第七話 これ勝てるんですか?
玉座に座る、一体の腐死人。
その頭部の肉は腐り落ち、半分骨が見えている。眼窩には何も嵌っておらず、軟骨が落ちた鼻はわずかにへこんでいた。
長い年月が経ったのか、腕や足は白骨化している。胴体は布に覆われて見えないが、おそらく似たようなものであると推察された。
アルベルトの隣で、門兵が腰を抜かして座り込んでいるのが見えた。
【——…我が地に踏み入るネズミが】
ズン、と身体に圧がかかった。
耳鳴りがして、立っていられないほどの。
だが、アルベルトは真っ直ぐにその腐死人を見ていた。
少しでも、情報を持ち帰るために。
腐死人の、いや、腐死の魔導師がその骨となった手を掲げる。
【死で、償え】
(交渉させてくれない感じっすかーー!!)
「…っ!撤退する!入り口まで下がれッ!」
腐死人の魔導師の背後から、数えきれないほどの腐死人が溢れ出てくる。門兵の腕を掴み無理やり立たせると、背に庇う。弓を持つ腐死人が撃った矢を剣で叩き落とす。手に走る、魔力による独特の痛み。
(何かの属性が付与されてる!?あ、やばい!これひょっとして!?っていうか、今出現した弓兵腐死人の武器全部にコレ付与されてる!?無理無理無理無理!むーりー!!勝てるかー!一旦撤収ー!)
【腐死なる竜よ…、全てを刈り取れ】
(は!?今何て……、あれ、は……)
魔導師の声に呼応して、一際大きなうねりが広間を包む。
錆びた金属同士を擦り合わせた時のような、不快な音。生き物の断末魔と嘆きを合わせた様な声。
その身体は腐りながらも再生し、また腐るを繰り返す。周囲に腐臭と、腐敗によるガスを撒き散らし、命を刈り取る『死の息吹』を吐き出す。
災厄の魔物、腐死竜。
「あれは父上と母上が倒したはずだ…!まさか召喚術の一つにすぎなかったと…!?」
(いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない!ブレスが来る!)
「ヴォルフガング!私の後ろに来い!命令だ!」
「…御意!」
(死の息吹には強大な魔力が含まれる。物理特化の彼じゃ防げない!頼むよ!アルベルトのチートスペック!)
竜がその巨大な口を開ける。
腐った喉の奥に見える、黒い渦。
アルベルトは降り注ぐ矢に対して防御壁を展開しながら、両手を突き出し、目の前に光り輝く盾を生み出した。
「……紫壁の盾ッ!!」
(リストニア血族魔法『紫紺の魔法』シリーズその②!アホみたいな量の魔力消費と引き換えに、あらゆる攻撃を防ぎます!あと念の為あの魔法も重ねがけー!)
腐死竜の息吹が恐るべき熱量と質量をもって三人に襲いかかる。
そしてそれは、先頭にいるアルベルトに最も強く。
「…っ…!」
(いだだだだだ!!!魔力で火傷する!!そういえば、あらゆる攻撃を『完璧に』防ぐとは書いてなかったですね!)
渦巻く闇色の力の一部が、盾を乗り越えてくる。
だがここでアルベルトが自身の防御のために腕を下ろせば、盾が消えてしまう。
(あ、これは両腕めちゃ痛コース)
仕方ない、と痛みを覚悟する。
その身体を背後から包む者がいた。
アルベルトの腕を守るように、ヴォルフガングがその腕を重ねている。
黒い息吹が、アルベルトよりも鍛えられた腕に巻き付く。ジュッという音と共に、皮膚が焦げる臭い。
「……ヴォルフガング!!」
「問題ありません」
(ありすぎ!早く!早く切れろブレス!!)
残りの数秒が永遠にも思えるほどの時間。
目の前で焼けていく腕をただ見つめる。
(怪我!!いや、大丈夫!腐死竜による傷では腐死人にはならない!だからヴォルフガングの怪我は大丈夫!)
グルルル、と最後に一鳴きして、竜がブレスを吐き終える。この技は、腐死竜の中でも特別なものだ。連発できるものではない。
ヴォルフガングの腕からは薄く煙が上がっている。袖をぐっしょりと濡らしているのは、彼の血だ。
今すぐ服をめくって確かめたい気持ちを抑え、アルベルトは撤退のための策を練る。なんとかして、この広間を出て坑道に戻り、麓まで辿り着かなければならない。
腐死の魔導師へと目をやる。逃がしてくれる隙があるといいのだが。
【…………】
しかし。
不思議なことに腐死の魔導師は、一向に次の手を仕掛けては来なかった。
いつのまにか、降り注いでいた矢も止まっている。
(な、なんか分かんないけど今のうちだ!!)
