五章 闇に葬られたもの
1
月曜日の朝、私は家を出る前に電話をかけた。一つ目は小川村の伯母さんに。伯父さんの四十九日の予定を確認するためだ。
二つ目は小川村の駐在所へ。佐伯に頼みごとがあるからだ。
私からの電話に、佐伯は驚きの声で答えた。
「何か手落ちがありましたか?」
「君に頼みたいことがあるんだ。私用だけどかまわないか?」
「はっ! 光栄であります」
「小川村小学校の二十年前から今年までの、工事の記録が見たい。担当している建築業者に記録を見せてもらって、リストにして私の家に送ってくれ。もちろん、学校の見取り図も」
「はっ! すぐに調べます」
「今月中でかまわないよ。それと、伯父の四十九日に小川村に行くけど、欲しい東京土産はあるかい?」
「いいえ、そんな、恐縮です」
「じゃあ適当に買って行くよ。それじゃ、よろしく」
学校に行くのは決めたが、場所は小川村だ。もう一度しか行けない。事前に情報を得た上で、確認しに行きたい。
本庁で部長に、伯父さんの四十九日のための休暇を申請した。東京から二日も離れることに、渋い顔をしたが、休日出勤で穴埋めすると言うと、認めてくれた。
私は休暇の予定を取り消されないように、必死に働き、その日曜日も出勤していた。午前中で残っていた仕事が片付き、正午頃、家に帰ろうと駅に向かって歩いていると、相馬さんとばったり会った。
「加賀、この後、予定があるか?」
「いえ、家に帰るところです」
「例の件の話がある。すぐに用事を済ませるから、駅前の喫茶店で待ってくれ」
「分かりました」
駅前の喫茶店でコーヒーを頼んだ。店には洋楽が流れ、日曜日なのに店内は、ビジネススーツを着た人で、埋め尽くされている。
無性に〔おとずれ〕が恋しくなった。久しく行ってないからだろう。
五分ほどして現れた相馬さんは、私の前の席に座ると店員にアイスコーヒーを注文した。
相馬さんは懐から、茶色い封筒を取り出すと、私に渡した。
中に入っていた、折り畳まれた紙を広げると、相馬さんの筆跡で長田琢真の自殺の概要が書かれていた。
アイスコーヒーが運ばれてくるまで、お互いに一言も喋らなかった。
「亡くなったのは十一年前。死因は青酸カリ。入手元は確認できなかったんですね」
「ああ、青酸カリが入っていた容器が現場に残されていたが、その容器の出所も分からなかった。ガイシャは日雇い労働で食いつなぐ、浮浪者同然の暮らしぶりだった。金目当ての殺人の線はない」
「長田は昭和四十七年に父が亡くなり、K県から東京に移り住みました。亡くなったのが昭和四十九年。二年間の暮らしぶりはどうだったんでしょうか?」
「全くの不明だ。一人暮らしで、親しい人物もいなかった。職場でも過去のことは一切話さなかったようだ」
長田はなぜこのような生き方を選んだのだろうか。彼は何かから逃げていたのではないか。
その相手は警察か、それとも【鬼子】か――。
私は報告書で一番気になった部分を聞いた。
「亡くなる直前に、若い男性が尋ねてきたのを目撃した人がいるんですね」
「自殺を疑うなら、その一点だけだな。他には一切他殺だと思われるところはない」
「目撃されたのは若い男性が一人、それも一度だけですか?」
「それをさっき電話で確認してたんだ。捜査を担当した奴とは親しかったから、詳しく話してくれた」
相馬さんはアイスコーヒーを飲みながら、頭の中で言葉を整理しているようだ。私もコーヒーを一口飲んだ。
「そいつの話だと、近所の住人の中に、若い男が長田のアパートを覗いてたと、証言する人がいたらしい。服装はくたびれた感じで、顔は十代に見えたが、二十代前半かもしれない、とのことだ」
吉永沙也加と同級生は昭和三十年生まれ。長田が死んだ時は十九歳か――。
「……その人物は特定できなかったんですね?」
「ああ、青酸カリの容器には長田の指紋しかなかった。テーブルには残高がほぼない銀行の通帳だ。まぁ、遺書と受け取れんこともない。手掛かりが全くない、若い男探しは、割に合わないと判断したようだ」
