第4話 自由を掴む翼
朝の涼しい空気が部屋に満ちる中、私はパソコンの前に座り、キーボードを叩いていた。
画面に並んでいるのはひかりちゃんと観察したルリヤドカリの生態データ。
生息域、アクティブ化する条件、それから貝殻を引っ越す際の愛くるしい動きと、観察に適したおすすめスポット。
攻略勢からしたら完全に必要ない情報だなぁ。
苦笑いしながら、記事を投稿した。
投稿を終え、コメントを巡回しているとルリヤドカリのページに早速コメントがついた。
「おっ? どんなコメント来てるかな」
私の目に映ったのはルリヤドカリとは全く関係ない長文だった。
『記事更新おつ。ところでアンハート、今日ログインしてないけどどうしたんだ? フレンド欄からも消えてたから、もしかしてアカウント削除した? ギルドのみんなも心配してるぞ。何かあったなら話してくれよ』
アカウント名を見なくても、IDだけで誰だか分かった。
あの日、ギルドハウスのドア越しに『廃課金様のアイテムのおかげで楽させてもらったわ』と嘲笑い、私から借りた数十万円を『感謝料』とか言い切っていた、あの男。
コメント欄には、他の利用者からの困惑する書き込みが続いていた。
『すみません、ここってルリヤドカリの情報交換をする場所ですよね?』
『個人的なギルドの連絡は別の場所でやってもらえませんか?』
男はそれらの指摘を無視し、さらに追記していた。
『いやさ、急に音信不通になるから事故にでも遭ったのかと思ってさ。またみんなでレイド行こうぜ』
どの面下げてここに来たんだい、君は。
心配しているふりをしているけど、自分たちが何をしたのか、分かっていないのかね。
キーボードを打つ指先に、力がこもった。
黙って抜け出したことは、私も一言足りなかったかもしれない。けれど、あの日の会話を全部聞いていた私に、よくもまあ、こんなコメントを送れたものだ。
怒りが湧かないわけがあるだろうか、いいやないッ!
言い返してやろうか。あの日、全部聞いていたと、借りた金を今すぐ返せと暴露してやろうか。
いや、落ち着け……落ち着け私。
ここはあくまでルリヤドカリのページだ。他の利用者たちに迷惑をかける必要はない。
私は打ちかけたメッセージをバックスペース連打で消し去った。
深呼吸一つ。
私は管理者権限で男の書き込んだコメントを削除した。
ここは攻略サイトのコメント欄であって、アンハートの個人窓口じゃないんだ。
文句があるなら本人に直接言えばいい。
まあアカウント消しちゃったから無理なんだけどねぇ。
『他の利用者のご迷惑になりますので、無関係のコメントの投稿はおやめください』
それだけ打って、パソコンの電源を落とした。
「……はぁ、AFOでもやって気を紛らわすか」
壁の時計を見る。ひかりと合流する約束の時間には、まだ早かった。
攻略進めるわけじゃないから! 攻略進めるわけじゃないから許してくれるよね!? ひかりちゃん!
私はVRゴーグルを手にとり、頭に装着した。
◇
AFOの世界はすっかり夜になっていた。
始まりの街は夜でも活気が収まらない。色とりどりにライトアップされた噴水が私のイチオシ。
街を出て、青々としたさざなみ草原を歩く足は軽い。
ふかふかの草っぱらに仰向けになって星を眺めた。
静かだなぁ。社会人や学生がログインしていない今、兎狩りにでる初心者は見当たらない。
夜風になびく草の音を子守歌にうとうとしかけたとき。
ドシーンッという何かがぶつかる音が響いてきた。
ほう。この時間にマッドボア狩りか。珍しい初心者もいたものだ。
ちょっくら見に行ってみようか。
音のする木立ちの方へ向かうとマッドボアの姿はどこにも見当たらなかった。
そこにいたのは真っ黒なとんがり帽子をかぶった少女。右手には初期装備の木製魔法杖が握られている。
「いったたた! 飛べなーい! 飛べなーい!」
木によじ登り、杖に跨っては枝から地面へダイブしていた。
いや、どういう状況?
「よしっ、今度こそ……! 風よ、我が翼となれーっ!」
叫ぶや否や、少女は枝から大空へ跳び出した。
ドシーンッ!
