第四章:二十三話 森の騒乱 ~その六~
例:デーモン → 悪魔
アークデーモン → 上位悪魔
レッサーデーモン → 下位悪魔
デーモンとレッサーデーモンの戦闘力の差をわかりやすく説明すると、虎と子猫といったところだろうか。少なく見積もってもこの程度の差がある、とは震え声をなんとか絞り出したラビニアによる。
解:ゴブリン → 雑魚魔物。魔物としての最底辺。ヤラレ役。
レッサーゴブリン → 聞かないであげて。
『あっはははは!』
通信玉の向こうから響いてくるバカ笑い声はラビニアのものだ。姿が見えずとも、宗兵衛の頭の上で腹を抱えて笑い転げている姿がはっきりとわかるのだから、一騎の脳内補完能力も大したものである。
『常わぶふぅ! 君は一たぃ~全たっふっなにをど、したら……ふ、明らかに退、っ化しているのぷっふぉ』
なんとか堪えようとしつつ、無駄な抵抗に終わっている宗兵衛。どうやら腹筋は破壊されているようだ。どこに腹筋があるのかは知らないが。
『~~~~~~~!?!?!?』
リディルが必死に笑いを堪えているとわかるのは、かえって辛い。
「笑ってんじゃねぇぇぇぇぇええええっ! どういう状況なんだよこれは!? 『進化』って強くなるもんじゃないの!? どう控えめに見ても弱くなってるんですけど!?」
別に控えめに見なくとも弱くなっている、とは誰も口にしなかった。
一騎は骨刀を『進化』させるべく魔力を全力で使っていたが、これは確かに成功するものと、観測していた宗兵衛たちは考えていた。予想外の事態として、一騎の手から骨刀が途中で手放されたことがある。『進化』に必要な魔力は足りており、『進化』自体も発動されていたが、進化先が急に失われたことで能力が暴走、一騎本体に力が逆流した。
『ここからが問題なんですけどー、一騎さんの『進化』そのものは成功していたんです。けど骨刀にある程度の魔力が注がれていたことから総量が乏しく、一騎さん自身を『進化』させるほどの魔力は既に残っていなかったと思うんですよー。そんな状況で行き場を失った「進化に用いている魔力」は一騎さんの体内を巡り、結果として極めて半端に、一騎さんを作り替えることになったんじゃないかと思うんでぷ』
最後、ラビニアは堪えきることができなかったらしい。
世界にはレア物と呼ばれる希少な魔物が存在する。
古代竜などという種族はその最たるものだし、一騎もゲームやラノベを通じた知識としては知るものだ。出現率が低い上に逃げ足が速くて経験値の多いメタル色のスライムなんかも該当するだろう。レアアイテムをドロップするまで、リセットを繰り返した記憶も残っている。
レッサーとつく魔物で有名なのは、前述したデーモンの下位種族とされるレッサーデーモンだ。決してボスキャラにはならずとも、プレイヤーが低レベルなうちはそこそこの強敵になりうる。だがまあ、結局はヤラレ役であることには変わりがない。
ではレッサーゴブリンはどうだろうか。
ゲームやラノベに通じている一騎をして、ちょっと聞き覚えのない種族だ。そもそもからして最下級の雑魚魔物であるゴブリンの、更に下位に位置するゴブリンというのはよくわからない。
説明してくれたのは例によってラビニアとリディルだった。つまり、一騎にとってはロクな結果を引き起こさない内容である。
レッサーゴブリンとはそのまま言葉の通り、ゴブリンの下位種だ。一般はおろか冒険者間にあってもほとんど知られていないレア魔物で、魔族の側に立つラビニアですらが、名前を知っているだけで見たこともないという。
それもそのはず。レッサーゴブリンはヒエラルキーの最下層に位置するゴブリンの下位種で、あらゆる能力がゴブリンに劣る。人間の子供と同程度、と侮られるゴブリンよりも更に低いともなれば、生存競争の激しい過酷な自然界で生き延びる目はほとんどない。