もう一度「撤退!」と叫び、門兵を先に行かせる。広間を突っ切り、抜け穴が空いた坑道へ。
そして入り口まで走ってきたところで、大きく地面が揺れた。
禍々しい気配が、山を覆い始める。
アルベルトは採掘長の遺体を背中に担いだ。
「すまない!もう一人を頼む!』
「はいッ!」
門兵が警備兵を背負い、走り出す。一本道を下り、詰所を抜け、麓へ。
「閣下!」
戦線を敷いていた騎士が、アルベルトを見て駆けてくる。
「全ての腐死人が一斉に山へ戻り始めました。これは——……」
再び、大きく地面が揺れた。
轟音と共に、山の中腹、坑道があった一帯が崩れ落ちる。
魔鉱石の光が辺りを照らす。
空を裂く、竜の咆哮。
そして、
【我が前に立つ者に、死を……】
凄まじい重圧が、辺りに満ちる。
山に蠢く影が増えていく。
それは万を越える数の、腐死人。
彼らの王の号令を待つ、死の兵団。
王の指が動く。
竜が再びブレスを吐くために口を開ける。
広間、いや玉座の間にいたあの弓矢を持った腐死人たちが死の兵団を指揮しているのが見える。
背後の騎士たちが、剣を構えた。
みな、気付いている。
ここが死地になることを。
それでも、誰一人背を向けない。
(駄目!絶対に死なせない!私ならできる!やるんだ!!)
体内にある全ての魔力を一つの魔法に集束させた。
この魔法を唱えるのは、二度目だ。
詠唱を続ける口の中に雨が入ってくる。泥かもしれない。何だっていい。今は気にしている暇はない。
(リストニア家、紫紺の魔法シリーズ③!)
「紫紺の檻!!」
一気に、魔力が吸い上げられる感覚。
大地から、紫紺色の透明な膜が立ち上り拡がっていく。膜に触れた腐死人が、魔力差に負けて消滅する。それを見て、弓を持つ腐死人が隊列を止めた。どうやら危険性を理解したらしい。
だが同時に、アルベルトの身体に凄まじい衝撃が走った。
腐死の魔導師が、膜を破ろうとしている。
腹の中を、焼けた石でかき混ぜられているような苦痛。だが、顔に出すわけにはいかない。
そんなことをすれば。
あの剣聖が主の苦痛を取り除くために、すぐにでも腐死の魔導師のもとへ向かおうとするだろうから。
アルベルトの魔力と腐死の魔導師の魔力が押し合う。
不意に、それが途切れた。
【……次の新月までだ】
魔導師の重圧がかき消える。アルベルトの魔力でできた膜が、ゆっくりと山を囲んでいく。
それは地と雲の中程でドーム状に丸くなり。
内と外を完全な隔てる、巨大な檻となった。
シン、と辺りが静まり返る。
(ま、魔力全部持ってかれた……。吐きそう……。次の新月…?……そういえば腐死の魔導師って、新月バフ持ってた気が……。だめだ、頭が回らない。お腹めっっっちゃ痛い……後で考えよう……)
「閣下…、や、やった!!封印した!」
「…していない。一時的に封じただけだ。おそらく力が高まる次の新月には破られる」
飛び跳ねて喜ぶ騎士にピシャリと告げて、周囲を見回す。
「被害は?」
「ありません」
「では各所に通達。状況の収束を確認し城に帰還せよ」
「ハッ!」
「それから治療師に知らせてくれ。ヴォルフガングが腐死竜のブレスを受けて負傷している。腐死人になることはないが、魔力熱による火傷がひどい」
ざわり、と騎士たちに動揺が走った。
あの剣聖が、と誰もが驚愕している。
「閣下、私は……」
「今すぐ治療を受けろ。命令だ、早く行け。私も後から行く」
「……御意」
断られる前に「命令」の二文字を出して先に行かせる。
「それと、…殉職した彼らを運びたい。馬車を用意してくれ」
「…かしこまりました」
先程とは別の騎士が雨の中駆けていく。
(お腹…めっちゃ痛い…でも、もう一踏ん張り…がんばれ私…)
採掘長と警備兵の遺体を丁寧に包み、馬車に乗せてリストニア城へと送る。
雨は激しいまま。
臨時で張られたテントの屋根を、叩き続けている。
中では、治療師長が小さな椅子に腰を下ろしたヴォルフガングの手当てにあたっていた。
「治療師長、残ってもらってすまない」