事件性無しと判断した方が、楽だという判断だったのだろう。
「相馬さんはどう思いますか?」
「他殺の臭いはする。電話した知り合いもそう言っていた。ただ、獲物が安い。犯人は長田の仕事先の浮浪者の可能性が高い。それを逮捕しても、得点にはならんからな」
「自殺のままでいい。そういう事ですか――」
「お前もこの事件をほじくるなら、それ相応の覚悟をしておけよ」
相馬さんは遠回しに手を引けと言っている。私が処分されるのを心配してのことだろう。しかし、もう私は引き下がる気はない。
「……若い男の似顔絵などはありますか?」
「忠告はしたぞ。写真に撮ってきた、これだ」
相馬さんは懐からポラロイド写真を取り出した。
それには短髪の男の似顔絵が写っていた。
「ありがとうございます。これでやっと一つ、手札が増えました」
「分の悪いゲームは早々に降りるものだ。手遅れになる前に――」
「敵が自分ならそうはいきません。生涯、心に傷だけが残りますから」
「そうか……それなら仕方ない。警察など、人生の一部でしかないしな」
「夕食、ご一緒にどうです?」
「ああ、いいぞ。奢ってやるよ。お前の顔も見納めかもしれんしな」
「そんな、縁起でもない……」
翌日、本庁に出勤すると、保安課に向かった。
この前と同じく、庄司が座っていた。
今度は気付かれる事なく後ろに回れた。
「おはよう、ちょっといいか」
「おはようございます。またですか?」
今度は部屋のすぐ外で話した。
「この前調べてもらった人の、吉永夫妻以外の、五人の写真が欲しい」
「そんなこと言われても……」
「桑原勉と剣持和歌子は簡単に手に入るだろ。亀山豊も教師だったのなら難しくはないだろう。他の二人は免許を取っていればいいが、そうでないなら卒業校に見せてもらいに行く。卒業校を調べといてくれ」
「僕も結構忙しいんですよ」
「またステーキ奢ってやるから。頼んだぞ」
私は自分のデスクで仕事をしながら、長田の事を考えていた。事件から十年以上経っている。小川村ならともかく、東京で浮浪者が一人死んだ事件を、覚えている人は少ないだろう。東京は人の入れ替わりも多い、長田の事件をこれ以上調べるのは難しい。それに場所が東京だ。下手に突いて部長にバレると即座に謹慎処分だろう。少なくとも四十九日が終わるまでは触れずにおくしかないか――。
その後は、企業と代議士の癒着事件の捜査が本格的に始まり、飯を食いに外に出る事もできないほどの、忙しさの日々だった。
それが落ち着いて、昼食を食べる余裕ができると、庄司の所に向かった。
「待ってましたよ。山は越えたんですか?」
「ああ、俺の仕事はだいたい終わったよ」
「それじゃ、ステーキに行きますか」
前と同じファミリーレストランで私はオムライスを庄司はステーキを頼んだ。
「これ、手に入った写真です」
庄司は封筒を渡してきた。中には四枚の写真が入っていた。
「手に入らなかったのは岸本進平か?」
「そうです。分かるんですね」
写真の中に似顔絵に似ている顔は無かった。私はあの似顔絵を岸本ではないかと予想している。残念だが、庄司の調べでは、確証を得る事はできなかった。
「岸本の卒業校は調べてくれたか?」
「もちろん。東京の工業高校でした。彼は卒業後の消息が一切不明なので、学校に尋ねるなり、友人を探して所在を聞くしかなさそうですね」
庄司から高校の場所を教えてもらい、手帳に書いた。
高校で写真を見せてもらうには、警察手帳を見せる必要があるだろう。今はできない、部長の耳に入れば終わりだ。
「で、何を調べてるんですか?」
「さぁな。これから何が出てくるか、俺も楽しみだよ」
私は改めて、成長した四人の子供たちの、写真を見た。
これが【鬼子】だったのだろうか。少しずつの歩みだが、彼等と対峙する時が近づいてる。私はそれを実感した。
2
土曜日の朝、久々の休日で、すでに心は〔おとずれ〕に向かっていた。
曇り空は明るく、雨にはなりそうにない。
