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第五話 祈りの先にいる者

この話は、アルベルトの周囲にいる人たちによるオムニバス形式の間話となります。 

 ファンケンラートは、これまでに何度も危機に見舞われてきた。

 そしてその度に人々は怯えながらも恐怖に飲まれることはなく、必死で体を動かし、備えてきた。

 火を焚き、石でできた建物に集まる。温かい食事を配り、毛布を配る。雨で扉が揺れるたびにビクリと身体を揺らす誰かを、別の誰かが励ます。

 兄は、震える妹を抱きしめていた。

腕の中の小さな妹は、ずっと祈りを捧げている。それは創世の女神への祈りではなく。

「侯爵様…みんなをお守りください」

 食事を終えた者が、それを見て同じように祈り始める。毛布を配り終えた者が、雨の音に怯えた者が、それを励ました者が。

 皆、手を合わせ同じ祈りを口にする。

 この世でただ一人の、リストニアの地で黄金に輝く、彼らにとっての神に届くように。






「各部隊長に告ぐ。可能な限り、南部に人員を集中させろ。戦線を敷け。討ち漏らしを絶対に町に近づけさせるな」

 リストニア騎士団副団長の指示に従い、各部隊長たちがそれぞれの持ち場へと散開していく。慌ただしくはあったが、混乱はしていない。

 そこへ別の騎士が近づいてきた。

「副団長、北部より報告。大森林から魔物の出現を複数確認。現在対応中とのことです」

「腐死の魔導師の瘴気にあてられて、大森林から凶暴化した魔物が出てくる。閣下のご指摘通りだな」

 副団長の脳裏に、若き侯爵の姿が浮かぶ。報告に来た騎士が感心したように口元を和らげた。

「閣下の博識に、我らは何度命を救われたことか」

「書庫の方の文献は、ほとんどあの方が集めたものだからな。俺にはミミズが踊っている文字にしか見えんが」

「大丈夫です。自分にも全く読めませんから」

 それでは戻ります、と頭を下げて去っていく騎士に「ああ」と返し次の指示を出すべく、どんどんと手元に積み上がっていく情報の束を手に取る。

 そこに別の手が加わった。

「手伝います。解析は得意なので」

「ウィーバー卿」

 手伝いを申し出たのは、主君である、アルベルト・リストニア侯爵の友人リュシアン・ウィーバー卿だった。

 魔法に長けてはいるが、実戦の経験はないと聞いている。だからこそ、アレクシア姫と共に安全な城の奥に避難しているように伝えていたはずだが。一応城の中とはいえ、こんなところまで出てきて大丈夫なのだろうか。そう思い目をやると、情報を書き留めたメモをまとめる手が細かく震えているのに気が付いた。

「友人が最前線で戦っているのに、僕だけ隠れているわけにはいきません」

 これ地域別に分けました、とメモが渡される。情報は刻々と増えていくので、瞬時に仕分けてもらえるのは正直ありがたい。素直に礼を言って、そのまま手伝ってもらう。

「……副団長は強そうですね」

 ポツリと、独り言のように零される。

「それは、まぁ、それなりに。閣下や団長ほどではありませんがね。というか、あの二人に勝つのは無理です、人外です、あの方たちは」

「そうなんですか?」

「私は団長のように一振りで魔狼の首を二十も一度に落とせませんし、閣下のように魔法で竜の胸を穿ち致命傷を与えるなんてできませんよ」

「なにそれ、すごい」

「そう、すごいんです」

 当人は気付いていなかったが、答える副団長の目は、子どものようにキラリと輝いていた。

「ちなみに副団長さんは、魔狼の首をいくつ同時に落とせるんですか?」

 主君や団長に比べると、本当に大したことはない。

 副団長は、そう恐縮しながら答えた。

「私などまだまだ、たった四つです」

 四方から来るくらいなら対応可能だと付け加えると、仕分けが終わったリュシアン・ウィーバー卿はメモを副団長に渡しながら、口元を引き攣らせた。

「リストニアって、人外しかいないんですか?」







「師長、南部の戦線に治療第一班が到着したとのことです」

「わかりました。そのまま後方にて展開をお願いします。私も今から出ます」

 慌ただしく皆が動く城内で、白い服を身につけた者たちが一斉に移動を始める。リストニア治療師隊。総勢百五十名、全員が一流の治療師の集団である。

 先頭を歩くのは、栗色の髪を後ろでくるりとお団子にした背の高い女性。

 ——彼女は、転生者だった。

 漫画を読むのは好きだったが特にオタクというわけではなく、『この忠誠は、永久に』も知らない彼女は、自身が異世界転生をした事実だけを理解していた。とは言え三十年生きれば、前世の、医療従事者として生きた記憶も薄れ、今生きる世界の方が現実味がある。魔法や魔物が存在する、前世ならファンタジーと称された世界であるというのに。