「私が志願したのです。怪我をした団長なんて、滅多に見られるものではありませんからね」
栗色の髪を後ろで丸く束ねた治療師長は、そう言って「ふふ」と笑った。
彼女の言葉が場を和ませる冗談であることを知るアルベルトは、そのまま怪我の具合を聞く。
「火傷の深度はそれほどでもありません。裂傷も骨までは届いていませんし。団長の頑丈さを考えたら数日で治るかと」
(相変わらず、この世界の人たちの肉体強度ヤバすぎるな……。まぁ、魔力のおかげなんだろうけど。ヴォルフガング様も魔法を使えない、ってだけで魔力自体はあるんだし……)
「先程包帯を巻き終わりました。私もテントを片付けて帰還します」
ニコリと笑った治療師長が、薬や器具を片付け始める。アルベルトはそれを手伝いながら、一つ提案をした。
「馬車を用意しているんだが、よかったら相席しないか?この状態のヴォルフガングに馬を引かせるわけにはいかなくてね。見張ってくれる人がいると助かる」
「まぁ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「閣下、さすがにそこまでは」
断ろうとした剣聖を軽く睨みつける。
「馬車に、乗り、なさい」
「……御意」
(そうそう。しんどい時は楽をした方がいいんだよ。…私もまだめちゃくちゃお腹痛いから、楽して帰りたいんだよね……。多分さっき腐死の魔導師と魔力の押し合いした時に受けたダメージだと思うんだけど)
誰にも見られない所で先程服をめくって見てみたが、特に怪我をしている様子はなかった。
ただ、ずっと腹の奥がひどい痛みを訴えている。焼けるような、引き攣るような。
(穴が空いてるわけじゃないから、大丈夫。馬車で休んだら治るよ。お城に戻ったら、みんなの無事を確認して、今後についての話もしないと……)
「先に馬車の準備をしてくる。治療師長、すまないがヴォルフガングを少し休ませてから連れてきてくれ」
今後の予定を立てながら、アルベルトはテントを後にした。少し体が冷えている。魔力を使い切ってしまったせいで、防御力が下がっているのだろう。
通常なら魔力切れを起こしたら眩暈や吐き気で立っていられない状態になるのだが、今は腹部の痛みがそれに勝っているのかとりあえず歩けてはいる。
(がんばれ私!まだまだ行けるぞ私!)
心の中で腐女子隊と共に「えいえいおー」と拳を突き上げた。
どうやらアルベルト達の馬車が最後だったようだ。
城門を抜けると、馬車寄せがある庭が広がっている。城にいる者たちは皆、ある程度の緊張は残したまま、それでもどこかホッとしたように忙しく動き回っていた。
やたらと「そんな、あの、結構ですから……」と遠慮する治療師長をエスコートして馬車から下ろしていると、副団長が走ってこちらに来るのが見えた。何故かリュシアンも一緒にいる。
「閣下!ご無事のお戻りで!」
「副団長、ご苦労だった。状況は聞いているか?」
「詳細までは。閣下の口から直接の方が齟齬がございませんので」
「そうか。ではとりあえず『次の新月までは』安全だと、皆に伝えてもらいたい。それと——……」
「…閣下?」
(…っ……おなか、いた、い……。口の中、鉄の、あじ…)
「——……ッ、ぁ」
こぽり、と口から血が溢れる。
「アルベルト様ッ!!」
揺らぐ身体を硬い腕が抱き止めた。
(待って、ほんと…こんなとこで、…痛い、…、突然の、ピンチムーブ、…しなくて、いいから…、痛い…痛いよ……)
「…ぅ、ッ、」
(ちょっ…苦し…、血が喉に詰まって……、私が死んだら、…ヴォルフガング様も、死んじゃう…そんなの絶対、駄目……)
あまりの痛みと苦しみに、指一本動かせない。
喉の奥に血の塊が詰まっている。息ができない。
喘ぐ口を、何かに塞がれた。
咥内に柔らかくて熱いものが入ってくる。それは喉を探り、強く吸い上げる。
「……かはっ」
血の塊が喉から消える。
だが、分かったのはそこまでだった。
アルベルトは、自分の意識が痛みと暗闇の中に飲み込まれていくのを、感じていた。