ポストを確認すると、大川村の佐伯からの封筒が届いていた。
中を確認するのは朝食後でいいだろう。リビングのテーブルに封筒を置き、出かけた。
喫茶店に入ると、客はおらず、カウンターからはコーヒー豆を挽く音が聞こえる。
「いらっしゃいませ。久しぶりですね」
豆を挽いていたのは奈央だった。
「モーニングAセット。マスターは?」
「仕込みをしてます……どうぞ」
彼女はそう言って、水の入ったコップをカウンター席に置いた。私は、ブックスタンドの新聞紙に伸ばした、手を引っ込め、週刊誌だけを持ってカウンター席に座った。
豆を挽く奈央は得意げだ。そういえば、バーの話はどうなったんだろうか。
「夜もお店をやるって話しはどうなったの?」
「どうなったもなにも、加賀さんが来ないから話しを進められなかったんですよ」
「私は関係ないだろ」
「誰か一人、必ず来てくれれば、売り上げが安定しますから」
「私より歳上の、仕事を退職した人を、捕まえたらどうだ」
「そういった人はカクテルなんて頼まないんですよ。加賀さんは飲むんでしょ?」
この前「カクテルは好きだ」と、口走ったのは迂闊だった。
「できたぞ」
「あっ! ちょっと待って、今、コーヒー入れてるから」
待つことなく、厨房からマスターがモーニングを持って出てきた。
「お待たせしました」
「ご無沙汰してます。いただきます」
「はい、コーヒーです」
私がトーストにバターを塗り始めると、奈央は厨房の掃除を始めた。
「加賀さん……あんたどうする、ここに酒を飲みにくるかい?」
私はコーンスープを一口飲んで、マスターの顔を見た。それはきっと娘を心配する父の表情だ。
「家の近くに酒が飲める店があるのは、悪くないですけどね」
「そうか……今晩、空いてる?」
「ええ、予定はないですけど――」
「店はいつも八時に閉める。八時過ぎに来てくれ。あいつの酒が飲めるか……商売になるか、あんたに判断してもらう」
「私でいいんですか?」
「娘も言ってだろ、常連が付かないんじゃ商売にならない。特にこの店は、地元の人間しか来ないからな」
「まぁ、確かにそうでしょうけど――」
実を言うと奈央のカクテルを飲んでみたいとは思っていた。少なくとも、コーヒーは美味しかった。カクテルもこれ以上のものを期待したい。
家に帰り、リビングで佐伯からの封筒の中身を確認する。中には紙が四枚。一枚は佐伯の手書きと思われる、学校の工事記録のリスト。残りの三枚は、学校の見取り図だった。
私は先に見取り図を確認し、頭の中で小川村小学校の中を歩き回った。
何度も隅から隅まで歩いた後、工事記録を確認した。そちらも三度確認した。そして気になる一点を見つけた。
私は小川村駐在所に電話をかけた。すぐに佐伯は電話に出た。
「加賀だ。無事、学校の封筒は届いたよ」
「ご期待に応えられましたか?」
「ああ。それで、ここに書かれている内容で、詳しく調べて欲しいことがある。それは、昭和四十三年の壁の工事だ」
「ああ、それは私も気になったので確認しました。使われなくなった地下の部屋を、誤って子供が入り込まないように、扉を埋めたそうです」
「場所は分かるか?」
「昇降口から入ってすぐ横、階段の隣りだそうです」
私は見取り図にペンで印を付けた。
「壁の厚さはどのくらいだろうか?」
「大掛かりな工事では、無かったそうなので、厚くは無いはずです」
「作業員は埋める前に地下室を確認したか?」
「私が尋ねた時は、その工事の担当者はいませんでしたので……」
「悪いが、工事の担当者に、地下室を見たか、確認して欲しい」
「はっ! 調査に手落ちが有り、申し訳ありません」
「いやいや、よくやってくれてるよ。それじゃ」
事件から二年後に閉ざされた地下室――。
なぜ二年後なのか? 捜査本部は一月で川での事故と結論付けた。吉永が引っ越したのは一年後。地下室が吉永沙也加と関係するなら、扉を閉じるのに二年も待つ必要は無い。
