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八章 鬼子はいた


 1

 

 日曜日の朝、今日は〔おとずれ〕に行こう。今週から夜はバーをやると言っていたが、私はまだ行っていない。どうにも【鬼子】の事が気になって、そういった気分にならなかったからだ。

 今夜は来いと奈央に約束させられそうだが、それも桑原学の聴取次第だ。彼が吉永沙也加の件で真実を話すとも、失言するとも思わない。それでも岸本進平に会えない現状で、【鬼子】の事を問いただすのは彼しか残っていない。私の目的が、その一点だけにあると彼を信じさせることができれば、彼は答えてくれるかもしれない。伯父さんが私に託した思いとは食い違うかもしれないが――。

 家から出て、腰の高さの古風な鉄の門を閉じると、視線を感じた。

 家の前で立ち止まり、周りを見渡す。すぐにそれを後悔する事になった。駅に向かう道から、久保邦子が現れたのだ。ダッシュで〔おとずれ〕に向かえばよかった。

 「あら、加賀さん、お早いですのね」

 彼女はお出かけ用の服で話しかけて来た。本当に申し訳ないが、今はちっとも君の相手をしたい気分では無い。この心の声をオブラートに包む事なく、直に伝えられれば、この問題は解決するのだろうか――。

 「お嬢……邦子さんこそ、早朝からどうしました?」

 「今日はお日柄も良いので、街に出かけようと思いまして。それにはエスコートしてくれる殿方が必要でしょ?」エスコートしてもらうために、人の家に押しかけるなど聞いた事がない。そもそも、一人うどん屋のカウンターで食事している女性に、エスコートが必要だろうか――。

 「あいにく私はこれから朝食を食べに行くところでして……」

 「あら、よかった。私もまだなの。ご一緒しますわ」

 はぁ、なぜ彼女はここまで私に入れ込むのか――聞いてみるか。

 「邦子さん、私は仕事にしか興味のないつまらない男ですよ。刑事は家に帰れないことも多く、それが理由で離婚した人を何人も知っています」

 「加賀さん、お父様は貴方が将来警視総監になるって言うんです」部長の誇大広告が効いているようだ。「けど、私は加賀さんは警視総監にはならないって思ってます。貴方は人に指示するより、自分で捜査したい人でしょ?」否定する言葉が無く、私は黙って歩く。「加賀さんの秘めたる強さが、一人で戦う事に怖気ないのでしょうね」好奇心に釣られているだけだ。釣りは一人静かにやりたい。

 【鬼子】の件が終わった後、私は以前までの生き方をするのだろうか――それ以外の姿も想像できない。この先の事を考えると、久保邦子との結婚は悪い話ではない。彼女は、少なくとも今は、理解ある女性を演じている。将来それに後悔する事になるかもしれないが、今は甘えてみてもいいかもしれない――。

 「へー、こんなとこに喫茶店あったんですね?」

 しまった、考え事をしてたから〔おとずれ〕に来てしまった。駅の方向に歩いて行けばよかった――。

 「ここはお嬢さんには不釣り合いかもしれませんね。他にしましょう」

 「あら、そんなことないわ。おしゃれなお店じゃない」

 彼女は扉を開けた。無風であれ。

 「いらっしゃいませ」

 奈央の声が聞こえた。邦子の後ろから私の店に入る。

 「あら、加賀さん、昨日は来なかったけど仕事でした?」

 馴れ馴れしい奈央の言葉に、邦子は私と奈央の顔を交互に振り向く。私はブックスタンドから新聞紙を取り、立ち止まっている邦子の脇を通り過ぎ、奥のテーブル席に座る。

 「あの店員さん、不躾ね」邦子は私の前の椅子に座りながら、大きな声で言った。「お水です……お連れの方、加賀さんの良い人?」私は新聞紙を見ながら答える。「仕事先のお嬢さんだよ」邦子が咳払いをした。「父は加賀さんに私との見合いを進めているんですが、加賀さんの仕事が忙しくて予定が立たないんですよ」邦子は奈央を見て言った。「ふーん……お見合いする歳に見えませんけど、おいくつですか?」邦子は鼻で笑った。「上流階級では、産まれてすぐ嫁ぎ先が決まっていることだってあるのよ。私位の年齢でお見合いするのは普通よ」

