The Command of Clara episode 0-3
子供の頃に母クララから万年筆のコマンドを授かり、白紙のノートに黒いインクを走らせていた少女のタイムラインは、さらに十数年の超加速を経て、私は二十代のまっとうな大人へと成長していた。
サリー州にそびえ立つスタイルズ荘の書斎。
冬のしんしんとした凍えるような夜、冷え切った部屋のインフラを温めるため、私はここで初めて、コニャックを数滴落とした熱いダージリンティーのカップへと指先を添えていた。
琥珀色の美しい液体から立ち上る、ブランデーの芳醇なアルコールの香りと熱い湯気が、私の大人としての明晰な理知(脳内システム)をフルスロットルで刺激していく。
ポアロやトミーとタペンズたちの明晰な知性を原稿用紙へとスキャンし、世界中をハッキングしてみせることになる私の指先は、今夜もいつも通り、万年筆の黒いインクの染みによって暗がりのなかで黒く汚れていた。
だが、その夜、私のデスクの傍らには、一人の美しくも傲慢な知性が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
私の11歳年上の姉。
彼女はすでに、劇作家としてロンドンの文壇を文字の力でハッキングし、多くの観客を熱狂させているミラー家のもう一人の天才であった。
「アガサ。あなた、相変わらずタイプライターを直接叩くこともせず、そのインクで汚れた指先で、ペンによる手書きの原稿にしがみついているのね。本当に不器用で、出来損ないのエラー(バグ)のようだわ」
私の万年筆、そしてコニャック入りの紅茶の琥珀色の向こう側を冷徹に笑い飛ばすと、さらに私の脳内システムを本気で怒らせる、決定的な一撃(挑発)を放ってきた。
「いいこと、アガサ。あなたには、あのガボリオやコナン・ドイルが書くような、緻密な数理パズルを孕んだ探偵小説を記述することなど、逆立ちしても百パーセント不可能なのよ。あなたにできるのは、せいぜい甘い恋愛小説の記号をフリック消費させることくらいだわ」
姉の放った、不敵極まるその予測。
その瞬間、私の完璧な微笑みがふっと凍りつき、瞳の奥に初めて凄まじい執念の火の粉が燃え上がった。
「姉は私の物語の技術(文才)みくびっている。
私が諦めるとでも思った。
……面白い、その挑戦、私が百パーセント完璧にクローズ(完封)してみせる」
私はダージリンティーのカップを静かに置き、万年筆を強く握り直した。
姉が私の文才にハッキングを仕組んできたその瞬間から、私の新しい物語りははじまっていたのさ。
ベルギーから逃れてきた亡命警察官。
風変わりな口髭と、卵型の頭、そして完璧な秩序の算法を脳内に宿した名探偵――エルキュール・ポアロ。
彼という名の最高峰の知略の配線図が、私のペン先から今、恐ろしいほどのスピード感で溢れ出そうとしていた。
私は、頭の中を駆けめぐる思考の渦を、一旦、休めた。
ドレスの裾を綺麗に直して、勝ち誇ったように見下ろしてくる姉を冷静に見つめた。
そして、自分自身が、これから処女作『スタイルズ荘の怪事件』という名のゲームで世界中を欺いてみせる。
その完璧なスコアを、考えている段階から冷徹に判断しはじめていた。
姉を完封するための、万年筆の黒いインクの数理。
それは後に、私を裏切った最悪の夫アーチボルドを社会的に完膚なきまでにパージ(抹殺)するための、あの『完ぺきなる、リベンジ劇の記録(Dear Diary)』の凄まじい心理戦へと、血脈のレベルで地続きに繋がっていくのである。
霧の街、ロンドンの霧の正体は、工場地帯から出る煙――ただの物理的な煙に過ぎないのだから……….




