第22話 真夏の陽炎と、距離の縮まらない二人
蝉の声がアスファルトの熱気と一緒に揺らめく、真夏の休日。午前八時を回ったばかりだというのに、すでに太陽の光は容赦なく照りつけていた。
約束の場所である佐々木モータースの少し手前にある十字路で、僕はGS50のエンジンをアイドリングさせながら待っていた。トコトコと刻む乾いた排気音が、夏の朝の静けさを細かく揺らしている。
少しして、角を曲がってきた小柄な車体が視界に入った。
楓の乗るヤマハ・ポッケだ。小さな車体をトコトコと軽快に進め、僕の隣に並んでピタリとエンジンを止める。
「おはよ、葵! 待たせちゃった?」
ヘルメットを脱いだ楓が、額に滲んだ汗を手の甲でぬぐいながら、満面の笑みを向けてきた。夏の日差しに照らされたポニーテールが眩しい。
「ううん、今来たところ。暑いね、すでに……」
「ほんと! でも、お弁当しっかり作ってきたんだから負けないもん。昨日スーパーで買った冷たいお茶もあるよ」
自慢げにサイドバッグをトントンと叩いてみせる彼女の表情は、今日のツーリングを心から楽しみにしていたことが一目で分かった。
二台のバイクのエンジンオイルは先日のメンテナンスで新しくなり、タイヤの空気圧やチェーンの張りも昨日のうちに二人でしっかりと確認済みだ。
平日の夕方から夜遅くまでアルバイトに明け暮れ、寝不足で少しだるかった体も、今日という特別な一日に向かう高揚感ですっきりと目覚めていた。自分たちで汗水垂らして稼いだお金で部品を買い、自分たちの手で整備した相棒たちと出かけるからこそ、この朝の空気は何倍も特別に感じられる。
「それじゃあ、三瀬峠に向けて出発進行!」
僕が先頭に立ち、ローギアに入れてクラッチを繋ぐ。GS50が軽やかに飛び出し、それを追うように楓のポッケがトコトコと小気味よい排気音を響かせて続く。
町の中を抜け、見慣れた家々が徐々に減っていく。やがて視界が開け、青々とした田園風景が広がる国道へと出て、そこからさらに車通りの少ない静かな旧道へとハンドルを切った。
最初はのどかな平坦な道だったアスファルトが、山あいに近づくにつれて少しずつ緩やかな上り坂へと姿を変えていく。
排気量の小さな原付二台は、平地のような軽快さとはいかないまでも、小気味よくシフトペダルを操りながら、確実に一歩一歩、坂道を登っていく。アクセルを多めに開けると、乾いた排気音が高まり、エンジンが心地よい振動をステップ越しに伝えてきた。
「どう? 登り坂、スピード落ちてない?」
バックミラー越しに後ろを走るポッケと楓の姿を確認しながら声を張ると、ヘルメット越しの彼女が大きくうなずくのが見えた。
「うん、全然余裕! むしろオイルを替えてから、吹け上がりがすごくスムーズで気持ちいいよ!」
両側に濃い緑の木々が迫り出し、木漏れ日がアスファルトの路面にまだら模様を描く。
自転車では途中で足をついてしまいそうな長い坂道も、自分たちの手で直したエンジンの鼓動を感じながら進む原付なら、吹き抜ける風を体に受けながら力強く駆け抜けられた。ただ、走っていても風自体がどこか熱を帯びていて、夏の暑さが容赦なく体力を削っていく。
しばらく走り続けたところで、道路脇に小さな木陰のスペースを見つけ、僕たちはバイクを停めた。
エンジンを止めると、辺りにはセミの声と、自分たちのバイクのエンジンが冷えていく「チキチキ」という微かな金属音だけが響いた。
「ふう、暑い……!」
ヘルメットを脱いだ楓が、両手で自分のパタパタと顔をあおぎながら、小さく息を吐き出す。汗で少し額に貼りついた前髪が、妙に生々しくて、僕はなんとなく視線を逸らして自分のGS50のシートに腰掛けた。
「ほら、冷たいお茶」
そう言って楓がバッグから取り出したペットボトルを差し出してくる。その距離は、バイクに腰掛けた状態だと、手を伸ばせば触れてしまいそうなほど近かった。
「ありがと……」
受け取った冷たいペットボトルの水滴が、熱を持った指先に心地いい。
並んで座るシートの隙間は相変わらず自転車一台分……いや、今はそれよりも少しだけ近い気がするけれど、お互いにどこか気恥ずかしくて、他愛のない景色についての言葉を挟むばかりだ。
木々の隙間から差し込む夏の強い日差しの中、僕たちは冷たいお茶で喉を潤しながら、県境の三瀬峠の頂上へと続く残りの道のりを見上げた。夏真っ盛りの熱気のなか、二人の距離はまだ少しだけ縮まりきらないままで、けれど確実に同じ景色を共有していた。
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