事件と無関係とはとても思えないが、学校内は警察が徹底的に捜索しているはずだ。入り口すぐ近くの、地下室を見逃すはずがない。
――自分の目で確認するしかないな。
私は車でホームセンターに向かった。
手袋、バール、ハンマー、スコップを買い、車のトランクに載せた。壁を壊した経験はないが、厚くはないと言っていたので、これでなんとかなるはずだ。
「うぅーん!」
トランクを閉じ、運転席に向かおうとした時、女性のうめき声が聞こえた。
声のする方を見ると、若い女性が、大きな鉢植えを抱えようとしていた。台車に乗せた、焼物の鉢植えは、かなり重たそうだ。
女性の顔に見覚えがあった。誰だろうと、記憶を辿る。ああ、部長の知人、久保利彦の娘だ。名前は――忘れてしまった。
「手伝いましょうか?」
彼女はこちらを振り向いた。顔には動揺が見えたが、すぐにハッとした顔に変わった。私のことを思い出したようだ。
「お願いできますか」
私は鉢植えを抱え、彼女の車のトランクに入れた。
「ありがとうございました。これからお買い物ですか?」
「いえ、これから帰るとこです」
「――もしよければ、家に来ていただけませんか? 私では、車から鉢植えを、降ろせませんので」
図々しい。家まで手伝いに来いと平然と言えるのは、いいとこのお嬢様だからか、それとも顔がいいからか。きっと両方だろう。彼女の周りには常に、手を貸してくれる人がいたのだろう。
「家の方に手伝ってもらえないのですか? この前行った時には男性の方もいらっしゃいましたが」
「あの方は父の秘書です。父は不在ですし。母は私以上に非力なもので……」
予定は無いが、出来れば断りたい。しかし、これが原因で部長から、小言を言われてはたまらない。
「お手伝いしましょう」
「ありがとうございます」
私は彼女の赤いポルシェについて、久保家に向かう。出来れば二度と行きたくはなかったが――。
彼女の車から鉢植えを降ろし、庭に運んだ。
「力持ちなんですね。スポーツをしていらっしゃるんですか?」
鉢植えは一般男性なら持てる重さだ。
「学生時代から柔道をやっています」
「へー。そう言えば、警察官は、柔道か剣道を習うのでしたね」
「ええ。それでは失礼します」
「あっ! ちょっと待って。少し休憩していってください。母にもまだ会っていませんし。コーヒーお出ししますから」
「いえいえ、お嬢さんにそんな事はさせられません。お構いなく」
「お嬢さんなんて、邦子でいいです。兄から珍しいコーヒーを頂いたの。コピ・ルアクといいまして――」
「お父様によろしく言っておいてください。失礼します」
私は逃げるように車に乗り込み、久保家を後にした。これ以上彼女のペースに巻き込まれたら、大変なことになりそうだ。
休日のホームセンターでの買い物が、これほど疲れることになるとは――。
私は家に帰らず、気晴らしにドライブをする事にした。
晩飯を済まし家に帰ると、トランクに入っている道具を、庭の隅に置いた。
時間は午後八時、〔おとずれ〕に向かった。
街灯が隙間なく暗闇を払う、道の先に、店先の電灯が付いた、〔おとずれ〕が見えた。初めて見る姿だ。ここに夜、来たことはない。
店内に入ると、カウンター席にマスター夫婦が座り、カウンターの中に奈央が黒いスーツを来て立っていた。
「加賀さん、いらっしゃい。どうです、バーテンダー時代の服です。様になってるでしょ」
「なんでもいいよ。タダ酒を飲ませてくれるなら」
奈央はブー垂れながら、道具を並べて、カクテルを作る準備を始める。
「ご注文は?」
「じゃあ、マティーニ」
奈央は手慣れた手つきで作りはじめた。いつもはコーヒーの香りがただよう店内で、アルコールの匂いが広がっていくのに、違和感を感じた。
「どうぞ、マティーニです」
マティーニにはオリーブが入っていた。今夜のためにわざわざ買ってきたのだろうか。
「いただきます」
グラスを手に持ったところで、少し緊張した。三人の視線が私に向けられたからだ。
マティーニの味は、辛口だったが、飲みやすかった。柑橘系の香りがする。おそらくレモンを加えているのだろう。
