第九話 置き土産
王は、このわずかな間に十は歳を重ねたように見えた。
「……今、王妃の行方を追っておる。生家にも兵を差し向けた。広間にいたあれの父母は拘束済みだ。クリストフ、そなたは大事ないか?」
「ええ、父上。レナードはどうです?」
「治療師の見立てによると、命に別状はないらしい」
疲労を感じさせる眼差しは、それでも息子を案じる情が滲んでいた。
「わかりました。後は私が引き継ぎましょう。父上はレナードと共に安全な場所にお下がりをください」
二人の会話を聞きながら、アルベルトは油断なく辺りを見回していた。
そうして、幾重にも重ねられた厚布の上に横たわっているレナードを見る。
(この手の逃げた悪役って『置き土産』をしていくのが定石なんだよね。レナードくんはカミラペタルを飲まされていたから、何かされてる可能性は十分にある)
横たわる細い身体に流れる魔力を感じ取る。呪いの痕跡は見当たらない。解呪魔法が無事、彼の中にある元凶を取り去ったようだ。
(……?でも、なんだろう…。魔力の巡りが、二重に見える……。危険な力には見えないけど……)
じっくり観察してみるが、レナードの魔力と完全に重なっていて判別がしづらい。仕方なく、問題はないと判断を下した。もし何かしかけていたとしても、カミラペタルの成分はすでに彼の中には存在しない。安全と言えるだろう。
同じように王とアレクシアの魔力の流れも見ておく。こちらも問題なさそうだ。
近衛兵に守られ、王とレナードが広間を後にする。
逃げられずに残っていた貴族たちも、事切れた魔獣たちが発する臭気に嘔吐しそうになりながらクリストフの指示を受けて退出を始めた。
アルベルトは心細そうに近づいてきたアレクシアの肩を抱くと、安心させるようにポンポンと叩く。そっと寄せられた身体は、微かに震えていた。
「ヴォルフガング、すまないがアレクシアをタウンハウスまで送り届けてやってくれ」
「閣下、しかしそれでは……」
「お兄様、わたくしは大丈夫です…!」
「私がそうしてほしいんだ、アレクシア。どうか兄のわがままを聞いてくれないか?」
小さな肩を軽く撫でながら、その顔を覗き込む。聡明なアレクシアは、何が最善かを理解している。いつもなら、納得はせずとも反対もしなかっただろう。
だが、この時のアレクシアは首を横に振った。
「お兄様。わたくし、レナード殿下のお側に参りますわ。わたくしとて、リストニア家の者。いざという時は、陛下や殿下の盾となり戦いたく存じます」
「アレクシア…!?」
「ご心配なさらないでお兄様。わたくしは、『黄金の侯爵』の妹ですもの」
(アレクシアちゃん…!!)
アルベルトの胸の内に、妹の成長を喜ぶ想いと、その身を案じる気持ちが同時に湧き起こる。
「兄として…君の成長を喜ぶべきなのだろうね」
「わたくし、お兄様の妹に生まれてくることができて幸せですわ」
「一番嬉しい言葉だ。私こそ、君という素晴らしい妹がいることを誇らしく思う」
アルベルトの言葉を受けて、アレクシアがにっこりと微笑む。
それに微笑みを返してから、ヴォルフガングに声をかけた。
「予定を変更する。アレクシアを陛下の元へお連れし、事情を説明してきてくれ。その後タウンハウスへ戻り、リストニア騎士団の者を何名か連れてきてほしい。必要になるはずだ」
「承知いたしました」
「私は殿下の補佐に入ろう。ファンケンラートの兵たちは、リストニアの騎士ほど魔物には慣れていない」
負傷者たちへの解呪もしておいた方がいい。そう付け加えると、アレクシアは未だ不安を瞳に宿しながらも気丈に頷いてみせた。
「お兄様、わたくし頑張りますから、お兄様もお気をつけくださいませ」
「……ああ」
可愛い妹にそんなことを言われては、やる気が出るというものである。
さぁ、と促すとアレクシアは素直にヴォルフガングの隣に立った。
「すぐに戻ります」
「頼んだ」
ヴォルフガングのエスコートで広間から去る妹の背中を見送り、アルベルトは兵たちに指示を出しているクリストフへと足を向けた。
クリストフは負傷者への対応を終え、魔獣の死骸について近衛兵長と話し合っているところだった。
「失礼いたします、殿下。もしよろしければ、リストニア騎士団の者をお使いください。みな、瘴気を含む魔物の対処には慣れております」
「アルベルト…!」
振り向いたクリストフの瞳がキラキラと輝く。アルベルトは心の中で
(知略家属性どこ行った)
とまたしてもスパンと叩きつつ、いたって平静に続けた。
「ヴォルフガングに、王都に同行させた騎士たちを連れて来るよう命じました。到着次第、処理に当たらせます」
リストニアの騎士たちは、全員一度は魔物との戦いを経験している。副団長や各部隊長といった精鋭はアルベルトが不在のリストニアを守らせているため今回同行させていないが、それでも十分な実力者たちだ。
「そなたの申し出、ありがたく受け取ろう。感謝している」
「お言葉、勿体無く。しかしながら、私がお役に立てるのは魔物討伐に関する事だけです。辺境の地に引きこもっている私のような者が必要以上に殿下に近付けば、御身の周囲に不和の種を蒔くことになりましょう」
