第45話 レジの列と、深夜のチェンジペダル
夏休みの後半戦が始まってからというもの、僕たちの日常は一変した。
昼間の日差しがまだアスファルトを焦がす時間帯、楓は駅前の大型スーパーで制服のベストを身にまとい、次々と流れてくるカゴの中身をバーコードに通し続けていた。秒単位で変わるレジのディスプレイ、絶え間なく続くお客さんの列、そして金額を打ち間違えないという緊張感。レジ打ちのバイトが終わる頃には、楓の肩や腕は鉛のように重く、足の裏はジンジンと痺れていた。
一方の僕も、同じスーパーのバックヤードや売場でダンボールの山と格闘していた。
特売品のペットボトルや調味料のケースを台車に積み、棚の隙間へ素早く補充していく。埃と冷房の効いた空気が入り交じるバックヤードでフォークリフトの音を聞きながら汗を拭うと、原付のキャブレターをいじっていた時の心地よい疲労感とはまた違う、現実の生活の重みが肩にずしりと乗っかってくるのを感じた。
「ふう……やっと終わった……!」
夜の八時を過ぎ、スーパーの従業員用出口から出てきた僕たちは、それぞれの自転車――ではなく、今日は少し遠くから乗ってきたGS50とポッケの脇で合流した。お互いに制服の上からジャケットを羽織り、ぐっと伸びをする。
「お疲れ、楓。今日のレジ、混み合ってたみたいじゃん」
「もうヘトヘトだよ……! お盆過ぎなのに、なんであんなにお客さんが次から次へと来るんだろうね。でも、時給の計算したら、教習所の入所金まであと少しだなって思って、そこだけをモチベーションに頑張った!」
楓はヘルメットを抱えながら、フッと息を吐き出して笑った。その顔には疲労の色が隠せなかったけれど、目の奥にはハッキリとした光が宿っている。ただ疲れて流されるだけの夏休みじゃない。自分たちの手で未来の切符を掴み取るために、一歩ずつ確実に前進している実感がそこにはあった。
「僕も、品出しの途中で腰がピキッときかけたけど、頭の中で中型二輪の教習車をイメージして耐えたよ。よし、せっかくだし、帰りにいつもの古屋でちょっと作戦会議していかない?」
「いいね! 冷たい炭酸飲みたい!」
夜のとばりが降りた街を、二台の原付がトコトコと心地よい排気音を響かせて走り出す。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った道路を抜けて、僕たちの秘密基地である「古屋」のシャッターを押し上げた。
裸電球の黄ばんだ光を灯すと、そこにはいつものように、オイルとガソリンの匂いに包まれたGS50とポッケが並んで待っている。
コンクリートの床にドンと腰を下ろし、冷蔵庫から取り出した冷えた炭酸の缶を「プシュッ」と開けた。喉を通る冷たさが、今日一日働き続けた体に染み渡るように心地いい。
「ねえ、葵。働き始めてから気づいたんだけどさ……」
飲み口を見つめながら、楓がポツリと言った。
「ん? どうしたの?」
「私たちが今乗ってるこの原付ってさ、本当に小さいじゃん? でも、毎日こうして汗水垂らして稼いだお金が、いつかあの大きな教習所のバイクのクラッチレバーに繋がって、もっと遠くの景色に連れていってくれるんだって思うと、なんだかこの小さなポッケのエンジン音すら、すごく愛おしく聞こえてくるんだよね」
楓のその言葉に、僕は思わず胸を突かれた。
そうだ。原付をただの「移動手段」や「小さなバイク」として見ていた頃とはもう違う。自分たちの手で汗を流し、労働の対価として得たお金を貯めていく過程そのものが、僕たちとバイクの絆を何倍も深いものに変えていた。原付の非力さも、マニュアルのシフトチェンジの不器用さも、すべてが未来の中型免許へと続く尊いトレーニングなのだ。
「だな。この古屋のなかでスパナを握って、外に出てバイトで汗を流して……その全部が、僕たちを少しずつ大人にしてるんだろな」
僕がそう言うと、楓は少し照れくさそうに笑い、自分のポッケのステップを軽く蹴った。
「よしっ、明日からのシフトも気合入れて乗り切ろっと! 目指せ、冬の教習所入所!」
「おぅ、僕も負けずにシフト詰め込むぞ」
夜の静寂に包まれたガレージのなかで、二つのグラスがカチンと軽い音を立てた。アルバイトの日々はまだ始まったばかり。けれど、その先にある新しいエンジンの鼓動を胸に、僕たちの夏は確かな足取りで未来へと加速し続けていた。
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