 「マスター、モーニングAセット」

 私は新聞紙の裏から厨房に大声で注文した。

 「……加賀さんはそう思ってないんじゃなくて?」その意見には同意する。「貴女が加賀さんの何を知っているのよ」その意見にも同意する。「加賀さんは三年前にこの近くに引っ越して来てから、週末は必ずこの店でモーニングを食べるんですよ」君とは二ヶ月前に初めて会ったが?「……大した店には見えませんけどね」さっきおしゃれな店だと褒めてただろ。「ウチはこだわりのブレンドコーヒーを出してます。加賀さんだって虜なんですから」マスターがいつか喫茶店をやろうと、何年もかけてたどり着いたブレンドだと言っていた。「ふんっ! 私は遠慮します。我が家には兄さんが送ってくれた最高級のコーヒー豆、コピ・ルアがありますから」なぜ二人はこんなつまらない事で張り合っているのだろう。「あら、コピ・ルアをお飲みになるのね。珍しい」奈央が芝居かかった言い方をした。「当然ですわ。我が家にあるのはどれも最高級ですから」早朝からよく喋ること。「あら、もしかしてコーヒーの事に詳しくないのかしら? コピ・ルアは動物の糞から採取した豆なんですよ」私は新聞紙の中でじっと耐えている。紙の家の中で二匹のオオカミに怯える子豚だ。「えっ……そんな――」嘲笑混じりで奈央は続ける。「そうなんですよ。だから口にするのは抵抗があるっていう女性が多いんです。貴方は平気なんですね」新聞紙をめくる勇気がなく、ずっと同じ場所を見ている。「――」邦子は何も言い返せず黙ってしまった。勝負が決まったと思ったのか、奈央はカウンターへと戻っていった。

 モーニングなんてどうでもいい。早く家に帰りたい。


 喫茶店での事はよく覚えてないが、邦子は家に帰ったらしい。もう二度とあんな事はごめんだ。私は家に帰り、午後の桑原学との聴取のために準備を始めた。彼から岸本進平の事を聞き出せなければ、私の捜査はこれで終わりだ。

 気になるのは小森が仄めかした、私の素性を知っていると言う事だ。彼女は桑原からの電話で知ったのだろう。普通に考えれば桑原が調べた、という事になるんだが、どうにも腑に落ちない。亀山に接触したのが金曜の夜、小森は金曜の夜に電話があったと言った。桑原が私の素性を調べるまでが早すぎる。すでに私の事を知っていたとしか思えない。

 何処かで彼の網にかかっていたのだろうか――。そうだとしたら、彼は過去の事を調べられるのを警戒している。まともに私の相手をしないかもしれないな。


 桑原の所属する弁護士事務所は、先週よりも賑わっていた。受付ホールでは、順番待ちの人が数人いた。どちらもビジネススーツだ。

 受付の女性が、内線電話に出ると、私の偽名を呼んだ。指示に従い、奥の通路のCの部屋に入る。部屋は小さく、丸テーブルが真ん中に一つと椅子が四つ。それ以外は壁に絵が掛けられているだけの部屋だった。おしゃれな青い壁紙とタイルカーペットがなければ、取調室と変わらない。すぐに女性がお盆を持って入ってきた。テーブルの上にお茶の入ったコップを置くと、深々と頭を下げ部屋から出ていった。椅子の背もたれに体重をかけ、目を瞑って二分ほど待つと、ドアがノックされた。

 中に入って来たのは、濃い黒のダブルスーツを着た桑原学だった。彼はドアの前に立ち止まっている。私を眼鏡の奥の眼が凝視している。

 「木田(きだ)さんですか?」

 「ええ」

 「桑原です」

 彼は私の向かいの椅子に座った。その所作は慣れたもので、緊張は感じない。

 「どう言った相談ですか?」私は懐から警察手帳を出しながら彼の問いかけに答える。「実は、木田というのは偽名でして、私はこういうものです――」眼鏡の奥の彼の眼から光が消えた。「――」しばしの沈黙、動揺は感じない。やはり彼は私の来訪を予期していたようだ。

