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勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生
雑務課 業務日誌総括

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第110話:境界

朝陽が昇っても、王都の街並みに活気が戻ることはなかった。

執務室の窓から見下ろす景色には、昨日まで存在していた「一つの都市」の面影はどこにもない。


ミラが提示した最新の広域スキャン映像には、街の至る所に引かれた無数の「赤い線」が脈動するように点滅していた。それは物理的な壁ではない。だが、そこを一歩でも越えれば、命の保証はないという、最も残酷で確実な境界だった。


「報告します。人族居住区と獣人街の結節点、およびドワーフ工業区のすべてのゲートが完全封鎖されました。それぞれの自警団は、独自の『出入国管理』を開始。雑務課が発行した通行証は、もはや紙屑同然としてシュレッダーにかけられています」


ミラの声には、もはや事務的な冷静さすら失われていた。

画面の中では、昨日まで同じパン屋に通っていた隣人たちが、通りの真ん中に積み上げられた瓦礫の山を挟んで、互いに武器を構えて睨み合っている。


「都市の中に、見えない国境ができた……というわけですか」


サニアが、力なく自身のデスクに腰掛けた。彼女の目の前には、無効化された法典と、行き場を失った行政命令の山が積み上がっている。

「私たちは、世界を一つにするために事務を尽くしてきたはずでした。でも、私たちが完璧な管理を求めれば求めるほど、人々は自分たちを守るために、世界を細切れに分断していった。……今、この王都には、互いを承認しない四つの『国』が存在しています」


これは、もはや「行政の不備」という言葉で片付けられる規模ではない。

平和という名の器が粉々に砕け散り、その破片の一つひとつが、独自の法と暴力を持つ小さな国家へと変貌していた。


管理不能の地図

トウマが、物流の完全停止を告げる最終レポートを俺の前に置いた。


「係長、王都の経済圏は死にました。食料は人族が握り、燃料はドワーフが、医薬品はエルフがそれぞれ囲い込んでいます。境界を越えた交易は『密輸』と定義され、発覚すればその場で処刑される。……平和な空の下で、私たちは最も非効率で、最も血生臭い『鎖国』の時代に逆戻りしたのです」


トウマの眼鏡の奥に、深い絶望が滲む。

彼が心血を注いで築き上げた「効率的な世界」は、感情という名の不条理な境界線によって、一晩にして瓦解したのだ。


「……境界、か」


俺はペンを走らせるのをやめ、その「境界線」に指を触れた。

かつて魔王を倒したとき、境界線は「あちら側」と「こちら側」を分ける希望の線だった。だが、今の境界線は、隣に住む友を敵に変えるための絶望の線だ。


「カイル、お前はどう思う」


部屋の隅で、昨日拾った「事故死」の報告書を握りしめていたカイルが、ゆっくりと顔を上げた。その瞳に、かつての迷いはなかった。


「……係長。俺は、あの境界線を越えて行きます。事務屋としてじゃなく、一人の人間として。あっち側にいる人たちも、こっち側にいる人たちも、みんな同じように腹を空かせて、同じように震えているはずだ。書類じゃ届かないなら、俺が直接、声を届けに行きます」


「……行かせてやれ」


俺の言葉に、サニアが驚いたようにこちらを見た。


「係長!? 今、外に出るのは自殺行為です! どの居住区も、雑務課の人間を見つけ次第、反乱の主謀者として捕らえると宣言しているんですよ!」


「分かっている。だが、書類の有効期限は切れたんだ。これからは、個人の責任で動くしかない」


俺はデスクの上の「紛争発生件数:0」という嘘のモニターを、拳で叩き壊した。

火花が散り、青白い煙が上がる。


「境界ができたなら、それを事務的に認めてやる。ただし、俺の帳簿に『戦争』という文字を書かせるな。たとえ世界がバラバラに引き裂かれても、俺は最後まで、この歪んだ平和を、死体のように抱えて歩いてやるよ」


部屋の隅で、勇者が聖剣を静かに抜き放った。

その刀身が、朝陽を反射して白銀の光を放つ。


「……事務屋。境界ができたってことは、守るべき場所が明確になったってことだ。俺の剣は、もう世界全体を救うことはできねえ。でも、目の前の境界線を越えようとする『悪意』だけは、叩き斬ってやるぜ」


窓の外では、王都の中に引かれた「見えない国境」に沿って、最初の銃声が響いた。

平和な空は、もうどこにもない。

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