戦闘力は皆無、草食動物のように逃げるための能力にも欠ける、同種族のはずのゴブリンからも餌として狙われる最底辺の最弱者。発生数自体が極めて少なく、生まれたとしても一月を生きることはまずない。
今の一騎のように成体となったレッサーゴブリンともなればレア中のレア。
その心臓は万病を癒す奇跡の治療薬、干し首は異性を惹きつける魔道具の中でも最上級に位置付けられ、睾丸は他の精力剤に配合することで効果を飛躍的に向上させ、胆のうは特に老化を遅らせる効果を謳われ、他の内臓や骨、皮膚や爪も何らかの効果を持つ、あるいは縁起物とされている。
個体数が極めて少ないだけでなく、素材として価値を持つ成体にまで成長することがまずないため、王侯貴族の生涯においても手に入れることのできない縁起物として、同じ重さの金の百倍以上というとんでもない高値で取引される。
公式記録によれば、人間社会にレッサーゴブリンの成体の死体が出回ったのは、百二十年前が最後だ。このときは国王に献上した平兵士が爵位までもらっている。
第三者として聞いていると、えらく高価で珍しいものだな、としか思うくらいだが、今の一騎はそのレッサーゴブリンそのもの、それも素材というか縁起物として高い価値を持つ非常に珍しい成体のレッサーゴブリンである。この状態で人間と接触するようなことになれば、即座に狩り殺されること間違いなしだ。
「ぉぉぉ……」
一騎は言葉にならない声を吐き出し、より貧弱になった両手を見る。
戦闘力など望むべくもない、ヒエラルキーの底辺。ネズミや犬より上かどうかすら疑わしい。これでどうやって戦えと、いや戦うのは無謀でしかないから逃げる以外の選択肢はないのだが、これでは逃げ切ることなど到底、不可能だ。逃げようと背を向けた瞬間、背部が背骨ごと吹き飛んでしまう映像が見える。
「うん?」
絶望しか見えてこない己を手をじっと見つめている、と、一騎は奇妙な感覚に眉をひそめた。弱くなった実感はある。長くとも数分後には、自分の肉体が四散しているだろうことを理解していた。
人だった頃と変わった点を挙げるとすれば、諦めが悪くなったことだ。困難な状況を前にするなり、「ま、こんなもんだ」と早々に物事を投げていたのに、人よりも肉体的に劣る今、どうにかして事態を切り抜けようとしている自分がいる。
変わったことにすら一騎自身が気付いていないので、確かめる術はない。一騎が気付いたのは、レッサーゴブリンの貧弱極まりない肉体、その内側を巡る流れだ。
血液や電気信号の動きを知覚できたわけではない。これは、ただのゴブリンだったときには感じることのできなかった流れというのは恐らく――――
いやちょっと待て。
レッサーゴブリンの効能について、酷く物騒なものが混じっていなかったか? いや、全部が全部、一騎の死を望んでいるかのようなものばかりであるのだが、その中でも特にロクでもないものがあったような。
一騎は首を捻って思い出す。確か、干し首には異性を惹きつける効能が、
『ヒャッハー! ゴブリン狩りじゃぁぁぁぁああああっ!』
『嫉妬の友情のために死んでくれやぁぁああはぁぁん!?』
「っつぉぉおおい!」
悶絶していたはずの嫉妬仮面たちが襲いかかってくるが、この事態を十分に予測できていた一騎は横っ飛びで回避した。
『ちぃぃぃっ、勘のいい生贄野郎だぜぶげはぁ!?』
『仲間の幸せのために犠牲になることは常識だろぽもっ!?』
「そう来ることは読めてんだよ!」
回避に成功するや否や、嫉妬仮面の顔面目掛けて拳を繰り出す一騎。一騎の拳は寸分違わず、嫉妬仮面のマスクに突き刺さる、が、乾いた音と共に一騎が抱いたのは強烈な違和感だった。手応えがまるで違う。相手を殴り飛ばすつもりで放った拳は、まるで相手にダメージを与えられていないのだ。
