルビア兵、及びステルビア騎士団が領地を越えて戦を仕掛けてくる可能性がなくなった。
それだけで随分気が楽になる。
下手をすればファンケンラート存亡の危機だと言うのに、人間同士で足の引っ張り合いをしている場合ではない。
次にリュシアンが中央魔導院主席研究員として、魔導院へ正式な応援要請を出した。何人か優秀な人員を手配してもらえるはずだと言う。
助かる。純粋な戦力増加は、いくらあっても困らない。
アルベルトは王家へ腐死の魔導師の再来を報せると共に、ステルビア以外の領地への領民の一時的な脱出を認める要望書を申請した。その上でリストニアに残る者に対して、次の新月の日は、必ず近くの大きな町に避難することを伝えた。
ここはアルベルトの前世が暮らしていた世界とは違い、ある一定の基準を満たす特殊な職業の者を除き、定住目的での新天地への移動は基本的に禁止されている。かつての世界では首都に経済と人口が集中しすぎた結果、地方が衰退していった。それを思うと、長い目で見ればメリットがあるのかもしれない。
腐死の魔導師は、あれから沈黙を続けている。魔鉱石が露出した山肌は淡く光り続け、アルベルトが作り出した結界の中で腐死人が歩いている様子が監視者の目からも見えていた。腐死竜は普段は寝ているが、時折起きて退屈だとでも言いたげに咆哮を上げている。
荷馬車を総動員して、避難場所となる町へ物資を運搬する。食料品、生活品、医療品、そして武器や防具。
六年前腐死竜が出現し暴虐の限りを尽くした時は、討伐されるまでに千を越える死者が出た。
打てる手は、全て打つ。
そうして。
腐死の魔導師が現れた日から数えて、十日が経った。
——早朝。
「……リュシアン、中央魔導院からの応援は優秀な魔導師数名、ではなかったのか」
「……僕はちゃんと書いたよ。アルベルト・リストニアと共に伝説の災厄と戦ってくれる魔導師を送ってくれ、って」
リストニア城。その城門の前に立ち、領主アルベルト・リストニアと中央魔導院主席研究員リュシアン・ウィーバーは肩を並べてヒソヒソと話し合っていた。
二人の後ろには、ヴォルフガングを先頭にリストニア騎士団が規則正しく整列している。
国賓を迎える時の待遇である。
小雨が降る中、馬車がやってきた。
四人乗りの、質素な馬車だ。
アルベルトたちの前で停まると、中から三名、先に降りてくる。中央魔導院紋章を刻んだアミュレットを首から下げた魔導師たちだ。アミュレットはそれぞれ階級に応じて石の色が違う。彼らの色は、白。それは魔導師の階級の中でも最も高い、第一級を意味する。
アルベルトの隣にいたリュシアンが「わぁーお…」と呟いた。
それから、
魔力を帯びた重圧と共に、最後の一人が馬車から降りてくる。
第一級魔導師たちが、深く礼をする。
アルベルトとリュシアンも、同じように頭を下げた。
「……腐死の魔導師から逃げて帰ってきたそうだな」
(やばいやばい、もう怖い。五年ぶりの再会が激怒から始まるとかどうなの)
大魔導師サイネケン。
その圧倒的な魔力は質量となり、その場にいた者たち全てに重力としてのしかかる。
「申し開きを、してみよ」
「しようもなく、事実です。あの場では、勝てる道筋が見つかりませんでした」
言って、顔を上げる。
五年ぶりに見る師の顔は、別れた時のまま何一つ変わっていなかった。
(……なんで変わらないの。何歳なのこのお爺ちゃん……怖くて聞けないけど)
「あの災厄の腐死竜を手駒として使うほどの存在か。……今の汝では、まず勝てぬであろうな。無駄死にするだけだ、そこの後ろの騎士たちと共に」
(はっきり言うなぁ。本当のことだから仕方ないけど。……アルベルトのチートスペックってあくまで人類基準だから、原作中でも苦戦描写が結構あったんだよね。……でもねぇ、お爺ちゃん)
「けれど、それでも前に進まなければ。ここが人々の砦となるのであれば、なおさら。……我が師サイネケン、これが私の生き方なのです」
ここで逃げても何も変わらない。寿命が少し伸びるだけだ。檻から出た災厄は、死の嵐を起こすだろう。全ての命に対して、平等に。
いつのまにかサイネケンから発せられていた圧が止まっていた。
「よく、顔を見せよ」
皺だらけの手が伸びてくる。頬に触れ、摘まれる。それからアルベルトの頭の上に移動しぽんぽんと撫でた後、ゆっくりと下ろされた。
一歩下がったサイネケンが、深く腰を折り曲げる。
「大魔導師サイネケン、微力ながら馳せ参じました。我が力、閣下の一駒として存分にお使いください」
おぉ、と人々の感情がうねる声が聞こえた。白いアミュレットをつけた魔導師たちも面食らったような顔をしている。リュシアンに至ってはアルベルトに届く声で「やばいもん見た…!」と小さく騒いでいる。アルベルトに聞こえているのだから、サイネケンにも聞こえていると思うのだが。
(後で怒られそうなリュシアンは置いといて。お爺ちゃんの助っ人、ほんっとうに助かる!この人、作中でも『こんだけ強キャラ感出してて実際噛ませにならず期待を超えてめちゃくちゃ強いとかあるんだ』って有名だったからね。ヴォルフガングが超物理特化なら、お爺ちゃんはバキバキの魔法特化。ありがたやー!おっと、お礼お礼!)
