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七章 五人の同級生


 1

 

 東京に帰った翌朝、東警察署の菅野署長から電話で、担任の根本の住所を教えてもらった。彼女の証言の中に、私の推理を補強する材料があればいいが。

 本庁に出勤すると、目が赤く血走った、課長が出迎えた。話しによると、前大阪知事が収賄で逮捕されたが、捜査の結果、都議員に飛び火したらしい。

 大阪府警に舐めらるわけにはいかないと、課長に発破をかけられた。東京に帰るのが一日遅れていたら、私は課長に首を絞められて殺されていたかもしれない。

 そういった事情で、吉永沙也加の事件は私の頭の奥に押し込まれ、しばらくは手付かずになった。

 捜査対象者が増え続けた収賄事件が、落ち着いたのは九月になってからだった。

 やっと訪れたゆったりとした休日に心は踊った。

 久々に〔おとずれ〕へモーニングを食べに行った。

 「あっ、加賀さん。やっと来た」

 「やっと来たはないだろ」

 奈央はカウンターを布巾で拭いていた。

 「来週から、正式にバーをやる事になったんで、週に二回はちゃんと来てくださいね」

 「ちゃんとって言われても、こっちは仕事で家に帰れない時だってあるんだから」

 「ずっとお仕事が忙しかったんですか?」

 彼女にはまだ私が警官なのは言ってない。しかし、マスターは薄々気付いているかもしれない。彼が奈央に言うことはないだろうが。

 「上司の機嫌次第さ」

 「ふーん、大変ですね。天気予報みたいに機嫌予報があればいいのにね」

 家に帰ると、私が調べた十九年前の事件の資料を広げ、これからの予定を考えた。

 署長に口添えを頼んだ事だし、担任に電話して、今日明日にも会えるように約束をしておこう。

 電話をかけると、根本は心よく今日会う事を了承した。

 午後二時に、千葉のファミリーレストランで、彼女と会う事になった。

 午前中は岸本の卒業校に行ってみよう。週末なので対応してくれるかは分からないが、ダメならダメで今後の予定が立つだろう。

 東京の郊外にある、工業高校に着くと、校門は開いていた。

 中に入り、車を駐車し、校内に向かう。

 正面玄関でスリッパに履き替え、正面の職員室の扉をノックした。扉を開けると、三人の教員がデスクで作業していた。

 「国の方から来ました、責任者の方はいらっしゃいますか?」

 「私が教頭です。どのようなご用件ですか?」

 私は教頭の前で警察手帳を見せた。

 「卒業生の写真を見せていただきたいのですが、よろしいですか?」

 「ええ……卒業アルバムの写真でよろしいですか?」

 「ハッキリと顔が認識できる物なら、なんでもいいですよ」

 教頭は卒業アルバムを、保管している場所に、案内してくれた。

 岸本進平が卒業した昭和四十八年のアルバムを手に取りページをめくった。

 アルバムには岸本進平の名前、そして顔写真が載っていた。

 その顔は果たせるかな、長田を訪ねて来た若い男の、似顔絵とソックリだった。

 「写真のネガは残っていますか?」

 「写真屋に行けば残っているかもしれません」

 私は卒業写真の撮影を請け負っている、写真屋の場所を聞き、学校を後にした。

 写真屋で警察手帳を見せ、卒業写真のネガを探してもらった。この写真屋では、学校の写真のネガは全て残しているらしい。ネガから岸本の顔写真を現像してもらった。この写真と似顔絵で彼らの逃げ道を塞ぎ、岸本を引き摺り出したい。