「どうです?」
「悪くないんじゃないか」
「やった! 明日も来てくださいね」
その後、夜更けまでマスター夫婦と、カクテルを楽しんだ。酒が回った影響でマスターはとてもお喋りだった。
3
小川村から帰れば、かつての子供たちに会いに行くことになるだろう。他にやるべきことは残ってないはずだ。
しかし、岸本進平の所在が判明していない。現状の私の推理では、彼が長田琢真を、殺害した可能性が高い。
自動車免許を取らず、親にも所在を告げず、行方をくらましている。警察の捜査を恐れているのではないか――。
せめて写真だけでも手に入れたいが、学校に押し掛け、警察手帳の力を使うのは最終手段だ。
知り合いの卒業生を探すか――望み薄だろう。
少しでも何かの役に立つかと、岸本が卒業した高校の事を調べるが、何の成果も得られなかった。直接高校に行くしかないようだ。
一旦、岸本の事は諦め、他の子供の事を調べることにした。
桑原勉は弁護士らしい。情報は手に入れやすいはずだ。彼から調べることにした。
彼は現在、東京の弁護士事務所に所属していた。私も名前を知っている大きな事務所だ。そこで刑事事件を主に担当しているようだ。
悪友に彼のことを聞いても、知らないと答えるだろう。
好意にしている検事がいれば話しを聞けただろうが、あいにく私は検事からウケが悪いようで、親しくしてくれた人はいない。
裁判を取材している記者に話しを聞くこともできるが、彼等の好奇心をくすぐるだけだ、やめておこう。
裁判の結果を見る限り、そこそこの実力はありそうだ。年齢の割には良くやっている。
次に剣持和歌子の事を調べた。
彼女は自動車会社に所属している陸上選手だ。得意なのは四百メートル走のようで、現在は日本で五本の指に入るらしい。
彼女は高校時代には全国区の陸上選手になっていたようで、大学時代から、代表選手候補に上がっていたようだ。
彼女に関する情報では、全日本女子駅伝の出場が、一番多かった。陸上ファンからの注目度は高いようだ。
彼女が主に練習をしている場所も確認できた。
続いて小森由美。彼女が活動していた劇場に、客として訪れ、彼女の事を聞いた。
今はこの劇場を離れて、インディーズグループのボーカルとして活動しているらしい。そのグループが活動している劇場を教えてもらった。彼女の所在はこれで分かった。
最後に亀山豊。彼が務める塾に行き、入り口にあったパンフレットを確認したが、彼の情報は載ってなかった。中に入り彼に会うのはまだ早い。塾の入り口が見える場所に車を駐めて、彼が出てくるのを待った。午後十頃、写真と同じ顔の彼が出てきた。
年齢に対して渋い薄い灰色のスーツを着ている。顔つきも苦労人といった感じだ。
彼に会う前に前職の学校を訪ねた方がいいだろうか。
いや、そこまでする必要もないだろう。下手に動き回って、彼等に勘付かれるのは避けたい。
これで岸本以外の吉永沙也加の同級生たちと会う事はできる。
岸本の所在を知っている可能性があるのは、彼等だけだ。だが、知っている者がいたとして、素直に話してくれるだろうか――。
長田を殺害した容疑者だ、と言っても、協力してくれるとは思えない。他に理由を作って彼の所在を聞くのも難しいのではないだろうか。
岸本に会うには、逆に十九年前の事を調べている事を、彼に知らせた方が動きがあるかもしれない。
どの方法を取るにしても、岸本と会うのは最後になりそうだ。
伯父さんの四十九日も近づき、仕事が溜まらないように、色々と都合をつけながら仕事をする。
そんな折、部長が昼食に誘ってきた。また面倒事を持ってきたのだろう。こういった予感が外れたためしがない。
「覚えているだろ、君が相談に乗った久保さん。彼が娘と君の見合いをしたいと言ってきてね」
それ見たことか。あのお嬢様との結婚生活がどうなるかは、利彦を見れば痛いほど分かる。まったくごめんこうむる。
