第18話 ヘルメットの距離と、微かな予感
喫茶「木漏れ日」を出る頃には、空はすっかり群青色に染まりかけていた。
店の前でヘルメットを被り、あご紐を留める。楓は自分のポッケのシートに跨がりながら、ふと思い出したように僕の方を振り返った。
「ねえ葵、さっきのプリン美味しかったね。今度また、別の道も開拓してみよっか」
「うん、そうだね。次は地図に載ってないような、ちょっと細い裏道とか探してみるか」
エンジンをかけると、夜の静かな旧道にトコトコと二つの排気音が重なる。
並んで走り出す帰り道、街灯の光がまばらになるにつれて、夜風は昼間の暑さが嘘のようにひんやりと肌を撫でてきた。
田んぼの広がる見通しのいいストレートに差し掛かり、少しペースを落としたときだった。
前を走る楓のポッケが、突然ピタリと路肩に寄ってエンジンを切る。それに合わせて僕もGS50を停め、サイドスタンドを下ろした。
「どうしたの? パンク?」
ヘルメットを脱ぎながら尋ねると、楓は少し困ったように笑って首を振った。
「ううん、そうじゃないんだけどさ……。ちょっと風が冷たくなってきたなって思って」
ヘルメットを脱いだ彼女の髪が、夜風にふわりと揺れる。
街灯の光が届かないこの場所は驚くほど静かで、聞こえるのは遠くの虫の声と、少しだけ冷えていくエンジンの金属音だけだった。
「ねえ、葵」
少しだけトーンを落とした楓の声が、夜の空気の中に溶け込む。
「こうやって二人でバイクに乗るようになってさ……なんだか、昔よりずっと葵と色んなところに来てる気がするんだよね」
幼馴染として、ずっと同じ距離感で隣にいたはずの彼女。
だけど、古屋の裏庭で一緒にスパナを握り、泥だらけになってバイクを直したあの頃から、僕たちの世界は少しずつ形を変えてきた。学校での周囲からのひそひそ声も、こうして放課後に並んで走る時間も、すべてが僕たち二人だけの特別なもののように思える。
「……僕もだよ」
少しだけ喉が詰まりそうになりながら、僕は正直な気持ちを口にした。
「自転車じゃ到底来れなかった場所にも、こうして来られるようになったし……何より、隣に楓がいてくれてよかったって、思ってる」
言葉にした途端、夜の冷たい空気とは裏腹に、胸の奥が急に熱を帯びるのがわかった。
楓は少しだけ目を見開いたあと、ふっと柔らかく微笑み、自分のヘルメットのバイザーを指先でトントンと叩いた。
「……そっか。じゃあ、次の週末はもっと遠くに行こうね。葵の運転する後ろ、ちゃんとついていくから」
その笑顔がなぜか普段よりも少しだけ大人びて見えて、僕は慌てて視線を夜空の星へと逃がした。
鼓動の音がエンジン音よりも大きく響く気がしながら、僕たちは再びヘルメットを被り、それぞれのバイクのキックペダルを踏み下ろした。
テールランプの赤い光が、夜の闇のなかへ小さな軌跡を描いて伸びていく。二人の距離はまだほんの少しの隙間を保ったままだったけれど、その距離が縮まる日は、そう遠くない気配がしていた。
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