「ぶへっ!?」
飛ぶ気配など全くなく、地面に叩きつけられ、土埃を上げている。
「ねえ、大丈夫? 何やってるの?」
「あさひの秘密の練習を見る不届き者は誰だー!! さては闇のギルドの回し者だな! 喰らえメテオファイア」
少女が構えた魔法杖の先に魔法陣が重なる。
メテオファイアだと!? こんな初心者エリアでそんな大規模殲滅魔法を放つのか――
思わず空を見上げた。だが燃え盛る隕石が落ちてくる気配もなく、ただ星が輝くだけだった。
「メテオファイア! メテオファイア!」
再び少女へ視線を落とした。その魔法杖の先からは小さな火の玉がぽんぽんと飛び出ていた。
「いや、それプチファイア!」
「ぐぬぬ、あさひのメテオファイアに恐れをなさないとは中々の手練れだな」
あさひと名乗った少女は後ずさりしながらこちらへ魔法杖を構えている。
「えっと? あさひちゃん? 私別に怪しい人じゃないから! 攻撃しないで」
「なんであさひの名前知ってるの!? やっぱり闇のギルドの回し者だな!!」
いや自分で名乗ってたでしょうが。
「闇のギルドって何? 本当に私知らないよ?」
「本当? あさひをバカにしにきたわけじゃないの?」
あさひは魔法杖を下ろして地面にペタンと座り込んだ。
「それで、あさひちゃんは何やってたの?」
「あのね、あのね、私空飛びたいの! それで練習してたの」
「空?」
「そう! 魔法使いは空飛べるって友達が言ってたからアサシンから転職したの!」
あさひは魔法杖を空へ掲げ、くるくると振り回した。
「でもいくらやっても飛べなーい! これならアサシンのままがカッコよかったなー」
「あさひちゃん、空飛ぶのにはスキルが必要なんだけど……」
「うん、だから木から飛び降りてたらいつかはスキル習得できるかなって!」
「そんなデンジャラスな習得方法はないよ……」
私は思わず頭を押さえた。
確かに攻撃を受けたりすることで習得できるスキルはあるけどさ。
全部が全部そうじゃないんだよ。あさひちゃん。
「でんじゃらす……? そういうスキル!? おねーさん知ってるの!?」
「いや……飛行魔法はね、まずは魔法杖のスキルレベルを上げないと習得できないの。さっきみたいにプチファイアをいっぱい使ったりしてさ」
「プチファイアじゃなくて! メテオファイア!」
まあ、技名をなんと呼ぶかは個人の自由か……
「うんうん……そうだね、メテオファイアを使って魔法杖のレベルを上げればスキルポイントで飛行魔法を解放できるから」
あさひは目をキラキラさせて身を乗り出してきた。
「じゃあじゃあ! 今すぐレベル上げれば空を飛べるようになるの!?」
「まあ、理論上はそうだけど……」
「よし決まり! おねーさん、私にレベル上げの仕方教えてよ!」
いや、さっき魔法いっぱい使うって言ったよね!?
「えっ、いや、私はこれから友達と合流する予定が――」
「ルナさーん!」
タイミングよく、草原の向こうから私を呼ぶ声が!
ひかりちゃんだ。足元のハニーボアも「ぶもぶも」と元気に走ってくる。
「あ、ひかりちゃん! 早かったね」
「はい! 早くルナさんと冒険したくて、準備を早めに済ませちゃいました!……って、あさひちゃん?」
ひかりがあさひへ視線を向ける。
「いかにも! 私はあさひ! 闇のギルドに追われる元アサシンの大魔法使いだぞ!」
ひかりはあさひの方へ歩み寄ると、彼女のほっぺをぷにぷにとつついた
「やっぱり! あさひちゃんだー! 今日学校さぼってたでしょ!」
「知らなーい! 知らないーい! あさひちゃんって誰ですかー!」
「もう、だめでしょー。病欠って聞いたのにゲームなんかしてちゃ」
「え~~だって空飛びたかったんだもーん」
ブツブツ呟いて目を逸らすあさひをよそに、ひかりはくるりと回ると私の方へ歩いてきた。
「それで、ルナさんも、あさひちゃんも一緒にお散歩ですか?」
「いや、散歩というか……この子、木から飛び降りて空を飛ぼうとしててね」
「木から飛び降りて!? あさひちゃん怪我してない?」
「大丈夫! あさひ最強だから」
あさひは手を腰にあててエッヘンとポージングしている。
この二人、まさか知り合いだったのか。世間は狭いなあ。
「ねえねえ、ひかりんはこのおねーさんと一緒に今から遊ぶの?」
「うん、そうだよ! あさひちゃんも一緒に来る?」
「いいの!? やった~~!」
ひかりはあさひの頭を帽子の上からなでなでしていた。
こう見ると、お母さんと子供みたいだ。
もしかしてひかりちゃん、あさひちゃんのことテイムするつもりだったりしないよね!?
魔法杖を掲げてぴょんぴょん跳びはねるあさひの後ろから眩しい太陽が顔を出している。
AFOに夜明けが来た。




