第29話 街の明かりと、最後の直線
商店の軒先にあるベンチで冷たいドリンクを飲み干し、乾いた喉を潤すと、西の空はゆっくりとその色を変え始めていた。
初秋の澄んだ大気の中、水平線の向こうへ沈みゆく太陽が、雲の端を茜色や淡い紫色に染め上げている。昼間のジリジリとした暑さはすっかり影を潜め、夕方の冷たい風が肌をなでるように吹き抜けていった。
「そろそろ、本当に街に戻らなきゃね」
空の色を見上げた楓が、名残惜しそうに呟いた。
「そうだね。ヘッドライトの点検もしておいた方がいいかもな」
僕は立ち上がり、GS50のキーを捻ってライトのスイッチをONに入れてみた。
キュッと引き締まった車体の前方に、心細いながらも確かな黄白色の光がぽっと灯る。原付の小さな発電機が生み出すその光は、都会の巨大な街灯のように辺りを昼間のように照らし出すわけではないけれど、これから暮れゆくアスファルトの路面をしっかりと導いてくれる頼もしい相棒の目だった。
隣で楓もポッケのエンジンをかけ、同じように小さなヘッドライトを点灯させる。二台の原付が並んで光を放つ姿は、これから始まる夜の帰路に向けた小さな意思表示のようにも見えた。
「じゃあ、行こっか。家までもう少しだね」
「うん、安全運転で行こう!」
再びヘルメットを被り、あご紐をカチリと締めてスロットルを開ける。
昼間のうねるような峠道や、木漏れ日の美しい林道とは違い、ここからは見慣れた郊外の国道だ。交通量は少しずつ増え、車やトラックが次々と通り過ぎていく。アスファルトの路面は滑らかで走りやすいけれど、夕暮れ時のラッシュアワー特有の慌ただしさが、どこか心地よかった非日常の終わりを静かに告げているようだった。
ローギアからセカンド、サード、そしてトップギアへと小気味よくシフトペダルを掻き上げる。
小さな単気筒エンジンは、今日一日ですっかり調子を覚え込んだかのように、一定の軽やかなリズムで振動を響かせながら回っている。行きはあんなに緊張していたクラッチのつながり具合も、今ではすっかり身体の一部のように自然になっていた。
ミラー越しに目をやると、少し車間を空けて走る楓のポッケのヘッドライトが、アスファルトの上にぽつんと小さな光の線を引いているのが見える。
言葉は交わせないけれど、同じ速度で、同じ風を受けながら走っているというだけで、不思議と孤独感は微塵もなかった。自転車通学の帰り道、暗くなったアスファルトの上をただペダルを重そうに踏みしめていたあの頃の自分が遠い昔のように思える。あの頃の僕たちに、「いつかこうして、自分の手で直したバイクで並んで夜道を走るんだよ」と教えてやったら、きっと驚きすぎて言葉を失うだろう。
街の輪郭が少しずつはっきりとし、遠くの交差点の信号機や、沿道の店のネオンサインがパチパチと瞬き始めた。
オレンジ色や青色の人工的な明かりが夜の闇に浮かび上がり、僕たちの小さな旅が、いよいよ本当の意味での「終わり」に近づいていることを教えてくれる。
「葵――!」
赤信号で並んで停車したとき、隣のポッケからヘルメット越しに楓の声が飛んできた。
ヘルメットのシールドを少しだけ押し上げた楓の瞳が、街のネオンを受けてキラリと光っている。
「どうした?」
「楽しかったね、今日!」
風に揺られて少し崩れた前髪を直しながら、楓は満面の笑みでそう言った。その声には、疲労の色よりも、今日一日を駆け抜けた圧倒的な充実感と満足感が満ちあふれていた。
「うん、本当にね。最高の休日だったよ」
僕がそう返すと、楓は照れくさそうにはにかみ、信号が青に変わるのを見据えて再び前を向いた。
信号が青に変わり、カチリとペダルを踏み込む。
二台の原付は、夜の街の明かりの中へ吸い込まれるように、再び滑らかに発進していった。僕たちの日常へと続く最後の直線道路を、エンジン音を重ね合わせながら、僕たちは並んでしっかりと走り続けていた。




