第四章:二十四話 森の騒乱 ~その七~
『――――っ!?』
岩石魔物の表情にも全身にも強い緊張が行きわたる。予想外のタイミングで魔法を使えたことで、驚きと喜色に満ちている一騎とはまるで対照的だ。岩石魔物が抱いていた自分に都合の良すぎる前提が崩れたのだから、当然と言えば当然の反応か。
ゴブリン種に遠距離攻撃の選択肢は乏しい。弓を使う個体も、魔法を使う個体も確認はできるが、確認と同時に脅威にはならないと判断していた。ゴブリンロードの部下にいた連中を、暇つぶしを兼ねて踏み潰した経験によるものだ。
実際のところ、ゴブリンロード自体も岩石魔物の敵ではない。弱者に従っているのは、偏に楽をしたいからである。
できるなら、日がな一日何もせずにダラダラ過ごしたいし、仮になにかをする必要に迫られたとしても、可能な限り負担は減らしたい。また、負担を減らすためにゴブリンロードの側が手を尽くすことが当然だと思っている。戦闘に参加しろというのなら、ただの一撃で決着を付けられるようにお膳立てしてもらわなければならない。
この戦いに参加したのは、すべての準備が整ったと言われたから――決して自分で判断したわけではない。更には戦闘行為そのものへの参加ではなく、森に火を放つよう言われていた――だ。
上空からの不意打ち。狙撃のような対人攻撃ではなく、広範囲に及ぶ衝撃による対軍攻撃。森を燃やす効果も付与された、不意打ちそのものでは殺せなくとも、直後に広がる衝撃が確実に命を奪うはずだった。
仮に、そんなことは起こりえるはずのないことだが、万が一にも敵が生き延びたとしても、アリを踏み潰すより簡単に止めを刺すことができるはずだ。
『と思ってたのによぉぉぉ……』
全部の予想が外れた。いや、外れたのは願望か。不意打ちでも衝撃でも仕留めることはできず、どころか大したダメージすら与えられていないではないか。
感情のままに爆発したが、本来ならゴブリン如きを残骸にすることすら容易い攻撃は、割って入ってきた鎧野郎に邪魔されて果たせなかった。
それでもゴブリン共の気勢を削ぐことに成功したと留飲を下げた次の瞬間、打ちひしがれていたように見えていたゴブリンが、事もあろうに魔法を行使して見せたのだ。
岩石魔物は、自分の表情が人間時代から変わりないと勝手に考えている。実際は表情筋を持っておらず、表情筋に代わる組織も乏しいために細かな動きを失っており、核石というか本体はほとんど能面だ。このことを自覚していないながらも、人間時代の感覚に縛られたままの岩石魔物は、己の顔が強烈に歪んだろうと錯覚していた。
思い通りにならないことへの怒りもそうさせているし、なによりも、このまま戦いが続いた場合、自分が傷つく恐れが飛躍的に高まったではないか。
他人を圧倒的に蹂躙するのは気分がいい。同時に、自分は毛ほどでも傷つくのは許せない。
こんなのは話が違う。
自分が楽できなければ、安全でなければ意味がない。
約束が違うじゃないか。こんなことには付き合っていられない。どうしてこんなことになるのか。森に火を放つだけの簡単な仕事。これだけを引き受けていればよかった。ついでに敵を殺すなんて発想をしなければ、相手が雑魚だから簡単に片付くなんて思わなければ、こんな事態にはならなかったのに。
いつまでもここに残っているとどうなる?
自分が傷つく恐れが出てきてしまうじゃないか。
さっさと逃げ出そう。
ゴブリンロード? ベート?
知ったことではない。
重要なのはなによりも自分。まずは自分自身の安全が最重要だ。
岩石魔物は岩の鎧をまとってすっかり巨大になった体を後退らせた。魔力の大量放出でもって、この場から全力離脱するつもりだ。
岩石魔物の目論見は半分、いや三割程度が成功する。後退ることには成功し、離脱には失敗した。
炎を手にまとわりつかせたグリーンゴブリンの視線に射抜かれていたのだ。岩石魔物は口元が大きく歪んだことを自覚――決して錯覚などではなく――した。
正直、一騎の気持ちは急激に大きくなっている。
生まれて初めて魔法を使えたことで、とんでもない高揚感に襲われていた。骨刀の『進化』も魔法に見えなくはないし、巨大武器というものへの憧れもある。
問題なのは、巨大蛇腹刀は危機的状況でしか使えていないので、感動している暇などないのだ。降りかかる命への危険を振り払うためにがむしゃらに振るっているばかりであることに加え、手に持つ武器ということで、どうしても憧れや感動以外の感情がある。
しかしここまで完璧な魔法だと話は違う。
ファンタジーでしか存在しないもの、完全なフィクション。それが今、自分の手の中にある。自分が使うことができるのだ。
岩石魔物が動く音を捉えた。
あの巨体だ。そっと動くことなど絶対に不可能、だというのに岩石魔物は尚もこそこそと動こうと、それも逃げようとするのが明らかな動きを見せていた。
逃げてくれるのなら深追いはしない。以前の一騎なら間違いなく下しただろう判断を、今日の一騎はしなかった。
仲間を守るための戦いだ。降り注いだ岩石嵐の攻撃はゴブ吉とゴブ助を容赦なく叩き、一騎はもう一度ゴブ吉たちを失うのでは、と肝が冷えもした。
降りかかる火の粉は斬り払う。