 彼の壁を崩せるかどうか――今度は空調の効いたオフィスの中で。


 2

 

 「亀山さんからお話しは聞いてますね?」私は警察手帳をしまいながら聞いた。「おおよそは……昔の事を聞いているようですね」桑原はテーブルに置いた手帳を、指で叩きながら答えた。「十一年前の長田琢真の件と……十九年前の吉永沙也加の件です」私もテーブルに手帳を置いた。「警察はなぜ今になってそんな昔の事を調べるのですか?」彼の声には感情が無く事務的だ。「私が個人的に調べているのです。私の伯父は加賀辰男、小川村の駐在所に勤めていました。ご存知ですよね。伯父は生前、吉永沙也加を見つけれなかった事を深く後悔していました。なので私がその無念を晴らせれば、と思いまして」彼はため息をついた。「そんな理由で警察手帳を使うのは職権濫用でしょ。問題ですよ」彼は席を立たなかった。ありがたい、話しを聞いてくれるようだ。「吉永沙也加さんは貴方たちにとって、大切な友人ではありませんか? 私は彼女の事件を解決しようというのですから、喜んでご協力いただけるものだと思っていましたが」私の白々しい態度にも彼は感情を出さない。「亀山の話しでは、彼があたかも犯人のような扱いを受けたと言っていましたが?」私は頭をかいた。「それは誤解です、事実確認をしただけです。私は彼が()()だとは思っていません。私の印象では、彼にそんな度胸も行動力もないでしょう」桑原は黙っている。私は話しを続けた。「私の推理では、吉永沙也加を誘拐……おそらく殺害した犯人と、長田琢真を殺害した犯人は同一人物です」桑原は黙って私の顔を凝視している。私が、吉永沙也加は殺害された、と断言しても、彼は動揺しなかった。「当然、可能性があるのは吉永沙也加の同級生五人です。先ほど言ったように亀山さんは違います。そして、剣持さんと小山さんも違うでしょう。彼女たちは自分の目標に向けて一心に前へ歩いています。ああいった方は、あえて自分から過去のことに触れません。吉永沙也加の件から八年も経って、長田を殺害するとは思えません。残るは二名です」桑原は重たい口を開いた。「私には長田先生を殺す動機があると?」私はあえて視線を外し、壁にかかっている絵を見た。「吉永沙也加の件が動機です」桑原はまるで、裁判で異議を主張するように言った。「答えになっていません」私は手帳を広げ、情報を確認した。「貴方、小学三年生の時に傷害事件を起こしていますね。火炎瓶を高校生に投げつけて、火傷を負わせた件です。覚えていますか?」黙って桑原は指をいじっている。「小学生時代の貴方は大変勤勉で、特に工作や物理の図鑑などをよく読んでいたそうですね?」桑原は答えない。「逆に岸本は勉強嫌い……火炎瓶を作ったのは貴方じゃないんですか?」桑原は眼鏡の位置を直した。「それで? 長田先生を殺す動機とは無関係では?」私は手帳を見たまま答える。「長田は毒を飲まされて、殺されました。犯人は何処から毒を入手したんでしょう?」桑原は詰まることなく答える。「毒の種類によっては、市販されているものもあります。長田先生が飲んだ毒は特殊な物だったんですか?」私は手帳から目線を上げ、桑原を見た。「犯人が岸本なら、毒殺を選ぶでしょうか? 彼ならもっと、直接的な方法を選びそうな印象を受けます」桑原は椅子の背もたれにもたれかかった。「……亀山の話しでは岸本の似顔絵を見せられたと。アレは偽物ですか?」私は首を振った。「いいえ。長田の周辺に岸本がいたのは間違いありません。しかし、実行犯は彼で、彼に毒を渡した黒幕がいる可能性もあります。どう思われます?」桑原は私の目を見て答えた。「私がお聞きしたのは長田を殺す動機です」私は彼から目線を外さず答える。「長田を殺した犯人にとって、十九年前の事件は、ある種の武勇伝となったのではないでしょうか」桑原の目が泳いだように見えた。「自分と思いを同じくした同志達と敵を倒す――子供が夢見る英雄譚です」桑原の喉がゴクリと動いた。「それには長田が邪魔だった。いや、敵の手下だった長田を殺す事で、ヒーローの物語は完全な結末を迎えたのです」桑原は椅子から背を離し、テーブルに手を置いた。「それが私だと?」声は少し震えていた。彼は私がここまで核心を突いてくるとは予測してなかったようだ。「違いますね。会って確信しました。貴方は私が吉永沙也加の事に触れても平気だ。長田を殺したのは岸本で間違いないでしょう」桑原は固まった。私がすでに目的を達成したと、宣言したことに驚いたのだろうか。