 前世でも、人の死に触れる機会はあった。救急に配属されていた同僚は、もっと多かっただろう。

 あの世界の医療でも、救えない命は無数にあった。魔法があるとは言え、技術自体はそれほど発展していないこの世界なら、なおさら。

 魔物との戦いで傷付く者たちを治療する彼女にとって、それは深い穴のような絶望の日々だった。


 初めて見たアルベルト・リストニア侯爵は、泥だらけの姿だった。

 黄金色の髪は黒く染まり、顔には泥とも血とも取れる赤黒い塊がついていた。

『先程まで意識があった!頼む!』

 彼は自分よりも体格の良い騎士を背に負っていた。だがその騎士の目はすでに虚となり、彼は必死で押さえてはいたが、破れた腹部からは中身が溢れつつあった。

 衝撃的な光景に圧倒されたが、それでも彼女は治療師としての職務を優先させた。

『閣下、……その方はすでにお亡くなりです』

 その瞬間、彼女は彼が泣き出すのではないかと思った。なぜなら、かの侯爵が当時まだ十五歳の少年だと知っていたからだ。

 だが若き侯爵はそれを聞くと、一瞬だけ顔を歪めたが「……そうか」と呟き、死んだ騎士の傷口から手を離した。

 それから騎士の開いたままだった瞳を閉じさせ、その額にそっと唇を当てた。

『……また巡りて、この地で再び会わんことを』

 リストニアにおける、弔いの言葉。

 立ち上がった侯爵が、剣を手に戦場へと戻っていく。

 ふと、頬に流れるものがあった。彼女は、自分が泣いているのだと気付いた。

 騎士の死を悼む気持ち。

 瘴気が、大森林が側にある限り、終わらない恐怖。

 そして、それらを内包してなお輝く、希望。

『あなたが膝を折らない限りは、私も……っ』

 無意識に祈りを捧げていた。

 この時から生まれた、信仰に対して。

 

 城から出ると外は土砂降りの雨だった。

 だが、治療師隊の誰一人としてそれを気にするものはいない。

「行きましょう、私たちの主を支えるために」

 皆が一斉に頷き、隊の馬車が出発する。

 左手の指に嵌めた指輪を一度撫で、そして空を見上げた。

 まもなく、夜がやってくる。

 だが耐えてみせよう、この地獄を。

 黄金が、夜明けを運んでくるまで。





 リストニア南部、最前線。


「腐死人だ!!噛まれるな!同じ腐死人になるぞッ!」


 その騎士は、先日ようやく騎士試験に合格したばかりの元駐屯兵だった。声を張り上げ、雨でぬかるんだ土の上を転がり、剣を振るう。柄に刻まれた、騎士団の紋章。

 リストニア騎士団への入団希望者は年々増加し、今となっては入れる者はごく僅か。成績上位のエリートだけが、その栄光を掴むことができる花形だ。

 他の領地なら、それは人生の成功として描かれるのだろう。事実、その側面もある。だがこの地では、リストニアにおいては、騎士団の名が持つ意味はそれだけではなかった。


「持ち堪えろッ!ここで仕留めないと町が襲われる…!!」


 雨の中での戦い方も訓練してきた。先輩騎士に囲まれ、魔物との初陣も果たした。その時に、近年減りはしているがそれでも殉職者が出ないわけではないと改めて聞いた。憧れだけならやめておけ、とも。

 だが、彼はそれでも騎士の道を選んだ。

 

 三年前、兄が死んだ。

 その日は、降って湧いたように急に魔物の数が増えたのだと聞いた。

 兄は前線で戦う、リストニア騎士だった。誇らしく、頼もしい兄だった。

 兄の死体を戦場から連れ帰って来たのは、アルベルト・リストニア侯爵だったと、兄と仲が良かった治療師が教えてくれた。

 体格が良かった兄を背負い襲いくる魔物を倒しながら、まだ助けられると信じて治療班の下まで辿り着いた。だが兄は既にこの時には事切れており、それを聞いた侯爵は弔いの口付けを兄の額に落とすと、立ち上がり再び戦いへと戻っていった。

