第43話 背振の頂と、これからの約束
木漏れ日の差し込む小さな展望スペースにバイクを停め、僕たちはヘルメットをシートの上に置いて大きく息をついた。ここまで麓から一気に登ってきた二台の50ccエンジンは、カウルの中からチリチリと心地よい冷却音を立てている。シートから立ち上がり、ガードレールの向こう側を覗き込むと、それまで自分たちが走ってきたワインディングロードが緑のなかに細いリボンのように縫い込まれ、そのはるか下方には見慣れた佐賀平野の風景が広がっていた。
「はあ……登りきったね! すごい、あんな遠くまで見渡せるよ!」
楓は両手を腰に当て、心地よい山風に汗ばんだ前髪を揺らしながら満足げに声を弾ませた。その頬には、ワインディングを駆け抜けた高揚感からか、うっすらと健康的な赤みが差している。
「本当だな。平坦な道じゃ絶対に味わえない、あのエンジンを唸らせながら登っていく感覚……やりきったって感じがすごいするよ」
僕も自分のGS50のタンクに手を置き、その微かな温もりを感じながら頷いた。
原付のパワー不足に歯痒さを感じつつも、シフトチェンジのタイミングを計り、コーナーの立ち上がりでアクセルを開けて車体を前へと押し出す一連の動作は、ただ移動するだけの移動手段を超えて、バイクと会話しているような確かな手応えを僕たちに教えてくれていた。
楓はポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。
「ねえ、葵。ちょっと見て、今回のルートの高度記録。一気にこんなところまで登ってきたんだよ」
スマホの画面に表示されたグラフは、なだらかな平地から一気に急勾配へと跳ね上がり、今まさにその頂点に達していることを示していた。昨日記録した海岸線の綺麗なオレンジ色の水平線とはまた違う、文字通りの「山越えの軌跡」がそこには刻まれている。
「すごいな。海から山まで、僕たちのこの小さな相棒たちはどこへだって行けるんだな」
「うん! でもね、今日こうして背振の険しい坂道を走ってみて、余計に思ったんだ。もっと大きな排気量になって、こんな風にアクセルを制限を気にせず回せたら、この先の峠を越えてさらに向こうの県まで行けるかもしれないって」
楓のその言葉に、胸の奥が熱くなった。
夏休みが明ければ、僕たちにはアルバイトのシフトが待っている。朝から晩までレジに立ち、品出しに汗を流し、時には疲労で足が棒のようになる日々が始まるだろう。けれど、その先にある冬や春先の「中型免許」という明確なゴールと、今日この場所で見た圧倒的な景色があれば、どんなに忙しい日々だって絶対に乗り越えられる。原付の免許を取ったばかりの頃は、ただ近所を走るだけで精一杯だった僕たちが、こうして自分たちの足と手で新しい世界を切り拓いているのだという実感が、全身に満ちていくのだった。
「よし、じゃあそろそろ下り坂の準備をしようか。下りはエンジンブレーキをうまく使わないとブレーキに負担がかかるから慎重にな」
「了解! 帰りも安全運転で、無事にあの古屋まで戻ろうね」
一休みしてすっかり冷えたエンジンに再び火を入れ、僕たちはヘルメットを被り直した。
トコトコと軽快で愛おしい単気筒のアイドリング音が静かな山あいに響き渡る。緑豊かな背振の峠道をあとにし、僕たちはそれぞれの未来へと続く次のカーブへ向けて、そっとアクセルをひねり出した。