 私はお茶を飲んだ。なんとか桑原を揺さぶり、こちらのペースへと持ち込めそうだ。後は、彼が持っている岸本の情報を、私に渡すように説得できるかだ。

「貴方は私の情報を岸本から聞きましたね?」桑原は答えない。「岸本が誰から私が十九年前の事を調べていると、知らされたのかは分かりませんが、彼が十九年前の事に強いこだわりを持っているのは明らかでしょう」桑原は小さい声で言った。「根拠がない話だ」私はコップのフチをなぞった。「亀山さんは私から、岸本が長田の死に関係していると聞かされて、驚きもせず、否定もしませんでした。他の二人も、否定しませんでした。皆さんは岸本が長田の死に関わっていると、共通認識を持っています」桑原は少し首を下げ、眼鏡に手を当てた。「彼らは弁護士じゃない。警察に自分が容疑者と疑われている状況で、他人の弁護まではできない」私は前のめりになり言った。「()()ですか? 友達ではなくなったのですか?」桑原は頭を下げたままため息をついた。「小学校を卒業して何年経っていると思ってるんですか? みんな大人になったんですよ」私は食い気味で言った。「()()()、それは岸本も含めてですか?」桑原は少し言葉が詰まった。「――同い年ですから当然です」桑原は頭を上げた。顔には苦悩の色が隠せてない。「私が言っているのは精神的なものです。岸本にとって吉永沙也加の件が過ぎ去った過去の事なら、小川村から去り、浮浪者のような暮らしぶりの長田を探し出し、会いに行ったりはしないでしょう」桑原は言葉もなく、私を見ている。「貴方が彼を庇うのは、友達だからだと思っていましたが。彼が警察に捕まると十九年前の自分の罪が表に出るからですね」彼は枯れた笑いを漏らした。「フフ、彼を庇う気は無い。彼が殺人犯だという証拠があれば捜査に協力する。その時は貴方の質問にも嘘偽りなく答えましょう。私は彼の弁護士ではありませんから」彼は眼鏡を掛け直した。「しかし、貴方は自分の妄想を話すだけで証拠は一つもない……これ以上話しても時間の無駄ですね」彼は腕時計を見た。説得の時間はもう残されてないようだ。「私の伯父にとって小川村の子供は、自分の子供に等しかった。伯父は吉永沙也加の事件を解決できなかった無念を抱えて亡くなりました。伯父ができなかったことは吉永沙也加を見つけることだけではありません。伯父が一番無念だったのは犯人を更生させる事ができなかった事です」桑原は怪訝な顔でこちらを見ている。「伯父は吉永沙也加誘拐の犯人が、貴方たちだと分かっていました」桑原が少し驚いた。「しかし、犯行の方法が分からず、追及出来ませんでした。私は伯父の無念を晴らしたい。なぜなら、まだ、岸本進平は十九年前の事件に縛られているからです。彼を解放するには、逮捕するしかありません」桑原は目を瞑って話しを聞いている。「教えてもらえませんか、岸本の居場所を」桑原は少し間をおいて言った。「――他に用件がなければお帰りください」期待薄だとは思っていたが、駄目だったか。岸本と会えないなら、彼に聞くしかない。

 私は席を立って言った。「最後にお聞きしたい事があります。十九年前の九月十八日、吉永沙也加が行方不明になってから六日後。何をしていました?」桑原は困惑した顔で私を見た。口は固く閉じている。「覚えていませんか?」重ねて聞く。答えない限り、私が帰らないと思ったようだ、彼は答えた。「覚えていません」次が私の出せる最後のカードだ。これで彼が答えないなら、私の負けだ。「伯父が私に残した日記に、その日の記述があります。ただ一言、【鬼子を見た】。伯父は何を見たのでしょうか?」

