第42話 背振の登り坂と、唸るシングルエンジン
朝の澄んだ空気とまだ夏の名残をとどめる強烈な日差しが入り交じるなか、僕たちはついに背振山地へと向かう険しい山道へと差し掛かっていた。佐賀平野の広大な田園風景が徐々に背後へと遠ざかり、道路の両脇を隙間なく埋めるスギやヒノキの緑が一段と濃さを増していくにつれて、アスファルトの乾いた匂いから、土や湿った葉、そして木々の香りに周囲の空気がガラリと変わっていく。
先頭を走るのは、鮮やかな赤い車体を軽やかに傾ける楓のヤマハ・ポッケだ。そのすぐ後ろを、僕のスズキ・GS50がトコトコと乾いた小気味よい排気音を重ねながらしっかりと追走する。平坦な国道とは違い、ここから先は勾配が徐々にきつくなり、ガードレールが幾重にも折り重なる本格的なワインディングロードが待っている。
「どう? ポッケの調子は上り坂でも落ちてない?」
木漏れ日の差す緩やかなカーブを抜けた先の短い直線で、僕はヘルメットのシールドを少しだけ押し上げて声をかけた。
「うん、よく回ってる! でも、ここから先はもっと勾配がきつくなるみたい、気合入れていこっか!」
楓の言葉通り、道の傾斜は一段と険しさを増し、路面を這うように伸びる白いガードレールが急な弧を描き始めた。
50ccの小さな単気筒エンジンにとって、こうした連続する上り坂は試練そのものだ。アクセルをどれほど全開にワイドオープンにしても、車体の重量と容赦ない登坂抵抗に押し負かされ、スピードメーターの針はじりじりと左側へと下がっていく。最高出力が発生する美味しい回転数を維持するため、僕は左手のクラッチレバーを素早く握り、左足のシフトペダルを掻き上げてすかさず一速落とした。
ガツン、と低いギアに噛み合った瞬間、エンジン回転数が一気に跳ね上がり、マフラーから力強い排気音が弾けるように響く。
チェーンとミッションが全身で唸りを上げながら、GS50は踏ん張るように車体を前へと力強く押し出していく。すぐ隣を走るポッケの小さなエンジンも負けじと高いトーンの爆音を響かせており、二台の原付がまるで息を合わせるかのように協力して坂を駆け上がっているのが感じられた。排気量は小さくても、いま僕たちの右手と左足の細かな操作にバイクが全身全霊で応えてくれている。そのダイレクトで熱い手応えがたまらなく心地よかった。
「すごい……! 登る、登るよ葵! ちゃんと前についていくからね!」
つづら折りのコーナーをクリアするたびに、視界のなかに広がる景色がダイナミックに、そして劇的に変化していく。遥か下方には、僕たちが普段暮らしている佐賀の街並みがミニチュアのように小さく広がり、その向こうには有明海のきらめきがどこまでも穏やかに霞んで見えている。
平坦な道では絶対に味わえない、高回転まで回るエンジンの熱とタイヤのグリップのせめぎ合いを全身で感じるワインディング。
原付の限界ギリギリのパワーを絞り出しながら峠を登っていくこの時間は、僕たちが数日後に控えているアルバイトの激しい日々や、その先の中型免許という新しい未来へ向かうための、かけがえのない助走のようにも思えた。
「よし、あそこの木陰の展望スペースで、ちょっと一休みしよう!」
道の脇に広がった小さな駐車スペースを見つけ、僕はウインカーを出して車体を丁寧に滑り込ませた。
キーをオフにすると、熱を持ったエンジンがチリチリと細かな金属音を立てて冷め始める。エンジンを切った途端に周囲の深い静寂が戻り、僕たちはヘルメットを脱いで、汗ばんだ額を拭いながら、全身を包み込むひんやりとした山風を思い切り深く吸い込んだのだった。