「彼女とは久保さんの家でお会いしまいたが、警察の嫁をできるタイプではありませんでしたよ」
「そんなものは結婚してみるまで分からんよ。それに、警察の仕事にこだわる事もない。久保家の後押しがあれば、政治の道もあるぞ。駄目でも会社の重役には間違いなくなれる。人が羨む待遇だぞ」
「見合いをするにしても、今は時期がよくありません。伯父の四十九日も済んでませんし」
「年明けまで待てと言うんじゃないだろうな」
「待てないのであれば、別の方とお見合いすればよろしいでしょう」
「君ねぇ、私の立場も分かってくれよ」
「見合いは一度しかできないわけではないでしょう。久保さんのお嬢さんも何度も見合いして、いい人を見つければ良いのですよ」
「一度として私の見合い話を受けない君が言うことかね」
私は答えることなくチキン南蛮を食べ始めた。今の私には相手が誰であれ、幸せな結婚生活が想像できない。
伯父さんの四十九日の前日、本庁で仕事を終え、自宅に帰ると、服を着替え、喪服と手土産を車に積み込む。車のトランクに、ホームセンターで買った道具を、入れる。忘れ物がないか、トランクの中を確認する。この時期に重労働は堪えるだろう。道中で水と栄養ドリンクを買っておこう。車をガレージから出し、戸締りをする。
伯父さんの四十九日は、午前十時からだ。母親には一緒に行こうと誘われたが、私用で車を使うからと断った。
その日は、名古屋で車中泊をした。この時期は毛布なしで寝ても寒く無い。夜明けと共に目が覚めた。昨夜買っておいた、サンドイッチをコーヒーで流し込み、車のエンジンをつけた。
夜明けの薄明かりのドライブは、車の数も少なく、気持ちがいい。
小川村に着いたのは午前九時だった。伯母さんの家に向かう前に、駐在所に寄った。
車を駐在所の前に停めると、すぐに佐伯が出てきた。
「おはよう。色々と迷惑をかけるね。これ、お土産」
「どうも、お気遣いありがとうございます」
駐在所の中で私は椅子に座らず、壁にもたれかかった。ずっと運転席に座っていたので、お尻が痛くなっていた。
「それで、学校の地下室の件は調べてくれたか?」
「はい。当時、作業を担当した人物を探し出し、話を聞いたところ、部屋の中は確認しなかったそうです。ただ、中に人がいては大変なので、扉を開けて、中に声をかけたそうです。地下への階段の先は真っ暗で、部屋の中の様子は分からなかったそうです」
そうではないかと想像した答えが返ってきた。ホームセンターで買った道具は無駄にはならなかった。
「工事に立ち合った学校関係者は?」
「長田琢真です」
これも想定通りの答えだ。
「今、学校の鍵の管理は誰がしている?」
「私です」
「学校の鍵と、懐中電灯を貸してほしいが、いいかい?」
「はい。お手伝いしましょうか?」
佐伯は私が今からやる事を、察したようだ。
「いや、君を巻き込んだら悪い。君は私のやることに、知らぬ存ぜぬでいてくれ」
「そうですか……お手伝いが必要なら、なんでも言ってくださいね」
「夕方には返せると思う」
佐伯は駐在所の前まで出てきて、「熱中症に気をつけて」と、別れの言葉を送ってくれた。
駐在所を後にし、伯父さんの四十九日に参加する。
すでに親戚達が集まっていた。両親の姿も見える。
「伯母さん、またお世話になります」
「暑い中、東京から大変だったでしょ。休んでていいからね」
「あの、伯父さんの日記の事は、うちの親には言わないでくださいね」
「ええ、分かってるわ」
母には仕事や生活の話しをやたら聞かれた。父は遺品の整理を手伝っていた。父には【鬼子】に心当たりが無いか聞きたいが、今夜にした方が良さそうだ。
私は昼食を終えるとすぐに家を出た。
天気は晴天。風が無いのが暑さに拍車をかけていた。
車の中は高熱で、窓を開けて学校に向かう。
「ケケケケケケ」
相変わらず学校の校庭は、雑草がそこかしこに生えていた。人の気配は無く、蝉だけが存在感を放っている。
学校の校門の鍵を開け、校庭に車を駐めると、服を着替えた。