 桑原は固まってしまった。私は彼をしばし見下ろしていたが、彼が答える気がない事を悟ると、部屋を出た。

 私の負けだ。結局、【鬼子を見た】、この言葉の意味を知る事はできなかった。

 帰路の足取りは重たかったが、不思議と充実している。やれるだけの事はやった。実を結ばないこともあるさ。頓挫(とんざ)する事なく、最後までやり切れた事にホッとしている。

 外に出るとまだ夏の面影を残す熱い太陽が迎えてくれた。夏もすぐに終わるだろう。


 3


 「ケケケケケケ」

 車から降りると聞こえてきた蝉の声が弱々しく感じる。彼らも終わりの時が近いのだろう。

 ガレージに車を入れ、家の門に手をかけると、視線を感じた。久保邦子か――辺りを見渡すが、彼女の姿は無い。少し敏感になっているのかもしれない。今日の朝、あんな目にあったのだ、多少は仕方ない。閉じるのに抵抗するように、ギィーと音を立てる門を閉じ、家に入る。

 時刻は午後五時、この事件をまとめ終えたら、夕飯に行こう。私は書斎のテーブルに事件の資料を並べた。伯父さんの日記、駐在所の捜査記録、山崎夫妻の供述書、長田自殺の捜査記録の写し、岸本の似顔絵、学校の工事記録と見取り図、五人の写真、そして私の手帳。

 結局、物的証拠は一つも手に入らなかった。十九年前の事件だから当然だが、一つくらい奇跡が起こってもいいだろうに――。

 テーブルに新品のノートを広げ、ペンを手に持った。何から書き始めるべきか――最も古い話は、隣町で起こった傷害事件か。私は真っ白なノートを黒い字で埋め尽くしていく。

 昭和三十九年、小川村の隣町で、商店街にいた高校生二人が火炎瓶を投げつけられ、軽度に火傷を負う。周囲に人がいたので迅速に消火されたが、そうでなければ死んでいた可能性にあった。犯行を行ったのは、小川村の小学三年生の五人。岸本進平、桑原勉、亀山豊、剣持和歌子、小森由美。率いたのは岸本、火炎瓶を作ったのは桑原だと思われる。動機は亀山が高校生にカツアゲをされていたから。五人への処分は見送られた。自分たちより強い敵を倒した、これが五人にとって強烈な成功体験になった。彼らは強い結束で結ばれた。

 昭和四十一年四月、吉永沙也加が東京から転校してくる。体の弱い吉永沙也加を、新しい仲間として迎え入れ、みんなで手を貸していた。しかし、吉永沙也加が学校の地下室を見つけた事で、子供たちの関係は変わっていく。吉永沙也加は地下室の拷問道具を弱みとして、長田琢真を脅迫し、自分でも使える拷問道具を買わせた。そして、道具を使用する相手として、亀山を選んだ。夏休みの半ば頃から、学校の放課後に亀山への拷問が始まった。その事を知った亀山以外の四人の同級生は、吉永沙也加を敵と認識するようになる。仲間の絆を大切にしていた彼らにとって、仲間の一人、吉永沙也加の裏切り行為は、彼らの怒りを大きくした。彼らは吉永沙也加に注意を与えるのではなく、罰する事を選んだ。

 彼らは吉永沙也加を排除する方法を考えた。彼らは夏祭りの神楽で子供の入れ替えを見たのを思い出した。それを利用した、吉永沙也加への入れ替りを思いつく。彼らは事前準備として、山に吉永沙也加を埋める穴を掘った。吉永沙也加を行方不明にしたのは、殺人事件と特定されると、長田への尋問が厳しくなり、長田が口を割る可能性があったからだろう。もし、彼を巻き込まずに犯行を行うと、地下室で吉永沙也加が亀山に拷問を起こなっていた事を、長田が警察に話す可能性がある。そうなると亀山が疑われる、それを避ける必要がある。行方不明なら、事故の可能性も残る。警察は事件性を見つける事ができなければ、事故として処理する。それを狙ったのだろう。

