第13話 それぞれの相棒と、初めての青空
週末の朝。古屋の引き戸を開けると、ひんやりとした朝の空気に混じって、かすかなガソリンと古いオイルの匂いが鼻腔をくすぐった。
庭先のコンクリートの上には、先週までの姿が嘘のように蘇った二台のバイクが並んでいる。
親戚から譲り受けた僕のGS50は、磨き上げたタンクが朝の光を鈍く反射し、かつてサビだらけだったホイールには新しいタイヤがしっかりと収まっている。その隣では、父親から引き継いだ楓のポッケが、コロンとした愛らしい車体を誇らしげに構えていた。
財布のポケットには、先週の苦労の証である、真新しい緑色の運転免許証が入っている。
図書室で山のような問題集と格闘し、免許センターの硬い椅子で緊張に震え、午後の実技講習では指導員の厳しい視線を受けながらコースを走り抜けた。あのすべてのプロセスが、今この瞬間のための助走だった。
そして、公道に出る直前――僕たちは地元の小さなバイク用品店に立ち寄り、自分たちのバイト代で大切な装備を揃えていた。
学校の自転車通学に使っているようなボロボロの学生ヘルメットや、すり減ったスニーカーのままで公道に出るわけにはいかない。親父さんからも、「頭と足元だけはケチるなよ」と釘を刺されていたのだ。
店員さんに相談しながら選んだのは、丸みを帯びたアイボリーのジェットヘルメットと、黒の落ち着いたジェットヘルメット。手のひらに革のパッチがついたライディンググローブをはめ、足元にはシフトペダルをしっかりと受け止めてくれそうな丈夫なハイカットスニーカーを締め直す。
厚手のデニムと長袖ジャケットに身を包み、あご紐をカチッと音を立てて締めた。頭と足元を固めたその姿は、自転車通学していた頃よりも少しだけ、自分を大人に見せてくれる気がした。
「……ねえ、葵。エンジン、かけてみよっか」
隣に立つ楓の声は、ヘルメット越しでも少しだけ弾んでいるのがわかった。彼女もまた、自分のポッケを見つめながら、緊張と期待が入り混じった表情をしている。
ペダルに足をかけ、チョークを引いてキックを踏み下ろす。
――タタタタタタッ!
乾いた、しかし力強い二サイクルの排気音が、静かな古屋の庭に一斉に響き渡る。
何度聞いても胸が躍る、僕たちの手で蘇らせた音だ。アイドリングの安定した振動が、新しく買ったハイカットの靴底を通じて体に直接伝わってくる。
「よし……行くか!」
クラッチを握り、ローギアへとペダルを踏み込む。カツン、という心地よい手応え。
アクセルを少しだけ開き、慎重にクラッチを繋いでいくと、車体がふわりと前に押し出された。
裏の農道を抜け、いよいよ町へと続く本線のT字路へと近づく。そこから先は、もう「私有地」ではない。正真正銘、僕たちが法的に許された「公道」だ。
本線の手前で一度完全に足をつき、左右を確認する。
心臓がバクバクとうるさく鳴り響いている。自転車で何百回と通り過ぎた何気ない十字路なのに、今日の景色はまったく違って見えた。
「――行くよ、葵!」
楓が先行して、スッと車体を車道の左端へと滑り込ませる。
グローブをはめた手でハンドルを握りしめ、僕もそれに続き、ローからセカンドへとペダルを掻き上げた。
エンジンの回転数が上がり、風がバイザーを叩く。自転車のペダルを踏んでいた頃とは比べ物にならないスピードで、アスファルトの景色が後ろへと流れていく。
見上げれば、どこまでも抜けるような初夏の青空。
風の冷たさと、エンジンを操る心地よい緊張感が、肌のすみずみにまで染みわたっていくようだった。
目的地は、僕たちに「最初のチャンス」をくれた、あの場所だ。
「佐々木モータース、驚かせに行こうか!」
インカムなどないから声に出して叫んだわけではないけれど、並んで走る楓の背中を見ただけで、不思議と互いの意思が通じ合った気がした。
二台の小さな原付は、それぞれのエンジン音を高らかに響かせながら、田園風景が広がるアスファルトの上を、どこまでも軽やかに走り抜けていった。
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