表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生
雑務課 業務日誌総括

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/197

第117話:記録対象の選別

窓の外から響く轟音は、もはや単なる爆発音の範疇を超えていた。王都を東西南北に分断した4つの境界線に沿って、ひっきりなしに魔導砲の閃光が夜空を焼き払い、そのたびに執務室の窓ガラスは割れんばかりの振動を繰り返している。室内に立ち込めているのは、過負荷で焼き切れかけた魔導端末の異臭と、書類の山から立ち昇る埃、そして避難民たちが持ち込んだ血と泥の混じった不快な臭気だった。


かつては整然としていた雑務課の執務室は、今や崩壊しゆく世界の「終着駅」のようだった。デスクの上には、整理の追いつかない記憶水晶の残骸と、血痕の付着した1枚1枚の報告書が地層のように積み重なっている。


「……これ以上の処理は、物理的に不可能です」


ミラの声は、これまでのような滑らかな電子音声ではなく、砂を噛むようなノイズを孕んでいた。彼女の青白い肌を模した表面には、処理しきれない感情データと戦況ログの熱によって細かな亀裂が走り、そこから淡い魔力が燐光となって漏れ出している。


「報告します。王都全域における同時多発的な戦闘事案。そのすべてを個別に識別し、氏名、年齢、正確な死因、および最期の証言を記録するための魔法ストレージが、残り0.3パーセントを切りました。現在の流入ペースを維持した場合、わずか45秒後にメインサーバーが論理崩壊し、これまでに蓄積した300年分すべてのデータが修復不可能な形で消失します」


ミラが空中に展開したホログラムは、絶望的な警告色である赤1色で塗り潰されていた。そこには、今この瞬間にも命を落としていく数千、数万の人間たちの鼓動が、無機質なドットとして明滅している。だが、そのドットの1つひとつを「人間」として認識し、文字として歴史に刻みつけるための器が、もうこの世界には存在しなかった。


俺は、先端が欠け、インクが滲み始めた万年筆を握り直した。指先は震え、右手の感覚は既に麻痺している。サニアは部屋の隅で、運び込まれた避難民から聞き取った断片的な「遺言」を、狂ったように紙に書き殴っていた。トウマは、崩壊していく物流網の最期のログを保存するために、予備の魔石を次々と端末に叩き込み、冷却用の魔法を自分自身にかけながら作業を続けている。


「ミラ、全件記録プロトコルを即時停止しろ」


俺の声は、自分でも驚くほど冷たく、乾いた響きを持っていた。


「これより、記録対象の強制選別を開始する。……全件の保存が不可能である以上、残すべき価値のあるものを選び、残せないものを切り捨てるしかない。事務屋として、この世界の終焉を正しく『清算』するための最終基準を策定する」


サニアの手が、ぴたりと止まった。彼女は顔を上げ、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。その瞳は充血し、連日の不眠と絶望によって、かつての輝きは失われている。


「……係長、今、なんて言いましたか?」


「聞こえた通りだ、サニア。記録には容量がある。すべてを救おうとして、結果としてすべてを失うわけにはいかない。俺たちは今から、この世界の終わりの記録を、俺たちの手で間引く。これが、世界最強の部署としての、最後の業務だ」


俺は万年筆を走らせ、羊皮紙の最上段に、呪いのようなタイトルを書き込んだ。


「世界終焉記録基準」


それは、事務屋として、そしてこの世界の管理者としての俺が下す、最も残酷で非情な決断だった。


「ミラ、第1基準を設定しろ。……死亡者の記録。個別の氏名、家族構成、生前の業績。これらすべての詳細記述を放棄する。今後、一般市民の死は1つひとつの命としてではなく『集団』という単位の数値としてのみ計上し、個別の記録は行わない。記録を維持するのは、戦況に決定的な影響を与えた将校クラス、および特殊な魔導技術の保持者に限定する。名もなき者の死は、ただの統計データとして処理しろ」


「……了解。個別認識プロセスを遮断。これより、一般市民の死を、個人の人生ではなく数値データとして統合します」


ミラの瞳から、個別の命を追っていた光が消えた。モニターに映し出されていた数万の名前が、瞬時にして単なる「1、2、3……」という、加算されるだけの無機質な数字へと変貌していく。