 九月十二日、放課後の地下室で五人は吉永沙也加を殺害。その時、長田がその場に居たかは分からないが、吉永沙也加が死んだ直後には地下室に居ただろう。子供たちは長田を脅し、自分たちの犯行の共犯にする。死体をドラキュラの棺桶に入れ、車の荷台に積む。その間に小森が吉永沙也加に着替えた。剣持の方が小森より力持ちだったはずだ。担任の証言では、子供たちが棺桶を運んでいた。棺桶には服を脱がされた、吉永沙也加の死体が入っている、四人で運ぶとはいえ、子供には重たい。一五時三⚪︎分――学校から隣町の公民館に向かった長田は、行きでは山に死体を埋めなかった。小川村から公民館に着くまでの時間、つまり行きの時間に不審な点ができないようにしたのだ。それも子供たちの指示だろう。公民館で職員の目を盗んで、死体を棺桶からブルーシートに移し、公民館を去る。そして、帰りに山で死体を埋めた。すでに穴が掘られていて、簡単に大量の土が穴に入る仕掛けを、子供たちが作っていた。彼らは演劇の小道具を自分たちで作っていたし、二年前に火炎瓶を作ったのだ、時間をかければ、それなりにものが作れただろう。長田は村に帰ると、亀山の家族と話している。これは警察が動き出すまでの時間潰しだ。

 一方で、小川村に残った四人の子供たちのうち、小森が吉永沙也加の服を着て、彼女になりすました。小森の服は、岸本と桑原が持っていた、紙袋に入れて隠した。学校で吉永沙也加が下校する所を教師に目撃させ、山崎商店に行く。山崎商店で吉永沙也加と誤認させると、店の外で自分の服に着替え、五人いると思わせた。雑貨屋でも同様の手口を使った。女子が二人なので、交互に着替えることで、吉永沙也加と一緒にいる事を印象付けることもできた。

 雑貨屋から出て、人気(ひとけ)の無い所まで行くと、吉永沙也加の服や日傘などを紙袋に入れた。吉永家への道の手前から、畑に向かう農道の先で、農作業をしていた岸本幸治は、四人の子供しか見ていないと証言した。雑貨屋で吉永沙也加が目撃されてから、岸本幸治が子供たちを目撃するまで十分だ。それに足跡は雑貨屋から岸本幸治が見た場所まで乱れることなく進み、脇道にそれなかった。そのため、彼らが吉永沙也加に危害を加えた可能性は疑われなかった。

 そして、九月十八日、伯父さんは子供たちが犯行に関わったと思われる行動を目撃し、【鬼子を見た】、この言葉だけを残した。

 十九年前の吉永沙也加行方不明事件の全貌はこうだろう。これは亀山の反応で確信できた推理だ。他の三人も吉永沙也加の件に、自分が関わっている事を、否定はしなかった。今更、証拠が見つかるはずもなく、疑われても気にしない、といった態度だった。高校卒業後、彼らにとって、吉永沙也加の件は終わった話しだったのだが、そうではなかった人物がいた――。

 長田琢真が事件後、地下室に手を付けなかったのは、子供たちに、「そのままにしろ」、と言われたのだろう。地下室の拷問道具は、亀山に使われた。彼らが長田を脅迫する材料だ。

 子供たちが卒業後、長田は拷問道具を処分はできなかったが、地下室を閉じた。子供たちの恐怖から、解放されたかったのだろう。

 長田は父親の死後、小川村を離れ東京に住む。それを追いかけてきたのが岸本進平だ。

 岸本は長田が自分たちから、解放されたのを許せなかったのか、それとも昭和四十一年の事件を、完全なものにするためか、長田を殺した。自殺に偽装したのは、昭和四十一年の事件との関係性を疑われないためだろう。

 おそらく岸本は長田を殺した事を、同級生に伝えたはずだ。他の四人の反応は、岸本が長田を殺した事を承知しているような態度だった。岸本の考えに同調した者はいなかった。むしろ亀山は嫌がったのではないか。岸本と長田の事を聞いている時の彼の反応は、私に対する恐怖ではなく、岸本に対する恐怖だったのではないだろうか。現時点で、この事件を解決しようとするのなら、亀山を揺さぶり続けるしかないだろう――。


