第21話 県境の峠道と、新しい地図の予感
オイル交換を終えてから数日、僕たちの原付生活はさらにスムーズで確かなものになっていた。
平日の放課後は、二人とも夕方からアルバイトのシフトが入っているため、寄り道といってもせいぜい学校帰りに十数分ほどスーパーへ寄るくらいだ。しっかりバイクをいじったり遠出したりできるのは、決まって休日の日中だけだった。
だからこそ、限られた休日の時間は貴重だった。この日は、いつもの通学路から一本外れた、田んぼのあぜ道に沿った川沿いの抜け道を開拓してみることになっていた。
「こっちの道、本当に合ってるの?」
少し前を走る楓のポッケが、砂利の浮いた細い農道でトコトコと速度を落とす。ヘルメット越しに振り返る彼女の声には、不安というよりはちょっとした冒険を楽しむような響きがあった。
「地図を見た感じでは、あの土手の裏を抜ければ隣町までショートカットできるはず……!」
アスファルトから砂利道へと変わったタイヤの下で、ザリザリと心地よい音が響く。
川面を渡る初夏の風には、湿った草の匂いと遠くの田植えの香りが混ざり合っていた。自転車でこの道を走ろうものなら、砂利に足を取られて途中で引き返していたに違いない。けれど、トコトコと力強く地面を捉えて進む二台の原付は、どんな悪路だって僕たちを軽々と運んでくれた。
しばらく川沿いの細い道を並んで走ると、やがて視界が開け、見慣れたローカルスーパーの裏手へと出た。
「おっ、見事にショートカットできたね!」
バイクを並べてエンジンを止めると、楓はヘルメットを脱ぎ、両手で自分の髪をバサバサと整えた。風に揺れて少し崩れたポニーテールが、なんだかやけに眩しく見える。
「本当だ。ここに出るなら、これからの買い出しがかなり楽になるな」
僕もヘルメットを外し、汗ばんだ額を袖で拭いながら頷いた。
今日の目的は、今夜の夕飯の食材の買い出しと、週末のツーリングに向けたおやつの調達だ。
スーパーの駐輪場にGS50とポッケを停める。並んで駐輪された二台の原付は、すっかり僕たちの日常の風景に溶け込んでいた。最初はただの「ボロボロの鉄くず」だったはずなのに、今ではどこへ行くにも欠かせない相棒だ。
自動ドアをくぐり、冷房の効いた店内に一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が火照った体に心地いい。
カゴを一つ手に取り、僕たちは並んで食品フロアの棚を歩き始めた。
カゴの中に特売の食材やお菓子を放り込みながら、ふと楓がポケットから一枚の紙を取り出した。それは昨日、佐々木モータースの親父さんに借りた、少し古びた周辺のエリアマップのコピーだった。平日はバイト代を稼ぐために働いているぶん、休日くらいは思い切り遠出したいという思いがあった。
「ねえ、葵。今度の休日さ、この地図の県境にある『三瀬峠』まで行ってみない?」
楓が指差した先には、山あいを抜けて福岡との県境へと続く、くねくねとしたワインディングロードが描かれていた。
「三瀬峠って……確か、隣の県との県境にある大きな峠道だよね。原付で行くには、ちょっと遠くないか?」
僕が驚いて聞き返すと、楓は楽しそうに目を細めて首を横に振った。
「ううん、親父さんに聞いたんだ。旧道を登っていけば緑がいっぱいで気持ちいいし、途中の見晴らしがいい場所からは遠くの景色が一望できるって。オイルも新しく替えたばかりだし、チェーンもちゃんと張ったから、今の私たちなら絶対に大丈夫だよ。それに……将来、中型をとって大きなバイクに乗るようになったら、こういう峠道ももっとスイスイ走れるようになるしさ」
その言葉には、自分たちの手でメンテナンスを覚え、バイトを頑張って少しずつステップアップしているからこその確かな自信が滲んでいた。
「……たしかに、今の僕たちのバイクなら、そこまでの距離も走れるか」
地図の上で、僕たちの町の中心から三瀬峠までの距離を指でなぞってみる。自転車では到底たどり着けない、文字通り「別の世界」へと続くようなそのルートに、胸の奥が静かに、けれど確実に熱を帯びるのを感じた。
「よし、決まりだね。お弁当持って、朝早くに出発しよう!」
楓は小さくガッツポーズを作ると、嬉しそうに地図を折りたたんで自分のバッグにしまった。
スーパーの駐車場に戻り、買ったものをそれぞれのバッグに詰め込む。
夕暮れが近づく空の下、再びヘルメットを被り、エンジンに火を入れる。
トコトコと軽快な排気音を響かせながら走り出す僕たちの背中には、日々のアルバイトの疲れを吹き飛ばすような、県境の三瀬峠への新しい目標が乗っていた。二人の距離は相変わらず自転車一台分ほどの隙間を保ったままだったけれど、その背中合わせの冒険は、確実に僕たちの世界をまだ見ぬ遠くへと広げ続けていた。
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