第四章:二十二話 森の騒乱 ~その五~
お盆のため、来週は更新を休ませていただきます。
岩石魔物から強い視線を浴びせかけられたというのに、一騎の心に怯えは生じなかった。人間だったときだと、いわゆる不良と呼ばれる人種から声をかけられようものなら、それだけで緊張していたのに、不良などよりも遥かに凶暴で強い魔物に睨まれても、一騎の心には恐怖も怯えも緊張もない。
荒事に慣れた影響だろうか。もちろん否定できない要素だが、もっと別の、岩石魔物に起因する要素もあった。
『ぬぇあああぁぁぁっ!』
一騎と岩石魔物の間にはある程度の距離がある。一騎の位置からだと岩石魔物だけでなく、身長三メートルに及ぶ巨人となったゴブ吉とゴブ助も視界に楽に収められ、それが突然見えなくなった。
一騎と岩石魔物との中間地点に、ざらついてゴツゴツとした巨大な物体――要は岩石が高速で落下し、一騎の視界を遮ったのである。
一騎が驚きを口にする暇もない。驚くだけの余裕があるのなら、事態の確認と回避に費やすべきであり、偶然なのか能力が向上したからなのか、一騎は両方を同時に行うことができた。
落下してきた岩石から全力で距離をとりながら、上空に最大級の注意を向ける。高がゴブリン風情では、最大級をもってしてもまだ不足だったろう。一騎の頭上からは、視界を遮った岩石と同じか上回る質量が、それこそ雨のように一斉に降りかかってくる。
ただし雨のようにシトシトとかザーザーのような優しい降り方ではない。
宗兵衛の巨大骨矢のように怖気を掻き立てる不吉極まりない風切り音を響かせ、地面に当たったときには衝撃と地響きをこれでもかと巻き起こす。
直下、二度の自爆を含む攻撃で無残に薙ぎ倒されていた森を、隙間など許さぬとばかりに重さ大きさ数と衝撃で押し潰し、巻き込み撥ね飛ばし砕き散らすのだ。
こんなことなら宗兵衛から骨の具足を借り受けておけばよかったと激しく後悔しつつ、ないものねだりをしても仕方がないので一騎は懸命に動き続けるしかない。そもそも貸してくれるかどうかも疑わしいのだが。
不良と呼ばれる人種から逃げ続けてきた人間時代の勘と、不本意ながら積み重ねてしまった魔物時代の戦闘経験との歯車がきっちりと噛み合い、一つ二つと岩石を避け、更に一つ二つと岩石が落ちてくる。挙句、ぶつかった衝撃で砕けた岩石は、破片を周囲にばら撒くときている。
だけではなかった。
「っっ」
一騎の腕を、回避したはずの破片が掠める。適当に骨刀振るう。飛び散る破片の一つを真っ二つにすることに成功、だが破片は地面に落ちず、慣性の法則を無視した軌道で一騎の腹を狙う。
一騎は瞬時に理解せざるを得なかった。猛烈な勢いで降り注ぐ岩は、岩石魔物が操っているもの、つまりは武器だ。なら岩石が砕けた後も操ることができるのも当然だろう。
降り注ぐ巨大岩石をハンマーに例えるなら、破片は針か鑢か。機関銃、とまではいかなくとも、十分な数の破片が川の流れのようにうねりながら一騎を襲う。
岩の嵐の向こう、僅かに垣間見える岩石魔物の眼光が安堵に輝いている。
骨の具足はない。骨刀を『進化』させようにも魔力もない。回避しようにも破片のほうが速度で勝る。一騎にできることは体を小さくして、少しでも被弾面積を小さくすることだけだ。
落水のように絶え間ない破片の攻撃は、一騎の体を削り取る。増えた脂肪分だけを削り取ってくれるのなら感謝の言葉をかけてもいいが、肉と骨と命を容赦なく削るとあっては、口をついて出てくるのは恨み言のみ。
骨刀の切っ先よりも鈍く、しかし高い殺傷力を持つ欠片が一騎の顔の中心に迫る。直撃なら即死もあり得る。咄嗟に立てた骨刀が間に合うか微妙なタイミング。