 思ったより早く写真を手に入れることができた。まだ時間に余裕があるので、食料品を買いにスーパーへと向かった。

 スーパーの駐車場に車を駐め、入り口に向かって歩いていると、視線を感じた。視線の先を凝視すると、会いたくない人と目が合った。

 うどん屋のカウンター席から私を見ていた彼女は、会計を済ませて、こちらに歩いて来た。

 「こんにちは、お買い物ですか?」

 久保邦子はまるで散歩の挨拶のように声をかけてきた。

 「どうも、そちらは昼食ですか? うどんがお好きなんですね」

 「休日ですし、ゆったりと食後の読書を楽しんでいました」

 「うどん屋のカウンター席で読書を楽しんでいたんですか、通ですね」

 「あら、女性は喫茶店のテラス席でしか読書をしてはいけないのかしら」

 「そういった意味で言ったわけでは……」

 「この前は私の買い物に付き合ってもらいましたから、今度は私が付き合います」

 「貴方に荷物を持ってもらうわけには――」

 「行きましょう」

 邦子は私の手を引いて、スーパーへと引き摺り込む。いよいよマズイ事になってきた。まだ私には逃げ道が残されているだろうか――。

 結局彼女を家に招き、お茶をご馳走させられた。午後から千葉で用事があったのは救いだった。仕事に関係する用事だと言いくるめ、彼女を家から出し、私は千葉へと向かった。

 千葉駅近くのファミリーレストランの中に入ると、根本を探した。女性に一人客は、店の奥の窓側の席に座っている女性だけだった。年齢は四十代半ば、グレーのカーディガンを羽織っている。

 「加賀と申します。今日はお時間いただきありがとうございます」

 「根本です。伯父さんの事は残念でしたね。私も村で大変お世話になりました。十九年前の事件を調べているとか」

 「ええ。昔のことなので覚えてはいないかもしれませんが、当時の吉永沙也加と同級生たちの事を聞かせてください」

 「とても仲が良さそうに見えました。沙也加ちゃんは体が弱かったんですけど、みんなが沙也加ちゃんを優しく助けてあげていました」

 「他の子たちにはどんな印象がありますか?」

 「進平君はいつも元気いっぱいで、勉強より運動といった感じでした。和歌子ちゃんも運動好きで、進平君とよく張り合っていました。勉君は逆に本を読むのが好きで、特に理科や物理に興味がありました。豊君は内気でしたが動物好きで、昆虫採集などもしていました。由美ちゃんは音楽好きで、学校のピアノを弾きながら歌っていました」

 「……子供たちが隣町で、障害事件を起こしたのは、ご存知ですよね」

 「はい。やりすぎだとは思いますが、小学三年生からすれば、高校生はとても恐ろしい存在に見えたのでしょう」

 「学校ではそういった兆しは、無かったんですね?」

 「はい。普通の子供たちでした」

 「長田琢真についてはどうですか。警察には犯人だと疑われていましたが」

 「警察は彼が沙也加ちゃんを殺したと疑っていましたが、私は信じられませんでした。彼は気弱な性格でした。彼が沙也加ちゃんを偶然を含め、殺したとして、堂々と死体を運んで隠したとは思えません」

 「長田が小川村を離れ、東京に移ってから、連絡をとりましたか?」

 「いいえ。そんなに親しくは無かったですから」

 「吉永沙也加は放課後、学校に残ることが多かったと、吉永夫妻は仰っていましたが、貴方はそれを見ましたか?」

 「……それが、あまり記憶にありません」

 「警察は、学校の地下室にいたのではないかと、疑っていましたが、貴方はどう思いますか?」

 「私は地下室に入った事はありません。なので、なんとも……」

 「では、その頃に放課後、よく見かけた、吉永沙也加の同級生はいましたか?」

 「うーん……豊君かな。彼、演劇でドラキュラの役になって、その練習をしてたとかで、学校に残っていたと記憶に残っています」

 「……最後に、事件当時、下校する、吉永沙也加と四人の同級生を見ましたか?」

 「ええ」

 「本当に吉永沙也加を含め、五人でしたか?」

 「……おそらく。沙也加ちゃんを見たのは間違いありません。白い日傘に、白いワンピースは遠目でも見えますから」

 服装だけで顔は見ていないだろう。だが、本人が自分が見たのは吉永沙也加と思い込んでいるのだから、聞いても無駄だろう。

 「同級生の手荷物などは覚えていますか」

 捜査記録には吉永沙也加の所持品だけで、同級生の所持品に付いては書かれていなかった。私の推理が正しければ、何かを持っていたはずだ。

 「確か……演技の練習をするために、進平君と勉君が衣装を紙袋に入れて、持ち帰っていたのは覚えています」

 「袋は学校にあった物ですか?」

 「たぶん家から持ってきた物だったと思いますけど……」

 「傘が入るほどの、大きな袋でしたか?」

 「ええ。演劇の小道具も、入れて持って帰ると、言ってました」

 吉永沙也加の日傘が子供用なら、そう長くは無いだろう。小道具が入る大きさなら、傘を中に入れることもできる。

 私の推理を補強する証言が得られた。

 【鬼子】たちとの決戦は近い。


 2


 翌日、私は東京にある競技場に向かった。剣持和歌子がいる事を確認するためだ。

 私は吉永沙也加の同級生たちと、来週末に会う事を決めた。できれば一日で全員に会いたいが、剣持と小森は仕事で東京を離れる可能性がある。この二人の予定を確認しおく必要がある。

