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第一話 親友

 秋の長雨の間、農業に従事していた領民たちは互いの安全確認を兼ねて、集会所に集まることが多い。そこには商人や技術者がいて、講習会を常時開設している。

 リストニアの行政施策の一環だ。

 講習会の開催者にはいくらか補助金が降りる仕組みになっており、商人は文字や計算方法を、技術者は自身の技術を望む者に教える。講習を終えた者はリストニア領内なら、どこでも好きに移動して冬の間の稼ぎを得ることができる。おかげでリストニア領は、王都を凌ぐほどの識字率を誇る地となっていた。



「領内で経済を循環させる素晴らしいアイデアだと思うよ。知識は力で、文字は手段。この地の考え方は驚くほど先進的で、僕の考えとも一致している」


 濡れた服を絞りながら、馬車から降りてきたリュシアン・ウィーバーがほがらかに笑う。迎えを担当していたリストニア騎士団副団長も、濡れないために馬車で来たはずの相手がずぶ濡れで出てきたことに驚きを隠せずにいるようだった。

 副団長の目には、主君であるアルベルトよりは小柄な青年が映っている。焦茶色の髪は耳の少し下辺りでまっすぐ切り揃えられた、いわゆるおかっぱ。少し丸みのある鼻に、大きな眼鏡をかけている。レンズ奥の目は、深い緑。更に深みのある緑の貴族服に髪色と似たローブを羽織っている。主君から聞いていた通りの風貌だ。……ずぶ濡れではあるが。

「閣下が仰られた通りとは……」

 思わず呟くと、聞き逃さなかったらしいリュシアンがすかさず言葉を拾い上げた。

「リストニア侯は、何と?」

「……ウィーバー卿はずぶ濡れで到着されるだろうと仰られ、着替えを用意され先に部屋を暖めておいでです」

「ははっ、さすが我が親友。では案内をお願いしよう」

「ハッ、かしこまりました。改めまして、我がリストニア騎士団一同も閣下の親愛なるご友人リュシアン・ウィーバー卿を歓迎いたします」

 副団長は仮にも一団の補佐を任される男だ。面食らいはしたものの、すぐに切り替えると部下を伴い、リュシアンを城の中に招き入れた。




「やぁ、親友!便りの交わしは多々あれど、姿を見るのは実に五年ぶりだ!相変わらず眩いばかりの美貌だな!美人すぎて、正直ちょっと引く!あんまり近づかないで!ところで僕の着替えはどこだい?」

「こちらに。アレクシアはいないから安心を。殿方の着替えを見せるわけにはいかないからね」

 部屋に入った途端濡れた姿で晴れやかに笑い、更に怒涛のように喋るリュシアンに、アルベルトは苦笑する。

 控えていたヴォルフガングが手にした布と着替えを差し出すと、リュシアンはまるで黒豹に出逢った兎のように飛び跳ねた。

「君が音に聞く『黄金の侯爵』の懐刀。剣聖ヴォルフガング・ツェベルクか!すごい迫力だな!漏らすかと思った!」

「リュシアン、レストルームはあちらだ」

「冗談だよ!剣聖もそんな冷たい目で僕を見ないで!」

 あまりの賑やかさに、暖めていた部屋の室温が更に二、三度上がった気さえする。

 頻繁に書簡でのやりとりはしていたが、顔を合わせるのはリュシアンが言うように五年ぶりだ。

 別れた時と変わらぬ騒々しさに、心の中のテンションも上がっていた。


(相変わらずおもしれー男だぜ、リュシアン・ウィーバー。これで中央魔導院の主席研究員だもんね。前世で『このとわ』について語り合ったネットの友人を思い出すよ。あの時声かけて、ほんと良かった)




