第10話 最初の一歩と、アスファルトの感触
「よし、チェーンの張りもバッチリ、タイヤの空気圧もオッケー。……いよいよだね、葵」
週末の午前中、春の柔らかい日差しが差し込む古屋の庭先で、楓が自分のポッケのハンドルを力強く握りしめた。
タイヤとチェーンを新しくした二台のバイクは、先週までの「ただのボロい鉄くず」とは見違えるほど、どこか精悍な佇まいを取り戻している。
長年の放置からエンジンを蘇らせ、ボロボロだった足回りを自分たちの手で直した。
そして迎えた今日という日は、僕たちがこのバイクに跨り、実際にアスファルトの上を走らせるための「最初の一歩」だった。もっとも、僕たちはまだ原付の免許すら持っていない。操作方法も動画や携帯で調べただけだ。だからこそ、公道に出ることはできないし、ここで乗るのはあくまで人通りのない裏の敷地内だけだ。
「緊張するな……。本当に動かせるかな、これ」
「大丈夫、私たちがここまで直したんだから!」
楓に背中を押されるように、僕はGS50のキックペダルに足をかけた。
数回ペダルを踏み下ろすと、乾いた爆発音とともに、タタタタ……と聞き慣れた小気味よいエンジンの鼓動が周囲に響き渡る。隣では、楓のポッケも元気に排気音を奏でていた。
ヘルメットを被り、僕は恐る恐るクラッチレバーを握り、ローギアへとペダルを踏み込んだ。
……カツン、と重い感触が足に伝わる。
頭では分かっていても、バイクのクラッチ操作なんてこれが人生で初めてだ。
「じゃあ、先に行くね!」
楓がエンジン音を響かせ、おそるおそるアクセルを回しながらクラッチを繋ごうとした――その瞬間。
ブルン、ストン。
「うわっ!」
盛大にエンストして、ポッケがガクンと前につんのめった。楓が両足をついて慌ててバランスを取り直す。
「っ……難しい! クラッチを繋ぐタイミングが全然わからないよ!」
「お互い様だな……よし、僕も行くぞ」
深呼吸をして、僕もアクセルを少し煽り、左手のクラッチレバーを慎重に、ミリ単位で緩めていく。
――ブルルル……ッとエンジンが苦しそうな音を立てたかと思うと、次の瞬間、車体がふわりと前に押し出された。
「あ、動いた……!」
自転車を漕ぐのとは全く違う。エンジンという小さな爆発が、タイヤを通じてダイレクトに体を引っ張っていく感覚だ。
バランスを崩しそうになりながらも必死にハンドルを握り、少しスピードが乗ったところでペダルを掻き上げてセカンドにギアチェンジする。低く力強い排気音が響いた。
少し先で、見事にエンストを立て直した楓が、ヘルメット越しでもわかる満面の笑みでこちらを振り返っている。
「葵! 走ってるよ、私たち!」
スピードメーターを見れば、ほんの時速十キロそこそこ。
免許もない僕たちが走れるのはわずかな私有地だけで、何度もエンストを繰り返したけれど、それでも風を切りながら進むその感覚は、どこまでも遠くへ行けるような最高の自由を感じさせてくれた。