サイネケンの言葉を受け、アルベルトも騎士の礼をとる。
「大魔導師サイネケン。あなたの協力に、心から感謝申し上げる」
二人の視線が交わり、どちらからともなく自然笑みが溢れた。
「まずは朝飯だ。弟子よ、久しぶりに儂にあれを作れ」
荷運びの指示を同行した魔導師たちに出しながら、サイネケンがアルベルトを見た。
「あれ、まだお好きなんですか?
あれとは、アルベルトがサイネケンの元で修行をしていた時に気まぐれに作っていたパンケーキのことである。
あまり甘い物は口にしないアルベルトだが、極度の疲労と精神的な緊張の連続にある日「糖分!糖分!」となってしまい、前世で培った料理スキルを駆使し某絵本のような綺麗な焼き目のパンケーキを作ったのだ。そしてそれをたまたま口にしたサイネケンが以降「作る時は必ず儂の分も作るように」と指示をしたため、当時のアルベルトは時々師とテーブルで向かい合ってパンケーキを食べるという不思議な時間を過ごすようになっていた。
うむ、と仰々しく頷く師に少し苦笑しながらも「分かりました」と返す。
「特製のパンケーキですね。師の分は三段重ねにして、巣蜜を乗せましょう」
「うむ、うむ」
「飲み物は温めたミルクでよろしいですか?」
「うむ、うむ」
(あ〜かわいい〜。こういうところがあるから、サイネケンお爺ちゃん、どんなに怖くても大好きなんだよね。修行は鬼だけど)
「えっ!?アルベルトの手料理!?なにそれ!僕も食べたい!!作って!作って!」
「大したものじゃない。ただのパンケーキだよ」
「いや、この世で最も価値のある物にエントリーすべき逸品でしょ!」
騒ぎ出したリュシアンに「わかったよ」と返す。作る側としては、一人分も二人分も手間はそう変わらない。
だがリュシアンは自分だけでは悪いと思ったのか、後ろを振り返り声をかけた。
「剣聖も食べるよね!?アルベルトの手料理!」
「……!」
ヴォルフガングが、雷の直撃を受けた様な顔をした。
(えっ?何その顔、初めて見た!作れるの!?て顔してない?失礼だな!こう見えて前世じゃ毎日自炊してたんだぞ!)
「ヴォルフガング、君の分も作ろうか?甘い物、好きだろう?」
(そんで、私はヴォルフガング様が甘い物好きだって知ってるんだからね!好きな食べ物はお芋が入った蒸しパン!好きな果物はイチゴ!最近ハマってる飲み物はソイティー!えっ?私?私は肉が好きですッ!アルベルトの顔でめちゃくちゃ骨付き肉とか食べてる!ごめんなさい!)
うっかりヴォルフガングが甘党だとバラしてしまったことには気付かず問いかけると、剣聖は何度か逡巡するように視線をさまよわせた後、「ご面倒でなければ…」と答えた。
(いいよ、いいよ!こうなったらアレクシアちゃんの分も作るし!みんなでサイネケンの歓迎パーティーしようぜ!)
「決まりだな。では後でアレクシアも連れて食堂に来てくれ」
騎士たちが謎にざわついたままだが、そのうち静かになるだろうとサイネケンたちを先導して城内に入る。
アルベルトたちの背中を見送りながら、騎士の一人が呟いた。
「剣聖と大魔導師に振る舞われる黄金の侯爵の手料理……、なにそれ神の晩餐?」




