第49話 カタログの隙間と、現実のマネープラン
目標としていた9月までのアルバイト戦線を文字通り駆け抜け、教習所の入所金と教習代、さらにはその後の諸費用までを完全に自力で稼ぎきった僕たち。いつもの「古屋」のコンクリート床に胡坐をかき、今度は使い古したノートではなく、バイク雑誌や各メーカーのカタログを何冊も広げていた。
頭上にぶら下がる裸電球の黄ばんだ光に照らされながら、ページをめくる音がガレージの中にカサカサと響く。
「ふう……やっとここまで来たんだよね。こうして無事に20万円以上の大金を貯めきったわけだけどさ、ここからが本当の意味での大問題なわけだ」
楓は膝を抱え、目の前に山積みにされたバイク雑誌の表紙を眺めながら、どこか遠い目をした。
「何が問題って、もちろん『どのバイクを買うか』と、その購入資金のリアルな見積もりだよ!」
そう、普通自動二輪(中型)の免許を取るための費用を捻出するだけで精一杯だった夏。しかし、実際に免許を手に入れて乗るための「実車」を手に入れるには、教習所代とはまた別の、そしてさらに現実的なマネープランが必要不可欠だった。
新車のカッコよさに惹かれつつも現実的なプライスタグを見て絶句し、かといって古すぎる中古車に潜むメンテナンス地獄の恐怖を想像して頭を抱える――それこそが、免許取得を目指す高校生が避けて通れない最大の関門だった。
「だな……。教習所代の20万円はあくまで『免許を取る権利』を買うためのものであって、バイク本体の代金や、自賠責保険、任意保険、登録諸費用、さらにはヘルメットやグローブ、ジャケットのライディングギア一式は一切含まれていないもんな」
僕がそう言うと、楓は「そうなのよ!」と大げさに両手を広げた。
「ネットとか雑誌で見ると、最近の中型バイクって本当にどれもカッコいいじゃない? 250ccのネイキッドとか、少しレトロなスタイルの単気筒とか、マルチエンジンの400ccとかさ。でも、車両本体価格を見た瞬間に『あ、これ今の私の全財産じゃ一括で買えないや……』って現実に戻されるの繰り返しだよ」
楓が指差す雑誌のページには、人気の250ccロードスポーツや、若者に人気のネオクラシックモデルがピカピカの車体を誇らしげに写し出している。車両価格だけで40万から50万円、いや、諸経費を合わせれば軽く60万円を超えるようなマシンたちだ。
今の僕たちが血の汗を流して貯めた20万円という金額は、免許取得の費用としては大金だったけれど、欲しいバイクを新車でそのまま買うには、まだほんの序の口にすぎなかった。
「新車はちょっと高嶺の花すぎるか……。かといって、安すぎる旧車や不動車を買っちゃうと、僕たちの技術じゃ古屋のなかで手に負えなくなって、結局バイク屋さんに多額の修理代を払う羽目になるしな」
僕が腕を組んで唸ると、楓はカタログの端をパタパタと折りながら、真剣な表情でうなずいた。
「うん、それだけは絶対に避けたいよね。今の私たちには、このGS50とポッケという最高に可愛い相棒たちがいるんだから、いきなり背伸びして無理なローンを組んだり、すぐに壊れるボロを買う必要はないはずだよね、葵はさ、中型を取ったら具体的にどんな排気量やタイプのバイクに乗りたいってイメージしてるの?」
楓の問いかけに、僕は少しだけ考えてから、目の前にあるGS50の小さなエンジンに目をやった。
いま乗っているのは50ccのマニュアル車だ。クラッチを繋ぎ、シフトペダルを掻き上げ、エンジンを自分の手足のように操る感覚はすでに体に染み込んでいる。だからこそ、次に乗るバイクも「アクセルを開ける悦び」や「バイクと対話する感覚」がダイレクトに味わえるものがいい。
「僕はやっぱり、軽くてキビキビ走れる250ccの軽量ネイキッドか、あるいはちょっと古い空冷の単気筒か2気筒あたりが気になってるかな。高速道路に乗れる排気量があれば、県内から背振を越えて、もっと遠くの福岡の海とか、長崎のほうまで下道で行ける範囲がグッと広がるだろ? 重すぎるアメリカンとか大型ツアラーよりは、車体が軽くて取り回しがしやすいほうが、今の僕たちの体格にも合ってる気がするんだ」
「それ、すごく分かる!」
楓も自分のヤマハ・ポッケを振り返りながら、目を輝かせた。
「私も、重くてデカすぎるバイクは正直ちょっと怖いな。足つきが良くて、トコトコ走る鼓動感がしっかり感じられて、それでいて原付じゃ絶対に登れなかった急な山道やバイパスを余裕でクリアできるパワーが欲しいの! ……あ、でもそうなると、やっぱり予算と車種のバランスを真剣に考え直さないとね」
ここで再び、現実のマネープランという分厚い壁が僕たちの前に立ち塞がる。
教習所の入所金が約20万円。そしてバイクの購入資金に保険や登録費用、さらにはこれからのメンテナンス代。トータルでいくら必要なのか、そして冬から春にかけてのアルバイトをどう配分すればその金額に届くのか。
古屋の薄暗い裸電球の下、僕たちは再び電卓を手に取り、夢のあるバイク談議と、生々しいお金の計算を交互に繰り返しながら、それぞれの未来の相棒を探す長い夜を過ごしていくのだった。
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