守るべきものの優先順位もはっきりとしている。
転生者だろうという共通点があるにしても、躊躇う理由にはならない。
岩石魔物はこちらを全力で殺しに来たのだから、当然のこと。少なくとも今はそう言い聞かせて自分を納得させる。もしかすると、戦いが終わった後で激しい後悔や悪夢やらに襲われるかもしれないが、それは物事が一段落してからの話だ。
一騎の右拳に炎が生まれた。火力が強くなり、炎自体が膨れ上がる。慎重に狙いをつけて右ストレートを放つ。
『クソっが!』
岩石魔物が巨体を捩る。火球が弾丸となって岩石魔物に迫り――大きく逸れていった。炎は空中で爆発し、一騎や岩石魔物を赤く照らす。
狙いをつけたのは、つけた気になっていただけだ。ただし威力だけは十分。逸れた先で起きた爆発の威力を考えると、岩石魔物の岩の鎧も数発で砕くことが可能と思われた。
ビキキ、とヒビが生まれる音に半瞬遅れて、岩弾が発射される。
「っとぉ!」
一騎は両腕で頭を隠して左に跳ぶ。瞬発力の低下しているレッサーゴブリンでも回避できていることから、本気の攻撃ではないことは明らか。単なる牽制だ。防御力を下げるのを忌避していることも、発射された岩弾が数発しかない事実からわかる。
次の一発は大きい。一騎の頭部と言わず、体全体を木っ端微塵に砕くことができる。炎で砕いても破片を全身に浴び、そもそも炎で砕けるかどうか不確実。
一騎は思い切り地面を蹴って跳ぶと同時、考えもせずに蹴った地面を撫でていた。
別に地面を愛でる趣味はない。一騎の手が触れた場所から土壁が出現する。せり上がる土壁は完全には岩弾を阻むことはできなかった。土壁は激しい衝撃に打たれ、一発は貫通を許し、残りの岩弾は土壁の厚みを半分ほど穿って止まる。
一騎は土壁の防御力を確認しつつ、転がりながら木の陰に隠れた。といってもアメリカの映画のように銃弾を防げるような頼りがいのある木ではない。ここまでに猛威を振るった衝撃でへし折れた、残骸のような幹の後ろに飛び込んだだけだ。
レッサーゴブリンの体躯だったからこそ身を隠すことができたのである。追い込まれて逃げ込んだように見えても仕方ないが、一騎としては追い込まれている感じは乏しい。むしろ、新たに得た力の感触を受け止めることで、確かな勝利への道筋が見えた気がした。
倒すにしても防ぐにしても、十分に強力。骨刀を『進化』させるだけの魔力はなくとも、炎と土の魔法を使いこなすことができたならまだ十分勝機がある。
「あれ?」
そこまで考えてから、一騎はとあることに気付く。気付かなくてもいいことに。
骨刀を『進化』させるのは一騎の能力だとしても、骨刀自体は宗兵衛から貰ったもの。魔法を使えるとはいっても、魔法の力の根源はエストとの精霊契約があってのことだ。一騎だけでは魔法を使えず、振り回す骨刀も作れない。
「なんだろう、この他力本願な感じは……」
しかもかなり徹底している。タイトルを付けるとしたら、転生ゴブリンは異世界を他力本願で生き延びる、といったところか。
転生して無双する話の大半は、神様とかから与えられるチートによるものだ。エストとの精霊契約で得た力も似たものだと受け止め、同時に、どこかが違っているような気がしていならない一騎である。
岩石が一騎の隠れる木を叩く。横からだ。さながら左フックのような軌道で木を打ち、大地深くにまで這っていた根ごと砕いた。
転がり込んだ木の後ろから、転がり逃げる一騎。魔法が使えるようになった影響なのか、一騎の目は周囲に満ちる魔力を捉えていた。見えたものは縁起でもない光景だった。戦域に転がる岩という岩に、岩石魔物が魔力を通している。防御と攻撃を兼ね備えた技術、岩石嵐だ。
「げ」
としか言いようがない。周辺にはもう、岩石嵐を凌げるような隠れ場所はないのだ。レッサーゴブリンとなっている今はもちろん、普段の一騎の足でも絶対に逃げ切ることはできない。
隠れて凌ぐことも、逃げることもできないとなれば、一騎が採れる選択肢は一つのみ。岩石魔物を倒す。できるかどうか甚だ不安。にもかかわらず、これ以外の選択肢が残っていないというのが酷い。
『もうめんどくせぇからぁぁぁ! さっさと死ねよぉぉぉおおおっ!』
「こっの脳筋野郎が!」
脳筋どころか、脳まで鉱物でできているかもしれない相手に一騎は毒づく。
一騎が左腕に炎を生み出す。規模が大きい。一騎としては手首から先だけに生み出すつもりが、コントロールが未熟なせいで上腕すべてを炎が覆っている。踊る炎が自分の頬を何度も撫で、気持ち、顔を逸らす。
「つぉぉらぁぁああ!」
火球を散弾銃のように発射する。エストの大精霊としての力を受けての魔法なので、その威力は高く、威力範囲も広い。
しかし岩石嵐とは規模が違う。火球は無数の爆発を起こし、一瞬の半分だけ岩石嵐を散らしただけで、飲み込まれて消えた。土壁も同様だ。一瞬で削り取られ、跡形もなく消え去る。
岩石嵐の一部が流れを変え、一気に上昇した。まるで蛇が鎌首をもたげたようだ、と連想したのが悪かった。上昇した流れが一騎目掛けて急速落下してくる。横回転でうねりながら迫る岩石嵐と、猛烈な勢いで振ってくる岩石の滝。
「んなっ!」
一騎の周囲の時間の流れが急激に遅くなった。