 リュシアンとの出会いは、五年前。

 アルベルトが大魔導師サイネケンに弟子入りし、中央魔導院で連日しごかれていた時にまで遡る。

 その日は、体内に魔力を巡らせて防御を高める術を延々と繰り返し訓練させられていた。…サイネケンの攻撃魔法を受けながら。当然身体はボロボロで、だが『治療師からの手当は受けるな』と言われていたため、裏庭にある大きな木の陰でひたすら痛みをやり過ごしていた。この時のアルベルトは一人だった。リストニアの守りのため、騎士団は同行させてはいなかった。当時はまだ騎士の一人だったヴォルフガングとて、例外ではない。

 十三歳のアルベルトは、その身に宿る魔力を上手く制御できずにいた。

 大太刀を持つ子どものようなものだ。振るい方は知っていても、腕力、つまり制御力がない。アルベルトほどの魔力を持つ者がリストニアにはいないため、それを教えられる者もいない。だから、サイネケンの元に来た。

 痛みを紛らわせるために原作小説の知識を頭の中で思い返していると、ぶつぶつと誰かが呟く声がした。

 幹の反対側に腰を下ろしたらしい人物から、それは聞こえていた。

 人のことは言えないが、こんな陽の当たらない裏庭の、更にじめっとした木の陰で何をしているのだろう。

 不思議に思うアルベルトの耳に、声が届いた。

『理論は間違ってないのに、どうしても安全性に問題が生じる。これさえ何とかできれば、この魔道具は確実に作業効率を上げることができるのに』

 どうやら魔道具について考えているようだった。悪いとは思いつつも、痛みが紛れることもあり更に耳を澄ませる。すると色々と聞こえてきた。

 牧草地の余計な草を刈る魔道具を考えているらしい。しかし術の研究を重要視する中央魔導院では、商売に繋がる魔道具制作は下に見られる傾向にある。国民のほとんどは第一次産業に従事している。そこをおそろかにして、何が研究者だ。…などなど。

 実にもっともな意見に、アルベルトの中に背後の見知らぬ誰かを応援する気持ちが沸き起こった。

 見知らぬ誰かは、前世でいうところの草刈機を考案しているようだ。動力源を使用して刃を回す原理も、ほとんど同じだった。そして回転する刃の危険性から、先に進めずにいる。

 アルベルトは、前世でそれを見たことがあった。安全性が高く、草だけ刈れる方法。

 だからつい、声をかけたのだ。

『硬い刃ではなく、短く編んだ紐を回転させるのはどうかな』

 ぴたり、と相手の声が止まった。

 しまった、と思った。盗み聞きした挙句口を挟んでくる気味の悪い奴がいると受け取られたかもしれない。

 謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、『それだーー!!謎の人ありがとうーー!!』と相手が立ち上がりそのまま走り去っていくのが見えた。

 呆気に取られたアルベルトは、この時ばかりは外も中も関係なく、ぽつりと言葉を零した。『……おもしれー男』と。

 それがリュシアンとの最初の出会いだ。

 それからは、頻繁に木の陰で同じように幹を挟んで背中合わせに会話をした。年齢は、彼の方が一つ上だった。素性を知らない方が楽に話ができると提案され、お互いに名乗らないまま魔術について、あるいは魔道具に関する話などをして交流を深めた。

 どうやら魔道具を愛する彼は院の中でも浮いているらしく、嫌がらせを受けることもあったようだ。それでもいつも、怪我をしているアルベルトを気にかけてくれていた。

『君は何の授業を取ってるんだい?しがない子爵家の三男が言っても仕方ないかもしれないが、僕からも院に言うよ。聞く限り、君の怪我は授業の枠の範囲を超えている』

 名乗りあっていない相手とは気兼ねない会話は、サイネケンからのしごきを終えたアルベルトの密かな楽しみになっていた。

『気持ちだけありがたく受け取るよ。これでも最近は、少しやり返せるようになってきたところでね』

『ひょっとして実技を受けているとか?』

『そんなところかな』

 魔導院には様々なクラスがあり、自主的に選択できるようになっている。その中でも実技があるクラスは、将来的に実戦を経験する可能性が高い者が進むとされる厳しいクラスと言われていた。