 平日の方が会いやすいとは思うのだが、今の課長に休暇を申請するほど、私の面の皮は厚くない。

 向かっている競技場は剣持が普段練習している場所で、今後のスケジュールを確認するために、剣持のコーチと接触する事にした。

 警察である事を明かさず、ファンとして聞いてみるつもりだが、ダメだったら、当日、警察手帳を見せ、彼女の所在を聞き出す。

 競技場は小さいが綺麗だった。受付で剣持が所属する実業団はいるかと尋ねると、練習中だと答えが返ってきた。無駄足にはならなかったようだ。

 中に入り、コーチを探す。陸上競技場の客席に座った事はあるが、トラックに立った事はない。場違いな気がする。落ち着かない気持ちで、コーチを探す。

 トラックの隅でストップウォッチを手に持つ、ジャージを着た男性を見つけた。暇潰しに練習の見学をしにきた、ファンの程でコーチに話しかけた。コーチは気さくな人で、快く私の事を受け入れてくれた。

 剣持の事を調べて得た、最近の陸上の話題から入り、彼女の来週のスケジュールを聞き出すことができた。来週の土曜日は、今日のようにここで練習するらしい。

 丁度、練習が本格的に始まったので、邪魔にならないようにその場を離れた。

 私がコーチと話してる時に見た剣持は、笑顔を見せることなく、気迫を感じる表情だった。

 次に小森の所属する音楽グループ、〔ディープアロー〕が演奏する劇場に向かった。繁華街の一角にある小さな劇場は年季の入っている外観だった。

 中に入ると演劇グループが開演している所だった。受付でチケットの有無を聞かれたが、客ではなく、ディープアローの予定を確認しに来たと伝えた。受付の女性は、劇場の開演予定が書かれた紙を渡してくれた。予定では来週の土曜の夜に演奏するようだ。これだけ分かればここには用がない、劇場を出て桑原が勤めている弁護士事務所に向かった。

 オフィス街にある弁護士事務所は、ビルの四階に構えている。

 事務所の入り口は、ガラスがはめ込まれた壁で、スタイリッシュな雰囲気を演出している。

 受付で客の程で桑原への相談の予約を申請した。受付の女性が電話で確認すると、土曜日は予定が詰まっているようで、日曜日だったら空いているとの事だった。仕方ないので、日曜日の昼に相談の予約をした。一応偽名を使った。警察関係者だと知られると、予約を取り消されるかもしれない。