 4

 

 体を伸ばしてコーヒーに手を伸ばす。コーヒーはぬるいが暑い夏にはこのくらいでちょうどいい。

 気分転換に空気を入れ替えようと、窓を開けた。

 「ケケケケケケ」

 蝉の声が途切れると、キィキィと聞き覚えのある金属音が聞こえる。風で門が揺れている。玄関前の門をちゃんと閉じていなかったようだ。

 椅子に座りノートを見直す。事件の事で書き残した事はないだろうか。警察側の動きなど、補足すべき事はあるが、事件の概要には関わりはない。他の気になる点は――ドラキュラの棺桶。棺桶は初めから吉永沙也加を入れる事を想定して作ったのだろうか? だとしたら、演目がドラキュラになったのも、吉永沙也加を棺桶で隠して移動させるのに、都合が良かったからだろう。演目が決まったタイミングを根本に聞けば確証を得られるかもしれない。亀山への拷問が始まったのは、八月の中旬以降だろう。それより前に演目が決まったのなら、ドラキュラの棺桶は偶然だったということだ。

 完全犯罪には運が必要だ。この事件では目撃者の有無がそれだ。長田の車が小川村の出入りした時間を、複数人の目撃者が証言したので、長田のアリバイが成立した。そして、子供たちが服を着替えているのを目撃した大人はいなかった。岸本幸治が四人の子供を目撃したのも、子供たちのアリバイになった。警察が吉永沙也加の行方不明に、同級生が関与していると疑えば、同級生の家に家宅捜査が行われ、吉永沙也加の服や傘が見つかっただろう。吉永沙也加が行方不明になった当日、伯父さんが同級生の家の中を、吉永沙也加がいないか確認したのも、子供たちにとって有利になった。

 私は目を閉じて考えた。この推理が正しいのなら、吉永沙也加は山に埋められている。誰かが掘り返していなければだ。

 吉永沙也加の遺体を見つけられれば、私の推理が正しい事の証明になる。桑原も岸本の居場所を私に教えてくれるのではないか。

 吉永沙也加の遺体を掘り返す可能性があるのは――岸本だけだ。他の同級生は過去に触れたくないだろう。長田も一人で吉永沙也加の遺体――白骨体を回収する度胸はないだろう。特に彼は事件後も警察にマークされているのを感じていたはずだ。自分から危険な行為をするとは思えない。

 岸本にとって、吉永沙也加の件は大切な思い出だ。彼が掘り返しす可能性は低いと思うが、トロフィーとして回収した可能性も否定できない。

 十九年経った今、山を掘り返せば吉永沙也加は見つかるだろうか? 東警察署の菅野署長は、事情を話せば協力してくれるかもしれない。たとえ東署が駄目でも、私の推理を聞けば、駐在所の佐伯は協力してくれるだろう。たった二人で山を探すのは無謀に思えるが、ある程度の範囲は特定できる。佐伯なら何年かかけてでも探してくれるかもしれない。伯父さんが吉永沙也加を捜査終了後も、一人で追い続けたように。

 しかし、吉永沙也加の遺体を見つけることが、吉永夫妻の救いにはなるだろうか? 残酷な真実の証明になる。彼らはそれを受け入れれるだろうか?

 【鬼子を見た】――この謎を解くために私ができる事は、吉永沙也加の遺体を探す事しか残ってないのではないか――。

 私は改めて伯父さんの日誌を開いて、九月十八日を見た。

 【鬼子を見た】。

 この言葉の意味を知りたい。伯父さんは何を見たのか。震えた筆跡は恐怖を教えてくれる。伯父さんの警察官としての責任や自尊心を打ち砕いたような衝撃的な出来事だったのだろうか?