遮ったのは金属音だ。
『イッキ様!』
『ご無事ですか!』
ゴブ吉とゴブ助が割って入り、盾で破片を殴り砕く。尚も収まらない攻撃の嵐から一騎を守るべく、二体のリビングアーマーはミスリルの鎧と盾でもって一騎を覆った。まさに自分自身を盾に使ったのである。
庇いながら可能な最大速度で下がる二体に一騎は抱え上げられ、その耳には金属をひどく且つ執拗に叩く音、金属の乾いた音やひしゃげたり砕けたりする破滅的な音が聞こえてきた。
唐突に出現した岩石の嵐は、消失もまた突然だった。
視界が遮られ、外の様子を完全に把握できていない一騎でさえ、もう一分、いや三十秒も続けば叩き潰されて死んでいただろうと予測できたのに、岩の嵐は忽然と姿を消した。
後に残ったのは、降り注いだ岩石と巻き起こされた惨状、そして広大な空間だ。
「ぅおおぉぉ……マ、マジか……」
意味のある言葉になっているだけでも褒めるべきかもしれない。剣を振り下ろせば斬ることのできる距離にあったゴブ吉たちも、猛威を振るった岩石のせいで間合いはかなり開いてしまっている。
信じられないくらいに強化されているリビングアーマーの機動力でも、一足飛びに斬りかかることはできない距離だ。いわんや、飛び道具のない短足ゴブリンの一騎など、これだけ距離が開けば脅威になりようはずがない。
「!」
小さな衝撃に襲われる一騎。一騎を抱えていたゴブ吉の左膝が音を立てて地面についていた。
見れば、リビングアーマーの鎧は激しく損傷している。腹部は大きく凹み、背部は抉られて風穴が開き、右腕は大剣ごと吹き飛び、右足は杖のように細くなった金属片が残る程度だ。
『ギ、申し訳ありません、イッキ様。これほどの装備を頂いておきながら』
「いや違うだろ。その装備だからこそ、俺は今こうして無事でいられるんだ。お前たちがいなかったら、ほんと、ペシャンコになっていたかもしれない。助かった、ありがとう」
『ギギ、そんな、礼など……っ』
かもしれないどころか、確実に潰れていた。命を拾ったことに一騎は心の底から安堵し、この戦場で安堵しているのは自分以外にもいることをしっかりと把握する。
地面に落下し、砕けた岩石の向こう側、実行犯の岩石魔物が余裕を取り戻している姿が確認できた。
岩を集めた鎧に身を包み、そのサイズは先の自爆前よりも更に一割は大きくなっている。より防御を強化したということか。
これが、自分が恐怖や緊張を感じなかった理由だと一騎は納得した。
岩石魔物は一騎たちを殺そうとしたのではなく、己を守ることを優先したのだ。あの強烈な岩石嵐も、攻撃力こそあれど、実際に行われたのはゴブ吉たちを遠くに追い払うことだった。戦場に出張ってきておきながら、相当に消耗するだろう手段を防衛のために用いたことは、命の奪い合いをしている最中にあっては拍子抜けしかねない行いだ。
ただし、と一騎は己の考えを改めた。
一騎の前方には広大な空間が広がっている。あの岩石魔物の思考や優先順位がどうであれ、目の前のこの空間は、岩石魔物が作り出したまたは守り切ったものと言えよう。戦場自体を押し潰すだけの攻撃力を備えておきながら、実質はまさに鉄壁というべき恐るべき防御法。
「!?」
前方から、巨岩が猛烈な速度で迫ってきた。安全だと認識した距離から岩石魔物が岩の鎧の一部を飛ばしたものだと悟ったのは、一騎の反射と瞬発力では回避しようのない距離にまで迫られてからだ。
大きく開かれていた一騎の視界が遮られる。またもゴブ助がミスリルの盾を立てて割り入ったのだ。
勝敗の明らかな激突音が空気を揺らし、ゴブ助の巨体が宙を舞い、地響きを立てて落下する。既に膝をついているゴブ吉がどうにか盾を構え直したが、損傷の激しい鎧と岩石魔物の放つ岩弾の威力を考えると、防ぐことができるのはもう一回だけ。