学校の正面昇降口の鍵を開け、中に入る。中は地域の集まりで、定期的に使っているため、校庭からは想像できないほど綺麗だった。
階段横の壁を確認すると、一部分だけ色が違う場所があった。この先が地下室だろう。
念の為に学校中を歩いて確認したが、特に気になることはなかった。
4
私は車のトランクから、道具を壁の前まで運んだ。すでに額から、一粒汗が流れた。水を一口飲み、腕をまくり、手袋をすると、ハンマーを壁に叩きつけた。
壁から粉塵が巻き起こり、手に衝撃が伝わる。夏に一人でやることだろうか。ましてや、明らかな犯罪行為だ。東京で、なんとか合法的に壁を壊す方法が無いかと考えたが、地下室を調べる事を、公にするのを避ける事を優先し、言い訳は壊した後に考えることにした。流石に自分がやっていることに、疑問を感じざるおえない。
佐伯の調べ通り、壁はそれほど厚くなく、三十分ほどで、暗い闇が壁の隙間から見えた。
この穴を、私が通れるほどに、広げなくてはいけない。一本目のペットボトルの水はあっというに無くなった。
ハンマーで開けた穴に、バールを差し込み壁を剥がす。落ちた壁をスコップで隅に寄せていく。汗だくで繰り返す作業に、車の運転の疲労が重なり、休憩の時間が増えていく。
中に入れるほど穴を広げると、腕にだいぶ乳酸が溜まっていた。
穴の前に座り、水を飲む。荒くなった息が静まると、懐中電灯を持って、穴をくぐった。
懐中電灯で階段の先を照らす。部屋の入り口が確認できたが、ここからは中は見えない。
足元に気をつけて、ゆっくり階段を下りていく。一番下まで下りると、唾を飲んだ。
埃臭い匂いが漂ってくる、地下室へと入る。ここに十九前の事件の核心が潜んでいるかもしれない。
期待と不安が心臓の鼓動を早くする。
部屋の中を光で照らすと、中央に大きな台が置かれていた。台は四角く、脚が六本、洋風の装飾がされていた。
そして、一番目を引いたのが、台に取り付けらえていた輪っかだ。サビで茶色になっている、金属製の輪っかが五つ。台の中央付近の輪っかだけが、他の輪っかより大きかった。
台に近づき、輪っかに触れてみた。輪っかは開いて、3の字になった。
間違いない、これは人を拘束する台だ。
部屋の壁に光を向けた。斜めに交差した、長い黒い板が設置されていた。
それにも鎖で繋がれた、四つの輪っかが付いていた。
その横には、壁掛けフックが付けれていた。
フックに吊るされている道具はどれも、使用用途が恐ろしいものだと想像させるものだ。
反対側に懐中電灯を向ける。懐中電灯に照らされて、鉄で作られた女の顔が姿を現した。
これには見覚えがある、確か名前はアイアン・メイデン。半開きの鉄の処女に手をかける。ギーと音を出しながら、体が開いていく。中には棘が並んでいる。
覗いた限りでは、使われた痕跡はない。
部屋を隅々まで調べたが、人の遺留品と言えるものはなかった。ここにあるのは拷問道具だけだった。
改めて道具を一つ一つ確認したが、使われたかは判断できなかった。この部屋が閉じられてから、十五年以上経っているので、仕方ない。
台に腰掛けて、目を閉じる。地下の涼しさが心地良い。体に張り付いた、汗だくの服の不快感を、和らげてくれる。
この部屋の物は全て、長田の所有物なのだろか。彼の事を詳しく知る人物に、会えていないので、不自然とも思えない――。
深く息を吐いて、私は地下室を後にした。
「ケケケケケケ」
蝉の声が私を安心させた。あの地下室は、どこか異世界に行ったのではないかと、思わせる雰囲気だった。あの世界に一人取り残されるのはごめんだ。
学校の外に出ると、太陽は沈みかけていた。白い雲が夕陽を浴びて、赤く染まる。ほんの少しの風が、汗を冷やし、一瞬の涼しさをもたらす。
車から新しい水を取り出し、昇降口前の階段に腰掛ける。服も靴もホコリだらけだ。きっと髪や顔もそうだろう。ヘルメットと防塵マスクを、かぶれる気温ではなかったので仕方がない。
この姿を見た母親に、なんと言われるだろうか。そっちの言い訳も考えなくては――。
