第53話 見極めのプレッシャーと、古屋のガレージ
CB400SFの重いクラッチと格闘する日々が続き、いよいよ第一段階の最後を締めくくるとっておきの関門、「第一段階の技能検定」の日がやってきた。広大な教習コースを走る自分の姿は、入所した頃に比べれば少しずつ板についてきたものの、どうしても本番のプレッシャーに弱いのが今の僕たちの課題だった。
「ねえ、葵……。今日の検定、正直めちゃくちゃ緊張しない?」
待合ロビーで、楓は冷たい烏龍茶の缶を両手で包み込みながら、不安そうな顔で呟いた。
「一本橋でタイムが短すぎたり、クランクでパイロンにタッチしちゃったりしたら、一発で不合格になっちゃうんでしょ? せっかく夏からバイトで貯めたお金が、これ以上余計に消えたらどうしようって思っちゃうよ」
その不安は、僕もまったく同じだった。
原付の自由気ままな乗り方とは違い、教習所の検定では減方式で厳しく採点される。少しでもバランスを崩せば、検定員の持つクリップボードに冷徹な減点が書き込まれていくのだ。
「わかる。頭では『落ち着いて周りを見ろ』って分かってるんだけどさ、いざ跨ってローギアに入れた瞬間、心臓の音がヘルメットの中にまで響いてきたんだよな」
いよいよ僕たちの検定番号が呼ばれた。
ビブスを身につけ、コースのスタート位置に並ぶ。目の前には、相変わらず圧倒的な存在感を放つCB400SFの車体。少し離れた場所から見守る検定員の鋭い視線が背中に突き刺さる。
「それでは、検定を開始してください」
小さく息を吸い込み、クラッチを慎重に繋ぐ。
エンジンが心地よい低音を響かせ、重い車体がスーッと動き出す。第一関門のクランク。原付の軽快さとは違う、車体の重さをしっかりニーグリップで抑え込みながら、目線を遠くのコーナーの出口へと向ける。パイロンをクリアし、そのまま加速してS字を抜け、ついに出迎えたのは鬼門の「一本橋」。
(落ち着け……焦るな。半クラッチとリアブレーキだ……!)
前輪が橋の鉄板に乗り上げる。緊張で左手がほんの少し震えたけれど、これまでのバイトや古屋でのメンテナンスで培った「指先の感覚」を総動員してバランスを保つ。アクセルを一定にキープし、タイムを確認しながら、ゆっくりと橋の出口を通過した。
「……よしっ!」
無事にクランク、S字、一本橋を抜け、急制動のラインへ。指定された速度まで一気に加速し、前後のブレーキを的確にかける。タイヤがアスファルトをしっかりと捉え、車体は見事に安定した状態で停止線をスッと踏み分けた。
すべての走行を終えて待合ロビーに戻ってきた僕たちのところに、検定員が結果の用紙を持って歩いてきた。
「二人とも、お疲れ様でした。第一段階の検定……合格です。基本操作もしっかり身についていますし、コース走行も綺麗でしたよ。これで無事に第一段階はクリア、次は第二段階へ進んでいけます」
その言葉を聞いた瞬間、全身から力が抜けたような、それでいて空に飛び上がりたいような爽快感が胸を駆け抜けた。
「やった……! 受かったよ、葵!」
楓は両手を握りしめ、パッと満面の笑みを咲かせた。僕も大きくうなずき、心の底からホッと息を吐き出した。
その日の夜、いつもの「古屋」のガレージ。
いつものようにGS50とポッケが並ぶ空間に、少しだけ大人の階段を上った僕たちの足音が響く。冷蔵庫から取り出した瓶のサイダーを「プシュッ」と開け、二人は乾杯の代わりに軽くグラスを合わせた。
「第一段階検定突破かぁ……長かったような、あっという間だったような。でも、これでいよいよ次の段階、もっと難しい課題に進んだり、卒業検定を目指したりするんだね」
楓は愛車のポッケのタンクに手を置きながら、どこか誇らしげにつぶやいた。
「ああ。教習所の中だけのコースとはいえ、これからはスラロームや波状路みたいな、さらに高度な技術が試される。でも、ここまで来たらもう怖くないさ」
古屋の天井で揺れる裸電球の光の下、僕たちの未来の地図は、確かな一歩とともに次のページへと大きく開かれていた。
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