第30話 それぞれの帰り道と、ガレージの前
遠くに見えていた街のネオンサインや建物の輪郭が、いつの間にかすっかり日常のサイズへと戻ってきた。
見慣れた住宅街の曲がり角を曲がり、お互いの家へ続く分かれ道の手前にある、いつも自分たちが自転車やバイクをいじっている佐々木モータースの前に、僕たちは自然とバイクを寄せてエンジンを切った。
「ふう……着いちゃったね」
エンジンを切った途端、それまでけたたましく響いていた単気筒の鼓動がピタリと止まり、あたりに夜の静寂が戻ってきた。カチカチと金属が熱を冷ます小さな音だけが、今日一日このエンジンがいかに一生懸命に働いてくれたかを物語っている。
僕たちはバイクから降り、ヘルメットのあご紐を外してそれぞれの頭を軽く振った。
風に乱れた髪のままお互いの顔を見合わせると、どちらからともなく小さく笑みがこぼれた。出発したときはあんなに緊張していたのに、今は不思議と心地よい疲労感だけが全身を包み込んでいる。
「お疲れ様、葵」
「うん、楓もお疲れ様。無事にここまで帰って来られてよかったよ」
佐々木モータースの古びたシャッターの脇に、GS50とポッケを並べて停める。
いつもならここで工具を広げたり、オイルの汚れを拭き取ったりする場所なのに、今日の二台はまるで遠くから無事に帰ってきた旅の相棒のように、どこか誇らしげに並んでエンジンを冷やしていた。
楓は自分のポッケのサイドバッグから、今日のお弁当箱と水筒を取り出し、大切そうに両手で抱え込んだ。
「結局、最後までパンクもしなかったし、エンジンもぐずらなかったね。私たちのメンテナンス、大成功だったってことかな」
「そうだね。出発する前にチェーンの張り調整と空気圧を見ておいて本当によかったよ。あの林道の砂利道でも、全然ブレなかったし」
僕がそう言うと、楓は嬉しそうに目を細め、それから少しだけ名残惜しそうな顔をして自分の家の方向へと視線を向けた。
「……もう、着いちゃったね」
その声には、今日という特別な一日が終わってしまうことへの小さな寂しさが、ほんの少しだけ混じっていた。
僕も同じだった。あんなに長い時間、同じ風を受け、同じ景色を眺めていたのに、日常の入り口に立った瞬間、時間が急に巻き戻されるような不思議な感覚に包まれる。
バイクのシートとシートの間に空いた、いつもの自転車一台分の隙間。その物理的な距離は朝からずっと変わっていないのに、ここまで同じ時間を駆け抜けてきた僕たちの間にある空気感は、確実に出発前とは違うものになっていた。
「また、明日から学校だね」
「うん。でも、なんだか少しだけ、いつもより頑張れそうな気がする。通学路のあの坂道も、今日を思えば少しは楽に感じられるかも」
楓はふふっと小さく笑うと、ポッケのハンドルにそっと手を添えた。
「じゃあ、私、こっちだから。また明日ね、葵」
「うん、気をつけて帰るんだよ。また明日」
楓がポッケの押し棒に手をかけ、自宅へと続く街灯の柔らかな光の中へ歩き出す。
その後ろ姿を見送りながら、僕は自分のGS50のハンドルを握り直し、ゆっくりと自宅へと歩き出した。
原付の小さなエンジンが繋いでくれた、僕たちの特別な夏休みの休日。
その物語のページはここでいったん閉じられるけれど、明日からの日常には、きっと新しい風が吹き抜けていく――そんな確かな予感を感じながら、僕は静かに夜の道を家路へと向かった。
いけるところまで毎日18時に更新をしたいと思ってます!
評価、感想は大変励みになりますのでよろしくお願いします!