 弁護士事務所を出ると、昼食時だったので、近くで牛丼をかっこみ、腹を満たした。

 同級生の所在が思ったよりスムーズに分かったので、時間が余った。

 せっかくなので、再度吉永夫妻に話しを聞きに行こう。公衆電話で吉永夫妻の所属するボランティア団体に電話する。

 彼らが事務所で活動しているのを確認すると、彼らの元に車を走らせた。

 事務所では吉永夫がオレンジ色のジャンパーを着て、書類を作成していた。

 「お忙しいところ、お邪魔します」

 「何か進展がありましたか?」

 「まぁ、ぼちぼちと。いくつか確認したいことがありますが……」

 「妻は買い出しに行ってますがすぐ帰ってきます。帰ってきたら、近くの喫茶店でお話ししましょう」

 十分ほどで吉永昌子は帰ってきた。文房具やゴミ袋を買ってきたようだ。

 簡単な挨拶を済ませて、喫茶店に向かった。

 「この前お二人から聞いた話で、確認したい事ができたので、寄らせてもらいました」

 「何か間違いがありましたか?」

 「いいえ。聞きたいのは、沙也加さんと放課後学校に残っていたのは、亀山豊ではありませんでしたか?」

 「たぶんそうです。刑事さんとお会いした後、妻と沙也加の事を一つでも多く思い出そうと、色々話していると、薄っすらですけど、思い出しました」

 「沙也加さんは夏休み中、学校には近づきませんでしたか?」

 「学校は夏休みでも、平日の半分は開いてました。沙也加は遅れている勉強をしに行っていました。他の子も、自由研究などの理由で学校に来てたようです」

 「そうですか。それと、沙也加さんの体に傷が付いた日はありませんでしたか?」

 「ありませんでした。沙也加は貧血気味でしたので、お風呂は必ず二人で入っていたので、傷があれば分かります」

 やはり沙也加は拷問を受けてはいなかった。傷付けられたのは亀山だろう。

 「あと、沙也加さんが使っていた日傘ですけど。子供用の短い物でしたか?」

 「ええ。重たいと大変だろうと思って……それが何か?」

 「一応確認しておきたくて」

 紙袋に日傘を入れるのは可能だな。

 「彼女の同級生は村以外で遊ぶ事はありましたか? たとえば、隣町への道がある山とか」

 「ええ。山には祠があって、そこには水場があって涼しいので、沙也加も一緒に遊びに行ったらしいです。けど、そこより先の山は沙也加には大変なので、村の子供たちだけで行ってたようです」

 「質問にお答えいただきありがとうございました」

 昌子は鞄から小さなアルバムを取り出した。

 「刑事さん、これ、よかったら。捜査のお役に立つかもと思って――」

 中には吉永沙也加の写真が入っていた。

 小川村の駐在所でみたポスターで見たのと、同じ格好、白いワンピースに白い帽子、彼女は本当にこの格好が好きだったようだ。

 そしてアルバムの最後の写真は、小川村の同級生に囲まれた写真だった。全員笑顔で写っている。吉永沙也加だけがランドセルを背負っていない。私が注目したのは三人の女児の背丈だった。三人とも同じ位だ、身長で見分けはつかない。

 「最後の写真は夏休み前に取ったんですよ。沙也加が無事に学校で終業式に出れた記念にって」

 「前年の夏は登校できませんでしたから」

 「あの子、自分がどんどん元気になっていく事が、本当に嬉しかったんでしょうね」

 「……この写真、お借りできますか?」

 「どうぞ。何かのお役に立てるのなら」

 この笑顔に嘘はないのだろう。これからたった二ヶ月で、彼女と同級生の関係は大きく変わり、【鬼子】の犠牲になった――。


 吉永夫妻と別れ、私は家に帰った。

 当初の予定の、一日で所在が分かっている同級生たち全員と会うのは、達成が難しくなった。

 私は、彼らが今でも緊急時は連絡を取り合うと思っている。一人に会えば、他の全員に私が尋ねてくるのが伝わるだろう。

 できれば相手に心の準備の出来ていない状態で話しがしたい。彼らが連絡を取り合う前に、全員に会いたかったのだが――。

 何にしても最初に会う人が重要だ。その人物の聴取で、私の推理に確信が持てれば、他の人の聴取もしやすい。

 私が自分の推理を信じるために、一番大切な情報は――。

 翌週の金曜日、朝から必死に働き、何とかほぼ定時で勤務を終えた。

 急ぎ駅へと向かい、電車に乗る。帰宅客で混雑する車内で、私の気持ちは少し冷めた。

 しかし、最寄り駅から出ると、家に帰る足は自然と小走りだった。家に着くと、車を出し、目的地に向かう。時間の余裕はある。心は迅るが安全運転を心掛けた。

 私は車を駐車し、目的の人物がやってくるのをじっと待つ。夕食時だが空腹感は無い。足が震えている。夜の寒さの影響では無い。緊張しているのだ。こんな気持ちになるのは随分久しぶりだ。警官になってから色々な人物を見てきた。犯罪者となり、今までの順風満帆な人生から、奈落の底に落ちていく。そんな人を幾度と見ると、大した事では動揺しなくなる。

 今、自分がこれほど気負いしているのに驚く。この事件を解決できるか、それともできないのか、どちらでも自分の今後の人生に大きな影響などない。しかし、この事件を解決できるのは自分だけだろう。私以外に今更この事件を解決しようとする人はいない。そして、今日、これから行う私の事情聴取で、事件が解決できるかが決まる。

 警察に入ってから沢山の事件に関わってきたが、事件が解決できるかどうかの責任を、自分一人で背負った事はない。それに、これは伯父さんから託された物だ。人から託された事件を背負ったのも初めてだ。

 ここで私がしくじれば、協力してくれた人たちに合わせる顔もない。

 私は待っている間、捜査記録を確認した。何度となく家で読み返したが、それでも万全を期しておく。体の震えは止まらない。捜査の記録をまとめた手帳を捲る手が震えて、思考もぼやけてしまう。

