8月:花火
■
その日は夏休みの登校日だった。
灰色の制服に身を包んだ私は、駅前の停留所で、久しぶりに青い巨大なスクールバスに乗り込んだ。
私が中高一貫の女子校に通うようになったのは、小学校の先生からの強い勧めがあったからだった。
私を少しでも男子から遠ざけるべきだと考えたらしい。
私は「べつにそうゆうのじゃないんだけどな」と思いつつ、流されるままに中学受験をした。
自分の席を目指していると
「ごきげんよう」
と友達から声をかけられた。お嬢様ごっこだ。
なにかと人目を惹くらしい私が、上級生からそう挨拶されたのを面白がって始まったその遊びは、夏休みでも継続中らしい。
「それやめてっていってるでしょー」
私は笑ってみせた。久しぶりの感覚だった。
学友たちが夏休みにどこへ行っただの、宿題が終わっていないなどと、話に花を咲かせているのを、私はずっとニコニコしながら聞いていた。
私立女子校の生徒とはいえ、なにも特別なことなどない。みんな年頃の女の子だ。好きなアイドルについて語ったり、恋愛ドラマの展開を本気で心配したり、男が欲しいとのたまったり。
私はいつも、彼女たちが、ガラスの靴を履いたシンデレラに見える。
私は違う。と、いつも思う。
お父さんを受け入れたあの日、魔法は解けて、ガラスの靴も砕けてしまった。
男女共学の学校に行かなくて、本当に良かったと、いまになって思う。
誰と誰が付き合ったとか、別れたとか、そんな話が学校中にあふれかえっていたら、私はきっともたなくなる。
私はきっとモテることだろう。
母からもらった美貌の為す技でそうなってしまうのだろう。
私はいったいどんな顔をして、その勇気ある愛の告白を断るのだろう。想像するだけで悪寒がした。
お父さんはどんな気持ちで、新しい恋をしたのだろう。
どんな気持ちで結婚式のパーティーを開こうと思ったのだろう。
久しぶりの学校で、はしゃいだ学友の肩が、私の肩にぶつかる。
私は「もおっ」と押し返す。
かぼちゃの馬車は、お城を目指す。
私はシンデレラのふりをして、そこに紛れ込む。
■
「花火行くから全員予定空けといてよ」
夕食時、珍しく全員揃ったタイミングで、輝美さんはいきなり宣言した。
その花火大会は県内でも屈指の規模で、岐阜の夏の風物詩だった。本来は月初めにやる予定だったのが悪天候で延期になり、8月の終わりの土曜日に行われることになった。そこにみんなで参加しようというのだ。
みのりちゃんたちが来て大所帯になってからというもの、みんなでどこかに行くことなんて一度もなかった。それぞれアルバイトやら勉強やら部活動やらでなにかと忙しいし、暇なのは私くらいで、全員揃うことは夕食ですら珍しい。
でも、輝美さんは里親として、家族らしいことをしたかったみたいだった。私たちは家族ではないけど、輝美さんはいつもそれらしくあろうとしていた。思えば草太さんがいて、春美ちゃんと四人だったときも、輝美さんはこうゆうイベントを大切にしていた。
そんな思いが伝わったのか、春美ちゃんはアルバイトを休んで、みのりちゃんはボランティアを休んで、一孝は夏期講習を休んで、みどりちゃんも部活の仲間と行く予定だったのを取りやめた。なんにも予定がなかったのは私だけだった。
夕方、去年と同じお手製の浴衣に着替えた春美ちゃんは、同じく春美ちゃん製の浴衣に着替えた私の髪を三つ編みにした。もういつからか覚えていないけれど、春美ちゃんは時間に余裕があるとき、決まって私の髪を編んだ。
その時間が好きだ。
それは私たち二人にとって神聖な儀式だった。春美ちゃんはいつも、宝物にでも触れるみたいに、私の髪をゆっくり大事そうに編む。私はこのとき、姉妹のきずなを感じる。
背中に感じる存在に、すべてを預けてもいいとさえ思う。
そこには私が母親から受け取れなかった愛情の一片がある気がするのだ。
ひとつ意外だったのは、春美ちゃんがみのりちゃんやみどりちゃんの浴衣を作らなかったことだ。