 それを聞いた時、彼は駐屯兵の詰所に辞表を提出していた。

 騎士になると伝えると皆驚いた顔をしたが、普段ふざけたことしか言わない同僚でさえ、堅い表情で彼に敬礼をした。

 両親には反対された。息子を亡くしたばかりだ。無理もない。母は『お願いだから…』と泣き崩れ、父は厳しい顔をしていた。だから、彼は伝えた。二軒隣の夫婦に子どもができたことを。酒屋の女将さんの膝が最近悪いことを。駐屯兵として勤務しているからこそ、見える身近な生活の数々を。

『兄さんが命をかけて守っていたのは、この地に住む彼らだ。俺もリストニア侯爵様の隣で、兄さんが見た景色が見たい』

 グッ、と父が息を飲んだ音がした。何か大きな感情を飲み込み、それを出さぬように耐えた音だ。強く噛み締めた唇には、血が滲んでいた。

 やがて全てを飲み込み終えたのか。父は一度母の肩を抱くと、立ち上がり彼に向かって頭を下げた。

『……ご武運を』

 その言葉だけで充分だった。

 後日片想いしていた幼馴染に『三年後もし生きてたら、デートしよう』と伝えた。幼馴染は『縁起でもないからやめて』と泣きながら笑っていた。


 泥が顔に跳ねる。

 息はとっくに上がっていた。

 腐死人は、痛みを感じない魔物だ。それ自体の命はとうになく、ただ術者の力と瘴気によって動かされている。 

 首を切っただけでは、止まらない。

 制圧するには、物理的に立てなくするか、形も残らないほどに擦り潰すか、強い熱で灰にしてしまうかのいずれかしかなかった。だがこの雨では松明の火は弱く、後方で援護の魔法を撃つ魔導師達の魔力も無限ではない。

 騎士は、死を感じていた。まだなんとか無傷で耐えてはいるが、時間の問題だろう。自分はおそらく、この戦いにおける最初の殉職者となる。

「けど!それでもなぁ!人間様を舐めんなよッ!!」

 咆哮を上げ、力任せに腐死人の一体を骨ごと叩き割る。その背後からまた別の一体が現れる。噛みつかれそうになり、蹴り上げる。

 その足を、泥に取られた。

 わずかに沈みバランスを崩した彼の目に、複数の腐死人の手が見える。

 ああ、これが最期か。と、ぼんやり思った。兄も同じ光景を見たのだろうか。なら、ちゃんと最期まで目を開けて。


 ————光が、駆け抜けた。


「すまない、遅くなった」

 腐死人がまとめて吹き飛び、砕け散る。

 雨に浮かぶ、黄金の光。

 リストニアの、希望。

「……閣下……」

 思わず尻餅をついた騎士に、黄金の光が手を差し伸べる。

 恐る恐る、その手を握った。

「ロイド、無事か?」

 そう、かの黄金は。

 アルベルト・リストニア侯爵は、騎士団全員の名を必ず呼ぶのだ。かつて死んだ騎士達も誰一人として、忘れることなく。

「二回目のデートの約束、取り付けているんだろう?」

 そして些細な日常の会話さえ、彼は覚えてくれている。

 周囲では先輩騎士が「いつまで閣下の手を握ってんだ!お前後で殴るからな!」「団長!あいつ絶対閣下に邪な気持ちがありますよ!」などど囃し立てている。

 騎士はようやく、自身の死がひとまず去ったことを知った。

 握った手に力を入れ、泥の中から立ち上がる。

 なぜか泣きそうになりながら、騎士はこの世で最も敬愛する主君からの問いに答えた。

「振られました。彼女、他に好きな人がいるそうで」

「…………ぇ?」

 その瞬間のアルベルト・リストニア侯爵の、領民に見せる穏やかで気品溢れる領主としての顔ではない、十八歳の青年らしい表情。

 それはきっと、兄が見たものと同じ光景で。

 まったく場違いにも関わらず。

 泥だらけのまま、騎士は声を上げて笑ってしまった。


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