 建物の扉が開き、目的の人物が出てきた。こちらに向かって歩いてくる。

 私は手帳を懐にしまい、車から降りた。

 「亀山さんですね。少しお話しよろしいですか」

 彼に警察手帳を見せる手は震えなかった。


 3


 「警察……私が何か?」

 亀山の顔に恐怖と困惑が映る。この前見た時と変わらず、地味な服を着ている。

 「お話しを聞きたい事がありまして、すぐ終わるのでそこの公園で話しましょう」

 私に誘導され、亀山は公園のベンチに座った。公園の中に街灯は無い。外から街の光が入ってくる。月のない夜、薄暗い公園の雰囲気が亀山をより警戒させているように感じる。

 「すいませんね、こんな夜更けに」

 「はぁ……」

 彼は落ち着かない様子で周りをキョロキョロと見ている。その様子に【鬼子】の面影はない。

 私は彼の前に立ち、手帳を広げた。すでに内容は頭に入っている、見る必要はない。

 これは開幕の合図だ。今夜、彼を落とす。

 「貴方にお聞きしたいのは、長田琢真さんの事です」彼の体がビクッと動いた。「ご存知ですよね?」

 「ええ……小学校の時の先生です」彼は少し躊躇して答えた。「彼が十一年前に亡くなったのを知っていますね?」あえて断言して聞いた。「ええ、噂で」彼は私の事を見ながら答えた。私は手帳から目を離さず続けて聞いた。「誰から聞きました?」彼を見ずとも動揺を感じた。「ええと……誰だったかな」私は黙って彼の答えを待った。

 彼は答えを誤魔化したいようだが、私が話を変えないので、ずっと、うーんと唸っている。

 私は彼を見て言った。

 「貴方が話しを聞いた相手は、岸本進平ではないですか?」彼の体がビクッと動いた。首を下げ、目線は地面に向いている。「覚えてませんか?」それを助け舟だと思ったのか飛び付いてきた。「覚えてません」

 彼はとても従順な性格のようだ。この手の相手なら、大企業の中間管理職で慣れている。

 落とせる。私は自信に溢れた。

 「彼が今、何処にいるかご存知ですか?」

 「知りません」

 これはしょうがない。彼から岸本の居所を得るのは難しいと思っていた。一応聞いてみただけだ。

 「では、長田さんが何故亡くなったのかご存知ですか?」彼は沈黙で答えた。()()()()と即答できないのが、彼の性格をよく表している。「……知りません」小さい声を絞り出して答えた。

 「彼は毒物を飲んで自殺しました」亀山は無反応だ。「彼の遺体の側には預金が尽きた、銀行の通帳が置かれていました。当時の警察はそれを遺書だと判断したようです」亀山は地面を向いたまま微動だにしない。「しかし、警察の調べでは、彼が死ぬ直前に怪しい男が彼を見ていたそうです」私は懐から折り畳まれた、似顔絵を取り出し、彼に見えるように広げた。「これがその男の似顔絵です」彼は似顔絵を見てゴクリと唾を飲んだ。「見覚えはありませんか?」彼は沈黙で答えた。私は今度は待つ事なく懐から岸本の写真を取り出して彼に見せた。「これは岸本進平の高校時代の写真です。似顔絵と同じだとは思いませんか?」彼は顔を上げて言った。「それが僕と何の関係があるんですか?」そう言ってもらわなくては困る。君と岸本、そして長田の関係を説明しなくては、吉永沙也加に辿り着かない。

 「岸本進平は小学校で貴方と同級生でした。岸本が長田を殺す動機に何か心当たりはありませんか」亀山は私の顔をじっと見ている。きっと、私が調べているのは、長田の事件だけであってくれと願っている。「……ありません」私は音を立てて手帳のページをめくった。「小学生の時、貴方が住んでいた小川村で、貴方の同級生が行方不明になっていますよね?」彼の脚に置いた手がギュッと握られた。私は言葉を続けた。「名前は()()()()()……間違いありませんか?」彼は冷たい風をじっと耐えているように、固まっている。私は風を止めない。「彼女の行方不明に、長田が関わっていたと思いませんか?」彼は聞こえないほど小さい声で答えた。「思いません」私は彼に一歩近づいて言った。「吉永沙也加の事が理由で、岸本が長田に殺意を持つと思いませんか?」彼はさっきより少し大きい声で答えた。「思いません」

