第19話 週末の計画と、古びたメンテナンスノート
翌日の昼下がり、週末に向けた買い出しついでに、僕たちは再び佐々木モータースへ立ち寄っていた。
シャッターの開いた作業場からは、コンプレッサーの乾いた駆動音と、使い込まれた工具の匂いが漂ってくる。親父さんは相変わらずツナギの袖をまくり、古いエンジンのヘッドカバーと格闘していた。
「おう、調子はどうだ。チェーンの伸びはもう落ち着いたか?」
ウエスで手を拭きながら振り返った親父さんに、僕たちは声を揃えて「絶好調です!」と答えた。
実際にこの数日、毎日の通学や放課後の寄り道でバイクに乗るうちに、エンジン音を聞くだけで調子の良し悪しがなんとなく分かるようになってきていた。最初はただ跨がるだけで緊張していた車体も、今では自分の体の延長線にあるかのようにしっくりと馴染んでいる。
「そうか。まあ、調子がいいときほど、基本的な点検をサボるなよ。特にこいつらは旧車に近い年式だからな。ちょっと油断するとすぐに機嫌を損ねるぜ」
そう言いながら親父さんは、作業台の隅に無造作に置かれていた一冊の古いノートを僕たちに放り投げた。
表紙の端がすり切れ、ページ全体がうっすらと黄ばんだそのノート。パラパラとめくってみると、手書きの文字や数字、簡単な配線図のようなものがびっしりと書き込まれている。
「なんだこれ……?」
「俺が若い頃に乗ってたバイクの整備記録や、いろんな車種のデータシートだ。お前ら、そろそろ最初のオイル交換の時期だろ。次の休みにここでやるぞ。やり方を教えてやるから、そこに書いてある手順をよく見ておけ」
親父さんの言葉に、僕と楓は思わず顔を輝かせた。
ただ乗るだけではなく、自分たちの手でメンテナンスをして、さらに長く乗っていくための知識。それは、ただの移動手段としての原付ではなく、本当の意味で「自分たちの相棒」にしていくための新しい扉のようだった。
作業台を挟んで親父さんの周りにしゃがみ込み、油まみれの指でページをめくっていく。
「ほら、ここ見てみろ。オイルを抜くドレンボルトのパッキンは、ケチらずに毎回替えるのが基本だ。こういう細かいところをサボると、あとでオイル漏れを起こして痛い目を見るぞ」
「はい……! ボルトの締め付けトルクとかも、ちゃんと書いといた方がいいですか?」
「おう、当たり前だ。感覚だけに頼るとネジ山を舐めるからな」
楓も真剣な表情でノートを覗き込み、持参したお気に入りのノートに熱心にメモを取っている。
「ポッケの方も、オイルの規定量はこれくらいでいいの?」
「そっちはこっちのデータだ。おい、葵、そこのページを貸してやれ」
「あ、うん、ここだよ」
夕方の柔らかな光が西側から差し込み、作業場のコンクリートの床を長く引き延ばす。オイルやガソリンの匂いに包まれながら、次の週末の作業を確認し合うこの時間。エンジンオイルの交換が終わったら、今度はもう少し遠くの山あいの道を走ってみよう――そんな話を、親父さんの目を盗むように小声で交わす。
「おい、いつまでもそこにしゃがみ込んでないで、帰るならさっさと帰れ。夕暮れ時はライトの灯りが見えにくくて危ねぇぞ」
親父さんのぶっきらぼうな声に背中を押され、僕たちは「お邪魔しました!」と作業場を後にした。
夕暮れに染まり始めたアスファルトの上に、二台のエンジン音がトコトコと心地よく響く。
バイクを直すこと、風を切って走ること、そしてその合間に交わされる何気ないやり取り。そのすべてが少しずつ積み重なって、僕たちの日常を鮮やかに彩っていく。週末のオイル交換という新しいミッションと、その先にあるまだ見ぬ景色に胸を膨らませながら、僕たちはそれぞれのテールランプを灯して家路へと急いだ。
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