私は校庭を飛ぶトンボをボーと見ている。疲労で頭の周りが悪い。それでも心は情報を整理したくてたまらない。
警察がアリバイがあるにも関わらず、長田を有力な容疑者として疑い続けたのは、あの部屋が原因だ。
吉永夫婦はあの部屋の事を聞いてないようだった。それに伯父さんの日記と、駐在所の捜査記録にも書かれていなかった。あの部屋の事を知っているのは、警察の一部の人に限られたのでは無いだろうか。
長田の父は、学校を建てるほどの権力者だ。外部に漏らさないように圧力をかけたのだろう。
吉永沙也加はあの部屋で長田に拷問を受けていた。そして、長田は勢い余って殺してしまった。警察はそんな線を立てたのではないだろうか。しかし、長田にはアリバイがある。それを崩す物証も見つけられなかった。
警察が事件と地下室の関係性を、立証できないのなら、地下室の事が表に出ないのは仕方ない。
それでも私は、あの部屋は間違いなく吉永沙也加の行方不明に関係していると確信している。その根拠は――。
吉永沙也加は放課後、長田と学校に残るようになった。
吉永沙也加の服に付いた血。
長田は吉永沙也加の行方不明後、なぜか二年待って部屋を壁で閉じた。
どれも根拠としては弱いが、私自身が納得するには不足ない。
だが、まだ【鬼子】の姿はハッキリと見えない。必要なカードは揃ってきたが、核心にはまだ触れていない。
あの部屋は長田の動機であって、子供の動機にはならない。
吉永沙也加行方不明の犯人が子供たちなら、吉永沙也加に何らかの加害者的要因があるはずだ。あの部屋は吉永沙也加が被害者である証拠だ。
子供たちが長田を守るために、吉永沙也加の死体を処分したとは思えないが――。
何にせよ、この犯罪の犯人が子供なら、【鬼子】と呼ばれるに相応しい。
額から腕に汗が落ちた。陽が落ちて空は暗くなるのに、暑さは以前として猛威を振るい、疲れた体にまとわりついていくる。
「ケケケケケケ」
隣町に続く山道の、脇の坂を登ると、祠がある。昔はここでお祭りをやっていたとおじいちゃんが言っていた。広い平地に、木が太陽の光を遮り、涼しい風が吹く。水が出る蛇口もあるし、この場所は、夏遊ぶのにちょうどいい場所だ。
汗をぬぐいながら後ろを振り返ると、元気のない豊の姿が目に入った。
ここ最近こんな調子だ、演劇でドラキュラ役になったからだろうか。今年から「敬老の日」ってのが始まるとかで、地元の老人に感謝をこめて、演技で楽しませましょう、ってことで五年生たちは公民館で演劇をすることになった。
豊は五年生の中で一番背が大きく、怪物役にピッタリだ。それに豊はあがり症で、舞台の上でスラスラとセリフを言えないだろう。ドラキュラのセリフは「ウワー」とか「グワー」とか、セリフを覚えなくても大丈夫、豊でも演じられる。でも、怪物役が不満で元気がないのだろうか?
それとも別に理由があるのだろうか――。
「はぁはぁ……暑くなってきたから祠の階段上るの大変だね」
沙也加ちゃんが息を切らして言った。力弱さを感じる声色に三人は心配で沙也加ちゃんの顔を見る。
大きな白い帽子の下の顔は見えずらいが、少し青くなっているように見えた。
「沙也加ちゃん、大丈夫? 無理してない?」
「水を飲みましょう」
「そうね、夏でもここの水は冷たくておいしいよ」
由美ちゃんが沙也加ちゃんの手を引いて、水飲み場に連れていく。勉と和歌子が保護者のように後ろからついていく。
「……なにがあった?」
黙って四人を見ていた豊の前に立ち、聞いた。
「……なにがって、なにが?」
「とぼけるなよ。沙也加ちゃんとなにかあったのか?」
豊の目が泳いだ。豊は沙也加ちゃんの事を心配していない。むしろ――。
「なんにもないよ!」
豊はそう言って四人の後を追って走って行った。
豊の表情を見るとあの時の事を思い出す。俺たちに心配をかけまいと嘘をつき、自分の中にしまい込んでいる。
沙也加ちゃんが豊に嘘を言わせているのだろうか――。