 彼は頭の中で必死に、この状況を凌ぎ切る方法を考えているようだ。

 私は手帳にペンを走らせた。特に書くべき事はなかったが、一応事情聴取の形をとっているので、それらしい事をしておいた。亀山は深く息を吐いて深呼吸している。

 「すいませんね、お疲れのところを」亀山は私の優しい言葉に少し意外そうな顔をした。「いえ……そちらもお仕事でしょうから」私はボールペンの先をカチャっと戻した。「後、二、三お聞きしたら終わりますから」亀山の顔が引き()った。

 「えー、吉永沙也加が行方不明になる直前、貴方は下校する彼女を見ましたか?」亀山は、手帳を凝視する私を不安そうに見ている

 「……よく覚えていません」私は手帳を覗き込むようにして言った。「彼女が行方不明になった時、貴方は長田が運転する車に乗っていましたね?」彼の顔がどんどん暗くなっていく。「……よく覚えていません」私はボールペンの音を立てた。「車に彼女は乗っていませんでしたか」彼はハッキリと答えた「乗っていませんでした」私は彼を見て聞いた。「演劇の小道具、ドラキュラの棺の中にも入っていませんでしたか?」彼の顔は絶望一色で塗られた。

 亀山は必死で言葉を探していた。そんな彼に私は畳み掛ける。

 「行方不明になる少し前から、吉永沙也加は放課後の学校に貴方と一緒に残っていました……何をしていたのでしょう?」亀山は私と反対の方向を見ながら答えた。「覚えていません」私はもう手帳を見なかった。「長田も一緒にいたのではないですか?」彼の声は震えている。「覚えていません」私はじっと彼を見下ろす。「学校の地下室に三人でいたのではないですか?」彼の体がビクッと動いた。「違います」私は顎をかきながら続けた。「貴方の血液型をお教えいただけますか?」彼はまだこちらを向かない。「何故ですか?」私は自分の頬を()でた。「地下室の道具には血痕が付いていました。警察はそれを検査したのですが、吉永沙也加の血液型とは違いました。誰があの道具で傷つけられたのでしょうか?」彼の体の震えは大きくなり、長い沈黙が訪れた。彼は血液型を答える気はないようだ。

 もう十分だろう。ここまでの聴取で、私の推理が合っている心象を得た。最後に最も重要な証言をもらおう。

 「車の話しに戻りますが、長田の運転する車は学校を出た後、どこにも寄らず、隣町の公民館に向かいましたね?」亀山はこちらを向いて答えた。「十九年前の事ですよ。覚えていません」私は無視して続ける。「公民館から出ると、どこにも寄らず、貴方の家に向かった。間違いありませんか?」彼は少し怒気を含めて言った。それは、必死の抵抗に見えた。「調べてきたのでしょ! 聞きたい事をハッキリ聞いたらどうです!」私は手帳を手で叩きながら言った。「小川村から隣町の公民館まで二十五分。しかし、帰りの公民館から村まで三十分。帰りは五分ほど長くかかっていますね」彼は(まく)し立てて言った。「それは山で()()()()を見ていたからです! 警察の捜査記録にも残っているはずです! 知ってて聞いているのではないですか!」私は彼に顔を近づけて言った。「おや、()()()()()()と繰り返していた十九年前の事なのに、よく動物の種類まで覚えていましたね」彼は顔を真っ青にして俯いた。

 私は亀山の横に周り、顔を覗き込むようにして言った。

 「人間というものは、楽しい記憶より、苦しい記憶の方が覚えているものです。特に、嘘や罪の記憶は鮮明に覚えているものなのです」

 亀山はベンチから飛び上がり、走って公園から出て行った。

 これでいい、亀山から引き出したい情報は全て手に入れた。私の推理は確信に変わった。彼の山で動物を見ていたという証言は嘘だ。

 私は自分の責任を果たしたのだ。

 後は残りの三人が岸本の所在を教えてくれるかどうかだ。

 長田の事件を解決するには、岸本を落とすしかない。岸本が逮捕されれば、十九年前の事件に光が当たる。

 一仕事終えた安堵で、空腹を感じた。

 私は暗い公園から、光り輝く夜の街に向かって歩いていく。


 4

 

