第35話 海岸線の国道と、二台の鼓動
唐津へと続く海岸線の国道に入った瞬間、それまでの住宅街の喧騒や窮屈なアスファルトの匂いが嘘のように消え去り、代わりにどこまでも広い空と、潮風を含んだ乾いた風が僕たちを包み込んだ。
「うわあ、すごい……! 空がどこまでも広いよ、葵!」
前を走るヤマハ・ポッケのステップに体重を預けながら、楓がヘルメットのシールド越しに歓声を上げる。
視界の右手には、遮るもののない玄界灘の青い海がどこまでも広がっていた。夏の強い日差しをまともに受けてきらめく水面は、まるで無数のダイヤモンドを散りばめたようにまぶしく輝いている。白砂の海岸線に沿って緩やかにカーブを描くアスファルトの上を、僕たちの50ccのエンジンはパタパタパタと軽快な単気筒の鼓動を響かせながら、一定のリズムで駆け抜けていく。
これまでの山道や急な坂道、木漏れ日の差す細い林道では、ローギアやセカンドギアを酷使してエンジンを唸らせていたけれど、この海沿いの直線道路はトップギアを維持したまま気持ちよく回転数を伸ばしていける。エンジンの調子もすこぶる良好で、キャブレターを通る空気が心地よくエンジン内を冷やしているのが、ハンドルを通じてダイレクトに伝わってきた。
「このペースなら、お昼前には目的地の防波堤に余裕で着きそうだな」
僕は心の中でそう呟きながら、ミラー越しに楓の姿を確認した。
小さなポッケの車体は、大型トラックが通り過ぎたときの風圧に少しだけふらつくこともあるけれど、楓はしっかりと両腕でハンドルを抑え、自分の力で車体をコントロールしながら楽しそうについてきている。その背中を見るたびに、あの佐々木モータースの土間で必死にオイルや泥と格闘していた日々が、確かな技術と自信に変わっていることを実感させられる。
しばらく走ると、道の駅や小さな漁港がちらほらと見え始め、遠くに見える唐津城の白い姿がだんだんと大きくなってきた。
「ねえ、葵! あそこ、ちょっとバイクを停めて海風を感じられるところないかな? 写真も撮りたいし!」
前方から、楓の弾むような声が風に乗って聞こえてくる。
「了解、ちょうど良さそうな広めの駐車スペースがあるから、そこに停めよう!」
僕はウインカーを出し、エンジンブレーキを利かせながら緩やかに減速して路肩の駐車スペースへとバイクを滑り込ませた。
チリチリと微かな音を立てて熱を持ったエンジンが冷めていく中、僕たちはサイドスタンドをしっかりと立ててシートからヒョイと飛び降りた。
ヘルメットを脱ぐと、ガツンと頭を殴られたような強い夏の直射日光と、それ以上に圧倒的な塩気を含んだ潮風が全身を包み込んだ。
「はあーーっ、気持ちいい……!」
楓は両手でヘルメットを抱えながら、目の前に広がる青い海に向かって大きく深呼吸をした。潮風に揺られた前髪がふわりと舞い上がり、彼女の顔にはこれ以上ないほどの満面の笑みが浮かんでいる。
僕もGS50のタンクに手を置き、その冷え始めるエンジンの温もりを感じながら、どこまでも続く水平線を見つめた。
自転車通学の延長線上では絶対にたどり着けなかったこの場所で、自分たちの右手でアクセルを開け、自分たちの足でメンテナンスした相棒と共に風を切っている。その事実が、この夏の青空と海の広さと相まって、胸の奥をたまらなく熱くさせてくれた。
「さて、ここからもう少し走れば、目的地の防波堤の綺麗な河口に着くはずだ。お腹も空いてきたし、そろそろ再出発しようか」
僕がそう言うと、楓は元気に「うん!」と頷き、ヘルメットを再びしっかりと被り直した。
キーを回し、キックペダルを力強く踏み下ろす。
パタパタパタと再び力強く目覚めた二台の原付は、夏の海岸線へと再びその車体を滑り出させていった。
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