一騎の勘はあまり当たらないが、岩の鎧に遮られて表情のうかがえない岩石魔物に、会心の笑みが浮かび上がったような気がしたのは、状況があまりに一方に傾いているからだ。
岩が砕ける音が二つ、聞き取れた。岩弾の再発射のための準備だと察しが付く。一発でゴブ吉の防御を吹き飛ばし、次の一発で決着。
防ぐ手立ては、ある。というよりこれしかない。骨刀だ。
一騎の残魔力は乏しい限り。『進化』を行うには、宗兵衛から魔力を引っ張ってくる必要があるが、悠長に協力要請をしている余裕はないことに加え、間に合うかどうかはわからない。けどやらなければ詰む。
「すまん、宗兵衛、魔力を貰うぞ!」
『そこはせめて、借りると言いなさい』
骨刀を介して繋がっている宗兵衛から供給を受けた魔力が、一騎の全身を疾駆し、『進化』を成す力へと変異して骨刀へと流れ込む。巨大蛇腹剣となった骨刀ならば、岩石如き、紙玉同然に斬り裂き、奥に隠れ潜む岩石魔物にまで到達しうる。
「ゔ、ぅづ……っ」
アンデッドの魔力が全身を巡る強烈な違和感と苦痛を意に介さず、またも宗兵衛が頭蓋骨だけになるかもしれない事実など頭の片隅にも留めず、一騎は遠慮なく骨刀に魔力を注ぎ続ける。
『――――っ』
なにが起こるかわからないなりに、岩石魔物は事態を、危険性を悟る。己の体当たり一つで赤いシミになるゴブリンが、信じられない規模の魔力を行使しているのだ。なにが起きるかわからずとも、起きてしまえば決して良いことにはならないと予想がつく。
予想の果て、岩石魔物が採った手段は自爆だった。爆発規模を抑えた、ただし爆発のエネルギーを特定の方向に向けた、
『これ以上、人様の手ぇ煩わせてんじゃねえよクソがぁぁぁああっ!』
これまでで最速の岩弾を放つ。宗兵衛の巨大骨矢は音速の八十パーセントに到達したとのことだが、この岩弾は間違いなくそれより早い。
一騎が気付こうと気付くまいと、対処できないくらいには。
『『ぬぉぉおああぁぁ!?』』
ミスリルの鎧にも盾にも次々と風穴が穿たれる。ゴーストのゴブ吉たちへダメージこそ与えられないが、その精神に衝撃を与えるには十分な威力。
「っづ!」
ゴブ吉とゴブ助、両者の決死の守りは遂に破られ、岩弾の一発が一騎の骨刀に直撃する。
ミスリルを突き破る恐ろしい威力は、ゴブ吉たちの防御により多少ばかり減弱したとはいえ一騎の手から骨刀を弾き飛ばすには十分すぎる。むしろ岩弾の直撃で尚も砕けない骨刀の強度が信じられない。
同時に、信じられないことがもう一つ起きる。一騎の体が輝きだしたのだ。
骨刀に回していた魔力が、骨刀が手から離れたことで行き場を失い、一騎の体を巡り始めたのだ。これが『進化』によるものだと理解している一騎も、これからなにがどうなるかまでは見当もつかない。鬼になるのだろうか、もしくは竜になるのだろうか。それとも失敗に終わるのだろうか。
「なっ、にが……っ」
一騎の疑問に答えられるものはいない。
『イッキ様!』
『ギギ、これは一体!?』
ゴブ吉たちの懸命の声も届かない。
一騎の緑色の全身を覆う輝きが急速に強くなり、膨れ上がり、弾ける。魔の森の一角を白に染めた魔力光が数瞬を経て失われ、
果たしてそこには一体の魔物が立っていた。
「な、な、なぁ……っ」
小さかった体躯は、より一層小さく貧弱に。曲がりなりにも魔物らしかった鋭い爪は折れたり砕けたり、そもそも生えてなかったり。お世辞にも戦闘に向いているとは言えなかった筋肉ですらがすっかり痩せ細り、
「なんでぇぇぇぇえええええっっ!?」
立っていたのは、レッサーゴブリンだった。