 翌日の朝、〔おとずれ〕に行かず、家を出る。朝食はトースト一枚で済ませた。車で向かった先は剣持が練習で使用している競技場だ。

 昨日の亀山への聴取で、十九年前の事件の事はほとんど把握できた。彼女に聞く事は少ない。それでも彼女に話しを聞く事が重要だ。

 私が十九年前の事に触れる以外で、岸本に近づく方法がない。彼等が場所を教えてくれなくても、岸本の方から会いに来るかもしれない。

 【鬼子を見た】――私はこの言葉の答えを教えてくれるのは、岸本しかいないのではないかと思っている。

 競技場にはまだ誰もやって来てないようだ。練習中に剣持を呼び出すのは避けたい。迷惑だと警視庁に連絡がいくのは不本意だ。

 競技場に入る前に彼女と話をしようと、車の中で彼女が来るのを待つ。亀山の時のような緊張は無い。朝の冷たい空気と匂いが、心をリラックスさせてくれる。

 自販機で買ったホットの缶コーヒーを飲んでいると、自転車に乗った剣持がやって来た。

 白に薄く水色の線が入ったジャージを着ている。背中には白いリュックサック、早朝だが顔には活力が溢れている。

 車から降りて、駐輪場で剣持に声をかけた。

 「剣持和歌子さんですね」

 彼女は黙ってこちらを見た。

 「少しお話しよろしいでしょうか」

 私は警察手帳を出した。彼女は手帳には目をくれず、私の顔を見ている。その表情に困惑の色は無い。

 「私が訪ねてきたと、お友達から電話はありましたか?」人目に付かず話すために、競技場の横に向かう途中、世間話のように話しかけた。彼女は返事をせず私の後ろを歩いている。「隠す必要はありませんよ。話しを聞いているのなら、説明する手間が省けるのでありがたいくらいです」それでも彼女は反応を見せない。

 先週、競技場で見て思った事だが、彼女の心は今にある、過去の事は割り切っているだろう。

 「お時間取らせてもあれですから手短に話します」彼女は無表情で私に向き合う。私に何も聞いてこないので、私がなんの用事で来たのかは知っているはずだ。「長田琢真の事を知っていますね?」彼女は感情のない声で答えた「小学生の頃の教師です」彼女に揺さぶりは不要だろう。「長田琢真は自殺だと思われていましたが、岸本進平が殺害した疑いがあります」彼女の表情は変わらない。「貴女は岸本が長田を殺害したと思いますか?」朝の冷たい風が吹いた。「さぁ……」彼女は興味なさそうに答えた。彼女は岸本と長田の事に反応しない。吉永沙也加はどうだろうか。「吉永沙也加の事を覚えていますか?」彼女の眉が少し上がった。「……小学校の同級生でした」こちらの話題には思うところがあるようだ。私は懐から吉永沙也加と同級生の集合写真を取り出して、彼女に見せた。「彼女は引っ越してから半年ほどで行方不明になりました」彼女は写真を私から受け取らず、さほどの反応も示さない。「彼女が行方不明になったのに、岸本が関わっていますか?」彼女はぶっきらぼうに答える。「知りません」拒絶反応が強い、感情的になってくれれば尻尾を出すかもしれない。「吉永沙也加は村の皆さんに愛されていましたね」彼女は無反応だ。「病弱な彼女を貴女たちもよく世話をしていたとか」彼女は競技場の入り口を見ている。「彼女が行方不明になって、同級生の皆さんはさぞ悲しんでいたでしょうね?」彼女はため息をついて答える。「覚えていません」彼女の表情は変わらない。

 剣持は陸上以外の事はどうでもいい、といった感じだ。暖簾(のれん)に腕押し、彼女にどれだけカマをかけても無駄だろう。私は写真を懐に戻した。

 「岸本の現在の所在は知っていますか」剣持は即答で答えた。「知りません」彼女を攻めるなら、別の手を考える必要がある。もっともその必要性は感じないが。「最後にお聞きします。岸本が長田を殺害する際に、岸本に協力しましたか?」これも即答した。私を見ることもなく。「いいえ」そう言うと彼女は、競技場に向かって歩いて行った。「ご協力ありがとうございました」私の声に振り向きもしなかった。その足取りに迷いはない。

 彼女にとって小川村の事は過去の終わった記憶のようだ。どれだけ突いても、掘り起こしてはくれないだろう。

 