(私だってねー、本当はこんなこと言いたくないんだけどねー。余計な恨みを買っても良いことないし。王家の覚えめでたく!なんて必要ないし。そもそも元一般市民から見ると侯爵なんて立場も『雲の上ーー!』て感じだからなぁ)
「……そ、れは…、この先そなたと語り合う時間は持てない…ということか?」
その時アルベルトは、クリストフの背後に捨てられた猫、いや、獅子の幻影を見た気がした。
跡形も無く吹っ飛んだ『知略家』の設定を集めて一旦脇に置いてから、これまた「仕方がないな」という気持ちでクリストフを見る。
「小鳥の飛ばし方をお教えしましょう」
彼ならば、この言葉だけで伝わるはず。
アルベルトは、魔法で作った小鳥を利用して情報をクリストフに送り届けた。つまり二人だけでやり取りすれば、周囲の目など関係ない。
「…!ああ!わかった…!」
(安らかに眠れ…知略家設定……南無…)
おりんの音が聞こえた気がした。
その後は一度クリストフの元を離れ、負傷者に解呪魔法をかけてまわった。念の為ではあるが、やらないよりはマシだ。
負傷者は近衛兵と招待された貴族たちを合わせて三十名程。かなり多いが幸い死者は出なかった。魔物との実戦経験は少なくとも、その辺はやはり近衛として選ばれた精鋭というところか。
貴族の中には、今回の一件で王家に不信感を持つ者も少なくないだろう。特に王妃自身が第一王子の廃嫡を画策していた、という点が痛い。
今の王妃は、王国の西方に位置する地を収める侯爵家から選出された。王の話によると既に侯爵家には兵が差し向けられている。
(この件は、ファンケンラートに対する明確な謀叛。一族全員が処刑される。……今回一番被害を受けたレナードくんも例外なく。もしそれがひっくり返せるとしたら、王妃本人が『完全に別人だった』場合だけ。その辺りも進言しておこう)
アルベルトたちが対峙した王妃は、黒紋を持つ『呪の末裔』だった。別人だと考える方が自然だろう。
負傷者の最後の一人まで解呪をかけ終え、立ち上がる。
眩暈を感じた。さすが女神エルシオラ直伝の魔法。魔力の消費量も桁違いらしい。
(……胃がひっくり返りそう。何も食べてなくてよかった。アルベルトの魔力量でコレって…、どんだけ魔力使うの。そりゃ使用者もいなくなりますわ)
「……ふぅ」
軽く息を吸って、もう一仕事、と顔を上げる。
その目に、小さな影が映った。
天井に、土の欠片が張り付いている。
黒紋を持つ者が放り投げたヒトガタを形作っていた泥が、渇いたものだ。
欠片から、細く長く、鋭い影の矢が垂れ落ちてくる。
(———…あっ)
気付いた時には動いていた。
アルベルトならきっとそうする、こう考えるだろうと生きてきた時間が、無意識に身体を動かしていた。
天井からの鋭く細い矢に、誰も気付いていない。
障壁は間に合わない。
「殿下……ッ!!」
伸ばした腕が、思い切りクリストフを突き飛ばす。
右肩を、矢が貫通する痛みが走った。
「アルベルト!!」
「…殿下ッ!お下がりを!」
ゆらりと矢が形を変える。黒く、鋭い牙を持つ蛇に。
アルベルトは喉元に喰らいつこうとするそれを掴むと、体内に残った魔力を全て解呪にまわした。
(いいいい痛いぃぃぃ!!!けど!だてに十回死にかけてないんだよ!!!やっぱりあったな置き土産!!オタク舐めんなぁーー!!)
「女神、っ、エルシオラよ!この呪いを、解き放て!」
暴れる蛇が、傷口を広げていく。それでもアルベルトは掴んだ蛇を離さなかった。
やがて蛇はぐずぐずと形を変え矢の形へと変化した後、更に輪郭を崩し影となって霧散した。
「……、っ、はっ…」
(ひっさびさにめちゃくちゃ痛い!!魔力が切れてるから防御力も下がってるのかコレ!……あ、ダメだ、限界が近い)
視界に天井が映る。おーひっくり返るー、と冷静にそれを見ていると、突然目の前にクリストフの顔が現れた。
「アルベルトッ!!」
「でん、か…」
「喋らなくていい!すぐに治療師を呼ぶ!」
(いや、そんな。そっちが死にそうな顔をしてるじゃないですか……。痛い&魔力切れで視界がグルグルしてるだけなんで、大丈夫ですよ。支えてくれてアザース。……そうだ。せっかくだから気絶する前に伝えておこう)
「……殿下、一つ、お耳に…入れたいことが…」
「アルベルト、頼むから喋るな…!」
「あの王妃殿下は、…偽物です…。あれの顔にあった、紋様は、呪の末裔の、カーサスの身体に…生まれつき、刻まれるもの……。あの方は…、レナード殿下を、贔屓こそすれ…、王家に仇なす…方では……」
(……わ、真っ暗。視界も、感覚も……。すみません、ちょっと……寝ます……)
「アルベルトッ!」
意識を失ったアルベルトには、クリストフの声は届かない。
抱き上げられた身体が、クリストフの厚い胸元に預けられる。
「部屋を用意しろ!!俺が運ぶ!」
クリストフの腕が、縋るようにアルベルトを閉じ込める。
近衛兵たちは最後まで王子を守り抜いた侯爵に胸を熱くし、敬意に涙を滲ませながらも慌ただしく動き出した。




