第51話 教習所の第一歩と、重いクラッチレバー
秋晴れの空がどこまでも高く広がる週末の朝。僕たちはついに、市内の自動車学校の門をくぐった。
敷地内に足を踏み入れると、どこか遠くから「プーッ」という教習車のクラクションの音や、コンクリートのコースをバイクが力強く加速していくエキゾーストノートが聞こえてくる。普段乗り慣れている50ccの原付とは違う、独特のピリッとした緊張感が空気に満ちていた。
「わあ……なんか、すごく本格的だね。コースも広いし、あそこに停まってる赤いバイク、あれが教習車?」
受付を済ませて待合ロビーの窓から外を覗き込みながら、楓が少しだけ目を丸くした。
彼女が指差す先には、ホンダのCB400SFが何台も綺麗に整列していた。僕たちが普段乗っているスズキ・GS50やヤマハ・ポッケと比べると、車体はまるで巨人のように大きく、エンジン周りの迫力も段違いだ。
「あれが中型二輪の教習車か……。噂には聞いてたけど、間近で見るとやっぱり重厚感がすごいな」
思わずゴクリと喉を鳴らす僕に、これから始まる実技教習への期待と不安が入り交じる。
最初のプログラムは適性検査と、ビデオによる交通教則の確認、そしていよいよ実際にコースに出て行う第一段階のオリエンテーションだった。
プロテクターを装着し、ヒジやヒザにガチガチとした重装備をまとった状態で、僕たちは教習コースの端へと誘導された。指導員の先生からバイクの引き起こしや乗車姿勢のレクチャーを受けたあと、いよいよ実際に「教習車」に跨る順番がやってきた。
「じゃあ、まずはエンジンをかけて、ローギアに入れてクラッチを繋ぐ感覚を掴んでみようか」
指導員に促され、僕はCB400SFのシートに跨った。
両足のつま先がしっかりと地面を捉えるものの、車体の重さは原付とは比べ物にならない。おそるおそるセルボタンを押すと、低く太い4気筒のエンジン音がトコトコとした単気筒とは違い、まるで生き物のように滑らかに唸り声を上げた。
「それじゃあ、クラッチをゆっくり上げて発進!」
言われた通り、左手のレバーを慎重に操作する。
――重い。
原付の軽いクラッチとは全く違う、しっかりとしたバネの反発と重みが左手の指にダイレクトに伝わってくる。エンジンがストールしないよう、右手のスロットルをわずかに開きながら、慎重に半クラッチの位置を探る。
ガツン、と急に繋がってエンストしかけ、慌ててクラッチを握り直した。
「おっと……!」
「はい、今の早い! もう一回、エンジン音と半クラッチのポイントをよく感じて!」
指導員から飛ぶ的確な声に、冷や汗がスッと背中を伝う。
隣のコースでは、同じように悪戦苦闘している楓の姿があった。
彼女もまた、ポッケの軽い車体とは違う400ccの重さとクラッチの重さに戸惑いながらも、必死にアクセルとクラッチを微調整して、教習車を恐る恐る前へと発進させていた。
原付の免許を取ったときの手探りだったあの感覚が、少しだけ蘇ってくる。
けれど、今回はそれよりもはるかに大きくて重い、本物のオートバイを自分の手足でコントロールしなければならないという圧倒的な現実があった。
一時間の教習が終わる頃には、緊張のあまり両手の平や肩に無駄な力が入り、ヘルメットの中はうっすらと汗ばんでいた。
待合ロビーに戻ってきた僕たちは、ぐったりとした様子で自販機の冷たいスポーツドリンクの缶を握りしめた。
「はあぁ……疲れた……! あのクラッチの重さ、油断するとすぐにエンストしそうになるし、バイク自体の重さでバランス崩しかけたよ……!」
楓はぐったりと椅子に寄りかかりながらも、その目はどこか楽しげにギラギラと輝いていた。
「でもさ、面白くない? あの重い車体が自分の操作一つでスッと前に進んだ瞬間、めちゃくちゃカッコいいバイクを操ってるって実感が湧いてさ!」
「本当にな。原付みたいにただスロットルをひねるだけじゃなくて、体全体でバイクを支えて、対話しながら走る感じがする」
僕もうなずきながら、自分の手のひらを見た。まだ少しだけ、クラッチレバーの重さが指の感触として残っている。
アルバイトを終えて深夜の古屋に戻ると、いつものGS50とポッケが静かに僕たちを出迎えてくれた。
その小さな車体を見ていると、少しだけホッとするような、愛おしいような気持ちになる。けれど、僕たちの心はすでに、あの自動車学校の広いコースで唸っていた400ccのエンジン音と、新しい未来へと続く重いクラッチレバーの感触にしっかりと捉えられていた。
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