2話 それも聞こえていた
1日目 午前8時54分
「師匠、シャウロ=フロン=マタタ鳴いてますね。俺、鳴き声聞いたことないっすけど」と揺すってみる。
起きない。
俺はふとんを剥ぐ。
ちょっと肌寒いらしく、コオロギ師匠はかわいらしく丸まった。小動物を思い起こさせる。
いまの季節はいつもわからない。なんか雪が降ることもあるし、陽射しが照りつけることもある。が、それが季節として連続しているのかどうかがだいぶあいまいだ。そもそも藤沢にでも行かなければ1年の感覚がないので、去年が200日で一昨年が500日くらいあったと言われてもそうか、と思う。
ただ正月はふたりでこたつに入って過ごしたりもするので、カレンダーからまったく無縁というわけでもない。
ふとんを剥ぐと女の子(いや、44だが)が寝ているだけになる。
シャウロ=フロン=マタタよりはカビ臭くないが、寒くなりはじめて引っ張り出したばかりのコオロギ師匠の一張羅白ローブはカビくさい。
ローブは下からめくれ上がって、腹が出ている。ズボンはちゃんと履いている。
すんすん、と胸元を嗅いでみるがやっぱり臭い。ローブの下は年中ずっと着ているヴィヴィッドなタンクトップで、今日はちらりと見るに目に刺さる鮮やかなブルーだが、これはローブがアレすぎてかゆくなったりしないんだろうか?
脱がしてみるか。いやでも、ローブ臭いしな。あんまり触りたくねえ。やだな。洗濯物出さないのが悪いとか言ってないで、ちゃんと洗えばよかった。
まさか数年ぶりに同衾されるなんて思いもしなかったし。
「はよ起きてくださいよ。マタタ行っちゃいますよ」と俺は師匠にしゃべりかけて肩を強めに揺する。
「あー。あー。あーあ」と口だけアホみたいに開けているが、目は完全に閉じられている。
「いや、あーあじゃねえわ」とほっぺたをつねってみる。
やわらかい。
こいつ、ほんとかわいいんだよな。まあ、元世界の寿命足しても微妙に師匠のほうが長生きだからかわいいはどうなんだというのはあるとして。
俺はとりあえずほっぺをまたつねってみる。
そもそもこの八重歯がずるいんだよな。なんだよ、ハーフドワーフ。もっとずんぐりむっくりしてそうなのに。いや、こんなクソひきこもりのわりにかなり筋肉質なのでそのへんはドワーフの血なんだろうけど。あと背が低いのもたぶんそう。
「……ぼぁー」と俺の感情を知ってか知らずか、まぬけな声をあげた。
「おい、おまえさっきから言語しゃべってる感じ出してんじゃねえぞ?」と俺は本格的に肩を揺する。
あまり変なところを触るとすごく微妙な感じになるので、肩とか脇とか、尻はたぶんアウト、みたいな、そんな感じだ。
いや、そもそもローブがかび臭いのでそういう対象として扱うのはアレだ。まあ、さっきアクシデントはあったけど。
「うぼー」
「うぼーじゃねえ。起きろ、クソ師匠」と俺は両手で両頬を引っ張る。
「ちゅめたし」とコオロギ師匠はむくりと半身を起こして言った。
「口くっさ。昨日どんだけ飲んだんすか。つうか、なんで俺のベッド入ってくるんすか」
「ちょっと寒くて。ひと肌恋しかった」とコオロギ師匠は言った。「あー、ブラある?」
「知らねえよ、しばき倒すぞ。脱いでんじゃねえよ」と俺は言った。
あぶねえ、さっき脱がしたら事件だったわ。
いやでも、待てよ。たしかに俺は恩恵を受けているがこれ言ったらまずい気がする。
「あーあー、ちゅめたいちゅめたい。ブラウくんも年頃かぁー、昔はさ、ちぇんちぇーちぇんちぇー、って。おいおい、一歩間違えたら猥語じゃんみたな感じでアタシの尻ばっか追ってきてたのに」
「それは乳がねえっすからね、師匠には」
「そんな年も違わねえのに母性感じられても困んだよ、こっちもよ」
「25歳差だが」
「おい、ハーフドワーフだぞ、アタシは。ヒトの分際で。シンプリーなヒトの分際で」
「俺、19。あなた44。オーケー?」
「アタシは適齢期だろうがよ。まだ行き遅れまで10年くらいあるわ」
「まあ、頑張って」と俺は言った。
「ちぇー、さっきはあんなに情熱的に揉みしだいてたのに。お姉さんどきどきして二度寝しちゃったよ」
「……すいませんでした。でも、二度寝はちょっと」
「だって長いんだもん。攻めてこいよ、ステップ踏めよ。昇れ、その階段を」
「ほんとに昇ったら、お母さんみたいなもんだよ、とか言うでしょ」と俺は言った。
「はー、だる。ヘタレ。おまえには年頃の息子のベッドにノーブラで潜り込んでいっしょに寝るお母さんがいるのか?」とコオロギ師匠は言い捨てて顔を洗いに行った。
「いや、師匠、マタタ——」
「それも聞こえてたよ」とちょっと機嫌が悪そうに返ってきた。