「次に、出来事の優先順位だ。第2基準。単なる局地的な略奪、個人の悲劇、小規模な私闘。これらはすべて記録対象から除外する。記録すべきは、境界線の移動、主要インフラの破壊、および各種族の軍事指導者による公式な声明のみとする。……それ以外の『小さな真実』は、すべてノイズとして切り捨てろ」


「係長! やめてください!」


サニアが叫びながら、俺のデスクに駆け寄ってきた。彼女の瞳には、激しい憤りと、それ以上に深い絶望が渦巻いている。


「何を言っているんですか! あの数字の1つひとつには、人生があったんです! 誰かに愛され、誰かを愛し、今日まで必死に生きてきた人たちなんです! それを『ノイズ』だなんて……そんなこと、私たちがしちゃいけない! 事務屋の仕事は、不備を正し、事実をありのままに記すことだったはずでしょう!」


サニアの声が、砲弾の響く執務室の中に、一瞬の静寂を作った。彼女の手には、先ほどまで書き留めていた、1人の老人が孫に遺した最期の言葉が握られていた。それは、歴史の教科書には1行も載らないだろうが、確かにこの世界に存在した愛の証明だった。


「命に優劣なんてない! 誰の死だって、世界にとっては等しく重い『不備』のはずです! それを、勝手に選別して、捨てていくなんて……そんなの、殺しているのと変わらないじゃないですか!」


サニアの涙が、俺が書いたばかりの「基準」の上に落ち、黒いインクを無残に滲ませた。


俺は、彼女の視線を真っ向から受け止めた。その瞳の奥にある純粋さが、今の俺には、何よりも鋭い刃となって突き刺さる。だが、俺は目を逸らさなかった。逸らすことは、自分の決断から逃げることと同義だからだ。


「サニア、落ち着け。……お前の言うことは正しい。感情としては、俺も100パーセント同意する。命に優劣はない。それは事務屋としての、俺たちの絶対的な前提だった。この世界の不備を1つも見逃さないこと、それが俺たちの誇りだった」


俺は、熱を帯びた万年筆をデスクに置いた。


「だが、記録には容量があるんだ」


静かに、しかし断絶を告げるような声で、俺は続けた。


「お前が今握りしめているその老人の遺言を記録するために、別の場所で死んでいく10人の子供たちの断末魔を消去してもいいのか? あるいは、その全員の言葉を無理やり詰め込んで、サーバーごとすべてを物理的に焼き切り、千年後の未来に1文字も、1つの事実も残らないようにするのがお前の望みか?」


「それは……」


「俺たちは今、沈みゆく泥舟の中にいるんだ。全員を乗せることはできない。重すぎる荷物を捨てなければ、誰も助からない。……記録も同じだ。すべてを救おうとする傲慢さが、歴史そのものを抹消することになる。俺は、それを許さない。たとえ薄汚れた選別だと罵られようと、俺は、この世界の終焉を、骨組みだけでも後世に残さなきゃならないんだ。事実を墓場に持っていくのは、事務屋の敗北だ」


俺は滲んだ羊皮紙を無造作に横に除け、ミラの隣に立った。


「第3基準。証言の信頼度。主観的な感情、加害者への強い憎悪、被害の主観的な誇張。これらを含む証言は、すべて『ランクC』として破棄しろ。残すのは、複数の観測対象から裏付けが取れる、客観的な事実のみだ。個人の叫びよりも、戦局の座標を優先しろ」


「……了解。証言ランクの自動判別を開始。該当しない92パーセントのデータを消去します」


ミラの指先が動くたびに、サーバーからは「ジジッ」という、命が物理的に削り取られるような不快な音が響いた。サニアが必死に書き溜めてきた、人々の悲鳴や、後悔や、祈りの言葉が、光の塵となって空間に消えていく。