 ――吉永沙也加の遺体を探そう。この事件の完全な解決には岸本進平の存在が必要だ。吉永沙也加に近づけば、彼も姿を現すはずだ。

 私は机の引き出しから便箋を取り出し、伯母に送る手紙を書こうとした。

 その時、後ろからギシッと音がした。背後を振り向くと、人の姿が窓から入る夕陽に照らされて、赤く(そび)え立っていた。

 次の瞬間、私の視界が揺れた。椅子から崩れ落ち、地面に落ちた頭は、赤い影の靴を見たのが最後に、真っ暗な世界に落ちていった。

 




 

 

 「ケケケケケケ」

 声量が衰えない蝉が、まだ熱い日が終わらない事を教えてくれる。藪をかき分ければ、勢いよく出てくる蚊とも、まだしばらくは付き合うようだ。

 沙也加ちゃんが行方不明になってから五日。警察では村の外に誘拐された線を追っている。村の外の事に駐在員の自分が参加することはない。私は村の中で、遺留品を探すしかない。

 吉永家近くの河岸から離れ、農道へと向かう。沙也加ちゃんが行方不明になった地点から移動する先は、雑貨屋に続く道か吉永家と農道の三つ。道から外れ山に入った可能性は低い。無論、誰かが誘拐したのなら、山の中に沙也加ちゃんを連れ去ったわけだが、帽子や傘も一緒に持っていく余裕があっただろうか――。

 農道に遺留品が落ちてないかを、確認しながら歩いていく。何人もの捜査員が探した場所だが、何処からか風で飛ばされてくることもある。

 農道の先では岸本幸治さんが、農作業をしている。

 「お疲れ様です。何か不審な物はありましたか?」

 彼は麦わら帽子の下で、汗を拭いながら答えた。

「何もないよ。沙也加ちゃん、何処いっちゃったんだろうね」

 「……幸治さんは、今日は一日中、畑仕事ですか?」

 「ああ。ここ数日、山探しで畑を見てなかったからな」

 「ご協力ありがとうございました」

 「成果がなくて、かえってこっちも申し訳ない」

 幸治さんは頭を下げた。その背後に白い煙が上がっているのが見えた。

 「野焼きしてるんですか?」

 「ああ。ほら、学校が休校になってるだろ。進平が暇だからって、手伝いに来てるんで、ちょっと見てもらってるんだ」

 そういえば進平君とは、沙也加ちゃんが行方不明になった翌日に、会ったのが最後だ。彼は沙也加ちゃんと仲が良かったから、落ち込んでいるだろう――。他の子供は昨日会ったが、みんな落ち込んでいて暗い顔だった。彼らの笑顔のためにも早く沙也加ちゃんを見つけなくては――。

 「それじゃ、わしゃ一旦家に帰って、道具を持ってくるんで」

 「ご苦労様です」

 幸治さんは農道を村の方に向かって歩いて行く。

 私は畑の中心に向かった。文旦の木に囲まれてここからでは見えないが、奥にも畑がある。幸治さん(いわ)く、広い平地は竜巻が起こりやすくなるので、風除けの木を畑を分断するように植えたそうだ。

 木に近づくと、隙間から奥の畑が見えてきた。ドラム缶で作った焼却炉の前に子供が五人いた。進平君だけでなく、友達も一緒だったようだ。笑い声が聞こえてくる。

 私は思わず動きを止めた。子供が紙袋から取り出した物が、太陽の光を激しく反射したからだ。それは白い服だった。サイズは子供の用のワンピースだ。

 服を持つ子の周りに他の子供が集まり、ハサミでワンピースを切り始めた。

 「アハハハハ」

 「アハハハハ」

 子供たちは笑いながらワンピースをバラバラに切り刻み、小さくなった切れ端を、焼却炉に投げ入れる。

 「アハハハハ」

 「アハハハハ」

 「アハハハハ」

 服が全て焼却炉に入れられるまでその行為は続いた。白い服は赤い火に焼かれ、黒く変色し、灰へと姿を変えていく。それでも彼らの笑い声が途絶えることはなかった。

 「アハハハハ」

 私は後退りした。見つかってはいけない! この場から離れなくては! 体はぎこちなくゆっくりとしか動かない。見てはいけないモノを見たような恐怖で心臓の鼓動が上がり続ける。音を立てて見つかるのではないかと、恐怖した。彼らに見つかったら、次は私がバラバラにされるのではないかと想像してしまう。

 畑から離れて農道に戻った時、やっと冷静になれた。私が見たアレは本当にこの村の子供たちだったのだろうか?

 アレはまるで――。


 終

 

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