「作りたかったよ! 作りたかったけど、今年の夏は忙しかったんだよー」
春美ちゃんは悔しそうに言った。
確かに、春美ちゃんはいつもアルバイトで忙しなくしてるけど、今年の夏は特に家にいなかった。
でもみのりちゃんは、今年の夏はボランティアで忙しくてぜんぜん遊んでいないからと、新しく浴衣を下ろしていた。白地にピンクの花柄が散りばめられたかわいい浴衣だった。
結局、女性陣ではみどりちゃんだけが普段着で、なんだか仲間外れみたいだったけど、Tシャツにジーンズ姿のみどりちゃんは、背が高いからカッコよかった。
いつもより人のにぎわう道を、みんなで歩いて会場の河原を目指した。
みんなで団子になって賑やかに歩いている途中、ふと振り返ると最後尾の輝美さんがほほえましいものを見る目で私たちを眺めていた。
よかったね。
私は心の中で彼女に言って、想像で頭をなでてあげた。
お母さんという存在をほとんど知らない私だけど、この関係が親子でないのはわかる。私と輝美さんは、いうなれば年の離れたいとこだ。
輝美さんは親になろうとしているけど、私はいまのこの関係を尊く思う。
河原にビニールシートを敷いて、私たちは腰を下ろした。
「歩いてくると意外と遠いね」
みどりちゃんが言って
「下駄で歩くの疲れたー」
みのりちゃんが言った。
空が東から暗くなって、夕焼けと半分になっていた。
私たちは出店で食料を買い込んで、花火が上がるのを待った。
「こんな近くまで見に来るのはじめてだよ」
一孝は柄にもなく少し興奮した様子で言った。今日は手ぶらで単語帳のひとつも持っていない。
あたりが真っ暗になったころ、花火が上がり始めた。
河野家に預けられるまで、私はお父さんと毎年この花火を見に来た。うんと小さいころは肩車をして、音を近くで感じた。
同じ夏が二度と来ないように、同じ花火は上がらない。だから花火を見ると、昔のことを思い出す。そうゆう風にできている。
何気なく隣を見ると、花火の明かりに照らされて、みどりちゃんの頬に涙がつたっていた。彼女もなにか思い出しているのだろうか。きっとそうだ。
私は彼女から目を反らした。そして、コトンとみどりちゃんの肩に頭を預けた。
目の前では輝美さんが、ビデオ通話で草太さんに花火を見せていた。花火の音で草太さんの声はぜんぜん聞こえなかった。
最後に一発、大きな花火が炸裂して、花火大会は終わった。
終わった終わったと、ぞろぞろと人が立ち上がっていくなか、私たちはいつまでもその余韻に浸っていた。
夏の暑さと、夜風の冷たさの混じったぬるい空気が、喋りだすにはもったいなかった。口を開いたら夏が終わってしまうみたいに感じた。
「はい、終わり終わりー」
口火を切ったのは春美ちゃんだった。春美ちゃんは大きく背伸びをして立ち上がった。
「うん、来年も来よう」
それを皮切りにみんなのそのそと動き出した。
私がみどりちゃんの肩から頭をどかすと、彼女はそっと私の頭をなでた。
私たちは蒸し暑い人混みを潜り抜けて河原を後にした。
みのりちゃんの言うように下駄で歩くのは疲れるけど、いつまでも歩いていたい夜だった。
「帰ったら勉強するの?」
私は一孝をからかって言った。
「まあ、夏期講習休んでるし」
「風情がないなー」
みのりちゃんが言った。
「いいんじゃない? 私もミシンするし」
春美ちゃんが言った。
「みんな生き急ぎ過ぎだよ。いい? 同じ夏はもう来ないんだよ」
みのりちゃんは先頭で後ろ向きに歩きながら言った。
「そんな歌詞の曲あったね」
みどりちゃんがボソッと言った。
私は輝美さんのほうを見た。付き合いが長いからわかる。退屈そうに歩いているのを装っているけど、結構涙腺に来ているときだ。
「みんなで来れてよかったね。草太さんは残念だけど」
輝美さんはいつものように
「そうか」
と言って、ペットボトルのお茶を口に運んだ。
今日は引率だからビールは我慢していたみたいだ。