 午後、先週訪ねた劇場に小森由美に会うためにやって来た。受付の女性に小森由美が来ているか尋ねると、「分からない」と返された。とりあえず劇場の中に入ってみる。

 劇場の中は百席に満たないほどで、舞台と客席が近かった。こういった小さな劇場に来るのは、大学生の時、落語研究会の活動に、付き合いで観に行った時だけだ。

 劇場の舞台上では、複数の人が楽器を演奏する準備をしていた。その中に小森由美がいた。黒いキャップを被り、オーバーサイズの黒い革のジャンパーを羽織っている。ダメージジーンズに赤いハイヒールを履いている。

 私が舞台に近づくと、彼女の方から近づいて来た。

 「刑事さん?」惚けたようなその表情は、夢見心地にも見える。「小森由美さんですね。少しお話しよろしいですか?」私は警察手帳を彼女以外の人に見えないようにそっと出した。「よろしいですよ」そう言って彼女は劇場の一番後ろの席に座った。

 赤い椅子が彼女によく似合うなと思った。私は通路を挟んで隣の椅子に座った。

 「さっそくですが、貴方が小学生の時の、ご学友との関係をお聞きします。吉永沙也加さんとは親しかったですよね?」私は懐から集合写真を取り出し、小森に渡した。「へー……本当に十九年前の事を調べてるんだ――」彼女はつぶやきとも呆れともとれる声だ。「この写真では、女児の体格は同じくらいですね。私は覚えてますが、この年の頃の仲のいい女の子は、服を交換してました。貴女たちもやりましたか?」彼女は写真を私に返しながら言った。「全然なかった。だって()()とは趣味が違ったもの」彼女に動揺や恐怖は無い。吉永沙也加の事で揺さぶるのは効果がなさそうだ。「写真の同級生たちとは今でもよく連絡を取りますか?」彼女は私の目を見つめている。まるでこちらを値踏みしているようだ。「いいえ。中学生の頃から疎遠になり始めて……高校卒業後は年に一、二回和歌子ちゃんに電話するくらい。それもここ数年は無かったから、昨日の電話はビックリしちゃった」隠す事はないと言わんばかりだ。「電話は誰からでした?」彼女は帽子をいじっている。「勉君。豊君のところに刑事が来たって」彼女は私の質問に全て真実で答える気だろうか。それなら単刀直入に聞いてみるか。「貴方は吉永沙也加が行方不明になった件に、関与しましたか?」彼女はこちらを向いて言った。「ワーオ。それで『はい、そうです』って言うと思ったの?」私は身を乗り出して言った。「駄目ですか。私が集めた証拠は、亀山さんに説明したんですが」彼女はニタっと笑って言った。「証拠? ただの妄想でしょ。だいたい、勉君の話だと、貴方に捜査する権利はないのではなくて?」私は手帳を取り出しながら聞いた。「私の素性を知っているのですか? 亀山さんには話しませんでしたが、誰に聞きました?」彼女は、しまった、といった表情をした。「十九年も前の事件よ。それもK県の。貴方はK県の人じゃないでしょ、訛ってないもの」何処から私の素性を調べたのか――彼女は何を隠しているのだろう。

 私は手帳に彼女の言葉をメモした。

 「そろそろいいですか」小森は席から立とうとした。「あと少し、長田さんが亡くなった件の事を。貴方は岸本が長田を殺害したと思いますか?」彼女はまた私の目を見た。「さぁね」私も彼女の目を覗き込む。「岸本が長田を殺す動機に心当たりがありますか?」彼女は真底どうでもいいといった感じで答える。「ない」

 舞台から彼女を呼ぶ声が聞こえた。演奏の用意は終わったようだ。彼女は席を立った。

 「最後に、岸本進平の所在をご存知ですか?」

 「ご存知ありません」

 小森は舞台に上がると、マイクスタンドの前に立ち、リハーサルを始めた。真正面を向き、妖艶な歌声を劇場内に響かせる。彼女の頭の中に私の事は、欠片も存在していない。彼女も過去の事を引きずってはいないようだ。

 剣持と小森は長田の事には反応を示さない。小森が言うように、中学生の頃から小学生の時のことは、関わらなくなっていくものだろう。過去を過去として捨て去る。大人になっていくとはそういうものだろう。

 吉永沙也加の事件から八年も経っての長田殺し――彼女たちが長田の殺害に関与したとは思えない。亀山は怪しいが主犯ではないだろう。桑原はまだ合ってないが、あえて長田を殺すのを手伝うとも思えない。長田殺害は岸本の単独犯だろうか――。

 彼女たちの冷めた反応がそう思わせる。

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