一号は顔面に拳を乗せたまま、にたぁ、と笑い、次いでタパタパと涙を流し始めた。
『効かぬ。効かぬのだ』
どこの世紀末覇王を気取っているのか。
『お前は間違っていたのだ、我が友よ。そんな、「進化」などというわけのわからない力に縋るなど。だからこうなるのは必然なのだよ』
宗兵衛の骨矢爆撃から守られた事実は忘却の谷底にでも投げ捨てたらしい。この程度の記憶力だから、毎回毎回、赤点回避のためのカンニング技術ばかりが向上するのである。
一騎の中には一つの確信があった。実証したことのない仮説、だが絶対にこうだという確信が。
欲望に塗れ切った四本の手が迫る。一騎は逃げるでもなく、防御するでもなく、野球のピッチャーのように大きく振りかぶった。握り込んだ右手に魔力が集中したかと思った瞬間、赤い光が生まれる。
明白な破壊を秘めた力。ゴブリン、というよりこれまでの一騎が望んでも持ちえなかったそれは、魔法だ。
ファンタジー世界に来ておきながら、魔法から縁遠かった一騎が遂に手にした力。他の誰が気付かずとも、一騎にはわかる。この魔法がどんな理由で生まれたものか。どうして急に使えるようになったのか。
エストとの精霊契約だ。
本来、精霊と契約したものは、精霊の属性による強力な力を得る。もちろん、最大の力を発揮するためには精霊との協調や、自信の能力を高めるといった修行が必要になるが、時間や訓練を経ずとも、多少の恩恵はあるのが普通なのだ。
エストの場合は土と火の属性なので、精霊契約を交わした――特に精霊から望んだ要素の強い――一騎なら、すぐにでも両属性の魔法を使えるようになるはずだった。
だがゴブリンという魔法適性の乏しい種族故の特徴によるものか、あるいは一騎本人に壊滅的なまでに魔法の才能がないことが原因なのか、詳細はともかく、ここまでの一騎には魔法を使えそうな気配は一ピコグラムもなかった。
これから先もなかっただろうが、エストとの契約は変化をもたらす。正確には、もたらしていた。ゴブリンからより弱体化したことで、己の内を巡る魔力の流れと強さを感じ取ることができたのは、思いがけない偶然の幸運。
『け! 雑魚の魔法なんざ高が知れてる! 力で押し潰すぞ二号!』
『一人の不幸が我らの幸福! 一人はみんなのためにぃぃぃいいっ!』
こいつらにとっての敵味方という概念がどんなものなのか、唐突に興味の湧いた一騎である。
他人の不幸と犠牲を前提にした幸福なんぞくそくらえと言いたい。数瞬前まで味方だった事実はどこに飛んでいったのか、電動ドリルに匹敵する速度の高速掌返しに、志を同じくする一騎としても感心と驚きと嫌悪のどれを前面に押し出すべきか決めあぐねてしまう。
だからとりあえず、燃やすことにした。ボォン、と漫画の効果音のような音を立てて、自然には起こりえない炎が噴き上がる。炎は『空中殺法!』とか口走りながら見事なジャンプを披露する一号と二号を容易く呑み込み、赤とオレンジの巨大な顎が咀嚼した。
術者の一騎本人が驚く威力と規模だが、『一号死すとも嫉妬は死せず!』『必ずや我らに続く嫉妬の戦士が現れる!』などと炎に撒かれながらも喚く余裕があることから、死ぬことはないだろう。
一騎の各種能力をステータス画面で見たとすれば、筋力や敏捷といった全能力が低下し、魔力量自体は特に変わらず、だが魔力操作だけが跳ね上がっているはずだ。
初めての魔法、その最初の相手が一応は仲間だったこと、次に向ける相手が、同じ境遇の同級生であること。
この現実はしかし、もはや一騎の心を苛みはしなかった。
やるべきことをやる。自分と、自分についてきてくれているものたちのために。
より鋭さを失ったレッサーゴブリンの眼光は、炎に煽られて岩石魔物にまで届くかどうか怪しいものだったが、どうやら一騎の杞憂に終わる。岩石魔物を覆う雰囲気から、緊張と剣呑さが増していったからだ。