『実技クラスと言えば……。この間そこの首席の男が大魔導師様に挑んで、その弟子に一瞬でボコボコにされた、って話は知ってる?ほら最近あの方、弟子をとっただろ?絶対に取らない人で有名だったのに。それに嫉妬して、押しかけたみたいでさ。弟子に一発でも攻撃を入れることができたら考えてやる、って言われて意気揚々と魔法戦仕掛けて呆気なく負けた、って笑い者になってるよ。アイツにはみんな結構酷い目に遭ってたからね』

『……何とも…言い難い話だな』

『おっと、悪口に聞こえていたら失礼。いや、まぁいいか。僕はアイツに散々殴られていたからね。ざまぁみろ、だ』

『それは確かにざまぁみろかもしれない』

『だろ?』

 日々の少しの時間重ねられる友人との会話は、心地が良かった。

 だからつい、終学した後の話を振られ、本音を話してしまった。

『私は、自領に戻り魔物の討伐をする』

『ま、魔物!?』

 背後から、ギョッとしたような声が上がる。

 王都では、内にいる限り魔物の脅威はほとんど存在しない。聞けば、彼も授業で聞いて知ってはいるが実際には見たことがないとのことだった。

『危険じゃないか!?君だっておそらく僕と同じ貴族だろう?戦う必要は——』

『もう誰も喪いたくないんだ。私は…私を守って死ぬ者たちを、これ以上見たくない』

 脳裏に浮かぶ、四人の騎士たちの最期の笑顔。父と母を喪った、あのスタンピードを生き残ってくれた精鋭たち。


 前にお進みを、閣下。

 生きてください。

 さぁ、振り返らずに。

 アル坊、元気でな。


 声の震えが伝わったのか。

 幹の向こうにいる相手の動きが止まっていた。

 やがて。

 どれほど時間が経ったのか。

 草を踏み締める音で、相手が立ち上がったのだと知った。

『……よし。進路、決めた』

 風が頬を撫でる。きっと立ち上がった友人の頬も同じようにして。

『今度の終学式典、君も出るかい?』

『そうだな。……おそらく』

『じゃあ、式典が終わったらここで会おう。ちゃんとお互い向き合って』

 魔導院には、前世のアルベルトが知る学年のような概念は存在しない。選択したクラスを全て修め、担当の魔導師たちから合格を告げられた者だけが年に一度の終学式典にて認定を受けることができる仕組みになっている。

 つまり早ければ一年経たずに卒業となるが、成績によっては諦めて院を去るか、受かるまで残るかの二択という厳しい現実が院生には突きつけられるわけである。

 約束の後、アルベルトは何度か木の下に行ったが、友人と会うことは叶わなかった。

 式典が終わったら。

 その言葉を守っているのだと信じ、アルベルトもそれ以降裏庭に行くとこはなかった。


 そして、式典の日。

 アルベルトは院生側ではなく、壇上の舞台袖、会場からは見えない裏側にいた。

 中央魔導院の院長でもある大魔導師サイネケンにそこにいろ、と言われていたからだ。

 魔導師たちの前で名乗りを上げ認定書を受け取った院生たちが、晴れ晴れとした顔で席に戻っていく。あの中に友人がいるのだろうか、と考えたが幕に声を遮られて判別はできなかった。

 式典も終わりにさしかかり、大魔導師サイネケンが重々しく口を開く。

『汝らは今後、決して驕ることなく、学んだ力を正しく使い続けなければならぬ。魔法とは、魔術とは、全ての者が使えるわけではない、選ばれた力だ。自身の力を誇示したり、我欲のために使うことを、固く禁ずる』

