The Command of Clara episode 0-2
母クララから万年筆と一冊の白紙ノートを手渡された、アガサは、ベッドの上で黒いインクの染みを広げながら、最初の創作の算法を走らせたあの日から、さらに数年のタイムラインが経過していた。
成長した私の前には、ミラー家という一族が持つ、あまりにも強固で冷徹な「二つの金融OS」の現実が厳然たるファクトとして横たわっていた。
なぜ、私たちの家族は、新興国アメリカの利権を引き算して、わざわざ大西洋を渡ってこの英国の地へと移住してきたのか。
その理由のすべては、私の父方の祖父であるナサニエル・ミラーが、ニューヨークの綿花・貿易ビジネスを裏のインフラから完全にハッキングして築き上げた、巨額の資産の手続きに隠されていた。
祖父は世界の工場である英国の巨大な貿易インフラと取引を同期させ、莫大なキャッシュを記述してみせた大商人だった。
だが、どれほどアメリカで富の数字を積み上げようとも、新興国にはヨーロッパのような「由緒正しき上流階級の格式(貴族的な記号)」だけは、逆立ちしても手に入らない社会OSの死角があった。
だからこそ、私の父親であるフレデリック・ミラーは、アメリカの泥臭い労働インフラには一切触れることなく、ただロンドンへと定期的に電送されてくる高額な銀行小切手の手続きだけで、このサリー州にそびえ立つスタイルズ荘という「紳士の衣服(階級)」を、スマートにドレス調達(買い付け)してみせたのだ。
父親のフレデリックは、自ら汗を流して帳簿をつけるような真似は一文字もしなかった。
彼は毎日真面目に通うようにして上流階級のクラブへと車を走らせ、そこで優雅にチェスやトランプのスコアを楽しむためだけにその指先を動かしていた。
私は、熱いダージリンティーのカップを片手に、暖炉の火を見つめながらチェス盤の駒を冷徹にパージしていく父の優雅な指先を、じっと凝視していた。
「お父様は、手ぶらでこの国へ滑り込み、小切手のサインだけでこの完璧なスタイルズ荘のインフラを構築されたのね」
その父の指先を見つめながら、私の脳内システムは、母クララから受け継いだあの「天賦の文才」と、父方の血脈に眠る『冷徹な商人の算法(手ぶらで階級を買い付け、不要な人間をパージする小切手のDNA)』が、最高峰の不協和音としてガチッと重なり合っていくのを感じていた。
ミラー家の男たちの帳簿には、小説を記述するための文才など一文字も記述されてはいない。
だが、不要な不良債権を冷酷に切り捨てるあの「損切りの数理」だけは、一寸の狂いもない一次資料として、私の脳内へと100%完璧にインストールされていた。
私は、頭の中を駆けめぐる思考の渦を、一旦、休めた。
新調されたばかりの仕立ての良い衣服の裾を直して、チェス盤の前で優雅に微笑む父を冷静に見つめた。
そして、自分自身が、いつか現実の世界を舞台にしてはじめることになる、あの完璧な完全犯罪のゲームのスコアを、考えている段階から冷徹に判断しはじめていた。
手ぶらでハローゲイトの高級ホテルへエントリーし、テレサ・ニールという偽名を使って小切手を切り、新しいドレスを現地調達して見せるあの復讐劇の配線図。
それは、私の祖先がアメリカから海を渡ってこの英国の階級を買い付けたあの移住の手続きそのものであり、私の指先を黒く染める万年筆のインクの数理と、完全に同期していたのである。
この大商人の血筋から目覚めようとしている女の、最高に知的で楽しい復讐の重量なんて逆立ちしても、誰にも理解できないだろうと……….
霧の街、ロンドンの霧の正体は、工場地帯から出る煙なのだから…………




