第106話:地方崩壊
執務室の壁一面に投影された大陸全土の経済地図が、不気味なほど「赤く」染まっていた。かつて戦時中に最前線基地として栄え、軍需物資の集積地として活気に溢れていた地方都市の灯が、一つ、また一つと消えていく。
トウマが提示した最新の財政レポートには、事務的な数字以上の絶望が記録されていた。
「係長、地方の経済構造が完全に破綻しました。戦争という名の巨大な公共事業が消滅し、軍の駐屯地が撤退したことで、それらに依存していた地方経済は呼吸を止めたも同然です。現在、大陸全域で五つの主要都市が事実上の破綻を宣言。住民たちは生活の糧を求め、一斉にこの王都へと向かっています」
トウマの声は淡々としていたが、その裏にあるのは数百万単位の「生活の喪失」だ。
「……戦争が、彼らの飯の種だったっていうのか」
俺はペンを握る手に力を込めた。平和になったことで、最前線にいた人々は「勇者」ではなく「失業者」になった。軍需工場は閉鎖され、兵士を支えた宿場町はゴーストタウンへと化した。国からの補助金は復興という名目で中央へと吸い上げられ、地方にはただ、冷たい静寂だけが残された。
サニアが窓の外、王都の外縁部に目を向けた。
「流入人口は既に限界を超えています。スラムは今や、元難民や無国籍者だけの場所ではありません。昨日まで地方で真面目に働いていた、納税者である市民たちが、その身分証を捨ててスラムへと流れ込んでいます。王都の居住区に入るための高いハードルを超えられない人々にとって、あの無法地帯が唯一の『居場所』になってしまっているんです」
平和という名のパズルが、中心部を美しく飾るために、端のピースを次々と切り捨てている。
拡大する「影の都市」
カイルが震える手で、スラムの最新の航空写真を差し出した。
「係長、見てください。スラムの境界線が、物理的に王都を飲み込もうとしています。地方から来た人たちが、自分たちの持っていたわずかな家財道具で、新しい『家』を建て続けている。彼らは怒っているんじゃない、ただ、絶望しているんです。国を守るために協力した結果が、このゴミ溜め行きだなんて」
モニターには、ボロボロの服を着た元市民たちが、泥にまみれてパンを奪い合う姿が映し出されていた。
「勇者が言っていた『見えない敵』の正体の一部がこれだな」
俺は立ち上がり、壁の地図に大きくバツ印をつけた。
「地方が崩壊し、人々が中央へ押し寄せる。これは単なる人口移動じゃない。社会という名のシステムの、修復不可能な『不備』だ。地方には仕事がなく、中央には居場所がない。その隙間に溜まった膨大な不満のエネルギーが、今まさに臨界点を突破しようとしている」
俺はサニアに向き直った。
「サニア、地方復興予算の再編案を作れ。王都の無駄な装飾事業をすべて凍結し、崩壊した地方都市を『特別経済特区』として再定義する。人々に、王都へ来なくても生きていける理由を事務的に作ってやるんだ」
「……それは、中央貴族や商ギルドの激しい反発を招きます。彼らにとって、地方の切り捨ては既定路線ですから」
「反発なら俺が受ける。彼らが握っているその金が、いつか自分たちを飲み込むスラムの火種になっていることを、数字で分からせてやるよ」
部屋の隅で、勇者が聖剣の鞘を指で弾いた。カチリ、という硬質な音が響く。
「事務屋。お前が書類を書き換えても、もう遅いかもしれねえぜ。地方から来た連中の瞳には、もう絶望じゃなくて、復興の恩恵を独占しているこの街への『殺意』が宿ってる。見えない敵が、ついに実体を持って動き出そうとしているな」