「……ひどい。こんなの、私たちの仕事じゃない」


サニアは力なく床に崩れ落ちた。彼女が守ろうとした「小さな命」の欠片は、俺が策定した基準によって、歴史という名の巨大な門から無慈悲に閉め出されていった。


「価値のある死と、切り捨てられる死。……それを決める権利が、私たちにあるんですか。係長、あなたはいつから、神様になったつもりなんですか」


サニアの問いに、俺は答えることができなかった。ただ、燃え尽きようとしている執務室の明かりの中で、新しい報告書を書き続けるしかなかった。


そこに並ぶのは、冷徹な軍事行動の記録。

主要拠点の陥落。

種族間の勢力図の変動。

そして、個人の名前を奪われ、ただの「統計」として処理された、膨大な死者数の合計。


部屋の隅で、ずっと沈黙を守っていた勇者が、ゆっくりと身体を起こした。その瞳には、魔王を倒したときのような希望の光はない。ただ、戦場に散る名もなき兵士たちを数え続けてきた者だけが持つ、深い諦念だけが宿っていた。


「……事務屋。お前のペンは、いつの間にか聖剣よりも鋭い刃になっちまったな。魔王ですら、これほど効率的に人間を『消去』しちゃいなかったぜ。あいつは命を奪ったが、お前は存在そのものを歴史から消している」


「……黙ってろ、勇者。俺は、自分の仕事を完遂するだけだ。記録されない死は、この世界において起こらなかったことと同じになる。俺は、この世界が確かに終わったという事実だけは、何があっても守り抜く」


俺は、インクの代わりに自分の魂を削るようにして、基準の末尾に署名をした。


外では、王都の北側にある巨大な居住区が、エルフの広域殲滅魔法によって跡形もなく消滅したという報告が入った。数万人規模の反応が、一瞬で消失した。ミラがその詳細を報告しようとしたが、俺は手でそれを制した。


「……それも、数値として加算しろ。個別の記述は不要だ。被害面積と、消失した魔力推定値のみを記録しろ」


俺の言葉と共に、数万人の人生が、たった1つの数字に集約された。サニアの啜り泣く声だけが、事務作業の音にかき消されることなく、冷たい部屋の中に響き続けていた。


平和を管理していたはずの事務屋は、今や、世界の終わりを冷酷に剪定する庭師へと成り下がっていた。だが、その庭師が鋏を振るわなければ、この庭そのものが、記憶の彼方へと消滅してしまう。


「まあ、世界最強の部署にはなったらしい」


俺の呟きは、誰にも届くことなく、過負荷で鳴り止まないサーバーのノイズの中に消えた。窓の外には、選別され、切り捨てられ、誰に知られることもなく消えていく命の灯火が、無数に瞬いていた。


それらすべてを「誤差」として処理する覚悟を、俺は今、自分自身に深く刻みつけていた。


残された容量は、あとわずか。

俺たちは、この消えゆく世界の「何を」残すべきなのか。

その答えを出せる者は、もうこの世界には俺しかいなかった。


1人、また1人と、モニターから消えていく光。

俺はそれを1つずつ、事務的に、淡々と、そして絶望的なまでの正確さで、死のリストへと加えていった。


サニアが拾い上げた、血に染まった紙片。そこには「ありがとう」という、たった5文字の言葉が書かれていた。俺はその紙片を一瞥し、ランクCの箱へと放り込んだ。


「記録には、容量があるんだ」


自分に言い聞かせるように、俺はもう1度呟いた。

その言葉は、俺の心の中にあった最後の「人間性」という名の不備を、完膚なきまでに押し潰していった。


執務室の温度はさらに上昇し、空気は薄くなっていく。

それでも、ペンの音だけは止まらなかった。

世界が完全に沈黙するその瞬間まで、俺は、この選別という名の虐殺を、事務的に続けていくつもりだった。


事務屋は、神ではない。

だが、神がいないこの世界で、誰かがこの役割を引き受けなければならなかった。

たとえ、その結果として、自分自身が歴史上最も冷酷な犯罪者として記録されることになっても。


「ミラ、次のデータを。……まだ、書き込める余白はあるはずだ」


壊れかけた事務機と、壊れかけた事務屋。

俺たちの、最後の長い夜は、まだ半分も過ぎていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