第114話:勇者の限界
王都の境界線、ガレキが積み上がった無人の大通り。かつては平和を祝うパレードが行われたその場所に、今は一人の男が立っていた。
背負った聖剣が、月光を反射して白銀に輝く。伝説の勇者。魔王を討ち、世界を救った最強の記号。彼がその場に現れただけで、かつては万軍が震え上がり、戦火は一瞬で鎮まったはずだった。
だが、目の前の現実は違っていた。
「やめろ! 双方、武器を引け!」
勇者の咆哮が、爆炎と魔法の轟音を切り裂いて響き渡る。彼は人族の守備隊とドワーフの独立旅団、その射線の真ん中に身を晒していた。
「雑務課が停戦案を出している! これ以上血を流して何になる! お前たちが守りたいのは、隣人の首か、それともこの平和な街か!」
勇者が聖剣を抜き放ち、地面に突き立てる。凄まじい衝撃波が走り、両軍の最前列がたじろいだ。一瞬の静寂。しかし、それは畏怖による沈黙ではなかった。
拒絶の咆哮
「……勇者様、そこをどいてください」
人族守備隊の若き隊長が、苦々しく吐き捨てた。その瞳に宿っているのは、かつての英雄への敬意ではなく、邪魔者を見る苛立ちだった。
「あんたは魔王を倒した。だが、今の俺たちの空腹を救っちゃくれない! ドワーフどもが燃料を独占し、俺たちの子供が凍えているんだ。あんたの言う『平和』は、俺たちに我慢を強いるだけの呪いだよ!」
「そうだ、勇者!」
反対側、ドワーフの魔導戦車の上から、指揮官が拡声魔導具で怒鳴り返す。
「あんたは結局、人族の味方だろう! 雑務課が作ったあの不公平な規約を押し付けに来たのか? 我々はもう、誰の管理も受けない。あんたが邪魔をするなら、たとえ伝説の勇者だろうと、我々の独立の障害として排除するまでだ!」
勇者は絶句した。
かつての戦場では、敵は「悪」であり、守るべき民は「善」だった。だが今は、双方が自分たちの「生存」という名の正義を掲げ、互いを悪と呼んでいる。その真ん中に立つ勇者は、どちらにとっても「自分たちの正義を邪魔する、過去の遺物」に成り下がっていた。
英雄の無力
執務室のモニター越しに、俺はその光景を黙って見ていた。サニアが祈るように手を組み、カイルは唇を噛み締めて血を滲ませている。
「係長……勇者様でも、止められないんですか」
「……剣で斬れる相手がいないんだよ、カイル」
俺はペンを回すのをやめ、モニターに映る勇者の孤独な背中を見つめた。
「彼が戦っているのは、魔王軍じゃない。人々の心の中に深く根を張った『不信』という名の化け物だ。それは聖剣の輝きじゃ消えないし、勇者のカリスマでも浄化できない。皮肉なもんだな。最強の武力を持つ男が、自分たちを守るために武装した民衆の前では、ただの無力な傍観者だ」
画面の中で、ついに最初の一撃が放たれた。それは勇者を目掛けて放たれた、ドワーフの魔導砲弾だった。
勇者はそれを聖剣で一刀両断に切り裂いたが、その直後、今度は人族側から「邪魔をするな!」という罵声と共に、無数の矢が彼に降り注いだ。
勇者は動かなかった。飛来する矢を最小限の動きで弾き飛ばしながら、ただ、悲しげに両軍を見渡している。
「……誰も、俺の言葉を聞いちゃいねえ」
勇者の呟きが、マイク越しに微かに聞こえた。
「俺が世界を救ったのは、お前たちが殺し合うためじゃない……! なんで分からねえんだ!」