 静かな語り口調であったが、魔力による波のような圧が発せられていた。

 サイネケンは背は高いが、そこまで大柄な体格ではない。皮膚には深い皺が刻まれ、短く刈られた髪は、対照的に長い髭と同じ白い色をしている。

 だがその存在感は、この会場でまさに圧倒的だった。

 院生たちは彼の魔力に気圧され、固唾を飲む。

 サイネケンは会場を見渡すと更に続け、

『最後に一人、儂から認定を授けねばならぬ者がいる』

 そうして身体ごと、視線を壇上の横に向けた。

『……来なさい、我が愛弟子よ』

 ざわり、と会場がうねった。

 もしこの時アルベルトの心の中を見られる者がいたら、(いやぁー!やめてお爺ちゃーん!!)と叫ぶ様子が見えただろうが。

 あいにくそんな者は存在せず、アルベルトはサイネケンの指示に従い壇上へと上がった。

 大魔導師サイネケンが弟子をとった話は、中央魔導院にいる者なら皆知っている。だがかの大魔導師が教壇に立つことはなかったため、その姿を知るのはごく一部だった。

 サイネケンの前で片膝をつき騎士の礼をとるアルベルトに、魔力が込められた重い声が降る。

『名乗るが良い』

『——…アルベルト・リストニア』

 リストニアの名は、ファンケンラートでも特別な名であった。

 ざわついていた会場が、その名を耳にして一瞬で静まり返る。

『アルベルト・リストニアよ。汝は何のために力を振るう?』

『民の安寧を守るために。この手から、命を取りこぼさぬために』

 サイネケンから迸る魔力の重圧は本物だ。至近距離にいる者なら、まず耐えられない。

 だが、

『アルベルト・リストニアよ。汝は何を絶望とする?』

『自身の力が、及ばぬこと』

 会場の者たちは、顔色一つ変えずサイネケンを真正面から見つめて答えるアルベルト・リストニアの姿を見ていた。

『アルベルト・リストニアよ。では、汝は何を希望とする?』

『……母に抱かれた幼子が振る手を。麦畑で共に笑う父の子の姿を。水辺で伸びやかに歌う娘と、それを見る青年の未来を。暖炉の前で昔語りをする、長く生きた者たちの夜を。彼らが魔物に脅かされることなく、暮らす日々を』

 それは、王都ではごく普通のことなのかもしれない。けれどこの場にいた者たちは、本当はそうではないのだと、この瞬間理解できた。

『立ちなさい』

 サイネケンの言葉に、アルベルトが立ち上がる。

 年齢による深い皺を顔に刻んだ大魔導師は、アルベルトの姿を上から下までゆっくり眺めると。

 深く、腰を折り曲げた。

『アルベルト・リストニア侯爵閣下。あなた様のご武運を、心よりお祈り申し上げます』

 

 そうしてその日、アルベルトはいつもの木の下でようやく友人の顔を見ることができた。

『アルベルト・リストニア侯爵閣下に、ウィーバー子爵家が三男、リュシアン・ウィーバーが謹んでご挨拶申し上げます』

『それで通すなら、帰っていいか?』

『嘘嘘!冗談だよ!友情に乾杯!シャンパン入りまーす!』

 どこまでもおもしれー男である。

 互いに終学を祝い合ったところで、『これからのことだけど』とリュシアンが口を開いた。

『僕は、研究者として院に残ることにしたよ。もっと勉強して、たくさんの知識を身につけて、そして』

 深い緑の瞳が、アルベルトを見つめる。

『アルベルト・リストニア、君の力になりたい。人々を守るために戦う、君の力に』

 それは、眼差しと同じくらいに真っ直ぐな言葉だった。

 一つの木の下で背中合わせで過ごした時間が、この時に繋がっているのだと感じられた。

『ウィーバー卿……』

『やめて!侯爵閣下から卿とか呼ばれると怖い!リュシアンって呼んで!』

『……わかったよ、リュシアン。私のこともアルベルト、と』

『それ、ちゃんと周りの人に言っといてね。首が飛んじゃうの、僕だからね』

 さっきまで真面目だったのに落差が凄い。

 とは言えアルベルトもこの時の心の中では『オッケー、リュシアン!ズッ友だよ〜!』と叫んでいたので、どっこいどっこいなのであった。


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